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「銀華さん!?危険です、下がって!」
だが、銀華さんは俺の言葉など聞こえていないかのように、両手を広げたまま俺達の前に立ちはだかっている。
「翡翠さんは、もう気付いてるはずだよ。あなたはもう、本当の愛を手に入れているはずだ。こんなにも……、こんなにも蒼月さんや、ヒロ君に愛されてるじゃないか」
「ホホホ、世迷言を申すな。現にあれほど愛していると言った蒼月様とて、妾を封じ、あまつさえ焼き殺そうとしたではないか。人の愛など移ろいゆくものじゃ」
「翡翠……」
その言葉に、何も言い返すことはできぬのか、親父はつぶやくだけだ。
「違う!あの炎は、人間が浴びて平気なものなんかじゃない。蒼月さんは、翡翠さんと一緒に死ぬ覚悟でアレをしたんだよ。もしも愛していないなら、何でそんなことができるってのさ!」
「フン……。確かに蒼月様の情熱は認めよう。だが、たとえそうであろうとも、妾は愛する緋色と一つになれれば良いのじゃ」
「ふん!そんな嘘っぱちの愛なんて……。こっちこそ笑わせないでよね!」
「なんじゃと……。何と言うた……?妾の愛が、嘘……?」
銀華さんのその言葉に、狂気を纏っていた九尾の感情がわずかながらに揺らぐ。
「だってそうでしょ。翡翠さんの言ってるのは、一方的に貰うだけの愛情じゃないか。じゃあ、翡翠さんは周りに何を与えてるのさ!」
「わ、妾は、蒼月様と緋色に、大いなる愛を……」
「それはいつの話さ。大昔の話じゃないのかい?封印が解けたあなたは、二人に何をしてあげたのさ。いいや、二人だけじゃない。お父さんのように接してくれた源左おじいちゃんに、あなたは何をしたのさ!一生懸命お世話をしてくれた夜叉丸さんに、どんな仕打ちをしたのさ!お兄ちゃんのようにヒロ君に接してくれた成田っちに、どんなことをしたのさ!蒼月さんやヒロ君は、翡翠さんだけじゃない、そんな家族同然の人達にも、たくさんの愛をあげてたんだよ!今の翡翠さんは、皆に何をしてあげてるのさ!」
「こっ、小娘の分際で、何を偉そうに愛を語るか!」
激高したのか、九尾は危険な妖気を漂わせる。だがそれは、明らかな動揺を含んだもの。翡翠という人格、心の奥底を垣間見せるものだった。
「ああ、確かに僕は小娘さ。あなたより遥かに生きている時間も少ないし、子供どころか、恋人だっていない。ママと過ごした時間もわずかなものさ。でも、貰ってきた愛情は負けないつもりだよ。だってママは、一緒に過ごせない分、僕にたくさんの愛情をくれたんだ。そしてそれは、単に甘やかすってことじゃない。僕が一人で生きていけるよう、厳しい環境にも身を置かせ、僕を成長させてくれたんだ。苦しい時には、そっと助けてくれたこともあった。だから僕も努力するんだ。そして成長した姿をママに見せてあげることが、僕を愛してくれたママに、『ありがとう』って言う言葉の代わりなんだ!」
「お、おのれは……。こっ、こざかしいことを!」
「それに、ママだけじゃないさ」
そう言うと、銀華さんは周りを見渡す。
「いつもは喧嘩ばっかりしてるけど、ホントはそれも楽しいんだ」
「ハッ!気味の悪いことを言うんじゃないよ。アタシは楽しくなんかないさ」
いつの間にか人の姿に戻っていたリルさんは、銀華さんの視線を受け、千切れかけた上着を羽織りながらいつものように悪態を付く。楽しそうな笑顔で……。
「クミちゃんは妹みたいで可愛いんだ。ただ、時々僕よりお姉さんっぽいのが気になるけど……」
「はわっ!?そそ、そんな、お姉さんだなんて……。わ、私が銀華さんより成長してるのは、む、胸くらいのもので……。はわわっ!な、なんでもありません!」
こちらも人の姿へと戻っていた狗巫女ちゃんは、真っ赤になって照れている。ただ、もう少ししっかり隠さないと、胸のかなりの部分が露出しているんだが……。
「弘美はさ、初めて出来た人間の親友なんだ。弘美が可愛いって言ってくれたおかげで、僕はこの耳と尻尾を隠す機会が、随分と減ったんだから」
「銀華さん……。わ、私も、初めて出来た怪のお友達……、いえ、親友が、銀華さんで本当に良かったです!」
目に涙を浮かべ、銀華さんを見つめる弘美ちゃん。
「クーちゃんは、普段はツンツンして大人ぶってるのに、ホントはすっごく乙女なところが可愛いんだよね。ヒロ君LOVEなところとかさ」
