第七章~強く生きるね~
ガドネア歴 九九八年 六月一日 ラミア・スナー
お母さんに、背中押されちゃった。
お母さんからは、私がアルちゃんに向けている気持ちはバレバレだったみたい。多分、アンナさんも知ってる。そのせいかおかげというべきか、仕事の内容がやけに少なく、午後はまるっと時間が空く予定。
アルちゃんもアルちゃんで、明日は仕事が無い。
魔獣・魔物討伐は調整休暇が入るので、丁度そのタイミングが明日だそうだ。
……色々お膳立てされちゃってるなぁ。
明後日は私の誕生日。するなら誕生日にしたほうが良い思い出になりそうだけど、アルちゃんの都合もあるから。
だから、私は明日、アルちゃんに告白します。
第七章~強く生きるね~
噴水広場は、喧噪に包まれていた。
アルフが、攫われた女の子の関係者と知ると、一部始終を見ていた人が集まり、顛末を話してくれた。
要約すると、ラミアが東通りから走ってきて、一息ついてから噴水に背を向けたところで、背後となった噴水の中から突如ローブをまとった人が飛び出し、ラミアを羽交い締めにした。女の子は一瞬抵抗を見せたものの、薬か魔法を使われて意識がなくなったようだ。その後、二人は空間に溶けるように、姿をかき消したという。男が現れてから消えるまで、わずか一〇秒程度のことだった。広場にいた人たちはあっけにとられ、事の重大さに気づいたのは男が消えて間もなくのことだった。
何か手がかりが無いか、アルフと周りの皆は分担して調べてみるものの、これといったものは見つけることができなかった。
誰かが通報したのだろうか、兵士が数人、城から駆けつけてきた。
住人たちが兵士に事の顛末を説明した。その最中、アンナも騒ぎを聞きつけて走ってきた。常連客が、ラミアが攫われる瞬間を見ていたらしく、それをアンナに伝えたらしい。
「アルフ君も、兵士の皆さんも。うちの宿で話を」
そう言って、兵士とアルフを一度宿の方へと案内した。
宿のカウンター横にある、応接スペース。
現場を見た常連客と、アルフ、アンナ、そして兵士二人で、テーブルを囲んでいた。遠巻きに他の従業員やアリーナも、じっと見守っている。
常連客は、より詳しく説明し始めた。
ラミアが浮かれた様子で噴水広場まで走ってきた。そこからはペースを落とし、噴水の前まで歩いてきた後、そこで振り返る。常連客はラミアとも顔なじみなので、嬉しそうにしているラミアに声をかけようとした矢先だった。
噴水の中に突如魔道士が現れ、ラミアを羽交い締めにしたのだ。ラミアは突然のことだったが、背中に常備している剣を抜き放とうとして、しかし首への強い一撃を受け、昏倒した。剣は手からこぼれ落ち、地面に音を立てて落ちた。
先ほどの話と齟齬があるが、角度的に手刀が落とされた瞬間が見えなかったのかもしれない。が、そこはもうどうでも良い。
西側の建物の影に、もう一人魔道士がいた。その魔道士が何か呪文を唱えたところで、ラミアを捕らえた男と、その魔道士が同時に消えた。
常連客は、ラミアが落とした剣を回収しており、それをアルフに手渡した。護身用として持ち歩いている、スナー流で使う幅広の短剣だった。
新たな情報、隠れていた魔道士。情報は少ないが、そこからなにか解らないかと、兵士は考える。
「スナー夫妻を、城から呼んでもらえるか?」
「スナー様、ですか?」
アルフは頷き、理由を話す。
「攫われたのは、夫妻の娘なんだ」
「な……っ!? わ、解りましたっ!」
その事実を知り、兵士達は慌てる。当然だろう、かつての英雄の娘なのだ。二人はすぐに立ち上がり、暖簾をくぐっていった。
それからしばらく時間が流れる。どうしようもない焦燥感を感じながら、アルフは食堂内を右に左に、無意味に歩いていた。
酒場の営業は、急きょ中止とした。やってきた他の常連客は何事か、と首をひねるも、詳しい話を聞かされないまま追い出され、とりあえず他の店に行ってしまった。
ややあってから、暖簾をくぐってくる気配があった。
「母よ! 母よ!! しっかりしてくれ!!」
最初に聞こえてきたのは、ホリーの悲痛な叫び声だった。この声にアンナは席を立ち、アルフはすぐに入り口へと駆け寄る。騒ぎを聞きつけた他の従業員も、そしてアリーナも。
アーサーはマリアを肩車していた。マリアは血まみれで、青白い顔をしていた。それでも意識はあるらしく、泣きじゃくるホリーをなだめていた。
「な……、なんだ、これは?」
アルフは、思わずそう声を漏らしていた。アリーナはその場から動けず、青い顔となり、身体を震わせる。
「アンナよ、母を治療してくれ!! 血を吐いて、……あああっ!」
「ホリー、少し落ち着け!」
「しかし父よ! ……っ」
アーサーが鋭く睨み、ホリーはそれで言葉を失う。
マリアは応接スペースの席を指さし、そこに座らせるように無言で指示した。そのときには従業員の誰かがアンナの鞄を持ってきており、アンナは袋の中から点滴と注射を取り出した。いつもなら率先して鞄を持ってきて手伝うアリーナは、気が動転してしまったのだろう。カウンターの向こう側でぺたんと頽れ、身体を震わせていた。
アンナは座ったマリアの腕に手際よく点滴をつなげ、中身を流し込み始めた。
「詳しく聞かせて」
マリアは口を手で拭うと、血液がしたたり落ちた。
「分かったわ、でもその前にちょっとだけ治療させて」
アンナは治療魔法をマリアにかける。その間にホリーは少し落ち着きを取り戻し、静かになっていた。しばらくして、マリアの呼吸が大分落ち着き、顔色も少し良くなってきた。
喀血。これは、マリアの症状として一番恐れていたことだった。これを起こしてしまうと、もって数日かもしれないのだ。マリアの目を見れば、黄疸の症状も見られる。既に立っていられないぐらいには消耗しているはずだった。
マリアは渡された手拭きで、手を拭い、顔を拭う。すぐに血だらけになった手拭きはすぐに新しいものに交換されたが、それ以上は拭うことをしなかった。その間に、アンナとアルフは、詳しい状況をマリアに説明した。マリアは歯を食いしばり、怒りを抑えている様子だった。一度深呼吸をして怒りを落ち着かせ、話を切り出した。
「『私達』、最近城の内部について色々探っていることは知っているよね?」
アーサーとホリーは頷く。
マリアは、『私たち』と話した。これは、彼女に協力者がいる訳ではなく、後天的な二重人格であるのだ。このことは、スナー家の面々、そしてアンナとアリーナも知っている事実である。わざわざこのようにして切り出したということは、普段眠っている人格まで総動員し、それだけ力を入れて取り組んでいた、ということである。
マリア『たち』は、一月に病気が発覚し、倒れて以来色々と動いていた。ひとえに娘のために、何かを残すためだった。夢見の力も惜しみなく使った。その結果、一つの悪意を見つけた。この悪意がなんなのかを調べていくうちに、やがて昏い計画があることを突きとめた。
