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第八章~そして~

おかあ、さん…


強く生きるね。






第八章~そして~


 ラミアは、城内であてがわれた部屋、ベッドの上で横たわっていた。眠らず、眠れず。ただ、天井を見上げ、何も考えられなかった。この数日の間、様々な事があって、心が疲れてしまったためだ。


 あの事件の二日後、ユニス王都で国葬が行われた。

 マリア・スナー、享年三九歳。ユニス王国の英雄にして冒険者協会総本部部長。その他にもユニス軍としての肩書きも多く、改めて母の偉大さを知るきっかけにもなった。

 母の死因は、病死とされた。あの事件による殉職と扱っても良いはずだったが、事件は闇に葬られることとなった。理由はいくつかあるが、一番大きいものとしては、第二王子を擁立しようとした御家騒動よりも、王室の深いところまで魔族が入り込んでいたことにある。露見したら、おそらく大騒動に発展するだろうと、隠蔽されることとなった。

 マリアが病死ということは、彼女自身が街の中で吐血していたところを何人もの人が見ていたこともあり、意外にすんなりと受け入れられた。ただ、三九の若さでなんて早すぎる、と同年代の人たちが、特に悲しみは大きかった。

 マリアは既にこの死を予見しており、アーサーやその他の関係者に、自分の仕事を引き継ぎ済みだった事から、新体制への移行は比較的順調に進んでいる。

 国葬に参列した一般市民は、多かった。皆一様に悲しみ、先の戦いから続く彼女の功績を称え、惜しみない感謝の言葉が贈られたものだった。

 マリアの遺体は火葬された後、東の港湾区、見晴らしの良い墓地へと預けられた。ただ、彼女の生前の希望通り、今後は聖龍島にあるスナー家代々の墓へと、折を見て埋葬される予定となっている。

 それとは別に、王都の墓地にはマリアの墓も作られた。その後の献花は大変な量で、墓が埋もれてしまうほどとなった。

 復興の兆しが見え始めていた矢先の国葬だったが、皆前を向いて、歩き始めていた。

 王室内でも体制が見直されていた。魔族が奥深くまで侵入していたことが一番の問題だった事もあり、一人一人入念な検査が行われ、今のところは怪しい点は発見されてはいない。


 魔族の言葉に、聖霊剣というものがあった。

 文献では存在が不明確で、その文献ごとに矛盾した説明のある剣。娯楽小説の初版にのみ、『破壊神』を封印したと謳われている剣。どれも眉唾物で実在はしないもの、と思われていたものだが、王室は改めて宝物庫に収められていた書物を集め、調べている。まだそれらしい記述は発見されていないが、魔族は確かに見つけていたようだった。そうした文献は持ち去られている可能性もあるが、他にもあるのでは無いかと、ホリーを中心に調査が行われている。

 ホリーとて、悲しくないわけがない。彼は、まだたったの一三歳だ。それでも宮廷魔導師見習いで、軍部に所属している。母が吐血した瞬間を目の当たりにし、それでもラミアを救出するために戦いへと赴いたその姿を見て、覚悟を決めた。より邁進し、自らの希望を叶えることを。


 メル。王室付の侍女で、ラミアが滞在中は彼女が専属として付き添うことになった。

 王妃と同じ黒龍族。ラミアの二つ下で一四歳。幼さを残しながらも整った顔、陶器のように真っ白な肌。対照的に真っ黒な髪。ふわっとしたロングヘアーで、全体的に少しウェーブがかっていた。紺色の侍女服に、真っ白なエプロン。侍女然たる姿をした彼女は、その能力は非常に高く、龍族特有の腕力や体力もあって、他の人の数倍は動けるのでは無いか、とまでいわれている。だが、彼女は感情がなく、無表情のまま、ラミアのそばに居た。