「きっ、貴様!な、何を根拠にそんなことを!」
図星を突かれ動揺したのか、クーコは思わず人の姿に戻る。だが、その雪のように白い顔は真っ赤になっている。
「リサリサは……。まあ、腐れ縁ってとこかな」
「ちょ、ちょっと!アタシだけ酷くないっすか!?」
「あはは、冗談だよ。リサリサの良い所は、いつだって前を向いてるところさ。今回だって、ホントは僕が明るく振舞わなきゃいけないところを、随分と助けられたよ」
憤慨するリサリサさんを見て、銀華さんは心底楽しそうに笑う。
「それに、成田っちだって、凛子ちゃんだって、楓だって……。源左おじいちゃんや、ここにいない狐の兄妹や、商店街の皆。今まで出合った人達全員を大切だと思い、愛することはできるはずさ。それは、人間だって、怪だって関係ないさ」
「お、おのれは……。妾の愛が、偽物だと申すか!」
「違うよ。翡翠さんの愛は本物だと思う。だって僕も、今は翡翠さんの気持ちがわかるもの。人と怪、垣根を越えた愛が、本当に正しいのかって。でも、翡翠さんはそれを貫いたんでしょ?だから僕も決めたんだ。たとえどんな結末になろうと、僕はヒロ君を大好きなんだって」
「なっ!?」
その言葉に、俺は絶句する。気付いていたとはいえ、こうもあからさまに告げられると、さすがに頭の中が真っ白になる。
「こ、小娘……。よくも緋色を……」
「あはは、よく言ったね銀華。さて緋色。アンタは銀華と狗巫女、どっちを選ぶんだい?」
「ず、ずるいリルさん!わ、私は確かに緋色さんが好きです!でも、リルさんだって緋色さんが好きなはずだよ!銀華さんと私にばっかり言わせるのはずるい!」
「ハッ……、可愛い妹に言われちゃ仕方ないか。そんじゃあアタシも参戦しとくとしようかね。てわけでよろしくね、お・か・あ・さ・ま」
リルさんは、まるで九尾を挑発するかのように投げキッスをする。
「か……、下等な人狼ごときが緋色に……」
だが、怒りに震える九尾の言葉を無視するかのように、告白は続く。
「ふっ、ふざけるな!緋色様と一番長い時を過ごしたのは我だ!実力的にも、この神仙たる我こそ、時期御門家頭領たる緋色様の隣に相応しいはずだ。それに、我は緋色様のことならなんでも知っておるぞ。なんなら、幼き頃おねしょをしたことを隠そうと、寝巻きを川まで洗いに行ったことも……」
「うおぉぉぉい!」
俺は慌ててクーコの口を塞ぐ。いや、今はその情報は必要ないからね!
「だ、だったら私だって、緋色さんのお嫁さんになる権利はあるはずです!お母さんが、ひ、ひひ……、避妊具まで持たせてくれたんですから!な、なんなら、そんな物を使わなくたって、だだだ……、大丈夫ですから!」
「だったら、アタシとセンセーはエッチ寸前まで行った仲なんだし、もうアタシでいいじゃん。2回言うけど、もうアタシでいいじゃん!」
あまりのことに、俺の頭はパニック寸前になっている。だが、それ以上に衝撃を受けていたのは……。
「おのれ等は……、妾の、妾の可愛い緋色を……。ひ、緋色に悪い虫が……」
そこにいたのは、己の価値観を崩されたのか、もはや隙だらけの九尾だった。
「クククッ。どうやら間に合ったようじゃの。おかげで面白いものも見られたわ!良くやったぞヌシ等。一世一代の女の覚悟を見せてもらった礼じゃ、後は儂に任せるがよい!」
その時、闇夜に一陣の風が吹き、黄金の突風が吹く。いや、本当に黄金の風など吹くはずがない。だが。風に揺れる金色の髪は、確かに風のように見えたのだ。
そして、風が収まった後、俺達の目の前に現れたのは……。
「マッ、ママ!?」
「き、金華さん!?なんで……?」
「カカカ、娘の婿殿の父親に頼まれては仕方あるまいて。いや、娘ではなく、儂の婿でも良いのだがな」
そこに立っていたのは、美しい金色の髪をなびかせた金華猫。だが……。
「ちょっと!いくらママでも、ヒロ君は譲らないからね!それに……、なに?その服……」
「これか?可愛いじゃろう。メイド服じゃ。こないだの帰りにアキバに寄ったときに見かけての。なかなかいいじゃろう?この国で作られる物のデザイン、品質は本場のものなど遥かに凌駕する出来じゃぞ?いかがですか、ご主人様ぁ~ん」
金華さんはメイド服のスカートの裾を上げ、俺に向かいウインクをする。いや、アンタが暮らしてきた国のほうが、絶対にメイド文化は発達してるはずだろ。なのに、なんで日本のメイド喫茶の、なんちゃってメイドの真似してんだよ!
