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執事長の天敵

ご覧いただきありがとうございます。

本作品は毎週火曜日更新となっております。


17話から第二章が始まります。

今回は、カイン執事長が頑張る回です。

なお、本人の胃はあまり無事ではありません。

──コン、コン。


「お嬢さま、失礼いたします」


扉を開けて現れたのは、

給仕用のワゴンを押すカインだった。


髪色はそのままなのに、

土魔法を顔に薄く纏わせただけで、

別人と錯覚するほど、見事な変装をしている。


前任の執事長がいなくなったあと、

彼は堂々とヴァルディス家へ乗り込み、

偽造した書類で執事長の地位を勝ち取った。


そんな面白い……いえ、

カインの勇姿を応援しに行こうとしたのに。


『お嬢さま。

どちらに向かわれるんですか?』


『い、いえ。

なんでもありません』


カーズに見つかったせいで、

見届けられなかったのは無念だわ。


カインが押してきたワゴンには、

今日も彩りの食事が並んでいた。


貴族の食事としては質素かもしれない。


それでも、

一日一度のパンとスープだけで過ごしていた頃に比べれば、

十分すぎるほど天国だった。


最初はカインも気を利かせて、

もっと豪勢な食事を用意してくれたのに。


『いただきま──』


『ちょっと待った!

幼女に、何を食べさせてるんですか!?』


念のために手配された医者が、

まさか、私の刺客になるなんて。


『あれも、これもだめ!』


『あっ、あっ、わたしの……ごはん』


目の前で食事を取り上げられて、

よく泣かなかったと、自分を褒めたいくらい。


「お嬢さま。

お食事を置かせていただきます」


カインは、

優雅な振る舞いで、

何種類もの料理を並べていく。


私は椅子に座ったまま、

その動きをじっと見上げていた。


彼の所作は無駄に美しく、

見本としては、素晴らしい。


素晴らしい、けど。

ある言葉が、頭から離れない。


「……きっしょ」


「あ゛ぁ゛ん!」


変装を忘れ、

素に戻るカイン。


いつもの調子で、

私に噛み付こうとするが──


ごほん。


背後から、咳払いが聞こえた。


振り返ると、

扉の隙間から、カーズが顔を覗かせている。


……じっとりした目で。


「「ひっ!」」


私たちの肩は、

同時に跳ね上がった。


「執事長。

お嬢さまに、その口の利き方は、

如何なものかと思いますが」


“にっこり”と笑ったカーズ。

その声は、いつもより低かった。


「も、申し訳ございません。

お許しいただけますか……チッ」


ワゴンの横で、

カインは歯を食いしばり、

必死に執事長を演じていた。


その背後では、

カーズが静かに睨みを利かせている。


「ぶふぉっ!」


咄嗟に口を塞いだが、

もう遅い。


私の中で、

何かが盛大に決壊していた。


「ゆ、ゆる、ゆるすよ……ははっ!」


「あ、ありがとう……ございます。

おじょう、さま」


大爆笑する私と、

悔しそうに声を絞り出すカイン。


そんなやり取りも、

最近では、すっかり定番になってきている。


……あぁ。

この日々が続けばいいのに。


心が、

それを望んでいる。


でもね。

忘れられないの。


父親の存在が、

私の幸せを真っ黒に塗りつぶす。


べったりと、

隙間なんてないほどに。


感謝は、してるのよ。


おかげで私は、

進むべき道を見失わずに済むのだから。


さて、次に行きましょうか。


今度の仕掛けを知ったら、

父は、不良娘だと泣いてくれるかしら?


