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10/12

腐った執事長の朝は早い

ご覧いただきありがとうございます。


本作品は毎週火曜更新予定となっております。


今回から屋敷内の問題に少しずつ踏み込んでいきます。

楽しんでいただけると嬉しいです。

──執事長の朝は早い。


誰よりも早く起き、

日が昇る前に動き出す。


屋敷に仕える者たちを束ね、

時には主人の代理として、

屋敷を動かすことさえある。


まして公爵家ともなれば、

求められるものは多い。


礼儀。

知識。

判断力。

人を束ねる統率力。


そして何より、

屋敷の隅々まで気を配る責任感。


本来ならば、

執事長とはそういうものだ。


だが、この男は違った。


公爵家に仕える執事長といえども、

与えられる部屋は、

貴族の私室ほど広くはない。


それでも一般の使用人部屋と比べれば、

十分すぎるほどの広さがあった。


重厚な机。


壁際に置かれた衣装棚。


磨かれた姿見。


そして、

一人で使うにはやや大きすぎる寝台。


窓には厚手のカーテンがかかっている。


閉じきれていない隙間から覗く光は、

夜明けの淡い色ではない。


すでに太陽は昇っていた。


薄暗い室内に、

昼の光が細く伸びている。


その先にある寝台には、

一人の女が眠っていた。


乱れたシーツに身を沈め、

気だるげに横たわっている。


静まり返った部屋の中。


姿見の前に立つ男だけが、

ゆっくりと動いていた。


皺一つない執事服。


白いシャツ。


黒の上着。


男はそれに袖を通し、

きっちりとタイを結ぶ。


その所作だけを見れば、

いかにも公爵家に仕える執事長らしい。


無駄のない、

洗練された動き。


だが、鏡に映る男の目には、

屋敷を支える者の責任感など欠片もなかった。


あるのは、

退屈そうな倦怠と、

己の立場を当然のものとして疑わない傲慢さだけ。


男は最後に手袋をはめると、

寝台で眠る女へ、ちらりと横目を向けた。


そして、

小さく舌打ちをする。


そこに浮かぶのは、

愛情でも情欲でもない。


ただ、飽きたものを見るような、

忌々しげな表情だった。


だが、

動作は最後まで乱れない。


背筋を伸ばし、

衣服の乱れを指先で整えると、

男は静かに扉へ向かった。


軋む音ひとつ立てぬよう扉を開け、

部屋を出たあとも、

乱暴に閉めることはない。


──バタン。


鳴ったのは、

ごく普通の音だけだった。


廊下には、

すでに明るい光が満ちている。


男は何食わぬ顔で歩きながら、

退屈そうに息を吐く。


最近の女は、

どいつもこいつも同じだ。


媚びた声。


派手な化粧。


こちらの顔色ばかり窺う、

つまらない視線。


──飽きた。


それなら、

また別のものを探せばいい。


あの時のように。


金に困っていて、

まだ人を疑うことを知らない娘。


……ああいう顔は、

悪くなかった。


思い出すだけで、

自然と口角が吊り上がる。


確か、名前は──


そこまで考えた時だった。


二階の廊下に並ぶ窓。


その向こうに、

ひっそりと佇む、馬小屋が見えた。


男の足が、

ぴたりと止まった。


整っていた表情が、

わずかに歪む。


「チッ」


忌々しげに舌打ちを落とし、

男は何事もなかったかのように歩き出した。


一方その頃。


私の部屋では、

非常に穏やかな笑みを浮かべたカーズが立っていた。


にこにこ。


それはもう、

見事なまでに、にこにこと。


対する私は、

そっと視線を逸らしている。


背中には、

冷たい汗が流れていた。


私たちの間に、

沈黙するベッドが一つ。


……正確には。


つい先ほどまでナイフが突き刺さっていた跡を、

堂々と残したベッドが一つ。


「アモリスお嬢さま」


「はい」


「これは何ですか?」


カーズの声は優しかった。


優しすぎて、

逆に逃げ場がなかった。


私は一度ベッドを見て、

それから、ゆっくりとカーズを見上げる。


「……あなが、あいたベッドです」


……私、

なんで敬語なの?


「それは見れば分かります。

なぜ、穴が、開いているんですか?」


笑っている。


笑っているのに、

目が全然笑っていない。


問い詰められるほど、

目は勝手に横へ逃げていく。


「えっと……

それは、その……」


言い訳を探す。


必死に探す。


けれど、

ちょうどいいものが見つからない。


だって、

どう見てもナイフの跡。


……いや、違う。

ここで諦めてはいけない。


私はアモリス。


三歳児。


多少おかしなことを言っても、

きっと許される存在。


「えーっと……

まりょくぼーぞー?」


「魔力暴走」


「そう。

ねぼけて、ちょっとまりょくが……

どたんばたんしちゃったみたいなの」


できるだけ可愛らしく、

小さく首を傾げる。


これで押し切れる。


そう思った、が……


カーズの笑顔が、

すっと消えた。


「本気で言ってます?」


「ごめんなさい」


即座に謝ると、

カーズは深いため息をついた。


それから静かに私の前まで歩み寄り、

片膝をつく。


いつもの柔らかな空気は、

もう消えていた。


「アモリスお嬢さま。

俺は、あなたの護衛騎士です」


真剣な瞳が、

まっすぐに私を見つめている。


「何かあったなら、頼ってください。

主に迫る危険を払うのが、

俺の使命なんですから」


その声に、

胸がちくりと痛んだ。


……少しだけ、

悪いことをした気がする。


いや、少しじゃないかもしれない。


私は視線を落とし、

小さく口を開いた。


「ごめんね、カーズ。

なにかあったら、すぐによぶから」


そこで一度、

言葉が詰まる。


「……きらいにならないでくれる?」


カーズは一瞬だけ目を見開いた。


すぐに笑みを零し、

いつもの優しい表情を浮かべる。


「もちろんですよ、我が主」


大きな手が、

そっと私の頭を撫でた。


その手つきは優しくて、

少しだけ、泣きそうになる。


普段は甘いくせに、

危険が絡むと途端に護衛騎士の顔になる。


それでいて、時々。


こちらの奥まで、

見透かすような目をする。


本当に、

困った人だ。


……だけど。


心の中では、

別の意味で冷や汗が流れていた。


首の痣……

隠しておいて本当に良かった!!


カインが土魔法で痣を偽装してくれたから誤魔化せたけど、

実際には、ばっちり跡が残っている。


あんなものを見られたら最後。


カーズはきっと、

優しく笑ったまま剣を握る。


そんな顔で、

屋敷中を探し回るに決まっている。


……いや、

屋敷だけで済むかしら。


下手をしたら、

街まで出るだろう。


そして見つけた瞬間に、

終わる。


主に、相手が。


この件だけは、

絶対にカーズへ言ってはいけない。


心の中で固く誓う。


どこかで、

原因の一人であるカインが、

嘲笑っている気がして、なんだか腹が立つ。


……今度、

絶対にカインの仕事を増やしてやる。


メラメラと怒りが燃え上がる。

でも、すぐに頭を振った。


違う。


今、考えるべきことはそれじゃない。


あの二人には個人的な恨みはないけど、

この屋敷で、他人を踏みつけてきた責任はある。


それに、

彼女のことも……


ちょうどいいわ。


私がヴァルディス家を動かすための、

最初の練習台になってもらいましょう……ね?

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