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死降る雨の時代

 


 雨が降った。植物が腐食し、枝が、幹が捻れた。芽という芽が枯れた。生物は目をかきむしり、新鮮な血液を求め喰らいあった。

 猛禽が見境無く地上の生物を襲った。目玉をくり抜くように嘴を突き立てる。己よりも大きい獲物を離さんとばかりに鉤爪でつかんでは、逆に翼を砕かれ地に落ちた。猫が鼠の群れに肉の1片たりとも残らずに喰われた。人が食らいつく飼い犬を殴打し喰らった。森の猿が、魔獣が血を求めて彷徨う。人も猿も獣も虫も鳥も。


 何もかもが、これが降った地では、蛭を貪る蛭となり死に絶えた。


 死に絶えた屍の後、命が循環し、新たなる種の芽生えは血の雨によって育まれることとなった。


 息吐くことも息吸うことも。全ては血を吸うために。血烏が空を埋め尽くした時に降る雨は血雨とも死雨とも呼ばれ、それ以前の全ての生物に忌み嫌われた。


 フリージア南西部に位置する砂漠の塔の都ケークスは、新たな時代の、その災いの起こった最初の地であった。




 @@@



 咀嚼音が聞こえる。

 死者が少しでも新鮮な血を得ようと肉にがっつく音。死者が既に死んだことを知らず、生きようともがく音。


 粘着質な糸引くような雨が降る。ぼたぼたとトタン屋根に降りかかるそれが排水管にまとわりつきながら流れ落ちている。最初は血のように赤い雨、今は暗い青と鉄の混ざったような色。飲水は汚染され、それを飲めばたちまち気が触れる。魔術でじっくりと浄水しなければ、とても飲めるようなものではなくなった。


 恐ろしく喉が渇く。口内にある唾液が、それがあろうとも喉奥から強烈な渇きを本能に訴えかけてくる。なにか、飲みたい。泣いて懇願して、どんなことをしてでも。


 この渇きを潤したい。でないと己が壊れてしまう。意識を乾きに向けただけで、とても耐えられない。精神に修復不可能なヒビを入れられてしまったのだと確信するような呪い。


 ケークスの住民が、市民たちが⋯⋯


 あの災害を起こしても被害がないようにしていたのに。もう見る影もなかった。塔の入口は壊れ、魔物が好き勝手に行き来するようになった。市民はぼんやりと歩く餌に変わり果てた。しかし、それは病にかかったということでもあって、それを食べた魔物もまた病にかかった。感染したら、もう感染したものからは襲われなくなった。その後は感染していなそうな、素早く動くものに反応して襲うようになった。


*


 「⋯⋯姫様」

 「シーッ! 爺っ、勘弁してよ。もうっ」


 漁村。灰色の浜に灰色の死体。天日干しされた魚に蛆湧き、それが苦しむようにのたうち回りながら灰浜に落ちる。熱の籠った砂が蛆をゆっくりと焼くと、蛆の中から糸のような寄生虫が突き破るように出て来ては同じようにして死んだ。

 人や、鳥、鼠、猫に犬などの、蠢く、這いずるものはすべて行動を制限されているように足がなかった。そこを二人の人間だけが悠々と歩く。


 姫と呼ばれた女が、這う生き物たちを見て顔を愉悦に歪ませる。鎖帷子を着込んだ老年の騎士がその斜め後ろを歩き、警戒するように辺りを見回す。


「ほら、やっぱりもう残ってないわ」


 女が口をとがらせて言った。


「まだ、警戒するにこしたことはございません」

「貴方は、真正の心配性ね。あのね、老いたら今まではなんてことなかったからって高を括るのが普通なのよ?」


「そうなったなら引退時でしょう、姫様。それよりも血が必要です」

「そうねぇ、美味しい血がほしいわね。あんなふうに苦しんで死にたくないものね」


「左様でございます」

「では向かいましょう。あーあ。確認しなきゃいけないことだらけで、私考えるだけで眠くなっちゃう」


 通り過ぎた家の窓ガラスを鏡がわりにして己の顔を映しながら女が言った。美しい白い歯を見せると、鋭い犬歯が2本鏡に映っていた。


 ーねぇ、爺? これからうーんと楽しいこと始めましょう? だって私、人間を超越しちゃったんだもの。まずは下等生物を支配してね、セルシティ皇族の使命に則って⋯⋯。人間を一人残らず堕落させないとね。


