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血のついたピアス

ご覧いただきありがとうございます。


前回もお知らせしました通り、屋敷編が佳境に入りましたので、今週は更新ペースを少し早めています。


本日分のあと、土曜日・日曜日にも更新予定です。

来週からはまた通常通り、毎週火曜日更新に戻ります。


ここから物語が大きく動いていきますので、引き続き見届けていただけたら嬉しいです。

「なんだ。

ニヤニヤして気持ち悪いな」


「……別に」


暗がりの中、

こちらを見ているカインの声は、

引きつっていた。


月明かりすら差し込まない、

深夜だった。


机の上の小さなランプだけが、

ぼんやりと室内を照らしている。


私は机に片手を乗せ、

無言で口角をつり上げていた。


こんなに愛らしい三歳児を前にしても、

カインが漏らしてしまうのは仕方ない。


「漏らしてねぇよ!」


あらやだ。

心の声が漏れてたかしら。


口を隠すように手を当て、

カインを凝視すると、深いため息をつかれた。


「お前、全部顔に出てるんだよ」


彼の言葉に、

数度、瞬きを繰り返す。


「……あら、そう」


カーズすら虜にする演技なのに、

気が緩んでいるのかもしれないわね。


「で、こいつはいつ届けるんだ」


カインは右手に持っていた、

束ねられた厚紙を軽く振った。


「そうね。

明け方までにお願いするわ」


「分かった……

毎晩忍び込む生活も、

ようやく終わりかー」


カインは弾んだ足取りでベッドへ向かい、

ドサッと腰を下ろした。


「ちょっと、静かにしてよ。

いくら人が寄りつかないからって──」


コン、コン。


二人の肩が、

同時に跳ね上がる。


そして、

息ぴったりに顔を見合わせた。


『お嬢さま。

夜分遅くにすみません。

カーズです』


な、な、な、なんでカーズが!?


考えるより先に身体が動いた。


動揺しているカインの手を引っ張り、

小声で急かしながら、

窓辺へと追いやる。


「ちょっと、早く出ていってよ」


「わ、分かったから、

落ち着けって!」


揉み合っている最中に、

追撃の一言。


『お嬢さま……?

入りますよ』


──ちょっと待って!!


今見つかったら、

夜中に男を連れ込んだって怒られる。


カインと噂になるなんて、

死んでもごめんよ!


「は、はーい!