「相手の狙いは詳しくは解らなかったけど、私たちスナー家か、或いはアルフ君、……いえ、ここは敢えてユニス第一王子と呼ぶべきかしらね」
マリアは、わざわざ言い直した。その重大さに、一同は息をのむ。
「最近、内密な調査で、城の中で不穏な動きがあった。デュラスィス、そしてディルス・バルグレイス。この二人の名に聞き覚えは?」
「当然ある」
答えたのはアーサーだけだった。彼は知っていて当然である。マリアと共に、この二人の身辺を洗っていたのだから。
研究室からほとんど出ないホリーはあまりピンときてはいない様子だが、それでも名前ぐらいは聞いたことはある。
「気になることがあってから、しばらく注意深く観察していたのだけど、最近姿を消したわ。それで今日の事件。……繋がっていると思わない?」
一同が静まりかえったところで、ホリーが手を上げた。
「我の考えだから、的を射ているかは解らない。だが、こうも考えられる。今王子は身分を隠して下町で生活している。そこで町人の娘が好きになった。身分の違いを悲観して心中に見せかけた暗殺を計画しているんじゃ無いかと」
「…まさかそんな」
アルフは半笑いでホリー達を見たが、ホリーもマリアも真剣な表情を崩していなかった。
「ディルス達は、王子と姉の関係を知らないと思う。この時期にこんな強行に走った意味は我も判断は付かない。ついでに言ってしまえば、そんな人目のつくところで、堂々と姉を攫った意味が一番分からない」
ホリーは一度呼吸をとののえ、押し黙る。しばらく沈黙が流れた。
「ディルス達の目的は、おそらく政権ではないかと我は考える。クラウド氏の方が御しやすいと考えた連中は、傀儡王を打ち立てて影から支配する気であろ。ただ、政権を奪ってから連中が何をしたいのか、これ以上はどう考えても解らぬ」
それに、とホリーは続ける。
ディルスは野心家ではない。
ユニス王国が魔軍から解放された直後、財政面は悲惨の一言だった。宝物庫に死蔵されていた宝石や貴金属類を売却して、国家の資金にする仕事をディルスに任せていた。その仕事ぶりは誠実で、一つとして帳簿の間違いは起こしていない。
彼が唯一欲を示したのは、宝物庫に収められていた歴史的な書物だけだ。彼は歴史愛好家で、その書物を読み耽っていたのである。簡単に盗むことができる立場でありながら、一度として持ち出すことはせず、そして扱い方も丁寧だった。
そんな男が、何故急に野心を燃やしたのか。これが一番解らないとホリーは付け加える。
アルフにとって、本当にくだらない話だった。彼にとっては、ラミアの安否だけが気がかりなのだ。
アルフは唇をかみしめ、握った拳を振るわせる。何年も想い続け、もうすぐ実を結ぼうとしていた矢先のことだ。何があっても絶対に助け出したい。それは、自分の命を賭しても、だ。そんな思いが、拳を振るわせる。
「駄目よ、あなたは将来この国を背負って立つ人」
彼の心の叫びを、まるで見透かしたのように、マリアは静かに告げた。
この人は、愛娘を見捨てようとするのか、とアルフは考えてしまい。
「でも!」
思わず声を荒げてしまうが、マリアは至って冷静な表情だった。
「とにかく、冷静になって」
「俺は冷静だよ!」
かみつくように答えてしまった。
「いいえ、冷静じゃ無いわ!」
マリアは、彼を叱咤した。その迫力に、次の言葉を発せられなくなった。そして自分が言うほど冷静でなく、相当心をかき乱していることを改めて痛感させられるアルフだった。
双方大きく深呼吸し、心を落ち着かせる。
「……正直言うとね、娘のことをそこまで案じてくれていることは嬉しい。……けどね」
マリアは優しげに、そして悲しげな表情となって、言葉を続けた。
「ラミアが無事に戻ってきた時に、あなたの身に何か起こっていたら? ……間違いなくラミアは悲しむ。そして自分を責める。自分の所為だってね。そんな思いを、あの子にさせたいの? あの子を……メルみたいにしたいの?」
ユニス城の、黒髪をした侍女の名をここで出してきた。その理由は痛いほど分かる。
彼女は、とある事情でユニス王室に引き取られた龍族の女性だ。その事情は当時のアルフの心には、耐えがたいほどの衝撃を与えた。メルはこの時既に感情を塞ぎこんでいて、言われるままのことしかできなかった。いつしかマリオネットと揶揄されるようにもなり、王族以外からの視線は厳しいものが向けられている。ラミアをそんな風にしたいのかと言われたら、絶対に嫌である。
「……分かった、よ。軽率な行動は起こさないと誓う」
沈痛な表情で、アルフはこの場の全員に約束した。
「……あの二人が関わっているのは、マリアの見解通りだろう」
アーサーが総括する。
「だが、すべては推測の域を脱していないし、そうだとしても向こう側の出方は解らない。何かしら向こうから行動を起こすと踏まえている。……俺は一度城に戻り、待機する。マリアはここでアンナからの治療を受けておけ。ホリーはどうする?」
「母の元にいる」
「分かった。…何かあったら、ここで集合しよう」
そう言って、アーサーは暖簾をくぐり、兵士達を引き連れて城へと向かっていった。
「ホリーちゃん、お姉ちゃん、大丈夫かな?」
先ほどまでかなり動揺していたアリーナだが、自力で何とか心を落ち着かせたようだ。
彼女は、幼いながらも『冒険者の宿』の娘だ。
傷し、ここに担ぎ込まれた冒険者全員が、助かったわけではない。救命が間に合わず、この世を去った人物を目の当たりにしたことだってある。そうした人死にの場面を何度も経験しているからこそ、彼女の心は、本来強い。今回は親しくしている人物だったから、動揺してしまった。それでも冒険者の宿の矜持を思いだし、奮い立たせたのだろう。
「我が保証する」
ホリーは自信ありげに答えた。しかし、その根拠は全くない、ただの空元気である。それでも、アリーナは少しだけ、元気が出た。
矢文は、夜遅く。スニラフスキーの宿へと打ち込まれた。
『 拝啓 親愛なるアゼナルフ・テナイ王子殿
あなたが想い人をこちらで保護しております
明日6月3日早朝、北砦にてお待ちしております 』
単純明快な文面だった。
知らせを受けたアーサーは宿へととんぼ返りし、これを読んで溜息をついた。
「ついに、か」
「ええ、そね」
マリアは短く答える。マリアは、戻ってくる前に着替えを用意することを頼んでいた。衣装はマリアが指定したもので、アーサーは躊躇いながらも、それを用意した。
ファルアスタシア家の戦闘装束だ。マリアがアーサーと出会う前にこしらえたものなのだが、当時から体格などは全く変わっていなかったので、サイズなどはぴったりだった。マリアは早速それに着替え、皆の前に現れた。