「ラミア様、お茶が入りました」

「……」

 ラミアは無言でベッド縁に座る。紅茶は備え付けのテーブルに用意されていたため、そちらに移動した。椅子に座り直し、紅茶を手にする。一口すすり、鼻に抜ける香りが心地よかった。

「ありがと」

 ラミアは短くお礼をして、カップをソーサーの上に置く。

「……お口に合いましたか?」

「ん、おいしいわ」

 ラミアはできる限りの笑顔で、メルに向き直る。それに対して、メルは軽くお辞儀をして答えた。

「メルも座って良いわよ」

「それでは、お言葉に甘えて」

 メルも対面した席に腰掛け、しかし体はラミアの方には向けず、斜めに座った。

「ありがとう」

 ラミアは微笑み、もう一度お礼の言葉を述べる。まだ痛々しさは残るが、それでも自然な笑みだった。その表情を見ていたメルは、若干目が揺らぐ。

「僭越ながら」

「……うん?」

 メルが小さな声で、ラミアに尋ねた。

 これまで数年間もの間、彼女は一切の感情を動かすことはなかった。

 ユニスに引き取られ、侍女として働いている中。どこかの大馬鹿兵士が、死ねよ、と軽く冗談を飛ばしたことがある。配膳途中だった彼女は、迷わずカトラリーのナイフを手に取り、首に突き立てようとした事件を起こしたことがある。この時は他の兵士が慌ててナイフを取り上げ、別の命令を出してことなきを得た。自死を命じても一切の疑問を持たない、それほどまでに、彼女の感情が動かないことが証明されてしまった、痛ましい出来事だった。以後彼女には、冗談でも危害が及ぶようなことを言ってはならないと、王夫妻が厳命している。

 それほどまでのことが、彼女の過去にあったのだ。

 そんなメルを、一次的にラミアの世話係にしている。感情がなく、黙っていれば空気のような存在のメルだからこそ、ラミアの側に置いておけるのでは、というのが王夫妻の考えだ。

 だが、王夫妻の思惑は崩れようとしている。

 一切感情が動かなかったメルが今、疑問を呈している。そしてそれを、ラミアに尋ねようとしているのだ。この数年間、一切無かったことだ。

 ラミアは、そうした事情は一切知らない。ただメルの事は、感情に乏しいだけの侍女さん、という認識でしかない。だからこそ、王城内においては、彼女の言葉を、余計な雑音無しに聞くことが出来る希有な人物でもあった。

「僭越ながら」

 メルは切り出す。

「……ラミア様は、どうして笑っていられるのですか? ……お母様が、亡くなられた、というのに」

 無表情の向こう側に、何かしらの感情が揺らめいているのを感じながらも、ラミアは素直に答える。

「約束したから。私、お母さんに笑顔で、強く生きるね、って約束したからね」

 ラミアは、少し寂しそうながらも笑顔だった。別れは確かに悲しいことだったが、そればかりではなかったからだ。まだまだ思い出に昇華するには、全く以て時間は足りない。それでも。母達に愛され愛したこと、そんな母達と約束出来たその思いがあって、今のラミアがある。

 顔を伏せていたメルは、ややあってから口を開く。

「私は、約束することすら、できませんでした」

 ぽつり、メルは呟くように語り始めた。

「……あの日、お父さんとお母さんがが逃がしてくれて、お兄ちゃんに手を引かれて」

 膝の上に揃えていた手が、拳を握る。

「……街が燃える中、二人で必死に逃げて、……お兄ちゃんが瓦礫と炎に包まれてっ」

 少しずつ、メルの言葉に怒気がはらんできていた。そして唐突に、声を張り上げた。

「お兄ちゃんがそれでも逃げてってっ! それで何もかもが怖くなってっ!!」

 ラミアは、あっけにとられる。

 自分の元に来てからの数日、メルはほとんど感情を動かさなかった。だが、ここに来て、爆発させているのだ。自分でも、うまく制御しきれず、ただただ翻弄されていた。メルは空気を求め、息を荒くする。激情を必死に押さえるように頭を抱えながら、それでも我慢しきれず翻弄されながら。