その夜。


細い三日月が、

雲の隙間から顔を出す時間。


「おーい、起きてるかー」


頭上から降ってきたカインの声に、

私の目が、半分だけ開いた。


「……あと、五分」


すやぁ……と眠りに戻りかけたところで、

ゆさゆさと起こされる。


「呼びつけといて、寝るんじゃねえ!」


「仕方ないでしょー。

こっちは三歳児なのよ。

健康的な生活をしたら眠くて、眠くて」


ただの状況説明だったのに、

カインは、言葉を失っていた。


……この間、リネットが言ってたわね。


『ボス、帳簿見て頭抱えてたっすよ。

お嬢さま、普通に食わせる金くらい、

いくらでもあったんじゃねぇかって』


最後は、

哀れむような笑みも浮かべていたっけ。


カインも、

新しい仕事が大変な時期よね。


私は身体を起こし、

ベッド脇に座っているカインに手招きをする。


「なんだよ」


「頭、頭」


当然のように催促すると、

カインは怪訝そうに眉を寄せた。


「……何する気だよ」


「いいから」


しばらく睨み合ったあと、

カインは諦めたように頭を下げた。


私は精いっぱい両手を伸ばし、

彼の頭の上に乗せる。


「カインはいい子、カインはいい子」


わしゃわしゃと、

茶色い髪を撫で回す。


「……何の儀式だ」


「失礼ね。

労わってあげてるのよ」


口をついて出たのは、

何気ない一言だった。


だけど、

カインが息を飲む音が聞こえた。


……そっか。


あなたはずっと、

誰かを守る側だったのね。


寄りかかる相手なんて、

きっと、どこにもいなかった。


なら、仕方ない。


今くらいは、

私が甘やかしてあげる。


気づかないふりをして、

カインを、めいっぱい撫で回してあげた。


のだが……


「おい!

寝るんじゃねぇ」


「ぐがー」


気づいた時には、

カインの頭を枕にして寝ていた。


「うわっ、

よだれ垂らすな……くっさ!」


「臭くないもん。

歯磨きしてるわよ」


手の甲で、

目をこすりながら、異議を唱える。


「ったく。

で、要件はなんだ」


「はいこれ」


一枚の紙を手渡す。


「…………この男がどうしたんだ」


カインは、

やけに長い間、紙を見つめていた。


眉間が盛り上がるほど、

深く皺を寄せている。


「家庭教師」


私の一言で、

その顔は凍りついた。


カインの手から、

紙がひらりと、ベッドの上に舞い落ちる。


書かれていたのは、

“リベル・ロウエル”の名。


「家庭教師なら、

他にもいるだろう。な?」


懇願に近い眼差しが、

カインから向けられる。


「目が泳いでるけど、

彼と何かあったの?」


数秒の沈黙。


「……昔、

あいつに付きまとわれていたことがあったんだ」


「ほうほう」


「朝も、昼も、夜も……一日中!!」


声だけは小さく叫んでいたが、

目を限界まで見開き、

全身で拒絶を訴えている。


私は唇に力を込め、

ぷるぷると身体を震わせていた。


笑っては悪い。

そう思い、必死で耐えた。


「あいつはな。

生粋の変態なんだ!」


「ぶふぉっ」


……ごめん、むり。


カインさん。

大事なところを抜かしたら、

ラブロマンスが始まるのでやめてください。


「大丈夫。

全部知ってるよ」


その瞬間。


カインは、

ぴたりと動きを止めた。


信じられないものを見るような目で、

私を凝視している。


「違う違う。

いちゃいちゃ……じゃなくて、

今後の計画に、彼が必要なの」


「どういうことだ」


私はカインの目を見据え、

綺麗に……いえ、冷たく微笑んだ。


「私ね。

グラント商会を乗っ取るつもりなの」


私の宣言に、

カインは何も答えなかった。


理由は、

分かっている。


胸の奥が、

少しだけ締めつけられた気がした。


あなたの望みを叶えるなら、

避けては通れないと分かっている。


……どうしてだろう。


出会った時と違って、

そんな顔は見たくないと思ってしまう。


いつの間にか、

吹きつける風がガタガタと窓を揺らし、

静まり返った室内に響いている。


暗闇に浮かぶカインの表情。


そこにあった温度は、

全て抜け落ちていた。

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