第十九話 「黒の王」
黒い海が震えていた。
深層全体が脈動している。
まるで。
世界そのものが呼吸しているみたいだった。
そして。
海の奥。
闇より深い暗黒の中で。
“何か”が目を開いた。
巨大。
比較にならない。
観測者ですら小さく見えるほどの存在。
理解した瞬間、
本能が悲鳴を上げた。
見てはいけない。
認識してはいけない。
人間が理解可能な領域を超えている。
「……っ!」
膝が崩れる。
呼吸が乱れる。
視界へノイズが走った。
管理者が静かに言う。
「まだ直視するな」
その声で、
辛うじて意識が戻る。
だが。
“あれ”はまだこちらを見ていた。
巨大な黒い瞳。
底がない。
宇宙そのものみたいな暗闇。
『候補個体を確認』
声。
違う。
声ですらない。
直接脳へ流れ込んでくる。
侵食痕が焼ける。
黒いノイズが身体中を走った。
『未固定存在』
『白拒絶反応確認』
『適合率上昇』
頭痛。
意識が裂ける。
その瞬間。
俺の脳裏へ、
無数の記憶が流れ込んできた。
◆
崩壊する文明。
黒域に飲まれる都市。
空を覆う観測者。
白へ統合される人類。
黒へ解放される存在。
何度も。
何度も。
世界が繰り返し壊れていた。
そして。
その度に。
“王”が現れる。
白の王。
黒の王。
観測戦争を導く存在。
『固定』
『解放』
終わらない。
永遠に。
◆
「――っ!!」
現実へ引き戻される。
呼吸が苦しい。
管理者が静かにこちらを見る。
「見えたか」
「……なんなんだ、あれは」
管理者は黒い海を見上げた。
「黒域中枢」
その言葉だけで、
背筋が冷えた。
「君たち人類が、
“黒観測者”と呼んでいる存在の本体」
本体。
じゃあ今までの観測者は。
「端末みたいなものだ」
管理者が答える。
「深層へ干渉するための観測器官」
スケールが違いすぎる。
俺たちは。
そんなものと戦っていたのか。
「白にもあるのか」
「ある」
即答。
「白域中枢」
最悪だ。
つまり。
世界には二つの超存在がある。
白。
黒。
そして人類は、
その間で引き裂かれている。
「なんでそんなものが存在する」
管理者は少し考えるように黙った。
それから。
「君たちが生んだからだ」
「……は?」
「観測だよ」
黒い海が脈動する。
「人類は現実を定義する生物だ」
理解できない。
だが。
侵食痕だけが反応していた。
「人は世界を観測する。
観測された世界は固定される」
白域。
固定。
統合。
「だが同時に、
人は自由を望む」
黒域。
解放。
崩壊。
「二つの願望が極限化した時、
観測者が生まれた」
頭が痛い。
スケールが大きすぎる。
「つまり、
全部人類のせいだって言うのか」
「そう」
管理者は静かに頷く。
「君たちは、
自分たちで神を作った」
沈黙。
黒い海の奥で、
巨大な中枢が脈動している。
そして。
そいつはまだ俺を見ていた。
『神代玲司』
脳へ直接響く声。
『問う』
世界が止まる。
『君は何を選ぶ』
黒い海が揺れる。
『固定か』
白い光。
統合。
不死。
完全管理。
『解放か』
黒いノイズ。
崩壊。
自由。
存在消失。
その瞬間。
脳裏へ少女の顔が浮かんだ。
泣いていた。
苦しそうに。
壊れそうに。
そして。
二号の最後の言葉。
『お前だけは、
人間でいろ』
俺は顔を上げる。
黒域中枢を睨む。
「……どっちも選ばない」
管理者の目が僅かに揺れた。
そして。
黒域中枢が。
初めて。
“笑った”。




