終話 ~ 未来へ ~
誰にも平等に時は流れる。ただ、それをどう使い、どう生きるかは、己の努力しだいだろう……。
「キャハハハハハ!」
「びえぇぇぇぇぇっ!にーちゃが……、にーちゃがぁぁぁぁ!」
「こらっ!待ちなさい風太!また風華に悪戯して!」
母親らしき女性に叱られても、どこ吹く風とばかりに元気に駆けて行くのは、4歳ばかりになる男の子だ。
そしてそれを追い掛け回すのは、銀色の髪をした猫又の少女……。いや、もはや少女と呼ぶのは失礼だろう。美しく成長した、猫又の女性であった。
「もーっ!パパが甘やかすから、風太があんなに腕白になるんだよ。まったく、誰に似たのか……」
ブツブツと文句を言われながらも、ニコニコしながらソファに腰掛けているのは彼女の夫であり、男の子の父親だろう。こちらは母親と違い、ごく普通の人間のようである。見るかぎりではあるが、男の子の性格がこの柔和そうな父親に似たとは考え辛い。
少年は母親の手から逃れたが、逃走先でこの家のお手伝いさんなのだろうか、雪のように白い髪と肌を持った、狐耳の少女に捕まっている。
性格はともかく、男の子の外見は父親に良く似ている。真っ黒な髪に、意思の強そうな精悍な瞳をしている。このまま育てば、将来はさぞかし女の子にモテそうな顔つきだ。
「ありがとうクーちゃん。悪いけど、しばらく風太の相手をお願いできるかい?」
「幼児の相手など不本意ですが……。奥様のご命令とあらば、いたしかたありません。その使命、全力で全ういたしましょう。では風太様、参りますよ」
たいそうなセリフを吐く少女だったが、その言葉とは反対に、顔つきはまるで孫と遊ぶ老人のようになっている。見ていれば男の子を背中に乗せ、お馬さんごっこをし始めた。
そのデレっぷりは、かつて彼女が自らの背に乗せるのは、たった一人の男のみと宣言したのをすっかり忘れてしまったかのようだった。
「はいはいごめんね。どうしたんだい風華?」
未だ泣き止まぬのは、男の子の妹だろうか。年齢は彼より1つばかり下、3歳ほどだろう。ただしこちらは、男の子とは全く似ても似つかぬ外見である。
いや、母親の姿を見れば納得できるのであろうか。女の子の髪は、目の覚めるように光輝く銀色で、頭上には獣の耳が生え、尾てい骨あたりからは尻尾も伸びている。
しかし、不思議なのはその耳と尾であった。その頭上にあるのは、母である猫又とは違う狐の耳。そしてその尾は、二股に割れた猫の尾とは似ても似つかぬ、九つに分かれた狐の尾であった。
「にーちゃが……、しっぽひっぱったぁ~!」
「またかい?もー、風太ったら!」
一人で憤慨する母親に、父親らしき男は笑いかける。
「心配ないよ。見てたけど、軽く引っ張っただけさ」
「ちょっとパパ、見てたんなら止めてよ!怪我しないから良いとかじゃなくて、この子が人間不信にでもなったら……」
「ハハ、心配ないよ。子供って好きな物とか興味のある物に、ちょっかい出したくなるもんなんだから。それに、子供には子供の世界のルールがあるのさ。見ててごらん」
父親はそう言うと、女の子の頭を優しく撫でる。そして女の子が泣き止んだ頃、男の子が元気に駆け寄ってくる。
「ふーかふーか、くーこがきつねになってくれるって!ふたりいっしょに、せなかにのせてくれるってさ。いっしょにのろ!」
「ほんとに!?うん、ふーかもくーこにのるぅ」
今泣いたカラスはどこへやら。女の子は嬉々とした表情で、兄に手を引かれ駆けて行く。
「ほらね、心配ないでしょ。風太はちょっと腕白だけど、優しい子だよ。風華はちゃんと、お兄ちゃんからも、周りの皆からもたくさんの愛を受けているよ。もう、あんなことにはならない……。いや、させないさ」
「もう……、ずるいよパパ……」
あれから7年の月日が経とうとしていた。九尾の狐が消滅した後も、さまざまな出来事があった。だが、蒼月も、緋色も、銀華も、そしてあの事件に関わった者達も、前を向いて歩き続けた。