真っ白のワンピースに、真っ白のローブ。腕には、対照的に真っ黒で光を全く反射しない篭手、背中には真っ黒に塗られたジャマダハルが一対。≪漆黒≫の名を冠する、装備だった。
日付が変わる。
六月三日、ラミアの一六歳の誕生日だ。成人を迎える、とても、とても大事な。
アルフが、彼女に想いを伝えようとしていた、誕生日。
ホリーは眠らず、母の姿をその目に焼き付けていた。
マリアは、窓の外に視線を向ける。そして、小さな声で、独り呟く。その誕生日に、どうしてこんな仕打ちをするのかと。
「神よ、何故スナーの女性を、ここまで呪うのでしょうか」
それに答えられるものは、誰も居なかった。ただ、ホリーはぐっと拳を強く握る。
最後に、アーサーはマリアを黙って抱きしめた。互いに背中を軽く叩き、体を離した。
「じゃ、行くわね」
「ああ」
「…母よ、さよならは言わぬ」
母はただ微笑み、きびすを返す。そして、宿の暖簾をくぐり、闇へと溶けていった。
―――行ってきます、では無く、行く、とだけ。そしてホリーの言葉にも頷かず。
その意味が解っているからこそ、ホリーは声も涙もなく、泣いた。
アルフは、マリアのつぶやいた『呪い』という言葉を反芻した。
スナー家に嫁いだ女性、生まれた女性は等しく、若くしてこの世を去っている。記録の残る五〇〇年前より、例外は無い。それ故に、スナー家ではこれを呪いと称し、結婚後もこの呪いを甘受できるもののみ、家族として迎え入れてきた。ただ、どの様にして亡くなるのかは、決まっていない。
事故死、病死。自死は無いが、ごく希に他殺。事故においても様々だった。その中でも、マリアは様々なところで、特別強く呪いを受けているともいわれていた。
マリアは、ユニス城内の階段で転倒し、流産したことがある。聖龍島では瀕死の重傷を負い、その時もお腹の中にいた子供が亡くなってしまった。二人とも、女の子だった。その後ラミアが生まれ、あの事件が起こった。そしてマリア自身、早期発見ができないように巧妙に仕掛けられていたかのように、末期癌が見つかった。
その日は、三九歳の誕生日を迎えた翌日。マリアはちょっと風邪でも引いたかなという感覚で、気軽に診察を受けた。アンナはその宣告をすることに悩む。親友に、死の宣告をするようなものだったからだ。マリアは、彼女の心を理解し、自分もスナーの女性である、と答え、宣告を受け止めたのだった。
暗い夜道。マリアは作戦を頭の中で確認する。
宣告を受けてからここまで来るまでに、夢見をも併用して様々な工作を行った。しかし、それは別の何かで修正され、この結果へと集約されていた。人では抗えない、得体の知れない強い意思が、この物語を作っているかのようだった。
最後に、アンナからもらった薬を確認する。いつもの麻酔剤と、アンプルに入った解毒剤。広範囲の薬剤に対して効果のあるもので、かつてアルケミストとして戦っていたアンナの、スペシャルポーションである。
アンナの顔を思い出し、ホリーの顔を思い出し、そしてアーサーの顔を思い浮かべる。
「しまったな、……キス、したかったな」
『私もです』
マリアは、ただ残念そうに笑い、心の中からもう一人のマリアが続いた。
二重人格。ほとんど正反対とも言える性格がマリアの心の中にいる。普段は天真爛漫な性格が表にいるが、本来のマリアの性格は、大人しめで少し人見知りをする方なのだ。
この二人がアーサーを知ったのは、夢見の能力が切っ掛けだ。最初にアーサーに惚れたのは、天真爛漫な方だった。そして先にアーサーに手を出したのは、人見知りする方だった。
二人は二人のペースでアーサーのことが好きになり、二人、いや三人の同意の下、一緒になった。
そして二度の流産の後、ラミアを生むことができ、そしてホリーも誕生させることができた。
かけがえのない子供達だ。
そんな子供達に危害を加えたことは、許せない。
「待っててねラミア。もうちょっとでお母さん達が助けてあげるからね」
優しく微笑み、そして決意の表情へと変わった。
深夜。王都の北東にある、小さな砦。入り口があり、少し進めばすぐに小さな玉座のある部屋に至る。その他、倉庫や調理場などの生活インフラが左右の別部屋にあるが、本当にそれだけの砦である。
バース王国が魔物に占領され、その後魔物がユニスへと侵攻された事で放棄、そのまま管理もされず放置されている。現在は別の場所に砦があるため、この砦はもう管理すらされていない。
この砦にはあまり一般人は近寄らず、普段は野盗達が占拠していることが多かった。だが、彼らは血の海に沈み、黙して語らない。彼らをこのような姿にしたのは、アルフに対し手紙を出した勢力だろうと、マリアは軽く祈りを捧げ、その屍を越えていく。
マリアと、合流した数人の兵士は、砦の裏手、崖の下に到着する。このあたりに、砦の脱出経路としての出口があるのだ。マリアは注意深く探すフリをしながら、その場所を見つけた。これも夢見で何処にあるのか、最初から知っていた。
マリアは転移術を使って先に侵入し、解錠して扉を開け放った。罠なども無く、魔獣もいない。ここから中枢までは危険は無い。だが、迷路になっているため、たとえ道順を知っていても、中枢へはしばらくかかりそうだった。
マリア達は足音を立てないよう、ゆっくりと進む。会話は全くない。時折マリアが指で指示を出し、それに指で応える。そんなやりとりを行いながら進み、やがて一枚の扉が見えてきた。
マリアは扉からやや離れた位置で皆を制止した。
後は、ここで時間になるまで待機し、一気に飛び込む作戦となっていた。
夜が明ける。
朝日がアルフの顔を照らし、砦の輪郭を照らし、そして砦の前に立つ男を照らした。
「ようこそ王子様、お待ち申し上げておりました」
まるで営業スマイルのように、もみ手をしながら男は一礼した。あまり面識は無いが、おそらくこれがデュラスィスだろう。ゆったりとしたローブに身を包み、気持ちの悪い笑みで彼を見ていた。さながら悪徳商人のそれだった。
「デュラスィス、か?」
「はい、お見知りおきを」
おそらく、初対面では無いはずだ。ディルスと共に、数年前から城に居るはずの人物だ。しかし、この悪寒の走る声にも笑い顔にも、全く覚えは無かった。
「単刀直入に聞く。ラミアは無事か?」
「もちろんですとも、あなた様をお待ちかねです。ささ、どうぞこちらへ」
デュラスィスはゆっくりと背中を向け、砦の奥へと歩き始めた。アルフもその後を追う。
階段を上ると、すぐに扉があった。
「こちらへどうぞ」
デュラスィスは扉を押し開け、先に入っていく。アルフもその後を追い、部屋に踏み込んだ。
ただ広いだけの丸い部屋だった。窓も何もなく、壁に掛けられた松明が薄暗く部屋を照らしている。
