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黒く塗りつぶされた手紙

ご覧いただきありがとうございます。


通常は毎週火曜日更新ですが、屋敷編が佳境に入りましたので、今週だけ更新ペースを少し早めます。


本日分のあと、木曜日・土曜日・日曜日にも更新予定です。

来週からはまた通常の火曜日更新に戻ります。


ここから少し物語が大きく動きますので、見届けていただけたら嬉しいです。

昼食の残り香がこもる

使用人用の食堂で、

メイド長ベリンダは食事を終えていた。


残した昼食は、

本来であればゴミ箱に捨て、

お膳は所定の場所に片付ける決まりだ。


ベリンダは立ち上がり、

ゴミ箱へと向かっていく。


その手に、お膳はない。


ゴミ箱の前にたどり着くと、

指先につまんでいた何かを放り投げた。


ひらりと落ちたそれは、

真っ白な封筒。


宛名こそないが、

手書きのハートマークで、

可愛く縁どりされていた。


『メイド長、お疲れ様です』


背後からの声に、

ベリンダは振り返る。


そこにいたのは、

皿を片付けに来た若いメイドだった。


顔に覚えはない。


だが、若く、愛嬌がある。

あの男が目をつけそうな娘だと、

それだけで察しはついた。


「……お疲れ様」


形だけ返事を返して、

彼女は立ち去ろうとする。


『メイド長。

それ、お嬢さまからのお手紙じゃないんですか』


ベリンダは振り返らない。


「だからなに?」


冷たく吐き捨てた声には、

鋭さが滲んでいた。


『いえ、あの……

間違って捨てちゃったのかな、と』


ベリンダは、

背を向けたまま、ため息をついた。


「子どもが書いた手紙なんて、

読めるわけないでしょ」


そこまで言って、

ようやく振り返ったベリンダ。


その顔は、

醜く歪んでいた。


「大体あなたね。

さっきから何なの!?

執事長に気に入られているからって──」


『いだだだだだ!!』


突然、

メイドが左の脇腹を押さえて、

その場にうずくまる。


『すみません。

この間、執事長に蹴られたところが……

私、医務室に行ってきます!』


一方的にまくし立てると、

メイドはあっという間に姿を消した。


「何なのよ、もう!」


鼻息荒く、

その場を後にするベリンダ。


彼女は気づかなかった。

その光景を、執事長が見ていたことに。


月明かりだけが、

便箋を白く浮かび上がらせる夜。


次の仕込みのために、

私は最後の一通を書いていた。


三歳児の身体は、

とっくに限界がきている。


それでも眠気に耐えながら、

なんとか仕上げを終えようとしていた。


「おーい。

自称大人のお姉さん。

首がもげかけてるぞー」


傍らで冷やかすカインに、

文句を言ってやりたい。


けど、眠い!


何とか書きあげたメッセージ。

封筒に入れようとした時、

横から伸びた手に持っていかれた。


「お前、もう字が書けるのか。

感心だなー……下手くそだけど」


──ブチ。


言葉なんていらない。


私は椅子から飛び降り、

カインの手を掴む。


思いっきり噛んでやった。


「いでででで!」


オッサンの悲鳴が、

二人きりの室内に響く。


「分かった、分かった。

悪かったから離してくれ!」


仕方ない。

大して美味しくもないし、

……もういっか。


カインの悲鳴を聞いて、

気が抜けた私は、そのまま意識を手放した。


「おっと」


倒れていく三歳児の身体を、

カインが抱きとめる。


「やれやれ。

こうして見たら可愛いクソガキなんだけどな」


穏やかな寝顔に手を伸ばし、

軽く頬っぺを摘む。


「……」


何故か衝撃を受けた顔をして、

カインは自分の手を見つめた。


そして、

深いため息を吐くと、

私をベッドに寝かし、部屋を後にした。


「今日は、何もないんですか?」


いつものお昼。

食事を運んできたベリンダの顔は険しかった。


「ご、ごめんなさい。

あしたになったら、あげれるから!」


私は床に目を伏せ、

小さく震える。


……昔の経験が、

こんな所で役に立つなんてね。


「お金もないお嬢さまが、

どうして明日なら、用意できるんですか」


ベリンダの蔑む声。

苛立ちを隠す気はないようだ。


「えっと、

カーズがかってきてくれるって──」


「お嬢さま!

あの騎士に、私たちのことを話したんですか!?」


驚いたように目を見開き、

飛びかかる勢いで、

ベリンダは私の両肩を掴んだ。


「い、いってないよ。

カーズには、ほしいものがあるのって……」


痛いわね。

もう、この場で消してしまおうかしら?


