14
深い青空に子供の歓声は抜けていく。相変わらず三十度を超える暑さだったが、賑わいに押し上げられた空の高さが過ごしやすさを感じさせた。
平日とはいえ夏休み、遊園地はそれなりに盛況だった。入場口からすぐの広場には花時計があって、その向こう側に人工の岩山がこんもりそびえていた。案内によると急流すべりらしい。最初にそこへ向かった。女子たちはきゃあきゃあ悲鳴をあげ、男子三人は意地でも叫んでなるものかと我慢比べをしながらずぶ濡れになった。
丸いゴムボートから降りて、灼けたレンガ道のメインストリートを歩く。両側には飲食店やグッズ売り場、ゲームセンターが並んでいる。行き交う人々は子供が多く、当然ながら夏の装いだった。
俺たちも男子は全員がズボンにTシャツという動きやすい恰好をしている。女子では三条が水色のフード付きワンピースだった。細長いシルエットに、身体のラインが見え隠れするのを、見てはいけないと思いながら見てしまう。
野木は白いスカートに、薄い緑色のシャツを羽織っている。髪をシュシュで束ねて、女の子らしい恰好だった。待ち合わせに現れたとき、それとなく北村に自分をほめるように誘導していた。
そしてもう一人、野木と仲の良い富田千鶴という女子がいる。彼女は黒い短髪に涼しい目をした大人っぽい奴で、服装も色の濃いジーンズとシャツというシンプルな格好だけれど、それが様になっている。
水に濡れたそれぞれの服を日の下で乾かしながら、誰が決めるわけでもなく、手当たり次第にアトラクションを楽しんでいく。まだ左腕にギプスをつけた北村は「もったいないし」と言いながら、ジェットコースターにも乗った。
主には野木が積極的に話しかけて、北村を引っ張っていき、一段下がって富田がいて、その後方で原田がすきを見ては三条に話しかけている。遊びに出ても相手は見知ったクラスメイトで、俺たちは学校での関係性をどこかに引きずっていた。三条は他の女子二人とは距離があるようだし、俺も三条にばかりは声をかけられない。それでもなんとなく気にして彼女を目で追うと、ときおり視線がぶつかった。するとどこか困ったように、何かを言いたげに笑うのだった。
一通り楽しんでから、遅めの昼食のため食堂へ入った。出入口の券売機でそれぞれに食べたいものを買って、空いていた長机に座る。ごく自然に男と女でわかれた。ちゃっかりと北村の正面に座った野木の隣に富田、三条が続き、その正面に原田が座る。北村も原田も上背があるせいで、間に挟まれると俺の小ささが強調されて嫌だった。
「そういや、藤村と遊ぶのって久しぶりな気がするなあ」
カレーに乗ったカツをスプーンで一口大に切りながら、原田が懐かしむように言った。
「そうだっけ?」と、唐揚げ定食のキャベツを先に片付けていた手を止める。
「野球で顔合わせてるからあんまりそんな気しないけどさ。小五くらいだっけか、付き合い悪くなったなって話、したことあるんだ、なあ」
原田が顔を向けて野木に訊ねる。野木と原田、そして俺は小学校が同じだった。
「は? 私別に、あんたたちと仲良くなかったから知らないけど」
「あれ? だっけ?」
「誰と勘違いしてるんだか……」
「なあ藤村、なんとなく聞けなかったけど、なんで?」
「あー……俺が夕飯作ってるから。たぶん、時期的にそれじゃないか」
「えっ、うっそ。藤村、料理なんてできるの?」
意外と一番食いついたのは野木だった。彼女の声の大きさに、蓮華の上にミニラーメンを作っていた三条は一瞬だけ固まって、また動き出す。
「まあ……簡単なものなら……」
「えー意外。料理男子じゃん」
「野木は料理する?」
「私? 全然。まあイマドキ、女だからって料理上手くならなくてもいいかなーとか」
「上手いに越したことはないと思うけど。なあ、北村」
「え?」
話を振られて、まったく考えていなかったというふうに口を開けてから、「そうだな、下手よりは上手いほうが良いかな」
「へー、そうなんだ」
素っ気なく言いながら野木は、わかりやすく思案顔をする。ちらと北村の顔をうかがうが、それに気付いた様子はない。