部屋の中心奥に、玉座があるだけで他には何もなかった。玉座にはラミアが座らせられ、その横で男がラミアに短剣を突きつけ、ニヤニヤと笑っていた。
こちらの男は、見覚えがあった。宝物庫の管理を任せていた、ディルス・バルグレイスだった。ただ、ここまで邪悪な笑みを浮かべるような男ではなかったはずだ。
北の帝国生まれで、歴史愛好家。様々な国の歴史的建造物を訪ねる旅をして、このユニスで戦渦に巻き込まれ、そのままずっと滞在し続けている、比較的物静かな男だった。素朴でどこか遠慮したような笑い方をしていた、はずだった。
「…ラミア!」
アルフは叫び、呼びかける。しかしラミアの反応は希薄で、小さく何かをつぶやいたぐらいだった。予想通り、薬で意識を飛ばされているようだった。
「ディルス、ラミアを開放しろ」
アルフは静かに言い放ち、抜刀した。
「くっくっくっ、王子様は立場を弁えていらっしゃらないご様子で」
ニヤニヤ笑いながら、短剣をラミアの頬にあてがった。それで、ディルスは明らかに様子がおかしいと、アルフは確信する。ただ何があってここまで豹変したのかは解らない。一つだけ心当たりはあるが、ディルスがそんな愚かな行為に走ったという確証もない。
「…アルちゃん、たた、かって」
小さな声だが、はっきりと聞こえた。
「おっと、目覚めてしまいましたか。でもこの薬は強力。意識を保つにはつらいでしょう。今は眠っておきなさい。……さて。あなたの思い人はこのように申されておる。いかがするかな?」
含んだ笑みと笑い声に、アルフは静かに怒る。しかし、これこそが、とある存在が常套手段のように使う作戦であると、聞き及んでいた。先ほど思い当たった理由だが、これで可能性が浮上してきた。 ラミアの頬には短剣がつき付けられたままだ。ニヤニヤと笑うディルスとしばらくにらみ合ってから、アルフはロングソードを投げ捨てた。
今のディルスならおそらく、躊躇いなくラミアを殺してしまうかもしれない。ただの歴史愛好家が、どうしてこうなったのか。まとう雰囲気から、もう確証を得ていた。
「…捨てちゃ、駄目…っ」
悲痛な声だった。ただでさえ意識を保つのも辛そうな様子だが、それを押し通し、アルフに声を掛ける。
「それでこそ王子様ですね。一人の命のために、その尊い命を投げ出せる勇気。ああ、素晴らしい。まこと、感服いたしますぞ」
ディルスは、恍惚と笑う、いや嗤う。その笑い方、仕草、まとう雰囲気。それらに惑わされまい、飲み込まれまいと、アルフは心を落ち着かせ、そして隙をうかがう。
デュラスィスが魔法で捨てられたロングソードを引き寄せている間に、ディルスはラミアの元を離れ、ゆっくりとアルフの元へと歩き始めた。
「……さて、王子様。あなたには選択する権利がございます。この女が死ぬところを見届けてから死ぬか、あなたが先に死んでから彼女がその後を追うか、ね?」
「……貴様っ」
アルフは、小さく叫んだ。
「俺だけならともかく、何故ラミアの命を?」
心を落ち着かせても、やはりラミアが絡むと感情が先に出てしまう。それほどまでに、アルフはラミアのことを思っている。乱れた心を、相手から解らないように深呼吸をして落ち着かせた。
「そうですね。……何も知らぬまま、というのも不憫でしたねぇ」
ディルスは、短剣の切っ先を、アルフの顔に向けて話を続けた。よく見れば刃こぼれ甚だしいボロボロの、ラミアが常に持っている回復の短剣だった。
どこにでもある悲劇のお話ですよ、とディルスは話を切り出す。
「……ある小さな王国の王子様は、その街に住む女の子と恋に落ちました。しかし結ばれぬ運命にある二人、恋の結末はあまりにも悲しいものとなりました。誰も知られることの無い場所で、二人は永遠を誓い、心中しました、と、こんな話はどうでしょうかねぇ?」
その言葉に、アルフはこみ上げる怒りをなんとか抑え込む。
アルフは、ラミアの名前を何度か呼んでいる。にも拘わらず、ディルスは気付いていない。ラミアの名前は、王室の近い場所に勤める侍女なら、アゼナルフ王子の許嫁であることとともに知っている。ディルスも知っていておかしくは無い立場に居たはずだが、しかし他の者たちとの交流があまりなかったことから、知らないのだろう。
将来を約束されている二人が心中しても、全く意味はない。例え相手がラミアではなかったとしても、王族が男性であれば結婚の自由はある程度ある。
だからこそ、この計画自体、破綻している。
それでも、通さなくてはならないものはある。王族の前に、一人の男だ。好意を寄せている女性に危害が及ぶことは、容認出来ない。
マリアは、ああは言ったが、しかしここはやはり押し通そうと、アルフは口を開く。
「俺はいい。だが彼女だけは助けてやってくれ」
「おお、王子様はなんてご立派なのでしょう? ご自分の命を顧みず、女を助けてあげてくれ、ときたものだ!」
ディルスは大げさに、そして陶酔したかのように、そして奇声を上げるかのごとく叫んだ。
「でも残念なことに、そうはいかないんですよ。この女は、あなたが王子様だということを知っておりますし、私達の顔も見ておられます。助けても、私達にリスクがあるだけじゃ無いですか」
と、ここまで蔑むような笑みをしていたディルスだが、豹変するように笑顔が消えた。
「ということで、まずはあなたから死んでもらいましょう。デュラスィス、……殺せ」
「……ふん」
それまで静観、というより若干鬱陶しそうな顔をしていたデュラスィスは、ディルスとアルフの間に割り込み、手に魔力を集中させた。
その間にディルスは後ろに下がり、玉座の元へと移動した。そしてラミアの顎をぐいっと持ち上げ、アルフの方へと顔を向けさせた。本当に悪趣味なやつだ、とアルフは考えながら、デュラスィスの出方をうかがった。
デュラスィスの手に剣が生まれ、それを構えた。
アルフは武器を持たず、素手だった。圧倒的な不利と見える状況だが、彼は全く恐れを感じなかった。
アルフは今、はっきりと自覚した。ラミアのためだったら、この命を張れる、と。だが、今はまだ死ぬときでは無い、と体の奥からそう言い聞かせる何かがあった。この不利な状況を覆し、二人で絶対生き延びようと、決意する。
デュラスィスが斬りかかってきた。しかしあまり剣技に慣れていない初心者のような一手に、アルフは軽く躱した。躱されたその剣は、そのまま床をえぐった。威力だけは相当なものだ。一撃でも食らえば、即死するような威力だが、それでもアルフは大した恐怖を感じなかった。
「くくっ、良いでしょう! できるだけ抵抗したまえ、そして絶望したまえ! あなた様が死ねば、この娘も後を追うでしょうねぇ!」
相変わらずの奇声が、玉座から聞こえてきた。
心中に見せかける話は何処行った、とアルフは冷静に考える。あんなもので斬られたら、明らかに他殺だと分かるだろう。彼も完全に正気を失っており、計画も完全に破綻している。