「知ってる? 私、メローディカ・アレクサンドローヴナ・カル=アストローヴァ。カル=アストロフ領主の娘よ? お父さんもお母さんも、街のいろんな人も、あの日に死んじゃったの! 町も滅んじゃったかもしれないのっ!! そんなのこわいよ! 思い出したくもなかったよ!!」

 メルは、ボロボロと涙を流し、頭を振る。余りにも痛々しい涙だった。ラミアが密かに押し殺していたかもしれない感情を、メルが代弁するように、慟哭の嗚咽を漏らす。

「お兄ちゃんも、あのとき死んじゃったかもしれないのっ! だから、……だからっ!」

 メルは掠れた声を絞り出し、そのまま泣き崩れてしまった。ラミアは立ち上がり、メルをぎゅっと抱きしめた。

「ラミア様っ! ……うわああああああ!!」

 後は、何も言葉にできず、ただひたすらに泣き叫ぶだけだった。


「…落ち着いた?」

「はい、……その、ごめんなさい、お見苦しいところを見せました」

 あれだけ泣いたためか、目が少し腫れているようだった。頬には少し朱が入り、これは照れているのだろうか。

 メルはラミアの胸の中で、ゆっくりと息を吐いた。

「……お話し、しますね」

 メルは、これまでの自分の話と、城内でのマリアと、スナー家、そして王夫妻の話をした。

 メルの両親は短い間ながらも、かつてはラミアの両親、そして王夫妻たちとの六人で旅をした事がある。そして彼女の母は、ミリア王妃とは昔からの親友だった。そうした縁もあって、メルの家族が亡くなってしばらくしてから、メルを養女として迎え入れて、現在に至る。

 皆一様に、メルを家族の一員のように扱っていた事。特に王妃とマリアが、メルのことを溺愛していたこと。それにホリーとクラウド王子が嫉妬していたこと。その他、ラミアの知らない面があり、楽しい話だった。楽しく思えたのは、ややぎこちないながらも、メルが笑顔で話してくれたからだろう。

「……そうですね、みんなに答えられるよう、私ももう少し強く生きていきたいと思います」

 あの慟哭を境に、メルは感情を取り戻しつつある。その笑顔は、痛々しさは残るものの、男だったら無視出来ないだろう程に、可愛らしかった。

「それが良いよ。その方が、メルはカワイイ」

 ラミアが思わずそんなことを言ってしまう。その言葉に、メルは目を丸くして驚きの表情を見せた。

「かわっ……、か、かわいい、ですか?」

 ラミアも、なんでそんなことを口走ってしまったかと照れくさくなってしまうが、今更否定はしない。実際に女性から見ても可愛らしいのだ。

「うん」

 ラミアはうなずく。メルも照れくさくなったか、頬を朱に染めてそっぽを向く。その仕草が、やはり可愛らしい。妹が居たら、きっとこんな感じなのだろうと、そんな風に思えた。

「……先ほど話したとおり、おそらく私は天涯孤独の身です」

 メルは、呟くように話を続けた。その言葉にラミアは息をのむが、メルの表情には悲壮感はない。ただ、今の現状を伝えたに過ぎないと、そうした表情だった。が、俄に顔を逸らす。少し頬を朱に染めたことで、ラミアは首を傾ける。

「……ラミアさまさえ良ければ、その。……お、お姉ちゃんって、……その」

 最後までは言い切ることは出来なかった。

 メルは、家族を失った。住んでいた故郷すら失った可能性すらある。彼女が生き残ったこと自体が、奇跡だったかもしれない。それで感情を塞ぎ込んでしまい、爆発させ、慟哭して。そして彼女は、それをようやく受け入れることが出来た。