北村の横顔から人影が現れて、ほとんど無意識にそれを追う。食事をしていた親子連れだった。出口に向かう彼らの姿を追っていると、同じようにその客を追いかける三条が視界に入った。首が回らないところまでいくと、ふいと顔がこちらを向いた。
目が合うのが恥ずかしい気がして、さきほどまで親子連れがいた席に視線を逃がす。座席にぽんと置かれた財布があった。
「ちょっとごめん。すぐ戻る」
財布を拾って、彼らを追いかけた。すでに外へ出ていたが、幸い夏休みの平日だ。大人の背丈は目立ってすぐに見つかった。こちらが申し訳なるくらいにぺこぺこと頭を下げる父親に、頭を下げ返してみんなのところに戻ると「おつかれー」と、からかわれた。
「よく追いかけられるね、藤村」
感心しているのか小馬鹿にしているのかわからない声で野木が言った。
「なんで? 放っておくわけにもいかないだろ」
「その人のかどうかわからないじゃん」
野木の言葉に、原田が肯いた。
「とりあえず店員に渡せばいいかって思うよなー」
「そんなもんかな……?」
席に戻った俺の肩を北村が軽い調子で叩いた。
「それじゃあそんな良いことをした藤村に、このあと何に乗るか、決めさせてあげよう」
「じゃあ……」
と、案内図を思い出す。なんとなく、全員が同時に乗れるものが良い。最初に乗った急流すべりみたいな。「コーヒーカップにしよう」
「コーヒーカップ?」
富田の眉間にすっと皺が寄る。勘のいい奴だ。
「もちろん全力で回すぞ」
野木の肩を借りた富田は、三条から借りたタオルを口元にあて、ふらふらと歩く。近くに見つけたベンチに倒れ込むと、浅く腰かけて脚を投げ出し、背もたれに頭を載せ、たいへん行儀が悪い。後から自販機で水を買った北村が追いつき、富田の隣に座った。
「はいこれ。大丈夫?」
「……ありがと」
ずるずると身体を起こす。お金はいいとジェスチャーで辞する北村を無視して、水の代金を支払った。
北村はお金を財布にしまいながら、
「俺も今ので腕が攣りそうだから。しばらく休んでる。みんな適当に乗ってきたらいいよ」
そういえば北村は、折れた腕をかばって、反対の腕だけで回転に耐えていたように思う。
富田は水を飲むのを中断し、
「え、そんな。悪いよ。ってか、悪いのは藤村だけど」
「一番気合い入れて回したのは原田だけど」
あくまで事実を言っただけの俺を、富田は鋭く睨む。黙った俺の代わりに、北村が「まあまあ」となだめた。俺から視線をスライドさせて、富田は野木のほうを見た。
「ま……ちょっと吐きそうだし、いてくれると助かるけど……」
「って、ことだから。みんなは適当に行ってきて」
にこりと言う北村に野木が、
「そう? ……あ、それじゃ、ケータイの番号教えてよ。はぐれてもなんでしょ」
「ああ、そうだね」
二人が携帯電話の番号を交換し始めたころ、原田が「そういや」と、付き合いの長い俺にしかわからないであろう、演技の思い付きをした。
「俺、この中で番号知らないのって三条だけなんだけど、せっかくだし交換しとかないか」
「え、えっと……」
三条は戸惑いの視線をこちらに向ける。まるで判断を仰ぐような表情に、俺は後ろ暗い気持ちになった。三条が原田と連絡先を交換しようがしまいが、それに口出しをする権利などないはずだった。
拾うことのできない捨て猫と目を合わせてしまったときと同じ、真っ黒な霧が胸を苦しくさせて、逃げるように視線をそらす。その先でばったりと富田と目を合わせてしまい、さらに明後日の方向へ逃げる。遠い山並みがいやにくっきりとしていた。
足の置き場をさがすような「あ……それじゃあ……」という声が、重く背中にのしかかった。
コースターの走る轟音と楽しげな悲鳴が頭上から降ってくる。この遊園地で一番人気らしいジェットコースターは、それでも三十分待ちだった。乗り場に向かう細い上り坂で自然と二人ずつの並びになる。俺は前にいる三条と原田の後ろ姿を、ぼんやりと見つめていた。
途切れがちな会話はずっと原田から話しかけていて、三条は慎重に受け答えをしている。どちらも懸命そうだったけれど、原田は確かな一歩を積み重ねていく懸命さであるのに対して、三条のそれは踏み外さないように神経をとがらせる懸命さであるように思われた。身長の差が、そういう印象にさせるのかもしれない。