デュラスィスは無言のまま、再びアルフに斬りかかった。相変わらずのなまくら剣技ゆえ、躱すのは問題無かった。すると、すぐに戦法を変えてきた。デュラスィスは魔法弾を放ってきた。しかしそれらも狙いは甘く、注意深く見ていれば簡単に躱せるものだった。
ふと、デュラスィスの表情が動く。その瞬間、アルフは得も言われぬ予感がした。
デュラスィスの姿がかき消えたのと、アルフが前へと跳んだのは同時だった。その直後、アルフが直前までいた空間がきしみ、真上から魔法弾が降り注いでいた。それで全部を受け止めることは無かったが、数発ほど、肩を掠めていた。
「ッ!」
見上げれば、そこにデュラスィスが漂っていた。アルフは手をかざし、魔法を放つ。
「アクア・バレット!」
高水圧の水の弾丸。それらは正確に、デュラスィスへと突き進んだ。この至近距離では防御は難しいはずだった。しかし、デュラスィスは瞬時に反応しており、魔法の盾を生み出し、それらを全て受け止めていた。そしてカウンター気味に、アクア・バレットと同様のものを無言で撃ち放った。即座に避けていたアルフの足下にそれらは着弾し、床をえぐりつつ水しぶきを上げた。
アルフは次の呪文を唱える。
「遅いのだよ、呪文を唱えているようではね」
デュラスィスが肉薄する。そしていつの間にか手にしていたダガーを、彼の腕に突き立てた。
「デス・サンダー」
抑揚の無い声で、デュラスィスは離れながら、魔力を放った。魔力は雷となり、アルフを襲う。
「ぐっ!」
雷に打たれ、アルフは思わず声が漏れ、その場に倒れた。
「っ!」
だが、死の名を冠する魔法の割には、ダメージは少なかった。それで、これは意図的に威力を絞ったものだということに気づく。手加減の意味が分からない、とアルフは考えるが。
「まあ、所詮人間ではこの程度か。……死ぬが良い」
デュラスィスは呪文を唱えず、手に細い光の剣を生み出した。丁度、先ほどのダガーと同じぐらいの太さだ。デュラスィスは、あくまでも心中に見せかけようと、傷口の大きさを調整しようと企てているのだろう。
デュラスィスは、身体がしびれて動けないアルフに、光の剣を振り下ろす。
ラミアは、声にならない悲鳴を上げ、ぎゅっと目を閉じた。好きな人が殺される。そんな場面は見たくなかった。
直後、鈍い衝撃音が聞こえ、うめき声が上がった。
アルフのものではないことに、ラミアはすぐに気がつく。ラミアは状況を確かめるため、閉じていた目を開けた。
そこで見たものは、ディルスの胸から、黒い何かが突き出ていた場面だった。ディルス自身、それが何か理解できず、ただ不思議そうな目で見ているようだった。そして、アルフも、デュラスィスもあっけにとられ、こちらの様子を、厳密にはディルスとその背後を見ているようだった。
「……ファルアスタシア・ブレード」
小さく低い声とともに、黒い突起物は一層黒くなり、その直後ディルスが真っ黒な灰となり、砕け散った。
黒い何かは、ジャマダハルだった。その技を解き放った女性は、懐からアンプル瓶を取り出し、先を折ってラミアへと手渡そうとする。
「解毒剤よ。飲んで」
「え、あ……、おかあ……、さん?」
しかし、腕がしびれているのだろうか、一向にそれを取る気配が無かった。マリアは、もどかしそうにラミアの顔を上げ、口にアンプルの中身を流し込んだ。
こくっと、飲み込んだ音が聞こえ、マリアはアンプル瓶を投げ捨てた。
小さく割れる音が響き、それを合図にデュラスィスがようやくマリアへと体を向けた。
暗い部屋の中、マリアの衣装は真っ白だった。何かの魔法の影響だろうか。腕に装着する真っ黒な篭手。そこに刻まれている稲妻の意匠が、濃い紫色の光を禍々しく纏っていた。
「あなた、やっぱり魔族だったのね?」
マリアはデュラスィスを一瞥し、そう言い放った。
「なんだ、知られていたか」
デュラスィスは、淡々と言葉を紡ぐ。
「もっとも、人龍族のとある家系はアストラルを使って空間移動をするという能力を持っていたな? その能力を持ってすれば我が正体を見破るのは造作ないことか、そうだろう? マリア・ファルアスタシア殿?」
「あら、私の旧姓を知ってるなんて光栄ね」
マリアも、淡々と言葉を紡ぐ。この相手には、駆け引きは通用しない。ただこうして、会話のようなものに応じ、楽しんでいる、そんな感じだった。
マリアはデュラスィスから視線を外し、足下に積もる灰をみて、もう一度彼へと視線を向けた。
「ディルスは、あなたと契約していたわね?」
ディルスは、背後から心臓を貫かれた。しかし、そこからしたたり落ちるのは血液では無く闇色をした何かだった。だからマリアは、彼女の生家ファルアスタシア家に伝わる、魔族を滅ぼすための奥義を使った。直後、灰となって砕け散るのは、魔族と、魔族と契約したものの末路である。本来なら灰すら残さず滅ぶのだが、契約したてだったのだろうか、一部の灰は消え去らず足下に積もっていた。
「その通りだ。一応不死の契約を交わしていたのだが」
デュラスィスはこれでも驚いた様子は無かった。
「今の魔法の前では無力のようだったかな」
と、ここで初めて、おどけてみせるそぶりを見せた。
「…聞かせてもらってもいいかしら? あなたたちの、本当の目的を」
「ふむ?」
ディルスの目的はどうでも良かった。だが、ここに来て魔族が関与し、王政の深いところに侵入してきていたことが、気がかりだった。これは、夢見でも確認が取れていないことだ。
「まあいいだろう。ディルスの手伝いは、まあ気まぐれというものか。ユニスの城内に入れることは何かと便利でね、人間が集めた書物を読みあさるのにはちょうどよかったぞ」
確かに、この男達はいろいろな書物を集めて読んでいた。その頃は、巧妙に気配や魔力を調整し、完全に人間へと偽装していたのだろう。見破られなかったことは悔やまれるが、それだけ上手だった、ということだ。
「そうね」
しかし、それでもマリアは不思議に思うことは多い。王城での蔵書は、正直大したものはないと記憶している。魔導書や歴史書など、探せばいくらでも出てくるが、果たして魔族が興味を示すかは不明だった。その他、大衆小説が蔵書として宝物庫にあったことは謎だが。
「良い本は見つかって?」
「聖霊剣に関する書物」
マリアは首をひねった。
「……!」
その一方で、ラミアは息をのんでいた。
「……聖霊剣? ……何、それ?」
マリアは、デュラスィスとラミアを交互に見た。マリア自身は、本気で知らない様子だった。
「知らなくても結構だ」
デュラスィスがそう答え、マリアは小さく頷き、彼に向き直った。
「どちらにしても、曰く付きのものよね? あなたたちはそれが欲しい、そういうわけ?」
「そんなところだ」