そんなことを考えていると、

落ち着いたベリンダが、肩から手を離した。


彼女の目は、

幼子を見るものではなかった。


こんな年で、もう男を使うことを覚えている。


そう言いたげな荒んだ目で、

ベリンダは私を見下ろしていた。


「ほんとうはおかね? ってものがあれば、

メイドちょうにいっぱいプレゼントできるのに……」


私は悲しげに項垂れる。


すると頭の上に、

柔らかな温もりが落ちてきた。


「お嬢さま。

私、感激しております。

そこまで大切にしていただけるなんて」


彼女の顔は、

別人かと錯覚するほど、

穏やかな笑みを浮かべている。


「……許してくれるの?」


「もちろんです!」


あら、いつの間に、

私より偉くなったの?


「では、お嬢さま。

私は仕事がありますから、この辺で」


立ち去るベリンダに、

私は笑顔で手を振った。


「……はぁ、消毒しなくちゃ」


まさか、

頭を撫でられるとは思わなかった。


──コンコンコンコンコン。


突然のノック音に、

私の肩が、ビクッと跳ね上がる。


「だ、誰。

……キツツキ?」


ピタリと、

音が止んだ。


「お嬢ーさまー。

カーズです、中に入れてください!」


「ど、どうぞ?」


何が起きたのかと、

胸の奥に緊張が走る。


扉を開けて現れたカーズは、

血の気が引いた顔で、

子犬のように震えていた。


「……メイド長が、メイド長が。

俺を見て"ウインク"したんですよ!?」


うわぁ……可哀想に。

とことん女運がないのね。


私の前で両膝をつき、

この世の終わりみたいな顔をしているカーズの頭に手を伸ばす。


「こわいの、こわいの、とんでいけー

ぜんぶレオンにプレゼントー」


巻き込んだのは私だから、

このくらいはしてあげないとね。


「カーズ。

てーかしてー」


彼の手を掴み、

自分の頭に乗せる。


カーズは不思議そうにしているけど、

気にせず、手のひらに頭を擦りつける。


「お嬢さま、何を?」


「しょうどく」


あぁーきくきく。

やっぱり、こっちの手じゃないとねー。


猫のようにスリスリする私を、

カーズは呆然と見つめる。


そのうち、

ふっと笑みを漏らし、

カーズは私の頭を、優しく撫でてくれていた。


次の日。


穏やかな陽光が屋敷を包み、

心地よい風が、部屋へ吹き込んでいた。


私は窓越しに、空を眺める。


まるで、

今日という日を祝福しているみたい。


……始まるのね。


私の口角は、

いつの間にか吊り上がっていた。


「くそっ、あの女……許さねぇ」


ヴァルディス家の二階廊下。


人けのない通路で、

執事長は、壁を蹴り飛ばしていた。


つい先ほどのベリンダの声が、

嫌でも耳の奥に蘇る。


「あんたさぁ。

いい加減、お嬢さまのお金、

返しなさいよ」


ベリンダは腕を組み、

執事長である俺を、

見下ろすように顎を上げた。


「……そのピアス。

お嬢さまに買ってもらったのか?」


そんな金、

持っているはずがない。


問い詰めた俺に、

ベリンダは自慢げにピアスを見せつけた。


「お嬢さまってば、

男を使ってまで、

私に貢いでくれるの!」


「……は?」


こいつは、

何を言っているんだ。


ベリンダは下卑た笑みを浮かべ、

ゆっくりと脇を通り過ぎていく。


靴音だけが、

やけに廊下へ響いていた。


俺の背後で、

音が止まった。


甘ったるい香水の匂いが、

鼻先をかすめる。


「流石ヴァルディス家の血筋。

幼いうちから男を誑かすなんて、

凄いと思わない?」


ベリンダの唇が、

耳元へ寄る。


息を吸おうとして、

喉の奥が引きつった。


そして──


「だから。

あんたとお嬢さまでは、

最初から“価値”が違うのよ」


そう囁いた。


「いい加減、

自分の立場を理解しなさい。

早くしないと、うっかり口が滑っちゃうかもぉ!」


ベリンダは耳障りな笑いを残し、

背を向けた。


俺は拳を握りしめたまま、

その場から動けなかった。


思い出すだけで、

腹の底が煮えくり返る。


くそっ。

今日は誰かを使って、憂さ晴らしでも──


「しつじちょう!」


聞き覚えのない声が、

足元から聞こえた。


視線を落とす。


そこには、

一人の幼子が立っていた。


「……アモリス、お嬢、さま」


この屋敷の者が、

本来なら当主の次に頭を垂れるべき存在。


そして、

その名を使い、

俺が散々、金を抜き続けてきた相手。


──最初から“価値”が違うのよ。


ベリンダの声が、

脳裏をよぎる。


払い除けるように頭を振り、

目の前のお嬢さまを、きつく睨みつけた。


「あのね。

おねがいがあってきたの」


俺の視線に気づかないのか。


お嬢さまは指先をもじもじと動かし、

恥ずかしそうに俯いている。


「お願いとは、なんですか」


どうせ、子どもの戯言だ。


そう思っていた。


けれど、

次の一言で、全身に震えが走る。