袖口ぴったりに膨らんだ原田の腕はたくましい。筋肉に支えられた身体はどっしりしていて、本人の落ち着きもあって、十分大人と見紛うほどだ。
お似合いだなと思った瞬間、暑さも喧騒も、他所事のように遠く感じた。自分の肉体がひどく不自由な殻のように感じられて、出口を求めた感情が、しかし身動きひとつできないでいる。
二人のことを気遣うふりをして、その実はどちらの気持ちも裏切って、ただ決断を先延ばしているだけだ。なるようになれと、どちらの立場にも立てないでいる。
義理や人情で二人を応援しようとするのなら、そうと踏み切れないのはいったい、どうしたことだろう。
叫ぶこともままならないままに、園内を疾走したコースターが元の場所に戻った。それでもずっと揺られているみたいな気がした。地に足のつかないまま遊んでいると、だんだん暮れるのが早くなる太陽が、西空に下りてきた。
「うち、七時には帰れって言われてるんだけど」
別に不安がるでもない富田が、通りに立った時計台を見ていった。五時四十分だ。電車を含めて移動が四十分ほどだったから、もうそれほど時間はないということになる。ふと周囲を見れば、人の数は減っていた。
「そうなの? じゃあそろそろ帰らないとだ」
北村が何気なく呟いて、ちらと三条を見る。本来の目的は彼女の息抜きだったが、はたしてそれは叶っただろうか。三条は遠慮がちに、輪のはずれでぼうっとしていた。
「それじゃ、最後にあれ乗ろう」
野木がぴっと上空を指す。その先には観覧車が染まりゆく夕空にゆったりと回っていた。
観覧車は敷地の一番奥の、すこし高くなった場所にあった。近づくほどに大きさがわからなくなって、かわりにゴンドラの動きがはっきり目に見えた。
「六人は多いかな」と、誰かが言った。
まるでそれがスタートの合図だったかのごとく、野木が北村の手を引いて飛び出した。
「じゃあ二人で乗る」
まったく鮮やかにゴンドラに駆け込んで、二人はゆるやかに上昇していく。
困ったのは残された俺たちである。どういう組み合わせにするのが正しいのだろうと視線が交錯し緊張が走った。原田は何かを期待する目でこちらを見るし、三条も助けを求めるような視線をくれる。
正解がまったくわからない。どちらも正しくて、間違っている。
「……四人でいいよね。男同士で乗りたいなら、別だけど」
富田がどうでも良さそうに言った。その素っ気なさに救われた。一周約十五分。景色を眺めながら他愛のない会話をしているうちに回りきった。
いよいよ帰るのだとなると途端に、誰の頭にも新学期がちらつき始めたらしく、合唱コンクールや宿題や、一年後に迫る受験のことを話題にしながら歩いていると、出入口前の広場で富田が、「ちょっとお手洗い」と、売店のほうへと歩いて行った。「俺も」と言い残して、小走りに後を追う。
「富田」
振り返った富田は、露骨に嫌そうな顔をした。短い髪と切れ長の目が、それに迫力を与える。原田とはまったく別方向で大人っぽい。
「トイレに行くって言ってる女に声かけないでよ」
「あ、ごめん。その……ありがとう」
「は?」
富田の瞳が俺の背後に向けられて、そして目の動きだけでついてこいと言う。アイコンタクトの上手い奴だ。
売店に入ると缶入りのクッキーや、よくわからないマスコットのぬいぐるみを手に取って、つまらなそうにそれらを見る。
「あたしはさ、晴美の友達なわけ」
晴美? 少し考えたけれど、野木の名前だ。
「知ってるけど」
返事をしながら手慰みに、使いづらそうなボールペンを取った。ノックカバーの上にマスコットがついている。意味もなくカチカチとした。指が痛い。
横目でじっと俺の顔を見ていた富田が、心持ちゆっくりと、言葉を選ぶように言った。
「あの子素直だから、気付いてるんだろうけど、好きだから。あたしはまあ、だから、友達の応援してるだけ」
「そうか。でも、ありがとう」
富田はふいとよそを向く。
「面倒なことしてるのね、あんたたち。あたしだったらごめんだわ」
