第十八話 「境界管理者」
黒い海が揺れていた。
波はない。
風もない。
なのに。
無数の存在情報だけが、
水面のように脈動している。
ここは現実じゃない。
世界の裏側。
黒域深層。
消えた人間たちの残骸が沈む場所。
その中心で。
“昔は人間だった”何かが、
静かに俺を見ていた。
「……救う側、だと?」
「そう」
黒衣の人物は微笑む。
男にも女にも見える顔。
不気味なほど整っている。
だが。
左目だけが漆黒だった。
観測者と同じ眼。
「君たち人間は、
いつも世界を二択にしたがる」
黒い海を見下ろす。
「支配か。
自由か。
統合か。
個か」
その声は穏やかだった。
だが。
どこか疲れている。
「だが実際は違う」
黒域が脈動する。
「世界はもっと曖昧だ」
「お前、何者だ」
その人物は少し黙った。
それから。
「境界管理者」
「……管理者?」
「君たちの言葉で言えば、
黒域の調停役」
意味が分からない。
だが。
こいつが普通じゃないことだけは分かる。
「観測者じゃないのか」
「半分はそう」
静かな返答。
「半分はまだ人間だ」
またその言葉だ。
“まだ”。
まるで。
人間がいずれ別の存在へ変わる前提みたいな言い方。
「玲司」
管理者が俺を見る。
「君は白を拒絶した」
白観測者。
統合存在。
人格固定。
全人類同一化。
思い出しただけで吐き気がした。
「あんなの、
人間じゃない」
「なら黒は?」
黒い海が揺れる。
その瞬間。
水面から無数の手が伸びた。
人の手。
沈んだ存在たち。
苦しそうに、
こちらへ縋りつこうとしている。
「っ……!」
「黒域は固定を否定する」
管理者の声。
「人格。
肉体。
存在。
全てを解放する」
黒いノイズ。
崩壊。
消失。
あれもまた、
救済じゃない。
「白は統合。
黒は解放」
管理者が静かに笑う。
「どちらも極端だ」
「じゃあ何が正しい」
問い返すと。
管理者は少しだけ寂しそうな顔をした。
「誰も分からない」
沈黙。
その言葉だけが、
妙に人間らしかった。
「だから戦争になった」
「……戦争?」
「観測戦争」
黒域深層が震える。
その瞬間。
黒い海の上へ映像が浮かんだ。
◆
白い空。
黒い空。
二つの世界。
巨大な観測者たち。
そして。
無数の人類。
白へ進む者。
黒へ落ちる者。
戦争。
崩壊。
都市消滅。
文明断絶。
『固定せよ』
『解放せよ』
二つの意思が、
世界を引き裂いていた。
◆
「永久機構は白側に近い」
管理者が言う。
「だが完全には到達していない」
「榊は?」
「彼は白を人類進化だと思っている」
間違いなく本気だ。
だから厄介なんだ。
「じゃあ黒は誰なんだ」
その瞬間。
管理者の漆黒の左目が、
ゆっくり細められた。
「まだいない」
嫌な沈黙。
「……どういう意味だ」
「黒域は王を必要としている」
脈動。
黒い海が呼吸する。
「未固定存在。
白を拒絶し、
黒へ耐え得る人間」
管理者がゆっくりこちらへ近づく。
「神代玲司」
侵食痕が焼ける。
「君は候補だ」
その瞬間。
黒い海の奥で。
巨大な“何か”が目を開いた。




