第七話 「怒り」
観測者の巨大な眼が、
白百合部隊を見下ろしていた。
黒域全体が軋む。
空間が震えている。
怒っている。
そんな感情を、
人間ですらない存在から感じ取った瞬間、
背筋に冷たいものが走った。
『排除対象を確認』
低い声が空間を震わせる。
『不完全再生体を検知』
白百合部隊の兵士たちが一斉に銃を構えた。
だが。
榊一臣だけは動かない。
ただ静かに観測者を見上げていた。
「興味深い」
その声音に恐怖はない。
狂ってる。
本気でそう思った。
『攻撃を開始します』
白百合部隊が発砲する。
白い閃光が夜空を裂いた。
相位圧縮弾。
存在情報へ直接干渉する上位兵装。
だが。
観測者は避けなかった。
巨大な眼が開く。
次の瞬間。
撃ち込まれた閃光そのものが消えた。
「……な」
榊の眉が初めて僅かに動く。
観測者が空間を書き換えた。
いや。
“観測し直した”。
攻撃されたという事実そのものを、
無かったことにした。
『矛盾を修正』
その瞬間。
白百合部隊の一人が消えた。
爆発もない。
悲鳴もない。
ただ。
存在だけが削除された。
残った兵士たちが一瞬だけ動揺する。
いや。
違う。
動揺を“再現”しただけだ。
感情じゃない。
プログラム反応みたいな不自然さだった。
「玲司」
少女が俺の袖を引く。
「今なら逃げられる」
「……お前は」
「わたしは無理」
少女は観測者を見上げる。
その瞳には、
諦めみたいな色が浮かんでいた。
「あれはわたしを回収しに来た」
「回収?」
「わたしは――」
言葉が止まる。
その瞬間。
榊がこちらを見た。
「なるほど」
細い目。
感情のない笑み。
「お前は核側だったか」
少女の身体が強張る。
核側。
その単語に明確な拒絶反応を示していた。
「玲司、逃げて」
「説明しろ」
「時間がない」
観測者が腕を上げる。
空間が裂ける。
黒いノイズが都市全体へ広がっていく。
まずい。
このままじゃ横浜ごと完全消失する。
『黒域拡張を開始』
観測者の声。
その瞬間。
紗那の叫びが通信へ割り込んだ。
『玲司さん!! 黒域境界が拡大しています! このままだと東京湾全域へ侵食が――』
ノイズ。
だが聞こえた。
東京湾全域。
つまり。
数百万人規模。
俺は舌打ちする。
「くそっ……!」
少女を見る。
白いワンピース。
震える肩。
怯えた瞳。
どう見ても、
世界を壊す怪物には見えない。
だが。
観測者は彼女を“核”と呼んだ。
榊がゆっくり歩き出す。
「神代玲司。
中央統制局命令だ」
黒いコートが風に揺れる。
「その少女を引き渡せ」
「断る」
「理由は?」
「お前らに渡した瞬間、
もっと酷いことになる顔してる」
榊が初めて笑った。
本当に。
少しだけ。
「鋭いな」
次の瞬間。
白百合部隊が一斉に動く。
速い。
人間の反応速度じゃない。
「っ!」
俺は拳銃を抜く。
だが間に合わない。
兵士の一人が少女へ手を伸ばす。
その瞬間。
少女の瞳が黒く染まった。
空気が止まる。
そして。
兵士の腕が消えた。
切断じゃない。
存在そのものが削除されていた。
白百合部隊が初めて後退する。
榊の笑みが消える。
少女は自分の手を見つめていた。
震えている。
「……違う」
声が掠れる。
「わたし、
こんなのじゃ――」
観測者の巨大な眼が、
静かに細められた。
『核反応を確認』
そして。
黒域全体が、
少女へ呼応するように脈動した。