そしてあの事件から2年後、リサリサの言葉を覆すかのように、緋色と銀華の二人は結婚式を挙げた。
式は身内だけを集め、あの稲荷神社で密やかに行われた。迷惑をかけたお返しだと、式には稲荷神自らが立会人を買って出て、いつものメンバーに成田親子、狐の兄妹、さらには狐太老が連絡したのだろう。天狗の楓が駆けつけるというサプライズもあり、厳かながらも賑やかな式となったのだった。
ただし、賑やかなはずのその式は、何かが足らないような、そんな空虚な部分を隠すことができなかったのも事実である。
その足らない部分……。それは、誰よりも緋色の結婚式を楽しみにしていた人物の姿がなかったことであった。誰よりも緋色の結婚を心待ちにしていた、一人の老人の姿が……。
「そういえば、どうする?今度の休みあたりに、源左おじいちゃんのところに顔を出しに行ってあげるかい?」
銀華の言葉に、緋色は遠くを見つめポツリとつぶやく。
「源爺……」
その目は、遠い昔に失ったものを思い出す目……。そして緋色は銀華に向き直ると、おもむろに口を開く。
「いや、さすがに早くないか?3日前に行ったばかりだろ」
「もう、またパパはおじいちゃんが死んじゃったみたいな雰囲気出して……。でも昨日も、体調が良くないって電話があったんだよ」
「いやいや。この前だって、風太と風華の顔を見た途端、杖を放り投げて歩いてたじゃないか。おまけに元気に二人と遊んでるし、あれのどこが死にぞこないの病人なんだよ」
「あ、あはは……。ま、まああの時大怪我して、そのせいで楽しみにしてた結婚式にも出られなかったのは事実なんだしさ。余計に僕等の顔が見たいんだよ」
あの後、源左は皆の懸命な治療のおかげもあり、奇跡的に一命を取り留めた。だが、やはり傷は深く、年齢による衰えもあったのだろう。数ヶ月は寝たきりであったし、杖を使用して歩くことが出来るようになるのも、1年以上を要した。
結婚式には皆で運んで行くかという案もあったのだが、長距離の移動は危険だという医師の言葉もあり、泣く泣く諦めたのだった。
「でも、あの後おじいちゃんはパパに感謝してたよ。僕に泣きながら何度も、来てくれてありがとうって……」
「すみません銀華さん。どうしても行きたい……、いえ、行かなければならない場所があるんです」
結婚式の後、緋色は銀華に頭を下げた。訝しがる銀華に、緋色は新婚旅行をキャンセルし、これから向かいたいところがあると告げた。しかも、お互いに紋付、白無垢のままの姿でだという。
「もしかして……。うん!いいよヒロ君。旅行なんて、元気ならいつだって行けるさ!」
緋色の言葉に、その意図を察したのだろう。銀華は満面の笑みでそれに応える。
「フン!そのような姿であの山道を登る気か……。愚かな……、本当に愚かな猫又だ」
その時、式の最中はずっと不機嫌で無言だった空狐が、不意に口を開いた。
「クーちゃん?」
「フン……。今回限りだぞ。特別に緋色様とともに背に乗せてやる」
言うが早いか、空狐は巨大な妖狐に変身する。
「ハハ……、クーコ、助かるよ。さあ、銀華さん」
その意図を察した緋色は、銀華の手を取り空狐に跨る。
「落ちるなよ、猫又」
言うが早いか、空狐は大地を蹴る。その一蹴りで、緋色たちはあっという間に空へと浮かび上がる。
「あはは!すごいよクーちゃん」
「フン!神仙の力を甘く見るな。無駄口を叩いていると、落ちても知らぬぞ」
それは、あっという間の出来事だった。気付けば緋色たちは、山中の御門の屋敷の前にいた。
「ただいま源爺。約束どおり、俺のお嫁さんを連れてきたよ」
「あの時のおじいちゃんの顔……。ホントにパパに感謝してたんだからね」
「わ、わかってるよ……」
気恥ずかしいのか、そっぽを向く緋色。