「あと一つだけ聞いておきたいのだけど、……宝物庫の奥には何があったの?」
「言わぬが花、だろうな」
デュラスィスの雰囲気が変わった。
デュラスィスは、ディルスが王城に勤め始めてしばらくしてから、彼の勧めで共に務めるようになった。デュラスィス自体は、ディルスとはそれなりに長い時間連れだって旅をしてきた仲だった。この二人がユニスに足止めされてしまったこと自体は、本当に偶然でしかなかった。が、その偶然は彼にとってはとても幸運なことだったと言えよう。
ディルスの勧めで城に入り、彼と共に宝物庫を訪れるようになり、その最奥の様子がおかしいことにはすぐに気づいた。その場を調べるうちに、彼は大いなる発見をしてしまったのである。
それについては、今此処で話すつもりはないと、デュラスィスは言葉を切る。
「さて、おしゃべりが過ぎたようだな」
「そうね。……アルフ君、ここは私に任せて脱出して。近くに私の仲間が」
言いながら、玉座の後ろに視線を向ける。
「非常に残念ではあるが、君たちの仲間はここに入ることはできない」
「あら?」
「既に結界を張っている。結界から外に出るには、我を倒すほか無い、というわけだ」
「そういうこと」
マリアは、それは最初からそうなることは解っていた。なので、ここまでいちいち芝居がかったような言い草をしていた。まるで用意された台本を、朗読するかのように。
そして次に、誰が何を言うかも、分かっていた。
マリアは背後に顔を向けようとする寸前に、ラミアから声がかけられた。
「おかあさんっ」
少しだけ大きな声が出るようになっていた。ある程度解毒が進んでいるようだった。
「なあに?」
マリアは、優しく声をかける。
「…気を、付けて、ね?」
マリアは親指を立て、強く頷く。そして、再びジャマダハルを抜刀し、デュラスィスに向き直った。
アルフはいつの間にか移動しており、そちらの心配も無用だった。
マリアは一度目を瞑り、開眼する。凜とした光がそこに強く宿った。そして心の中でつぶやく。
―――ラミア、しっかり見ててね。お母さんの、私たちの、ラストバトルを。
―――そしてその目で、私たちの戦い方を心に刻んでくださいね。
マリアの、二人の心が、ラミアに訴えかける。
そして、マリアの命をかけた、最後の、本当に最期となる戦いが、静かに始まった。
ジャマダハルを構え、間合いを計るマリア、特に何も構える事をせず、待ち構えるデュラスィス。魔族は基本的に身構えることは無く、好きなスタイルで相手を待つのだ。
ラミアは目を見張り、二人を見守る。額から冷や汗が顎まで伝い、一滴落ちた。それが膝に落ちた瞬間。
二人同時に駈けだした。
一気に懐へ飛び込んだマリアは、ジャマダハルを突き出す。突き出すという表現では生ぬるく、爆発的に打ち出した、という表現が近いだろう。しかしそれは魔族に触れることは敵わず。
デュラスィスは真後ろへと飛び、マリアの一撃をたやすく躱していた。そして魔法弾を撃ち放つ。これまでに見たことも無い、とてつもない圧力を感じさせる魔法弾は、マリアを掠めること無く、その後方で炸裂した。烈風があたりを包み込む。風を受けて何本かの松明がが吹き飛ばされ、部屋が暗くなる。しかしマリアは、そんな荒れ狂う烈風をまるでそよ風のごとく突き進み、魔族に一気に肉薄した。
左手の鋭い突きは軽く躱される。矢継ぎ早に繰り出した右を、魔族は空間を渡って躱した。
「っ!」
短く印を切るマリア。その姿は一瞬の間をおいてかき消えた。その直後、マリアの居た空間に現れる魔族。
「くっ!」
その直後、マリアの姿は魔族の背後にいた。左手のジャマダハルの突きを、魔族は再び空間を渡って躱した。
マリアは着地と同時に床を蹴り、真横に転がるようにして背後からの急襲を躱した。
どちらも、常識を覆すような素早い動きだった。
ラミアは、母が本気で戦っているところを見るのは、これが初めてだった。余りにも素早い動きと攻防の激しさに、目がついて行けなかった。
「ハオチーチヌィ」
呪文を刻みながら、空間を素早く移動するマリア。その背後を取ろうと同じ速度で空間を渡る魔族。
「ヴァドヌィー」
今度こそ、魔族が背後を取る。魔法弾をばら撒くが、しかしマリアは既にかき消えていた。
「クリーナク!」
その声は、デュラスィスの背後から。
「ぐっ!?」
そして、魔法で生み出された剣は、全く別の方向から。
予想だにしない方向からの斬撃に、デュラスィスはまともに食らうこととなった。この攻防初めてのクリーンヒットだった。
二人同時に空間を渡り、互いに距離を取って着地した。
ラミアもだが、アルフも目が追いつかなかった。また、その戦い方を垣間見て、終始驚きの表情だった。
通常、一つの魔法を使用してから次を放つまでは、精神を集中し直す必要がある。これは人間でも魔族でも変わりない。魔族はこの時間が極端に短いが、無というわけでは無く、一瞬転移が遅れたのはここに影響されるのだろう。しかし、マリアはこれをまるで無視したかのように、瞬時に、いや、二つ同時にまったく違う魔法を行使していたのである。
デュラスィスは腕を貫かれていた。腕を押さえているが、そこからは闇色をした霧が漏れているようだった。気がつけばマリアの姿がかき消えていた。
「くそっ!」
デュラスィスは空間を渡れず、身をよじって背後からの鋭い突きをギリギリ躱した。そしてマリアは矢継ぎ早にジャマダハルを繰り出す。それを或いはよけ、或いははじく。そして魔力を集中させ、空間を渡って距離を置いた。
相手は魔族。これがどの程度の存在なのかは解らないが、それでもマリアは圧倒していた。
距離を取ったデュラスィスは、マリアめがけ魔法弾を乱れ打った。それらを躱すマリアの眼前に転移し、零距離で魔法を撃ち放った。しかし、まるでそう来るのが分かっていたかのごとく、マリアは既に回避行動に入っていた。
俯瞰してみている立場から見れば、それはもはや異常ともいえた。
歴戦の戦士や剣技の皆伝クラスになれば、相手の動きを先読みすることができる、と噂される。マリアはその域を軽く凌駕し、数秒後にどの様な反撃が来るのか、完全に把握しているような動きだった。
「はっ!」
マリアが短く声を上げた。声を上げつつ、空間を渡りつつ、そしてジャマダハルを繰り出す。その直後、マリアの姿はデュラスィスからかなり離れた位置へと転移していた。しかし、その左腕が半ばから魔法陣の中へと消えていた。
「なん……だ、これ…はっ?!」
魔力にコーティングされた漆黒のジャマダハルが、デュラスィスの胸から突き出ていた。魔族の背後にマリアはおらず、先ほどの位置から移動していない。左腕の魔法陣が消えたと同時に、腕が通常通りとなった。
ラミアも、アルフも瞠目する。
それは、チャースチ幻龍剣。