 兄として慕っていた人物がいたと、彼女は話した。その変わりを求めている、とは違うのだろうが、同じように心を許せる存在が、欲しいのだろう。それだけ、その人物に対して向けていた感情が特別だったのかもしれない。

 ラミアは、彼女の気持ちを汲む。

「うん。いいわよ、喜んで」

「……ありがと、……お、お姉ちゃん」

 そしてメルは、ラミアの胸の中、安心したような、笑顔を見せるのだった。


「……お姉ちゃんにって、お預かりしたものがあります」

 不意に、メルは立ち上がった。

「ごめんなさい、今思い返せば、実は私もかなりショックを受けていたようです。……今まで忘れていました」

 感情がないなりに、やはりマリアの死に関しては衝撃を受けていたようだった。

 メルは備え付けの棚の引き出しを開け、そこから数冊のノートを取り出した。

「……マリアさまが、生前まとめられていたノートです。何かあったときに、お姉ちゃんにお渡しするよう仰せつかっておりました」

 ラミアに対する、お姉ちゃん呼びはあっという間に定着した。取り出したノートを全て、ラミアに手渡した。

 所々汚れたノートが数冊。そのうちの一冊を開くと、母の文字でびっしりと様々な事が記載されていた。一番最初のノートは、ラミアに向けた簡単なメッセージで始まり、次のページからはファルアスタシア流の剣技についての戦術等、別のノートには料理のレシピなど、本当に多岐にわたって書き込まれていた。

 ラミアはそのノートをぎゅっと抱きしめる。ここには、母の温かさがつまっていた。思わず涙が出そうだった。これは悲しくてでは無く、うれしさから来るものだった。

「ありがとうね、本当に、……ありがとう」

 メルはうなずいた。

「……一緒に、見よ?」

「よろしいの、ですか?」

「うん。メルは、私の妹分だもの」

「……はいっ」

 メルは、もう何年ぶりかの、屈託のない満面の、とびっきりの笑顔となった。

 そして、二人は時間の許す限り、同じノートを一緒に見るのだった。



 翌日。

 ようやくだが、いつも通りの調子を取り戻したラミアは、王に呼ばれた。謁見室でも執務室でも無く、私室だった。

「済まないな、呼び出して」

 ファーネル・テナイ=ユニス王。四〇歳。ラミアの父より一つ年下だ。冒険者を引退しても、ラミアの両親とはずっと親友であり、家族ぐるみの付き合いとなっている。そのためラミアも当然、幼少の頃から面識はあった。

「いえ、……私に何かご用ですか?」

 王は気さくな人物であるし、母と弟がとんでもない不敬を働いても笑って許すことができる、冗談の分かる人だ。さすがにラミアは、今現在はそれほど付き合いがある方ではないので、なるべく敬語を使って話していた。

「そんなにかしこまらなくても良いぞ? 昔のように、もっと気軽に話しかけてくれ?」

 と、王は笑った。

「マリアもホリーも、俺のことを滅茶苦茶に言うからな。……まああそこまでひどいのは勘弁してもらいたいがね」

「……あはは」

 ラミアは苦笑するほか無かった。少しだけ言葉を崩し、答えることにした。ある程度の丁寧さは残すことにしたが、そこはやはり線引きは必要と考えたからだ。

「それで、私に頼みたいこととは、なんですか?」

「ああ、……マリア殿の遺品を、アクエイスの実家に届けてもらいたい」

「あ……」

 二人とも、表情を曇らせた。

「ラミアが無理、というのであれば、兵士達に行ってもらっても良い。けどな、生前のマリアが、万が一の時はお前さんに託したいと、そう話していたからな。約束というほどのものでもないが、そう望んだのであれば、なるべく答えてあげたくてね」

 母の願望だったと言われたら、断れなかった。

「解りました」

「ああ、頼んだ。出発はいつでも良いし、それまでここでのんびりして良い。……なんだったら、城内に正式な部屋を用意するから、そちらに拠点を移しても良いと俺は思うけどな?」

