3話 「瞳に棲む怪物・マオマオ」
自然と涙が込み上げてくる。
僕が何をしたって言うんだ。
寝返りをうって、ぼうっと怪物鼠の死骸をみていた。
最初はそれをずっと眺めていた。
突然、左目が痛んだ。
「──熱っ! 痛い!」
左目の中で、何かがギュルギュルと動き出した。
なにかが眼球の中を這いずり回っている!
鈍い痛みに頭痛、立ちくらみがした。思わず膝を着く。
左目は、僕になにか伝えようとしている? 左の眼球が、瞳の焦点が無理矢理に鼠の亡骸を目に入れようと動く。
無理矢理、違う方を向いても左目だけが……
まるで磁石のように、目が勝手に鼠のほうをぐるっと向く。
「——こいつが欲しているのは、……獲物を視界に入れることか。そうすれば大人しくなるならやってやる」
震える声でそう言った。
いざやってみれば、それは意味不明な儀式だった。
左目だけを開けて、獲物の亡骸を注視すると——
——そいつが、それを喰らい始めた。
僕の瞳が、中のものがギュルル、ギュルと蠢く。
直感的にこの化け物が、鼠の魂かなにかを喰らっているのだと思った。
血を啜るように、肉を貪るように、骨を噛み砕き、贄を力に変えてる儀式。
どんな仕組みかは、微塵も興味がなかった。
僕にできるのは恐怖しないように、顔を愉悦に歪ませないように、なんとか自身を律して目の中の化け物の食事が終わるのを待つだけだった。
「──美味しい…… ──っ!」
それほど、気持ちが良かった。
快楽だった。怖かった。
己を恥じるほど、貪りたくなるような。快楽を伴った恐怖。
鼠を食べると、左目は満足したようにおとなしくなった。
おいおい、昼寝でもするのか?
生活スタイル赤ちゃんか。僕も疲れた、ベッドに飛び込んで寝てしまいたい。
疲れたと言ったけれど、そんなの嘘だ。疲れてなんかいやしない。
むしろ絶好調だった。この怪物が食事を得たから?
疲労が綺麗さっぱり無くなっている。
心地よい疲れがほんのりあるだけ。東京でスーパー銭湯行った時のこと思い出すなぁ。
全身の筋肉に神経が満遍なく通っているような……
今なら…… 大抵のやつに腕相撲で勝てそうだと思った。大男と取っ組み合いをしても、相撲でも、関節技の掛け合いでもなんでも。
意味不明な感覚だが試してみてもいいと思うほど、全身に漲る力に恍惚としている自分がいた。
調子にのっていいものかどうか。わからないぞ。
ていうかもしかして、これが僕のチート?
「……よっ!」
跳躍し崩れた壁に指を引っ掛けて懸垂してみようか。意味がわからないものに飲まれそうになる前に、さっさと切り替える。
トン、……と飛ぶと——
ちょっと待て。
跳躍力がすごいことになってる。
一旦降りて、崩れた天井を狙う。
「嘘でしょ……」
あまりにも容易すぎた。
バスケのゴールのバックボードよりも高い場所に指を引っ掛けている自分に驚く。
垂直跳びで、……ここまで軽く飛んでしまった。
ぶら下がっているだけでも、両手で懸垂する必要もまるで感じない。
恐る恐る片手で懸垂すると、30回やってようやく少し腕が痛くなるくらい。
身長は178センチ、体重が70キロ。
片手で70キロの自重を30回、勢いも使わず楽々とできた。
いったい何回できるのかもわからない。
指の一本一本にも、神経が隅々まで通っているように感じる。
あまりの変化に放心状態で立ち尽くしていた。
左目がギュルと動いた。
身体能力が上がったのはいいけど、これは左目に何か喰らわせるたびに上がるのか?
でも、日常に戻りたいんだけど。戻る方法は? というかここはどこ?
いやいや戻ってどうするんだよ。
こっちの方がマシなんじゃないか?
そうだとしても、……ここは人里からどのくらい離れ過ぎてるんだろう。
魔物がいることも含めて、素直に左目の怪物に感謝しといたほうがいいのかもしれない。
これが僕の力になってくれるかも?
無理矢理に己の左眼球に寄生しているらしき怪物に感謝していると——
——マオ、マオ、マオマオぉー!
廃墟の外で、何かの鳴き声が聞こえた。
身を乗り出して外をみると──
丘陵地帯で、巨大なダチョウのような魔物が二足歩行の犬とたぬきを合わせたような魔物を追いかけていた。若干テディベア感もある。それが大きなリュックサックを背負っていて、二足歩行のダチョウ的な魔物から逃れようとしていた。
——マオマオ! タスケテェー!
ぬいぐるみみたいな奴が、不思議生物が叫んでいた。
「──ティモシー。行くなよ……、様子見すべきだ」
この世界は普通じゃない。元いた世界とは違う。
ここの生き物たちをみて僕は理解した。当たり前だ。様子見一択。
あの変なイヌ狸だって安全かも分からない。見た目はすっごくかわいいとしても、だ。
でも、……そんな考え自体がわずわらしくなった。
体は…… 勝手に動いていた。
爆発的に動き出して、棒を手に取り、窓の外へ飛び出した。
速度を上げながら見渡す限り緑のの丘陵地帯を駆け降りる。
平原に廃墟がいくつかあるだけの場所。
「これでも食らえ!」
走りながら拳大の礫を拾い上げてダチョウの化け物に投げつける。
適当なフォームなのに150キロ以上出ていたと思う。そのくらいの速さだった。
吸い込まれるようにダチョウの胴体に礫が当たった。
一瞬ダチョウが怯んで、足を止めて混乱したように、足踏みした。
「マオマオぉー!」
犬ダヌキが声を張り上げながら、こちらに向かって駆けてくる。
ダチョウがそれをみて走り出す。
足に一部の恐竜がもっていたような大きな鎌のような鉤爪が見えた。
「──あれに切り裂かれたら……」
ゴクリ、と唾を飲み込んだ。ネズミの化け物なんかよりよっぽど強そうだぞ。本当に助けて良かったのか? やっぱり様子見していれば……。さまざまな考えが浮かんでくるのは頭を振って振り払う。
ーマオマオぉぉぉぉー!
こちらへ来たいぬだぬきを抱き寄せて、自分の後方へ逃す。時がスローモーションになったみたいだった。
いぬだぬきのすぐ後からダチョウがこちらに突進。足を前に出して身体ごと突っ込んでくる。
鉤爪が目の前にきて──
寸前で、避ける。
躱している間。鉤爪をまじまじと注視するように見た。スローモーションのようにゆっくりと、詳細をズームインするように爪、足の皮膚の角質の感じ、目線を少しずらし、ダチョウの魔物の軸足や、バランスなどまでが、全て──見えた。
躱しながら、一歩前に出た。
足よりも後方に位置していたダチョウの頭。それめがけて腕を動かした。
ふるった腕が鞭のようにしなり、自分がやったとは到底思えないほどの威力、速度で棒が振るわれた。頭蓋骨を砕いたような手応え。
ダチョウは転げながら通り過ぎていって、倒れたまま起き上がらなかった。
自分の力に思わず、息を呑んだ。
「──僕が、……今のをやったのか?」
「マオマオー! ありがとぉー!」
「──へ?」
振り返ると、イヌだぬきが泣きそうになりながら抱きついてきた。