幻龍剣は、ファルアスタシア流の基本奥義で、空間を転移する技である。そして、チャースチ幻龍剣は似て非なるものだ。四肢を別空間に転移させ、それによる攻撃を試みる技である。ほんの僅かでも集中が乱れると、単純にうまくいかないだけでは無く、分離した箇所からその先を失ってしまうことになる。切断の恐怖を克服し、そしてどんな状況でも冷静でいられるか。ファルアスタシア流派の、極限にまで到達して初めて使うことのできる、極めて難しい技だった。ファルアスタシアの剣技が創始以来、僅か数人しかたどり着けなかった、まさに世界最強ともいえる域、極意。そこに、マリアはいるのだ。
ラミアには、一瞬母が微笑んだ気がした。
母から、魔族はこうして戦うのです、ファルアスタシアはこう戦うんだぞと、と。そんなメッセージを受けたように。ラミアは、その一挙一動を心に刻むかのように、見守る。何故かそうしないと駄目だ、見逃すと後悔する、そんな気がしたからだ。
デュラスィスがよろめく。その瞬間にはマリアは疾走してデュラスィスへと向かってきていた。
「くそぅ!」
デュラスィスはマリアめがけて魔法弾を放つ。放たれた魔法弾はマリアへと向きを変えて囲い込むように降り注いだ。しかし次の瞬間には、マリアはデュラスィスの眼前に転移していた。
「っ!」
デュラスィスは転移し、マリアの背後へ。しかしその時点で、マリアは更にデュラスィスの背後を取っていた。
デュラスィスもこのときは背後めがけて魔法弾を放っており、現れたマリアに直撃するようにしていた。しかも、先ほど撃ち放っていた魔法は誘導式で、今まさにマリアめがけて降り注ごうとしていた。
これまでの戦いで、マリアの空間転位の速度はこれぐらいだと、デュラスィスは計算していた。その速度が自分よりも速いことに驚愕はしていたが、先を読んで攻撃を繰り出しておけば、一撃を入れられる。そして、それが今だ、と確信した。
だが。
マリアに魔法が当たる直前。誰もが回避不可能と思われるタイミングで、その姿はかき消えた。
デュラスィスが背後めがけて射出した魔法弾と、誘導で迫り来ていた魔法弾がぶつかり合い、爆発を起こす。爆発に巻き込まれたデュラスィスは蹈鞴を踏み、そして爆煙に気を取られた。それでも背後に振り向きざま、魔法弾をばら撒いた。それは、これまでとは比べものにならないほどの密度で、それらは全てマリアめがけて弧を描きながら突き進んでいく。
マリアは再び疾走し、その姿のまま転移した。次の瞬間には、逆さを向いて天井すれすれにいた。二歩、三歩、天井を走る。四歩目で、デュラスィスめがけて跳躍落下、同時にジャマダハルを繰り出した。
デュラスィスは応戦すべく手をかざし、魔法弾をばら撒いた。そして次の瞬間。
どんっ!
「ぐぁっ!?」
デュラスィスは、背後からの強烈な一撃で、打ち上げられていた。空中で反転しながら反撃に転じようとしたときには、既にマリアの姿がなく、見失っていた。魔法弾は全て、天井へと直進し、爆発した。
ここで、デュラスィスは初めて恐怖というものを覚えた。人龍無勢に手玉に取られている。こちらの攻撃が全く当たらず、逆に相手のクリーンヒットを何度も食らってる。武器に込められた魔力がもう少し強かったら、滅んでいたのは自分の方だったのかもしれない、と。
そして、背後に魔力が集中しているのを感じた。マリアが、魔力を集中させているようだった。それでマリアの位置が確認できたデュラスィスは、破れかぶれになって、振り返りつつ転位のために集中した。
マリアの動きが一瞬鈍った。
「ああ、そうか、時間なのね」
そうつぶやいたマリアは、その場に膝を突き、激しくむせ込んだ。その直後、デュラスィスがマリアの背後に現れた。破れかぶれの手刀を長い錐へと変換しながら突き出し、しかしマリアはただ体を傾けるだけだった。
どんっ!
「あ、はは。やっぱりね」
背後から突き抜ける衝撃。しかしマリアは、これに対し全く痛みを感じ取れなかった。真っ黒な錐はマリアの胸を貫き、そして床をも抉っていた。
「―――っ!!」
アルフとラミアが、言葉にならない悲鳴を上げていた。
視線をラミアに向ける。彼女は涙を飛ばしながら叫んでいた。マリアは、そんなに泣いちゃ駄目、と声をかけようとして、しかしこみ上げてきたのは熱い何かだった。
刹那的に生み出したデュラスィスの錐は、わずかの時間をおいて消滅した。マリアの傷口からは潜血があふれ、支えを失ったマリアはうつ伏せに倒れていく。
デュラスィスもまた、その後ろへへたり込むようにして倒れ、動けなかった。
ラミアが椅子から転げ落ちた。
「おかあさんっ! おかあさんっ!!」
そして悲痛の叫び声を上げながら、這い寄ってきた。
「駄目よ、泣いちゃ」
マリアは、まだ生きていることが不思議だった。夢見では、先ほどの一撃で絶命、即死していたことになっているのだ。最後の最後のあがきが、少しだけ時間を稼ぐことができたようだった。故に、この先は夢見でも見ていない、未知の未来だった。
「おかあさんっ! おかあさああんっ!!」
バチッと、大きな音がした。
見れば、ラミアの体に紫電が走っていた。紫電は龍のように迸り、やがてラミアの左手に集中し出す。
「……うわあああああああっ!!」
ラミアの体から、爆発的な魔力が漏れ出してきた。禍々しい、紫色の稲妻がラミアを包み込んでいく。そこから漏れ出す魔力は、尋常なものではなかった。床に亀裂が走り、破片を舞い散らす。
マリアはただただ、ラミアを見守る。
「なん、だ、この力は?」
デュラスィスは、ラミアの様子を見て呆けていた。その間にも、ラミアを包む紫電はより濃く、より太くなっていく。そして左手に集中していた魔力は凝縮され、それでも大きさを変えず、ひたすらに魔力が増大していた。
いつしかラミアは叫ぶことをやめており、視線を上げた。
「お母さん、今、助けるね」
ラミアは立ち上がり、デュラスィスを睨んだ。その目は澄んでおり、完全に自我を保っている事を表していた。あふれんばかりの魔力は、凝縮され、そして静かな波となって、揺蕩い始めた。
ラミアは今、自分の莫大な魔力を、完全に制御下に置いたのだ。
母から、これまで魔法に関していろんな事を教えてくれた。そして実家にある沢山の蔵書からも、多くの知識を入れることができた。その知識はこうして魔法を制御するための礎になっている。母には、感謝しかなかった。だから、助けたい。そう強く想った。
「……天空より高き、紫なりし龍、束ねし破壊の力」
ラミアは、心の奥底から湧き出てきた言葉を紡ぐ。何かの神に訴えるものだ。
「我は汝に願う」
迸る紫電は体から離れ、左手に集中し始めた。そして左腕を、デュラスィスに向ける。
「我が指し示すその存在を、汝が破壊のすべての力を持ち」
「…なんだそれは?」