 魅力的な提案ではあるが、時期尚早だとラミアは考えてしまう。

 この提案は、ラミアを正式に王族に迎え入れるという意味でもあるのだ。アルフとは許嫁であり、将来そうなることは了承しているし、むしろ望んでいる。最初こそラミアの私室として用意されるが、将来的には夫婦の部屋となる。夫婦での時間を大切にする。そこで二人は一体ナニをするのだろうかと、宿でろくでもない客の猥談を聞かされ耳年増となっているラミアは、むっつり想像してしまう。

「そ、それはまだ早いというか、何というか……」

 ラミアは、頬を朱に染めて視線を逸らす。ファーネルも彼女が一体何を考えたのか、大方の予想はつくが、そこは触れないでおいた。

「ま、すぐには準備出来ないが、ラミアが旅に出ている間には用意しておこう。楽しみにしておいてくれ」

「は、はい……」


 それから更に数日後。

 ラミアはスニラフスキーの宿に戻っていた。最初は無理をしなくても良いとアンナから言われたが、体を動かしていたほうが良いと言って、働いている。本来契約は誕生日までだったが、アンナが融通したのである。

 強く生きると、間際の母に誓ってみたものの。やはり城内では、母の息づかいが所々で感じられ、一人でいると悲しくなってしまうのだ。だからこうして、賑やかな環境で身体を動かし、気持ちを紛れさせようというのが、本音である。

 アルフは、まだ城にいる。本来一六歳修行で外に追い出されている身なのだが、マリアが抜けたために人手の足りなくなった王室で、公務を一時的に手伝っているためだ。引き継ぎ自体はすでに完了はしているが、働ける人数が足りなかったこともある。もう少しすれば別の人が業務を引き継ぐため、晴れて職務全うだなと、と話していた。それに合わせ、ラミアも日程を調整しているということになる。

 二人で日程を調整している理由は、一つしか無い。

「じゃ、二人で旅を?」

「うん」

「……このこのっ」

 アンナは、肘でぐいぐいと押してきた。

「や、やめてよっ」

 ラミアが彼に告白したことは、割と知られていた。

 あの日については事件の方が多く語られる結果となったが、その直前のラミアの行動も常連客に見られていたらしく、少なくとも宿では、そちらの話の方に塗り替えられつつあった。この一帯は、どこにでも常連客の目があるな、とラミアは苦笑する。

「ま、一六歳修行の目的ってそんなもんだからね。旅先で好きな人を見つける、好きな人と旅に出たならより仲を深める、てね。かくいう私も当時は恋に恋する乙女だったんだからね」

 と、アンナは豪快に笑った。

 そういえば、とラミアは考える。こちらに来て、アンナの旦那を一度として見ていないのだ。それほど関わりがある人ではなかったが、それでも小さな頃はアンナとよく一緒に居たことは覚えている。

聞くべきかどうか少し悩んだが、思い切って尋ねることにした。

「その……、カイさんは?」

「カイかい? あいつなら何やら長期任務とかで、あちこち飛び回ってるよ。昨日も手紙が来たばかりだからね。まあ私はそんなに心配しちゃいないよ」

 そう言って、アンナは笑う。

 無駄な心配をしてしまったようだった、とラミアは心の中で謝った。

「カイ本人のことはいいけどさ、……カイが戻ってきたときが心配さね」

 言いながら、アリーナの方に視線を向けた。アリーナはカウンターで、客から食事のオーダーを聞いているところだった。

「ああー……」

 なんとなくだが、一悶着ありそうな気がしたのだった。

 休憩を終えたラミアは厨房へ。それを見送り、アンナは小さく息を吐いた。

「さって、私もやることやらないとね」

 軽く伸びをして、宿の奥へと歩いて行く。親友を失った悲しみは、その娘と話すことで少し和らいだ。その娘は表面上は笑って過ごしている。なら、彼女よりもずっと年上の自分も、親友の死を受け入れて、そして思い出に変えていこうと、そう思うのだった。