いまいくねー」


カインが窓辺から、

恨めしそうにこちらを見ている。


「早く行って!」


『お嬢さま?』


しまった。

目で追い払うはずが、

口に出してしまった。


「は、はいっていいよー」


扉が、ゆっくりと開く。


入ってきたカーズは、

私を見ると、すぐに背後へと視線を動かす。


耳を塞ぎたくなるほど、

心臓がうるさい。


カーズは無言で、

私の脇を通り過ぎると、

窓辺へと進んでいく。


あぁ、もうだめだ。

初めての間男がカインなんて。

一生の黒歴史になっちゃう。


固く目を瞑り、

次の言葉に身構えていた。


「お嬢さま……夜風は身体に悪いですよ」


「……へっ?」


恐る恐る振り返ると、

そこにいたのはカーズだけ。


「はぁー……」


全身の力が抜けた。


「お嬢さま」


「はい!」


窓を閉め、振り返ったカーズ。


その笑みは、

私を凍りつかせるのに十分だった。


「こんな遅くまで、

何をされていたのですか」


「えっと、ねむれなくて……

そうだ! カーズはどうしたの?」


こんな時は、

話題を変えるに限る。


「……メイドから聞いたんです。

お嬢さまの部屋から、

夜な夜な、独り言が聞こえるって」


油断した。

誰も近寄らないと思っていたのに。


冷や汗が流れる。

目の前の相手は微笑んでいるのに、

その背後からブリザードが吹いている。


「そ、それはね。

カーズにおてがみかく、

れんしゅうしてたの!」


私は机に駆け寄り、

引き出しから便箋と封筒を取り出す。


証拠代わりに、

カーズに差し出す。


彼は受け取ると、

考えるように眺め、

口を開いた。


「ありがとうございます。

で、いつ買ったんですか?」


……やっちまった。


アモリスが、

人生最大級の危機に見舞われていた頃。


カインもまた、

窮地に陥っていた。


「なに、これ」


「何と言われましても。

あなたの状況を正確に言い表すなら、

お姫様抱っこですね」


窓から飛び降りたカインは、

下にいた白い仮面の男に、

見事に受け止められていた。


「おろしてくれー!」


「はい」


仮面の男は、

地面に下ろすと、一歩後ろに下がった。


そして右手を胸に当て、

カインに向かって深々と礼をする。


「少し早いですが、

執事長就任、おめでとうございます」


「……全部、お見通しってわけか」


「はい」


仮面の男は淡々としているが、

カインの目に鋭さが宿る。


「この先、どうするつもりだ」


「どう、とは?」


本当に、

意味が分からないのだろう。


仮面の男の声には、

それ以上の感情がなかった。


「お嬢さまのことだよ。

いつまであんな生活させておく気だ!

それに……」


カインは、

奥歯を噛み締め、目を伏せた。


「俺は、捨てられたんだ。

お前だって、それを知ってるだろ。


そんな奴が戻ってくると聞いて、

なんとも思わないのか」


震える声を押し殺して、

腹の底から絞り出された言葉。


二人の間に、

沈黙が流れる。


仮面の奥で、

男が何を思ったのかは分からない。


やがて、

いつもと変わらない声が落ちた。


「……いえ。

なにも」


その瞬間。


カインは、

弾かれたように顔を上げた。


焼けつくような熱が、

全身を駆け巡る。


「お前……本気で言ってんのか」


気づけば、

仮面の男の胸ぐらを掴んでいた。


力任せに引き寄せ、

その白い仮面へ額を叩きつける。


鈍い音が、

夜の庭に響く。


「俺だけじゃない。

自分のガキまで捨てるあいつを見て、

どうして平然としてられんだよ!」


「……」


返事は、ない。


「……ちっ」


カインは舌打ちをして、

仮面の男から手を離した。


「お前は、

昔から変わんねぇな」


それ以上、

言葉を紡ぐことなく、

カインは夜の森へと姿を消した。


残された仮面の男は、

カインが消えた森の奥へ、

白い仮面を向けたまま動かなかった。


月明かりひとつない空の下。


風はなく、

木々の葉擦れさえ聞こえない。


世界から音だけが抜け落ちたような静けさの中で、

男はぽつりと呟いた。


「私が、作られた存在だということは、

あなたもご存じでしょうに」


その声は、

誰に届くこともなく、

夜の闇へと溶けていった。


夜が明けると、

私は机の上に広げた便箋を前にして、

頭を抱えていた。


「なんて書こう」


メイド長が買ったと誤魔化したけど、

成り行きでカーズに手紙を書くことになってしまった。


「うーん。

いつもありがとう。

カーズ大好き!とか……?」


短い腕を組み、

首を捻っていると、

ノック音が部屋に響いた。


『お嬢さま。

カーズです』


なんだろう。

昨日から、ノック音に嫌な予感しかしない。


入室したカーズは、

机の上にある便箋を見て、

頬を緩ませた。


「カーズ。

あさはやくに、どうしたの?」


疑問を口にすると、

彼は襟を正して、私に向き直る。


「実は、

朝からメイド長の姿が見当たらなくて」


……あぁ。

すっかり忘れてた。


メイド長は、

もういないんだっけ。


「それで、

お嬢さまの部屋に来ているのではと思い、

確認に参りました」


「メイドちょう、

もしかして……」


私は悲しげに俯き、

そこで言葉を切った。


「お嬢さま。

何かご存知なんですか」


「うんとね。

メイドちょうがいってたの。

おじょうさまのおかね、"とりかえしてくる"って」


さっと、

カーズの顔色が変わった。


「だからね。

しつじちょうと、

おはなしするって、いってたの」


そこまで聞くと、

カーズは真剣な表情で俯き、

しばらく黙り込んだ。


「お嬢さま。

"私"はメイド長を探してまいります。

ですので、部屋でお待ちいただけますか」


そう告げる姿は、

久しぶりに見る"騎士"の顔をしていた。


「わかった!」


私の返事に、

カーズは満足げに微笑んだ。


使用人用の食堂。


朝食が終わってから時間が経つというのに、

そこは、いつまでも人で溢れかえっていた。


その隅で背中を丸め、

一人震えている男──執事長がいた。


「仕事もせず、

いつまでもお喋りしやがって」


険しい顔で吐き捨てる。


だが、その声とは裏腹に、

胸の内は冷えきっていた。


証拠は消した。


それでも、

いつ犯行がばれるか分からない。


もしかしたら、

ここにいる人間は、

本当はもう──


『ええっ!