 ーはぁ、大変素晴らしい考えにございます、姫様。



 ==


 *コーネリアス・アスタリウス・セルシティ:セルシティ帝国第7皇女 18歳

 種:ホモ・レギス


 とある理由から特級危険人物として帝国諜報部から密かに命を狙われていた。察知したコーネリアスはお付の爺であるガリウスともにお忍び旅行として帝国内から行方をくらませていたが、なんと彼女が潜伏していたのは占領下にあったとフリージアは塔の町ケークスだった。


(ティモシーがいた地球ではコーネリアスは男性名、コーネリアが女性名ですが、この世界ではその違いは形骸化しています)


 *ガリウス・ルシアス・アグリコラ:皇女付き侍従 元セルシティ帝国軍人、80歳。

 種:ホモ・レギス


 ガリウス・アグリコラはルシアスの名門氏族から農民に落ちた家の子だった。父は貴族だったが、実質農民であり、ガリウスは農場で育った。

 幼い頃より剣、弓、魔法、狩猟、魔物のテイム。全てで非凡な才を発揮したと言われる。12才で親に特別奨学金目当てに軍に売られる。


(*帝国士官学校の特別奨学金とは:学業や、その他の軍人として役立つ分野で突出した結果をだした子どもを軍が引き取る政策。主に貧しい家庭から天才が出た場合にそれを貧困のための犯罪などへの道から救い出す目的で作られたが、実質軍による人買いでもあった。金額は時と場合によるが、数年分の生活程度。親とは10年連絡はとれなくされ、戸籍上においても軍子の枠にはいる。(生涯軍以外の就労は許可は下りない限り不可)


 14才飛び級で士官大学校を卒業してからは、帝国史上もっとも傑出した軍人と呼ばれた。史上最年少22歳で陸軍大将になり、その後内部での嫉妬と政争に巻き込まれ、海軍に実質的左遷されるも、3年で海軍大将になり、中央に影響力を及ぼし始めるが再び政争に巻き込まれ、空軍に左遷された。その後2年で空軍大将になり、再び政争に巻き込まれ、皇帝から直々にもう近衛に、と告げられ陸海空の3軍から距離を置くこととなった。


 30で近衛師団長となった。遡ること約40年前、ガリウスは悪名高きトゥーレ族率いる草原帝国が30万の軍勢をもって西方攻めを行った際、西方国家連合の将として参加しなかった。


 これは近衛として帝国内にいろ、ということであって最もなことであったが。

 文化ある西方の正しき兵士たちと文化なき野蛮人の戦いは熾烈を極め、ついには西方国家連合は総崩れになり、一度ならず二度までも虎の子の軍勢が蹴散らされてしまった。この時帝国の朋友レッテ王国も領土の半分を蛮族に荒らされ、略奪の限りを尽くされた。


 大戦は中央の雄アインズ王国と帝国の一部の軍だけがまともに蛮族とやりあえる状況。

 他国の防衛に手は回らず、降伏する国が次々と現れ始めた時、皇帝と軍がお願いする形でガリウス・アグリコラは帝国軍の指揮を執ることとなった。

 この時ガリウスが要求したのは総軍の完全なる指揮権(皇帝並の)と軍と元老院の人事権でり、眼の前まで蛮族が迫ってきていた皇帝はそれを許可した。


 総軍元帥となったガリウスは3日で軍を整え、まず目の前の蛮族を駆逐した。さらにレッテで暴れ、帝国の鼻先にも攻撃を仕掛けてきていた草原帝国の大軍勢をわずか2時間で撃滅。

 そのまま突き進んだ帝国軍は草原深くまで獲物を追い立てる猟犬の如く後退させた。


 ガリウス率いる帝国軍は拠点を築き、占領されていた小国家を解放せず占領することを選んだ。レッテの半分も、その東方も全てが一時的に帝国領となり、その版図は3倍に膨れ上がった。ガリウスはそのままその全てを帝国にせんとしたが、次の戦いで草原の主な族長たちをガリウスが討ち取ったことにより草原帝国が瓦解。誰も指揮を取るものがいなくなった時点で脅威は去ったとして、皇帝がガリウスに帰還命令をだし、さらに名誉総軍元帥としてそのまま引退するように伝えた。