 夕刻。

 酒場の仕込みの時間帯となっているが、ラミアはこの時間帯の仕事が連日奪われ、こうして追い出されている。そのため、いつも噴水広場で時間を潰していた。

 ラミアは噴水を正面に、吹き上がる水を見ていた。噴水を背にすると、少しだけだが怖く感じたからだ。あの事件が、少々トラウマになってしまったようだ。

「うーん。いつかは慣れると思うんだけどね」

 独り言つが、それに返事が来た。

「まあ、時間が解決、かな?」

「ふぇっ?」

 ラミアは慌てて後ろを振り向く。振り向きざまに背中に手を伸ばし、持っている武器の柄を握っていた。完全な臨戦状態だったが、目先にいた人物を確認して、溜息を漏らす。

「……アルちゃん、……もう、後ろに立たないで」

 ラミアは緊張を解いた。

「……なんかごめんな?」

 ラミアの突発的な行動に多少驚き、素直に謝った。

 この噴水広場で色々あったためか、特に背後を気にするようになっていた。今はまさにその現場である。神経質になっていてもおかしくは無いのだろう。

 普通なら、まず避けて通るような場所となるのだが、ラミアは何かしら思惑があって、我慢しつつも、追い出された日はこの時間、この場所を訪れていた。

「で、こんな所にどうしているんだ? 今の時間だと仕込みの時間だと思うんだが?」

 アルフは長期滞在だったため、宿はこの時間どんな仕事があるのかを把握している。酒場の準備なので、一日で一番忙しいはずの時間だ。

「わかんないけど、最近何故か追い出される」

「料理がまずいとか?」

「んなわけない……と思うんだけど」

 少し自信なさげに、ラミアは答えた。

 実のところ、ラミアが作る料理は素朴で薄味ながら、出汁や素材の味を活かしたおいしいものばかりだ。アルフも宿に泊まっていた頃は、宿の料理としてだが、ラミアが作ったものを口にしたことが何度もある。宿で出すには少々上品すぎる味わいなのだが、他の宿では味わえない味ということで、密かに人気にもなっているほどだ。当然アルフも虜にされている。

 諸手を挙げて悩むラミアに、アルフも考え込んでしまった。これには何かしら意図があることは感じているが、それがよく分からなかった。

 アルフは宿の方に顔を向ける。

 宿まではそれほど離れてはおらず、人が閑散となったときは暖簾が見える程度の距離だ。よく目をこらしてみれば、入り口付近でアンナ達がのぞき見ているのが分かった。

 アルフの視線に気づくと、腕を振って何かをアピールしているのが分かった。それでアルフは、なんとなく意図に気づけた。

「……この前の仕切り直し、するか?」

「うん?」

 ラミアは、一瞬言われたことが解らなかったが、徐々に思い出して赤面した。

「あははっ……えっと、そのっ」

 照れくさくなり、うつむいてしまう。

「本当はお前の誕生日の時に言おう、と思ってたんだけどな」

 アルフは、手にしていた荷物を地面に下ろし、その中を探る。そして目的のものを取り出した。紙袋を丁寧に開封すると、紺色で無地の小さな箱が入っていた。それをアルフは両手で持ち、ラミアの前に跪く。

 その様子に気がついたのか、周りはにわかに静かになり、二人を見守る。少し緊張しているラミアは、それには気づけない。噴水が水を噴き上げる。そんな音だけが、この場を支配していた。

 アルフは箱を開く。そこには銀色の指輪が煌めいていた。風の文様が刻まれたそれは、わずかに防御力を上げるものである。冒険者の装備品としては汎用品ではあるが、それなりの値段はする。ただ、こうして紺色の箱に入れて異性に贈る場合は、特別な意味合いを持つ。その特別な理由とは。

