第六十話 戦わずに天下統一したので、最後は一人の商人として生きることにした
それから、さらに十年が過ぎた。
日本は、大きく変わっていた。
かつて、各地の大名たちは領土を奪い合っていた。
米を奪い。
塩を奪い。
鉄を奪い。
人を奪い。
そして、戦争を繰り返していた。
だが、今は違う。
全国の主要な街道には、商人たちの荷車が行き交う。
港には船が集まる。
倉庫には商品が保管される。
市場には、遠方から届いた品物が並ぶ。
米。
塩。
鉄。
布。
木材。
農具。
さまざまな商品が、必要な場所へ運ばれている。
商人たちは、共通の帳簿を使う。
遠方の取引も、信用によって成立する。
学校では、子供たちが読み書きと算盤を学んでいる。
そして、各地の領主たちは、交易協定を通じて話し合うようになっていた。
もちろん、争いが完全になくなったわけではない。
だが、戦争を始める前に、商売への影響を考える。
そんな時代になっていた。
ある日。
堺の商業会議で、一つの議題が出された。
『天下統一を成し遂げた人物は誰か』
織田信長。
武田信玄。
上杉謙信。
さまざまな名前が挙がった。
だが、一人の若い商人が言った。
「私は、佐倉新太郎だと思います」
会場が静かになった。
「……なぜだ?」
若い商人は答えた。
「織田様は、武力で国をまとめようとされました」
「うむ」
「武田様も、上杉様も、それぞれの国を守り、強くしようとされました」
「そうだな」
「ですが、佐倉様は違いました」
若い商人は地図を広げた。
「国境を越えて、商人をつなぎました」
「……うむ」
「米を運び、塩を売り、鉄を届け、金を貸し、街道を整えました」
「……そうだ」
「そして、戦争をしなくても、人々が豊かになれる仕組みを作りました」
会場が静まり返った。
若い商人は続けた。
「私は、これこそ天下統一だと思います」
長い沈黙。
そして、一人の商人が拍手した。
次に、別の商人が拍手した。
やがて、会場全体に拍手が広がった。
その頃。
俺は、小さな店で米を量っていた。
「一升ですね」
「はい」
客は、近所のおばあさんだった。
「いつもありがとうねえ」
「こちらこそ」
俺は米を袋に入れた。
代金を受け取る。
そして、帳簿に記録する。
いつもの仕事だ。
その時。
源兵衛が店に入ってきた。
「新太郎さん!」
「はい」
「大変です!」
「どうしました?」
「堺で、あなたが天下統一を成し遂げた人物だと認められたそうです!」
俺は固まった。
「……は?」
「商人たちが、そう決めたんです!」
俺は少し考えた。
そして、笑った。
「……そうですか」
源兵衛が驚いた。
「それだけですか!?」
「はい」
「もっと喜んでくださいよ!」
俺は笑った。
「嬉しいですよ」
「では、なぜそんなに普通なんですか?」
俺は帳簿を閉じた。
「だって、明日も商売がありますから」
源兵衛は固まった。
そして、大笑いした。
「はははは!」
俺も笑った。
夕方。
店を閉めた俺は、街道を眺めていた。
荷車が通る。
商人たちが挨拶を交わす。
子供たちが走っていく。
遠くの市場から、賑やかな声が聞こえる。
俺は空を見上げた。
戦国時代。
刀と槍と鉄砲が天下を争った時代。
俺は、その時代に転生した。
だが、戦わなかった。
城を攻めなかった。
兵士を率いなかった。
誰かの領地を奪わなかった。
ただ、商売をした。
米を運んだ。
塩を売った。
鉄を届けた。
金を貸した。
街道をつないだ。
商人を育てた。
そして、気づけば。
全国が、商売でつながっていた。
俺は小さく笑った。
「……天下統一、できたのかな」
その時。
店の前を、一台の荷車が通った。
荷車の男が声をかけてきた。
「旦那! 明日は清洲まで行くんだが、帰り荷はないかい?」
俺は思わず笑った。
昔と同じだ。
この世界に来たばかりの頃。
最初に始めた商売。
帰りが空荷になる荷車に、荷物を積ませる仕事。
俺は立ち上がった。
「ありますよ」
「本当かい?」
「はい」
俺は笑った。
「ちょうど、清洲から運びたい荷物があるんです」
男は喜んだ。
「助かる!」
俺は帳簿を開いた。
「では、明日の朝に」
「頼んだよ!」
荷車が走り去っていく。
俺は、その背中を見つめた。
天下統一。
そんな大きなことを成し遂げたと言われても、俺には実感がない。
ただ。
誰かが困っている。
そこに、必要なものがある。
それを届ける。
それだけで、商売になる。
そして、誰かが喜ぶ。
俺は帳簿を閉じた。
「……やっぱり、商売って面白いな」
夕日が、街道を赤く染めていた。
遠くから、荷車の車輪の音が聞こえる。
その音は、昔と変わらない。
だが、運ばれているものは、確かに増えていた。
米。
塩。
鉄。
布。
そして人々の希望。
俺は暖簾を下ろした。
「さて」
明日も、商売だ。
ー完ー