「はあ……、似合ってますよ……」
だが、こんな所で争っていても仕方ない。俺は大人の対応として、心にも無いことを言って金華さんのアピールを受け流す。いや、正直に言えば心にも無いことはないのだが……。
実際、メイド姿の金華さんは思った以上に可愛かった。
だが、九尾を前にしてこの緊張感の無さはなんなのか。いつ激怒して襲ってきても不思議ではない。
「ヒロ君……?どういうことさ。ああいうのが好みなわけ?そういえば、初めて会った時も母様と付き合うとかどうとか、変なこと言ってたよね……?」
だが、俺の心の声が聞こえたのだろうか。怒りはなぜか全くの別方向から向かってきた。
「ちょっと!そういう意味じゃないですからね?本気にしないでくださいよ!」
俺は慌てて銀華さんに言い訳をする。当の金華さんはといえば、そんあ俺達を楽しそうに眺めている。まあ、またしても金華さんの術中にはまり、まんまとからかわれたわけだ。
「な、何をそなたらは……」
怒りに燃える目をした九尾は、目の前の光景に我を忘れているようだ。気付けばその姿は、人間のものへと戻っている。
「緋色っ!」
親父の掛け声に、俺は九尾に向かい呪符を投げつける。それは、この時のためにここに来る直前に作り上げたもの。親父と俺、そしてここにいる皆の妖力を込めた特別な呪符。
おかげでとてつもない力を秘めることになったそれは、例えクーコと夜叉丸が二人がかりであっても、簡単には抜け出せぬほどの強力な力を持つ結界の符。そんな呪符を、俺は隙だらけの九尾に投げつける。
呪符に気付いた九尾は、慌てて頭上の符を爪で切り裂く。しかし……。
「な、なんじゃこれは!な、何をした!?出られぬ!」
頭上で分裂した呪符は、頂点を中心に九尾の周りにピラミッドのように薄い光の幕を作る。慌てて爪と尾を振り回し、結界の中であがく九尾であったが、もはやそれは無駄なこと。なぜなら……。
「無駄です母様。なぜなら、それがここにいる全員の、俺達の愛が結集した力だからです。それは決して、男女の愛だけじゃありません。人が人を思いやる心の集まりです」
「緋色、そなたは、そなたはこの母を……」
「…………。あとは、親父が決めることです……」
俺は親父を見る。だが、黙って母様を見つめるその目の意味を、俺はすでにわかっていた。覚悟を決めた男の目を……。
「金華猫殿……、迷惑をかける」
「ふむ……。本当に良いのか?このまま再び封印して、時間を稼ぐという手もあるのだぞ。それに、今この場で滅ぼしたとて、九尾は必ず蘇るぞ」
「たとえそうでも、私なりの責任の取り方です。わかっていながら翡翠を愛し、己ならば何とかできると自惚れた……」
「…………。わかった。おヌシが決意したことじゃ。もはや何も言うまい。皆、下がっておれ」
そう言って金華さんは、母様に向き直る。そしてわずかばかりの時間が過ぎた頃に、母様の体がさらさらと砂のように崩れていく。
「なっ!なんですかあれ!?」
「あれが金華猫の……。噂には聞いてたけど……」
初めて金華さんの能力を見た皆からは、驚きの声が漏れる。
「ひ、緋色!母を……、母様を殺そうというの!?」
懸命にもがく母様だが、強力な結界を破るすべはない。俺は結界に閉じ込められた母様へと踏み出す。
「母様。心配しないで、今は安らかに眠ってください。ちゃんと……、俺がちゃんと、転生した母様にたくさんの愛情を注ぎますから!愛する子供が成長していくことが、親にとってどんなに嬉しいことか教えますから!だから……、だから来世では幸せにしますから、俺と銀華さんの子供として、またこの世に生まれてきてください!」
「「「「「「「えっ!?」」」」」」」
その叫び声は、誰が発したのかはわからない。ただ、俺の決意、プロポーズとも言える言葉に、全員が驚いたのは事実だろう。
「ひ、緋色……?そなたは何を……」