メイド長、行方不明なの?』


『しーっ!

声が大きいよ』


背後から聞こえた会話が、

俺の心臓を貫いた。


『騎士さまに声をかけられたんだけど。

メイド長がつけていたピアスを持っててさー』


……ピアス、だと。


まさか、

これみよがしにつけていたやつか!


振り返って、

今すぐ問い詰めたい。


けれど、

手足は小刻みに震えていた。


『しかもね。

その騎士さま、

執事長のことを探し回ってたのよ』


『えぇ……

もしかして、執事長が?』


──ガタン。


突然の大きな音に、

そこにいた全員の注目が集まる。


視線の先では、

執事長が立ち上がっていた。


後ろには、

倒れた椅子が床に転がっている。


彼は誰とも目を合わせず、

逃げるようにその場を後にした。


静まり返った食堂内。


一人のメイドの笑みに、

誰も気づくことはなかった。


「失礼します。

カーズです」


カーズが騎士団長室を訪れると、

ガレスは何かを手にしたまま、

厳しい表情で椅子に座っていた。


「どうかされたんですか」


返事はない。


ガレスは深いため息をつき、

無言でそれを差し出した。


「これは……?」


中身を確認した瞬間、

カーズの息が詰まる。


「まさか、これ……!」


「そうだ。

私たちがずっと探していた、

屋敷の裏帳簿だ」


ラドラの一件で、

アモリスの境遇を知った騎士団は、

ずっと彼女のことを気にかけていた。


だが、

騎士団と執事長では、

持っている権限が違う。


当主が黙認している状況で、

証拠もなく屋敷の内情に踏み込めば、

こちらが越権行為に問われかねない。


最悪の場合、

アモリスのそばから遠ざけられる可能性すらあった。


「これでようやく、

お嬢さまに……まともな、生活、を」


カーズは俯き、

肩を震わせていた。


手にした紙の上に、

ぼたっと、透明な雫が落ちる。


「カーズ。

それは大切な証拠品だ。

気持ちは分かるが、

泣く前にやることが残ってるだろう」


ガレスの言葉に、

カーズは慌てて自分の顔を乱暴に擦った。


そしてポケットから、

四つ折りのハンカチを取り出す。


「メイド長が身につけていた物です。

屋敷一階の物置部屋に落ちていました」


四つ折りのハンカチごと、

ピアスを机の上へ差し出した。


「……これが、どうした」


ガレスは眉を寄せ、

指先でピアスを摘み上げる。


窓から差し込む光にかざした瞬間、

その目が細められた。


「これは……血か」


宝石を留める金具の根元に、

赤黒いものがこびりついている。


室内の空気が、

一段、重くなった。


「メイド長は、

今朝から姿が見えません」


カーズは声を低くし、

少しだけ、身を乗り出す。


「そして最後に彼女を見た者は、

執事長と話をしていたと証言しています」


ガレスは、

机に手をつき、勢いよく立ち上がった。


「確かか」


「はい」


カーズは、

迷いなく頷いた。


ガレスの視線が、

机の上に置かれた裏帳簿へ落ちる。


横領の証拠。

血のついたピアス。

消えたメイド長。

最後に会っていた執事長。


もう、

見過ごせる段階ではなかった。


「分かった」


ガレスは短く息を吐き、

すぐに顔を上げる。


「公爵閣下には私が報告する。

すぐに人を集めろ。執事長を探せ」


「見つけ次第、捕縛してよろしいですか」


「構わん。

ただし、殺すな。

必ず生きたまま連れてこい」

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