「……まあ、な」
「野球やってるような奴って、もっと男らしいと思ってたわ。二人そろってなんでそんなにもじもじしてるの? 気持ち悪い」
言葉に棘はあるけれど、不思議と鋭くはない。「気持ち悪い」の言い方が、変にやわらかいからだろうか。そういう自分の率直な感想を、罵倒ではなくぶつけられる物言いに、やはり富田千鶴は大人っぽいと感じた。
「なあ富田はさ、もしも野木と同じ人を好きになったら、どうする?」
「あたし? さあ、知らない。そうなってみないとわからないし……」
そう言いながら、すっと目が細くなって、物思いに耽る。たぶんいい奴でもあるのだ。「そうだな……どっちのほうが好きか、じゃない? やっぱり面倒だなあ」
鼻から息の抜けるような笑いをして、富田は姿勢を正した。
「じゃ、そろそろ本当にお手洗いに行くので」
せめてタイミングはずらせよという意志を感じる背中が、売店を抜けてトイレの方に消えた。十分に時間を置いてから、ほとんどアリバイ作りのためにトイレに寄って、みんなのところへ戻った。
そこに三条の姿はなかった。トイレだろうか。しばらくして富田が戻ってきたが、三条はなかなか帰ってこない。
「遅いな、あいつ」と、野木がすこし苛立った声を出す。
「そんなに混んではなかったけど」
フラットな調子で、富田はトイレの方を見る。
どこへ行ったのだろうかと、何気なく携帯電話を確認すると、三条からのメールが届いていた。
『観覧車前のベンチに来てください。一人で』
なぜだか、どうするべきかと考えた。理由は分からないけれど、一人で来いというのだから、そうすればいいのに。
「あー……なんか、迷ってるっぽい」
「ええ?」
北村が不思議そうに眉をしかめた。
「場所はまあ……わかるから。富田、門限あるんだろ。みんな先帰ってて大丈夫。すぐ見つかったら、追いかけるし」
ほとんど言い捨てて俺は駆け足で奥へ向かう。一度振り返ってみると、みんなはどうしたものかというふうにその場に立ち尽くしていた。
辺りは茜色に染まっている。長い影をひいて歩く人は、どれも心地良い疲労の笑みを浮かべている。メインストリートを抜け、メリーゴーランドを通りすぎ、ジェットコースターのうねったレールを横目に走って行くと、観覧車の脚が見えてくる。イベントを催すこともあるのか、そこはぽかんと空いていて、植木のそばにひっそりとベンチと街灯が設置されていた。三条はその木陰で、ちんまりと座っている。
「どうした。迷ったの?」
声をかけると、ゆったりとこちらを見上げてから立ち上がった。
「えっと……その、せっかく遊園地に来たんだから……二人で乗りたいな、って」
照れというより恥のために頬を夕陽色に染めて、伏し目を観覧車の方に向けた。お互いにぎこちなく、緊張したまま観覧車に乗り込んだ。ゴンドラはゆっくりと上昇してゆく。
三条はいつの間にか手にした財布を膝にのせ、犬のマスコットを指でいじっていた。
「私……遊園地って聞いて、あっちだと思ったんだ」
身体をひねって背後を振り返った。先を行くゴンドラの後ろには駐車場があって、その向こうは住宅街。ずっと遠くに黒い山並みがあった。
「あ、ここからじゃ、見えないね」
「あっちって?」
「山の上にあるんだ、遊園地。知らない?」
「ああ、そういや」
山上遊園地には、遠足だかなんだかで遊びに行った記憶があった。「でもあそこってもう……」
「そう……なんだ」
三条は目を伏せて、まつ毛を震わせた。太ももの上で、妙に手足の長い犬のストラップを指で撫でた。
「あそこのキャラクターなんだよ、これ。お母さんが職場に復帰するちょっと前に、お父さんと三人で遊びに行ってね。うちはあんまり出かけることなかったから、私の記憶にある中で、家族そろってお出かけしたのって、それだけなんだ」
うつむき加減になった顔には寂しそうな影がおりるのに、その口元だけは懐かしむような笑みを浮かべている。それはあまりに哀しい調和だった。
ゴンドラと鉄柱に遮られた夕陽が、ちらちらとそんな三条を照らしている。昼でもなく夜でもない光の中で、子供でもなく大人でもない憂いが浮かんでいた。