「たまーにでいいから、

あぶらがたっぷりのおにく、たべたいなぁ……」


……肉、だと。


そんなものを、

食わせた覚えはない。


「お嬢さま。

それは、どこで?」


「うんとね。

メイドちょうが……あっ!」


しまった。


そんな言葉が似合う顔で、

お嬢さまは両手で口を塞いだ。


「えっと、ちがうの。

これは、その……ごめんなさい!」


言葉を詰まらせ、

目を潤ませる。


そしてそのまま、

廊下の奥へ駆け出していった。


「ちっ、何だったんだ」


悪態をついた時、

ふと床に落ちているものが目に留まった。


「これは……」


真っ白な封筒。


縁どりには、

手書きで描かれたハートマーク。


だが、先ほど見たものとは違い、

そのハートは黒く塗りつぶされていた。


ごくり、と喉が鳴る。


中を目にした瞬間、

俺の息は止まった。


何度読み返しても、

書かれている内容は変わらない。


紙を握る手に、

じわりと汗が滲む。


気づけば、

夜はすっかり更けていた。


屋敷の明かりは落とされ、

廊下には人の気配ひとつない。


遠くで、

夜鳥が一度だけ鳴いた。


その声が消えると、

残ったのは、壁時計の音だけだった。


カチ、コチ。


やけに大きく響く音を聞きながら、

俺は、一階の使われていない部屋へ向かった。


そこには、

苛立った表情で腕を組む、

ベリンダが立っていた。


「で、話ってなに」


温度のない目が、

こちらを睨みつける。


いつもなら、

その目つきだけで腹が立ったはずだ。


だが今は、

何も感じない。


怒りが消えたわけではない。

むしろ、濃くなりすぎて、

外へ漏れなくなっただけだ。


燃え盛っていた炎が、

芯まで青く変わったように、

頭の奥だけが、すうっと冷えていく。


無言のまま歩み寄る。


手にしていたランプを、

テーブルの端へ置いた。


その脇で、

何かが鈍く光った気がした。


そんなものは、どうでもいい。


胸元から封筒を取り出し、

ベリンダの前へ突きつける。


「これは、どういうことだ」


薄明かりでは、

字が影に沈んで読みにくいのだろう。


ベリンダは一度目を細め、

怪訝な顔で手紙をひったくった。


『メイド長へ

執事長の秘密を、教えてくれてありがとう。

お金がもらえるように、頑張るね!』


そこに書かれていたのは、

幼い字で、アモリスがベリンダに宛てた手紙。


読み終えた瞬間、

ベリンダの指先が止まった。


「なに、これ……私、知らない」


持っていた手紙が、

はらりと床に落ちる。


何故、

この女はこんなに動揺している?


秘密がばれたから。


嘘をついていたから。


今さら、

どちらでもよかった。


嘘でも、秘密でも、

この女の口から吐かせればいい。


一歩、

足を踏み出す。


こつん。


わざとらしく靴音を立てながら、

ベリンダに近づいていく。


「ちょっ、何よ。

近寄らないで……」


ベリンダは、

じりじりと後ずさる。


その顔は、

恐怖に歪んでいた。


「どこまで話した」


「は、話してない!

本当よ!」


ベリンダの声は、

震えていた。


俺は、

その言葉に返事をしなかった。


こつん。


「本当なの!

知らないって言ってるでしょ!」


また一歩。


こつん。


「来ない、でよ……」


ベリンダは、

俺から目を逸らせないまま後ずさる。


その背中が、

どん、と何かにぶつかった。


「っ……」


振り返った先には、

薄暗い壁。


逃げ場は、

どこにもない。


「本当のことを言え」


手を伸ばす。


ベリンダの顔が、

くしゃりと歪んだ。


「触んないでよ!」


乾いた音が響く。


伸ばした手が、

強く弾かれていた。


「このクズ!」


その瞬間。

頭の中が真っ白になった。


気づけば、俺の脇を通り抜け、

出口へと駆けだすベリンダの背中に、

手を伸ばしていた。


長い髪を掴む。


「いっ……!」


悲鳴が上がる。


その声が、

やけに遠く聞こえた。


視界の端で、

何かが鈍く光る。


さっき、

ランプを置いたテーブルの脇。


考えるより先に、

手が伸びていた。


冷たい感触が、

指に触れる。


ベリンダが、

こちらを振り返る。


「や、やめ──」


その声は、

最後まで形にならなかった。


ランプの火が消える。


暗闇に沈んだ室内で、

聞こえるのは、荒い息だけだった。


やがて。


ずる、ずる。


何かを引きずる音が、

ゆっくりと遠ざかっていく。


そして、

室内に重い沈黙が落ちた。


カチ、コチ。


遠くの時計の音だけが、

何事もなかったように時を刻んでいる。


執事長は、気づかなかった。


暗闇の中、

床に落ちた小さな光が、

かすかに月明かりを返していたことに。

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