「もちろん、俺にだって自信があるわけじゃありません。そもそも、女の子と付き合ったことすらないんですから。でも、親父や母様、源左、成田警部、御門の皆、そしてクーコ。それに家出して出合った銀華さん、リルさん、狗巫女ちゃん、弘美ちゃ、リサリサさん。他にも、たくさんの人や怪に出会いました。その人達は、愛情に包まれた人生を過ごしてきた人達もいれば、決してそうでない人生を過ごしてきた人達もいました。でも、皆優しかった。辛い素振りなんか見せずに、周りにたくさんの愛情を注いでいました。だから、俺にも出来るはずです。ましてや、俺の惚れた銀華さんとの子供なら、あなたを愛する自信だけはあります!」
「愚かな……。そなたに捨てられた女達はどうなる?愛など一人にしか与えられぬものじゃし、いつかはそれも無くなる。いや、いずれ憎しみに変わるかもしれぬのじゃぞ!」
「…………」
その言葉に、俺は次の言葉が出ない。確かに、俺が銀華さんを選んだということは、他の皆を選ばず、傷付けたということだ。しかし……。
「ハッ、アンタの物差しでアタシ等を見るんじゃないよ!確かに緋色を取られたのは口惜しいさ。でもそれ以上に、愛する男と親友が幸せになろうとしてんだ。それを祝福して、幸せを願ってやるようじゃなきゃ、女が廃るさ!何千年も生きてきたくせに、そんなこともわかんないのかい」
「はわっ!そ、そうです。緋色さんは私の初恋の人ですけど、それ以上に銀華さんは私の大切な友達なんです。だから、二人が幸せになってくれることが、私の幸せでもあるんです!」
「フン!我は緋色様の式だ。たとえ嫌われようとも、お暇をいただかぬかぎり一生おそばにおるわ!」
「わ、私だって、二人が幸せなら、言うことはありません!そ、それにお二人を題材にした創作活動も捗りますし……」
「アタシはもう振られてるっすからね~。あ、でも初めて付き合った人と結婚する率って、案外低いらしいっすよ。昔別れた女と再会して……、なんてのは良くある話っすからね~。まだまだワンチャンあるかぎり諦めないっすよ」
「アンタは……。いい話をまぜっかえすんじゃないよ!けど、それもアリだね」
そんな皆の言葉に、母様の顔に明らかに狼狽の顔が浮かぶ。
「なぜ……、なぜ己の幸せを犠牲にして、そんなにも他人を思いやれる……。わ、妾の……、妾の愛は偽物じゃったというのか……?」
皆の言葉に何を思ったのか、急激に母様から力が抜けていく。
「違います。母様が俺や親父を愛してくれたのは、本当の愛です。ただ、少しだけ愛し方がずれてただけです。だって、親父も俺もこんなにも母様を愛してるんですから。もしも偽物の愛だって言うなら、周りの人はいずれそれに気付き、離れて行くはずです。そうだとしたら、20年近くも親父が母様を愛し続け、救う方法を探し続けるわけがないでしょう?」
「なんと……。蒼月様……、も、申し訳ございませぬ。妾は……、妾は……」
「もうよい。これ以上は何も言うな。すべては俺の責任だ。お前を信じさせ、心から安心させてやることのできなかった、この俺のな……」
親父は母様に歩み寄ると、封印の上からその体を抱きしめる。金華さんの能力の影響を受けるかもしれないことなど気にも留めず、封印に遮られ、決して届くはずのないその体を、きつく、きつく……。
「蒼月様……。妾が間違うておりました。こんな姿になって、ようやく知ることができるとは……」
その体が崩れ行く中で、涙でくしゃくしゃになった顔で母様は笑う。
「申し訳ございませぬ。この間違いを正すには、やはり一度は消滅せねばならぬようにございます」
そして母様は、俺を見る。
「緋色」
「は……い……」
俺は、自分の言葉が鼻声になっているのに気付く。だが、両の目から溢れる涙を止めることはできない。
「ようやくわかりました。子供が成長して、親の元から独り立ちして行くのが、どんなに寂しく、辛く……、そしてどんなに嬉しいものか。強い子に育ちましたね。緋色」
