第四十三話 秀吉が中国大返しを始めたので、俺は街道に米を並べた
備中。
羽柴秀吉の軍勢が動き始めた。
毛利方との和睦をまとめ、軍を東へ返す。
後に中国大返しと呼ばれる行軍だ。
だが、この世界では、一つだけ違うことがあった。
帰還する軍勢のために、すでに補給拠点が用意されていたのだ。
「……何だ、これは?」
秀吉は街道沿いの倉庫を見て驚いた。
米俵。
干し飯。
味噌。
水。
馬の飼料。
必要な物資が、各地に用意されていた。
黒田官兵衛が説明した。
「佐倉新太郎という商人が、手配したそうです」
秀吉は目を丸くした。
「……あの男か!」
「はい」
「いつの間に?」
「本能寺の変が起きる前から、京周辺の輸送体制を整えていたようです」
秀吉は笑った。
「……恐ろしい商人だな」
官兵衛が頷いた。
「通常なら、兵糧の調達に時間がかかります」
「うむ」
「ですが、すでに準備されています」
秀吉は立ち上がった。
「ならば、急ぐぞ!」
「はっ!」
「光秀に、考える時間を与えるな!」
軍勢が動き出した。
ただし、何万もの兵が一度に同じ道を進めば、道が詰まる。
俺は事前に、輸送担当者へ指示していた。
兵糧は複数の拠点に分散。
荷車は必要な場所へ先回り。
川を利用できる場所では船を使う。
そして、軍勢が通過した後も、民間の物流をできる限り維持する。
完璧ではない。
だが、少なくとも補給の混乱は減らせる。
堺。
俺は報告を受けていた。
「秀吉様の軍勢、姫路方面へ進んでおります!」
「兵糧は?」
「予定の拠点で受け渡しが進んでいます!」
「よし」
俺は帳簿に記録した。
その時。
別の使者が駆け込んできた。
「新太郎様!」
「何です?」
「明智軍が、京周辺の商人から米を買い集めています!」
俺は顔を上げた。
「……どのくらい?」
使者が数量を示した。
俺は計算した。
「……かなりの量ですね」
源兵衛が言った。
「どうします?」
俺は少し考えた。
そして答えた。
「売りましょう」
源兵衛が固まった。
「……え?」
「ただし、商会としては新規の軍用大量調達を引き受けません。既存契約の履行と、民間向けの販売は続けます」
「……敵にもですか?」
「はい」
俺は頷いた。
「民間の人々まで飢えさせるわけにはいきません」
源兵衛は少し考えた。
「では、光秀の軍には?」
「軍用の大口契約については、信用条件を厳格にします」
俺は帳簿を開いた。
「明智家には未払いがあります。追加の掛け売りはできません」
「……なるほど」
「現金払いであっても、民間備蓄を削るほどの大量販売は断ります」
源兵衛が頷いた。
俺は続けた。
「光秀を討つのは信長の仕事です」
「はい」
「俺たちの仕事は、商売の信用を守ることです」
その日の夕方。
信長が俺の部屋に現れた。
「新太郎!」
「はい」
「秀吉が戻っておるそうだな!」
「はい」
「勝家は?」
「北陸からの帰還を進めています」
「長秀は?」
「畿内で兵を集めています」
「一益は?」
「関東の情勢により、帰還には時間がかかる見込みです」
信長は地図を見た。
そして笑った。
「……十分だ」
俺は驚いた。
「十分ですか?」
「うむ」
信長は立ち上がった。
「秀吉と長秀が先に動けばよい」
「……なるほど」
「勝家と一益は、動けるようになり次第、合流させる」
俺は頷いた。
信長は地図の山崎を指した。
「光秀が京を守ろうとするなら、この辺りが重要になる」
俺は地図を見つめた。
山崎。
京と大坂を結ぶ交通の要衝。
ここを押さえれば、京への進路を確保できる。
信長は笑った。
「新太郎」
「はい」
「お前の商売のおかげで、軍が早く動ける」
「ありがとうございます」
「だが、ここから先は武士の仕事だ」
俺は頷いた。
「承知しております」
信長は刀を手に取った。
「光秀には、裏切りの代償を払わせる」
俺は静かに頭を下げた。
そして、心の中で思った。
……やっぱり、この人は怖い。