 これは権力をガリウスにより剥奪された元老たちや軍上層部、さらにはガリウスの台頭を恐れていた者たちが一斉に皇帝に換言した結果であった。皇帝もまた、目の届かない東方にガリウスが帝国の足をつくることに恐怖したともいう。新しく作られた帝国は皇帝でなくガリウスのものになると誰もが感じたのだった。


 この結果は全てがガリウスの才覚のなせる技であり、ガリウスにこれ以上の資源、土地、マンパワーを与えれば、もう彼を止められるものはいなくなる。そして彼らは幾度となくガリウスを潰そうとしてきたことから、報復を恐れた。またレッテもガリウスを恐れた。助けられ、解放されたもののその土地を帝国のものとしたガリウスに対しての不信感からレッテ貴族たちはこぞってセルシティ皇帝に献金し、ガリウスの引退に途方もない額の支援をした。このときガリウス暗殺に動いたレッテ貴族の氏族はガリウスにそれを察知され、突如攻め込まれ根絶やしにもされた。これに関して異議を唱えた内外の人物もガリウスは人事権と武力でもって叩き潰した。


 が、ガリウスは「私は皇帝への忠誠心から作られた」といって忠実に勧告を受け入れて引退した。引退の際には皇帝を殴りつけて昏倒させたとも言われる。その後は表舞台から姿を消していたが16年前。

 皇女コーネリアスの後見人になることを了承。これはコーネリアスの母がガリウスの元恋人の娘であり、また出産後に流行病でなくなった縁もあって了承されたが、ガリウスの伝説を知る帝国の年寄りたちに大きな緊張が走った瞬間でもあった。ガリウスがついに戦争から政争に足を踏み出した、と。




 @@@



「修道騎士、目覚める」



 瓦礫を押し上げる、どうにか生き残れた。ただし、もう街は死んでいた。


 塵と粘着質な血痕が、地に、壁にへばりついている。血の雨の降る中でボロボロの服の──市民たちが襲いかかってきた。


 正気を完全に失いグールに近い存在へと堕ちた市民が、イグナッソ兵が全ての生き物の形をしたものが自分たちを喰らおうと口を開け雪崩込んでくる。頭が正常に働かない。必死に抵抗した。見た顔の市民の頭を、掴んだ石で叩き潰し、それに噛まれた市民を助けるために噛んでいるそれの頭を蹴り壊した。掴みかかろうとして躓き転んだそれの下顎を踏み潰す。大槌で残った頭部を突き壊す。背後から掴み押し寄せる、それを身体を、武器を、振り回して剥がした。


 それは普通の戦争時の人間の動きではなかった。痛みも恐怖もないように、ただこちらを獲物とすら認識しない、皿の上に置かれた料理としてしか見ていないものの動きだった。噛みつかれた市民がそれと同じ様になったのを見て、噛まれてはいけないのだと理解した。300人以上頭部を潰した。頭部さえ潰せば、動かなくなる。


 自分はまだ良かった。スティングが苦戦していたようだった。矢を放っただけでは、当てただけでは止まらないそれを止めるために必要な矢玉がない。短剣を使い戦っていたのだろう。短剣を片手に死に、今はそれになっていた。左腕が無くなっている。喰われたのか引きちぎられたのかは分からなかった。ミリアムの亡骸は首と腹がなくなっていた。動いてすらいない。


 アイゼンは手当たり次第に剣を振り回す、それに成り果てた。


「おい、どうすんだよ。⋯⋯これ」

「⋯⋯とにかく。生き延びろ、一度あそこの尖塔にっ」


 ロクシュタインが己の副官の首を切り落としながら言った。


「お前はウチの棟梁を担いでくれ。脳筋の仕事だぞ」

「⋯⋯そうだな」


 ボロボロの姿のリーダーを見る。


「お前たちが寝てる間に、この市民を2000人以上殺しながら守ってた」


「俺等をか⋯⋯」

「ああ、途中で起きたスティングやアイゼンが手伝ってくれたが⋯⋯」


「とにかく、いこう。頭が現実を受け入れられなそうでな。このままぶっ倒れちまいそうだ」

「そうだな。もうなにも考えるな。行くぞ」





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