デュラスィスは呆けたように、尋ねた。ラミアが紡ぐ呪文の意味が分からない。いや、何かしらの神に呼びかけて力を借りていることだけは解る。だが、呼びかけに応じた神が一体何かが理解できない。
「光の刃となりて我が身に降臨し、以て全ての存在を打ち滅ぼさん」
そして迸る魔力の塊は、その姿を変えながら紫電と重なった。
「願わくば、汝の加護があらん事を」
そして、最後の言葉とともに、ラミアが一番使いやすいであろう武器へと、その姿が変貌した。
それは、虹色に輝く、ジャマダハル。
あの日あのとき、暴走させた力を、今、完全な形で御した。
マリアは、それを見届けて、一つの解を見いだした。どうしても変えることのできなかったこの結末に、ちゃんとした意味があったことを。これは、生け贄の儀式だった。私という存在を贄として、今此処で、新しい何かが始まろうとしている、と。
デュラスィスは、本能的に空間を渡り、この場から逃げようとした。しかし、ラミアが軽く振った軌跡は、空間を裂きながらデュラスィスに刃となって襲う。
それが到達する寸前に、デュラスィスはアストラルへと身を転じた。
通常の攻撃であれば、これで完全に無効化できた、はずだった。
ぎんっ! という鈍い音が辺りに響くと、空間が割れた。そこから、デュラスィスがはじき出されるように、現れた。しかしその姿は、袈裟懸けに両断された姿だった。
「馬鹿……な? 空間ごと、切り裂くなど……」
そしてデュラスィスは二つに分かたれ、両方とも灰となって砕け散っていった。
ラミアは魔法を停止し、倒れている母の元へと急いで駆け寄る。
「おかあさんっ!」
叫びながら、ラミアは母の胸を押さえる。傷口は大きく、その程度では止血は無理だった。右肺を貫通しているのだ。
ラミアは周りを見渡し、ディルスが自分に押し当てていた、古ぼけた剣を見つけた。
回復の短剣。『神の涙』が使えるものだ。藁にもすがる思いで、ラミアは刻まれた呪文を指でなぞる。目映い光が迸り、辺り一面に緑色の光が揺蕩った。
光の塊は、アルフに吸い込まれ、怪我を癒やす。そしてラミアにも吸い込まれていき、ラミアは体が軽くなる感覚を覚えた。あの時のように、魔法はもう弾かれていない。
そして光はマリアにもあたり、吸い込まれる。わずかな変化はあったが、ただ、それだけだった。大きな傷からは、未だ血液が流れ出てていた。
「なん、で? 何で止まらないの!?」
ラミアは絶叫し、剣の魔法をもう一度引き出す。
先ほどよりも鈍い光だった。ばら撒かれた光の塊もまた、弱々しいものだった。
「なん、で? 何で!?」
そして、もう一度刀身に指を走らせたときだった。
パァアアンッ!
「っ!」
刀身は粉々に砕け散ってしまった。
「あああっ、剣がっ!! どうしよう、どうしよう!?」
「…もう、いいの」
マリアの声が、聞こえた。
「もう、良いのよ」
回復したアルフが、ゆっくりと歩いてきた。
ラミアは、柄だけになってしまった剣を取りこぼし、母の手を取る。かしゃんっと乾いた音を立て、刃を失ったそれは床を滑っていった。
ラミアが大粒の涙を流し、泣いていた。
「マリアさん」
アルフは跪き、ラミアの頭に手を置く。ラミアはアルフを見て、そのまま彼に抱きついた。そして声無く泣いた。
「アルフ君……」
マリアは、優しい表情で、アルフを見上げた。そしてアルフにすがって泣くラミアを見上げ、その名を呼んだ。
「ラミア」
ラミアも、涙を一盃浮かべながら、母の顔に向き直った。
「ごめんね、いつも一緒に居られなくて」
それは、ラミアに対しての謝罪から始まった。ラミアは首を振り、涙が飛ぶ。
「いつも忙しくて、たまにしか会えなくて。……でも、あなたのこと、忘れた事なんて一度たりとも無いわよ」
「……うん」
ラミアは頷いた。ラミアのこぼれる涙を、母は気力を振り絞り、腕を持ち上げて拭ってあげることができた。ラミアはその手を取り、強く握りしめた。ラミアの涙はその手に落ち、伝って落ちていく。
「こんなダメダメなお母さんのこと、許してくれる?」
「許すも何も無いよっ、お母さんはお母さんだよ! ずっと、ずっとっ、私の、お母さん、だもの!」
泣きながら、ラミアは快活に答えた。そこに流れる空気はとても穏やかなものだった。ラミアは無理に笑顔を作ろうとしていた。謝罪なんていらない、私はこうして笑顔なんだと、そう伝えたかった。
「……えへへ」
マリアは、普段見せない、はにかんだような笑顔を見せた。綺麗な、笑顔だった。ラミアは、この笑顔に答えよう、もう泣くはやめよう、と思った。すると、すぐに涙は止まり、これまでの母との思い出が、よみがえってきた。
一度深呼吸で気持ちを落ち着かせ、ラミアは今話したいことを口にする。
「……お母さん、前に私をたきつけたこと、覚えてる?」
マリアは、小さく頷いた。ラミアが熱を出して倒れたとき、母が看病しに来てくれたときのことだ。
あの時は、色々考えていたこともあってか、見事に風邪を拾ってしまったのである。その考えていたことはアルフのことだ。そんなときに、背中を押されたのだ。だから勇気を絞って、彼を誘い出し、告白した。
「ちゃんと、伝えられた?」
「……えへへ」
そして、ラミアは照れくさそうにはにかんだ。
「うん、ちゃんと」
マリアは、アルフに視線を移す。とても優しく、とても穏やかな笑顔で。
「でも、まだ返事はもらってない」
というラミアの言葉に、アルフは視線を逸らした。
「もう、アルフ君、そういったことは早めにね」
と、母は微笑んだ。
「そのつもりだったんだけどね」
苦笑いで、答えるしかなかった。答えに行ったら、ラミアが攫われてしまったのだ。さすがに不可抗力だろう。ラミアとの会話も、それ以来となっている。
アルフが苦笑いする中。
「えっとねお母さん、聞いて、くれる?」
「……どんと、こいっ」
マリアはうなずき、ラミアの言葉を待った。
ラミアは、本土に来てからの一月弱、その間にできた思い出を語って聞かせた。ラミアは、極力悲しみの感情を出さないようにしていたが、所々でにじみ出ていた。そして告白したところまで話をして、それが最後だった。
幸せそうな、本当に幸せな一月の思い出話だった。
ホリーのことはまだ気がかりだが、ラミアについては、もう思い残すことは無い。後は、愛する旦那に、そしてアルフに任せよう。マリアは、薄くなりつつある意識の中、そう考えた。
いつの間にか目を閉じていたマリアは、再び目を開け、アルフを見上げた。
「……アルフくん、……ふつつかな娘ですが、どうか、……末永く」
言葉が途切れ、マリアは眠たそうに目を閉じた。
「……末永く、よろしく、お願い……、します、ね?」
薄目を開け、マリアはとびっきりの笑顔を二人に送った。
それが、マリア・スナーの最期の言葉となった。