「俺はお前のことが昔から好きだ。結婚してくれ」

 即ち、告白、或いはプロポーズである。

 ラミアは目を丸くしてしまう。一瞬、言われたことが理解出来なかったからだ。その直後、それを理解して。

「……はぅ!? だっ? しっとぃすかざるっ!? ぴゃっ! ~~~~!!」

 アルフの様子から、告白返しはあると思っていたが、その言葉は自分の予想の遙か上に行くものだった。ボンッと音が出るぐらいの勢いで、ラミアは更に赤面した。そして少しパニックになっているようで、人語にならない声を上げていた。ここまで意味不明の言葉が並ぶと、いつものアルフなら吹き出していただろう。が、今は緊張していて、真剣だ。

 アルフはそのままの体勢でラミアを待つ。やがて、ラミアは深呼吸して無理矢理落ち着かせる。

 そして小さく頷き、左手を差し出してきた。真っ赤な顔をして目を潤ませ、そっぽを向きながら。

「こんな私で良ければ、その、……わ、私を、お、お嫁さんに、してください」

 ラミアは、アルフに答えた。

「ああ」

 アルフはラミアの左手を撮る。そしてその薬指に、夕日を浴びて煌めいた指輪を通していった。最奥までしっかりと填められ、アルフはそっと手を放す。

 ラミアは指に輝く指輪を、恍惚とした表情で、目を潤ませながら見つめる。

 その瞬間。

 ぱちぱちぱちっ!

「おめでとおーっ!!」

 周りの野次馬から拍手され、祝福の雄叫びが上がった。

「っ! ふぇええっ!?」

 ラミアは、首をぶんぶんと音を立てる勢いで辺りを見渡す。いつの間にか囲まれていたことにもう一度驚きの声を上げた。

「ひゅーひゅーっ!」

「幸せになりなよ~!」

 はやし立てる声や、祝福の声がかけられ、ラミアはまたも真っ赤になり、頭を抱えた。

 立ち上がったアルフは、したり顔だった。先ほどまでの真剣な表情は、演技だったのかと言わんばかりだ。

「……っ! ぎゃああああ~~~~っ! こ、こうなること分かってやったでしょ! アルちゃんのバカあああぁ―――っ!」

 と照れ叫び、ラミアは逃げ出した。

 先に告白された意趣返しは、アルフの想像以上の成果だった。

「よし、今日はうまい酒が飲めるってもんだぜ! みんな行くぜぇ! 兄ちゃんも当然来いよっ!」

 当然その騒ぎの中にも常連客はいたわけで。アルフは彼らにがっつり肩を固められ、連行されていった。

 その後、酒場では当然その話で持ちきりとなっていた。ラミアはさすがに恥ずかしがって、厨房から出てくることは無かった。アルフは酒場でご飯を食べていたが、当然絡まれ、からかわれていた。ただ、そのときに絡んだ人たちは口を揃えてこう言ったとか。

 こいつ照れやしねえ、と。


ガドネア歴九九八年 六月一六日   ラミア・スナー


 色々あったけど、ようやく旅に出る準備が整った。島から出たときは一人旅になるのかな、と思っていたのだけど、アルちゃんと一緒に行くことになった。……私の好きな人、恋人、をすっ飛ばして、まさかの婚約者。そうなった結果は嬉しいけど、過程がね。

 ……あのときは本当にビックリしたし、恥ずかしかったし。あのヤローわざと人の集まる場所でやりやがったんだろ、と思うも。私が、噴水広場を選んだことになっているから余計に腹が立つうえに何も言えないジレンマ。


 さて気を取り直して。これから本格的に街を出て、旅の人、と書いて旅人となる。まずはお母さんの遺品を届ける仕事だけど、その後は私達の自由気ままな旅。当初目的にしていた聖霊剣について探究するのも捨てがたいし、各地のグルメも食べてみたいし。

 何がこれから待ち受けているのか、少し楽しみ。


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