「う……ん……。俺……、がん……ばった……よ……」
「最後のお願いです。今更取り返しは付かぬかもしれませんが、源左達に謝っておいてください……」
「うん……」
次に母様は、銀華さんを見つめる。
「銀華さん……」
「はっ、はいっ!ななっ、何でしょうお義母さま!?」
俺の告白から立ち直っていないのだろうか。銀華さんは直立不動の姿勢で、母様の方に向き直る。
「緋色は強く、芯の熱い子ですが、実はとても寂しがり屋です。そう、まるで蒼月様のようにね。やはり親子なのでしょう。そこはそっくりですよ」
そう言って母様は笑う。まもなく、己の存在が消え去ろうとしているのに。
「だから、緋色をお願いします。そして、もしも私があなた達の子として生まれ変わることが許されるなら、その時はどうか……、どうか私に、本当の愛を教えてください」
「うん、心配しなくても大丈夫さ!僕とヒロ君の子なんだ。全力で愛さないわけがないよ。だから翡翠さんも、安心して僕達の子として生まれてきてよ!」
その言葉に、俺は唖然としていた。今の銀華さんの言葉は、俺の子供を産んでも良いということ。それはつまり。俺のプロポーズを受け入れるということで……。
「フフ……。よろしく頼みますよ。他の皆様にも、迷惑をかけました。どうか許してください……」
「ハッ!さっきもリサリサが言ったとおり、銀華との子供じゃない可能性もあるわけだからね。誰の子に生まれようが、ここにいる全員で精一杯愛してやるさ。だから安心して逝きな」
「フフフ、頼もしいかぎりですね。ありがとう、未来の母様達よ……。ああ、蒼月様……。結界越しでも、あなたの温もりを感じます。まるで、蒼月様の熱さを肌で感じていたあの頃のような……。思えば、あなたの愛を感じていた頃は、この長き生で一番幸せな時期でございました。なのにそれを……、妾は、自らそれを手放してしまったのですね……」
「もうよい!何も言うな翡翠」
崩れ行く中で、母様は笑う。それは、俺の記憶の中にある、優しい母様の笑顔だった。
「ああ……、妾は幸せでございました。なぜもっと早く、この幸せに気付かなかったのでしょうか……。お願いでございます。最後に、きつく……、きつく抱きしめてくださいませ、蒼月様……」
もはや結界の中で、ほとんどが崩れ去ろうとしている母様を、親父はきつく抱きしめる。結界越しには決して伝わるはずのない温もり。だが……。
「ああ……、熱い……。暖こうございます。妾は今、幸せにございます。蒼月……さ……ま……」
そして、結界の中の母様は砂のように崩れ落ちる。
「翡翠……、すまぬ……、すまぬ……」
結界が解かれ、まるで砂のように崩れた母様の前で、親父はうずくまり号泣している。どんなに辛くても大人は泣かない、家族を守る父親は強い、そんな理不尽なことを、いったい誰が決めたのだろう。男だろうが父親だろうが、一人の人間に違いないはずだ。
愛する者を失った親父は、人目ををはばからず号泣していた。地面に倒れ伏し、こぶしを叩きつけて……。
その姿はまるで、幼き子供のようであった。
だが、俺はそれを決して恥ずかしいこととは思えなかった。そしてそんな子供のように泣き続ける親父を、俺達は黙って見守ることしかできない。
「ヌシが人の世に何を求めたのか……。ようやくわかった気がする。次に生まれてくる時は、間違えるでないぞ。フフ……、そんな心配は不要か……」
崩れ落ちた母様と立ち尽くす俺達を見て、金華さんはかすかに微笑んだ。
どのくらいの時が過ぎたのだろう。やがて一陣の風が吹く。
それはまるで、俺達の未練を吹き飛ばすかのように、桜の花びらと一緒に、母様であったはずの欠片を吹き飛ばしていった……。
~『愛に生きた男、愛を求めたケモノ、愛を知った光、そして別れ……』編 完~




