第三話 「失敗した人間」
黒い群れは音を立てなかった。
崩壊した街路。
信号機の残骸。
無人の交差点。
その中央を、“それら”はゆっくりと歩いてくる。
男女。
老人。
子供。
スーツ姿の会社員。
制服姿の少女。
外見だけなら普通の人間だった。
だが。
顔が崩れている。
輪郭がノイズのように乱れ、
身体の一部が現実から欠落していた。
足が途中で消えている者。
腕が透けている者。
頭部だけ砂嵐のように歪んでいる者。
そして全員。
目がなかった。
「……なんだ、あれ」
無意識に声が漏れる。
少女は静かに答えた。
「失敗した人たち」
「失敗?」
「再生できなかった」
その瞬間。
背筋に冷たいものが走る。
再生失敗。
あり得ない。
永久機構の相位固定理論は、
人類史上最も完成された技術だ。
少なくとも公式には。
だが。
目の前の存在は、
その前提を根底から否定していた。
「玲司さん!」
通信機から紗那の叫び。
「映像を確認しました! すぐに離脱してください! それは相位残骸です!」
「相位残骸……?」
『存在情報の再構成に失敗した人間です! 本来なら発生するはずが――』
通信が乱れる。
ノイズ。
耳鳴り。
黒域が通信を侵食していた。
群れが止まる。
次の瞬間。
一体が走った。
速い。
崩れた脚で、
あり得ない速度で地面を蹴る。
「っ!」
反射的に引き金を引く。
銃声。
相位穿孔弾が相手の胸を撃ち抜く。
だが。
倒れない。
弾丸が命中した瞬間、
黒いノイズが肉体を補完した。
「再生した……?」
『違います!』
紗那の声。
『あれは再生じゃない! 相位が崩壊したまま固定されてるんです!』
理解した瞬間、
吐き気が込み上げる。
壊れたまま、
存在だけ維持されている。
それは。
不死よりも醜い。
群れが一斉に動く。
俺は後退しながら連射した。
銃声。
閃光。
ノイズ。
何体かは崩れる。
だが完全には止まらない。
黒域内部では、
現実法則そのものが歪んでいる。
「玲司さん、下がって!」
紗那。
その声と同時に。
上空から白い閃光が落ちた。
轟音。
衝撃波。
群れの一部が吹き飛ぶ。
輸送機の支援射撃だった。
『観測局権限で強制介入しました!』
「無茶するな」
『あなたが言わないでください!』
珍しく紗那が怒鳴った。
だが次の瞬間。
通信が途切れる。
完全な沈黙。
黒域侵食。
通信断。
まずい。
上空支援が消えた。
群れが再び迫る。
少女が俺の袖を掴む。
「こっち」
「……どこへ行く」
「安全な場所」
黒域に安全な場所なんて存在しない。
そう言おうとして。
やめた。
この少女だけは、
黒域内部で正常に存在している。
なら。
彼女だけが知る“法則”があるのかもしれない。
俺は舌打ちして走り出す。
少女が先導する。
崩壊した都市を。
黒い空の下を。
失敗した人間たちの群れが追ってくる。
その途中。
俺は気づいた。
奴らは。
少女を襲わない。
いや。
近づこうとしていない。
まるで。
恐れているみたいに。
「お前、何者なんだ」
走りながら問う。
少女は振り返らない。
ただ。
小さく呟いた。
「わたしは――」
その瞬間。
都市全体が揺れた。
低い振動。
黒域の空間そのものが軋む。
そして。
遠くで。
巨大な“何か”が目を開いた。




