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秘密のお友達

ご覧いただきありがとうございます。

本作品は毎週火曜日更新予定となっております。

最初の練習台は、

予定どおり扉の前に立っていた。


年は二十代後半だろうか。


きっちりとメイド服を着こなしてはいるが、

その顔つきは、仕える者にふさわしいとは言い難い。


不満を隠そうともしない目。


わずかに吊り上がった口元。


手にした盆の上には、

湯気の立つ野菜スープと、

一つのロールパンが乗っている。


公爵令嬢の昼食。


そう呼ぶには、

あまりにも貧相なものだった。


女は扉を見つめ、

苛立たしげに息を吐く。


なぜ自分が、

こんな面倒なことをしなければならないのか。


口には出さないが、

その顔にははっきりと書かれていた。


「……」


扉の横に立つカーズが、

無言で女を見下ろす。


鋭い視線。


それだけで、

女の肩がびくりと跳ねた。


カーズは何も言わない。


ただ、

腰に佩いた剣の柄へ、

そっと手を添えた。


わずかに鞘から覗いた刃が、

廊下の光を受けて、細く光る。


女の顔から、

さっと血の気が引いた。


「……し、失礼いたします」


引きつった声でそう告げると、

女は形だけ丁寧に、扉を叩いた。


コン、コン。


形ばかりのノック。


返事を待つ気など、

初めからない。


「お嬢さま。

お食事をお持ちしました」


そう言うなり、

女は扉を開けて中へ入ってきた。


私は窓際から、

ゆっくりと振り返る。


現れた女を見て、

内心で小さく笑った。


……来たわね。


この屋敷を腐らせた片割れ。


メイド長。


盆を持つ手つきは丁寧に見えるが、

足取りは雑で、視線は一度も私を敬っていない。


彼女はテーブルまで歩くと、

野菜スープとロールパンを置いた。


「こちらに置いておきます」


それだけ言って、

すぐに背を向ける。


まるで、

用は済んだと言わんばかりに。


私は小さな足で、

ぱたぱたと彼女の後ろへ近づいた。


そして、

メイド服のスカートをそっと掴む。


「まって、メイドちょう」


女の足が止まった。


振り返る動きは、

ひどく面倒くさそうだった。


「……何でしょうか」


声だけは丁寧なのに、

目はまったく笑っていない。


私はその視線を見上げ、

小さく首を傾げた。


「すこしだけ、

おはなししてくれない?」


寂しげに眉を下げる。


潤んだ瞳。


幼い子どもが、

誰かに構ってほしがるような顔。


普通の大人なら、

少しくらい心が揺れるかもしれない。


だが、

目の前の女は違った。


わずかに眉を寄せ、

鬱陶しそうに私を見る。


「申し訳ありませんが、

私は忙しいので」


そう言って、

掴まれたスカートを引こうとした。


「お話なら、

他の者に頼んでください」


冷たい声。


取り繕う気すらない。


私はスカートから手を離さず、

じっと彼女を見上げた。


「だめなの?」


「……お嬢さま」


女の声に、

わずかに苛立ちが混じる。


「こちらも仕事がありますので」


仕事。


思わず笑いそうになった。


母の形見を売り払い、

乳母を追い詰め、

幼い令嬢にまともな食事すら与えない屋敷で。


よくもまあ、

その言葉を口にできるものね。


けれど表情には出さない。


私はただ、

小さく唇を震わせた。


「でも……」


目を伏せる。


「うばがいなくて、

ひとりぼっちなの」


メイド長の顔が、

わずかに強張った。


ほんの一瞬。

だが、すぐに面倒くさそうな表情へ戻る。


「それはお気の毒ですね。

ですが、私には関係のないことですので」


そう言って、

今度こそ出ていこうとする。


私はスカートの端を掴んだまま、

小さく首を傾げた。


「どうしたら、

おはなししてくれるの?」


「……は?」


「メイドちょうと、

おはなししたいの」


メイド長は、

深くため息をついた。


扉の外にはカーズがいる。


無理に振り払えば、

何を言われるか分からない。


そう判断したのだろう。


彼女はわざとらしく腰を折り、

私の目線に合わせた。


「お嬢さま」


声だけは優しい。


でも、

その目は冷えきっていた。


「人とお話ししたいなら、

まずはお友達にならなければいけません」


「おともだち?」


「ええ。

お友達です」


メイド長の口元が、

わずかに歪む。


「お友達というのは、

たくさん贈り物をくれたり、

美味しいものを食べさせてくれたり、

相手が喜ぶことをしてくれる人のことですよ」


言いながら、

その目に下卑た光が浮かんだ。


「そういう人とは、

仲良くしてあげてもいいものです」


……なるほど。


幼い子ども相手に、

ずいぶん分かりやすい餌を垂らすのね。


私はきょとんとした顔で、

自分の胸元へ手を当てる。


「おいしいものは、

もってないけど」


小さな手を、

そっと差し出した。


「これなら、あるよ」


手のひらの上には、

小さな宝石が乗っていた。


光を受けて、

淡くきらめく石。


メイド長の目が、

大きく見開かれる。


「お嬢さま。

これは……どこで?」


取り繕う余裕もないのだろう。


声に、

はっきりと欲が滲んでいた。


……食いついた。


私は宝石を見下ろし、

少し寂しそうに目を伏せる。


「うばが、

いなくなるまえに、おいていったの」


「乳母が?」


メイド長の眉が、

ぴくりと動いた。


この部屋からは、

散々奪ってきたはず。


それでもなお、

宝石が残っていたことが信じられないのだろう。


疑い。


驚き。


そして、

それ以上の欲。


すべてが顔に出ていた。


「でもね」


私は宝石をぎゅっと握る。


「これをもってると、

うばのことをおもいだして、

さみしくなっちゃうの」


声を震わせる。


「だから、

メイドちょうがおともだちになってくれるなら、

あげる」


メイド長は固まった。


宝石と私を、

何度も見比べる。


考えている。


これは罠ではないか。

誰かに見られていないか。

乳母がなぜこんな物を残していたのか。


けれど。


彼女の手は、

考えより先に動いていた。


「……本当は、

こういうものをいただくのは、

いけないことなのですが」


にやりと、

口元が持ち上がる。


「お嬢さまがそこまでおっしゃるなら、

仕方ありませんね」


そう言って、

メイド長は私の手から宝石をつまみ上げた。


大切なものを扱うように見えて、

その指先には遠慮がない。


「分かりました。

私が、お嬢さまの秘密のお友達になって差し上げます」


秘密の、お友達。


その言葉に、

ほんの一瞬だけ反応が遅れた。


……へえ。


そう来るの。


私はすぐに顔を輝かせ、

両手を胸の前で合わせた。


「やったあ!」


無邪気な声を出す。


メイド長は満足げに微笑んだ。


「ただし、

これは秘密ですよ」


「ひみつ?」


「ええ。

誰にも知られてはいけない、

特別な関係という意味です」


彼女は宝石を懐へしまいながら、

こちらを見下ろした。


「お嬢さまと私だけの秘密。

そう聞くと、素敵でしょう?」


「すてき!」


私は嬉しそうに頷く。


「じゃあ、

カーズにもないしょ?」


「もちろんです」


即答だった。


その言い方に、

思わず笑いそうになる。


やっぱり、

貴女は期待を裏切らない。


「秘密のお友達でいたいなら、

これからも私が喜ぶものを用意してくださいね」


メイド長は、

私を馬鹿にするように目を細めた。


「そうすれば、

またお話ししてあげますから」


「ほんと?」


「ええ。

お嬢さまが良い子なら、ですが」


良い子。


ずいぶん懐かしい言葉ね。


私はぱっと笑って、

メイド長を見上げる。


「わかった!

またメイド長がよろこぶもの、

よういしとくね」


「それは楽しみです」


彼女は宝石を隠した胸元を、

そっと押さえた。


「では、私はこれで」


「メイドちょう」


扉へ向かいかけた背中を、

もう一度呼び止める。


彼女は面倒そうに振り返った。


「……まだ何か?」


「あしたも、

きてくれる?」


私は不安そうに眉を下げる。


「ひとりは、

さみしいの」


メイド長の顔に、

わずかな苛立ちが浮かぶ。


けれどすぐに、

宝石を思い出したように口元を緩めた。


「お嬢さまが良い子でいるなら、

考えてあげます」


「ほんと?」


「ええ」


「わぁい!」


嬉しそうに飛び跳ねる私を見て、

メイド長は満足げに鼻を鳴らした。


まるで、

自分が幼い子どもを手玉に取ったとでも思っている顔。


……ええ。


その顔が見たかったのよ。


メイド長は扉へ向かい、

今度こそ部屋を出ていった。


扉が閉まる直前。


廊下に立つカーズの冷たい視線を浴びて、

彼女の肩が小さく跳ねたが、

すぐに何食わぬ顔で歩き去っていく。


扉が閉まる。


部屋に静けさが戻った。


私はテーブルの上に置かれた、

野菜スープとロールパンを見る。


そして、

小さく笑った。


「ひとつめ」


撒いた餌に、

魚は綺麗に食いついた。


あとは、

逃げられないところまで泳がせるだけ。


次は、

この魚を誰に食わせるか。


私は冷めかけた野菜スープを見下ろし、

小さく笑った。

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