「まったく……。孫と遊ぶ邪魔をされるって、親父の愚痴を聞かされる俺の身にもなってほしいよ。しっかし源爺の奴、風太達に会うたびに顔がツヤツヤしていってないか?なにが『もうすぐお迎えが……』だよ。あの調子じゃ、ホントに玄孫の顔を見るまで生きるんじゃないか?」
「あはは、さすがにその頃はもう百歳近いだろうしね。でも……、ホントはおじいちゃんが長生きしてくれて嬉しいんでしょ?」
「う……。ま、まあ……、その……」
「あ、そうそう。こないだ成田っちと会った時のことなんだけどさ……」
内心照れている、そんな夫の心境を察したのか、さりげなく話題を変える銀華。
「凛子ちゃんに気になる男の子ができたらしいって、この世の終わりみたいな顔してたよ。くくくっ、例え凛子ちゃんがお嫁に行ったとしても、『もう一人の世界一の女』がそばにいるのにね」
「ははは、死にかけた拍子に、本音が出たからね」
そう、重症ではあったが、成田警部も無事であった。さすがにすぐに現場復帰というわけにはいかなかったが、3ヶ月も経たないうちに仕事へと復帰した。
それに、上からの配慮もあったのだろうか。昇進し、今は専らデスクワークが中心となっている。もっとも、本人はそれが不満であるようで、会うたびに愚痴を言っている。
「でも、凛子ちゃんに気になる男の子か……。まあ、凛子ちゃんももうすぐ中学生なんだし、気になる子の一人や二人いるだろうね。それに、あの二人の子なんだから、これからさらに美人になっていくんだろうな」
緋色は、両親の血を引き美しく成長した凛子を思い浮かべたのだろう。納得したようにうなずいている。
「でも、成田っちは凛子ちゃんのこととなると、案外鈍いんだよね~」
「どういうこと?」
「結局は成田っちが心配しすぎなのさ。こないだ凛子ちゃんに聞いたんだけど、ただの仲の良い友達だって。お父さんと『その他一名』がカッコ良すぎて、周りの男の子が子供に見えて仕方ないってさ。それに……、フフ、凛子ちゃんって一途なんだよね。未だに誰かさんのことが好きなんだから。ま、当然譲りはしないけどね」
「その他一名?良くわからないけど、凛子ちゃんに思われてる男は、幸せなんだろうね」
緋色の言葉に、銀華は思わせぶりに笑う。
「ああ、そうだよ。その男は今、可愛い奥さんと子供に囲まれて、世界一幸せに暮らしてるよ」
銀華の言葉が理解できなかったのか、緋色は首を傾げる。
「それよりも、もうじき狗巫女ちゃんが子供を連れて遊びにくるんでしょ。早く支度をしておかないと……」
緋色の言葉に、銀華は可笑しそうに笑う。
「フフフ、まさかクミちゃんがあっさり結婚して、しかも子供まで生まれるなんてね。クッ……、ククク……、アハハハ、リルが先を越されるなんてね!うぷぷっ、まさに年増の行き遅れだね」
「ちょっと、リルさんだってまだ27なんだから。しかも人狼のだよ。まだまだ若いんだし、依頼主からプロポーズされたり、モテモテだって話じゃないか」
「フフッ、でもそれも、本性を知ったらあっさり離れてくって話じゃないか。それに……、ククッ、病院でのあの姿。クミちゃんの赤ちゃんをあやすあの姿……。デレデレで、まるで孫の世話をするおばあちゃんじゃないか。あれは絶対、ペットを飼い始めた一人暮らしのOLと一緒で、独身まっしぐらだよ」
「ちょ、ちょっと!そんな世の女性を敵に回すような失礼なことは……。ペットを飼ったら結婚できないなんてことはないからね!ま、まあ、リルさんがデレデレなのは否定はしないけど……」
そう、驚いたことに、狗巫女はとある事件で知り合った人間の男と、1年ほど前にあっさり結婚したのである。正直ヤケになったのではないかと心配もしたが、そんなことはなかったようだ。交際期間は短かったが、お互いにこの人しかいないと思うほどの、熱烈な恋愛だったらしい。
そして数ヶ月前には可愛い赤ちゃんも生まれ、フェンリルはまさに初孫の生まれたおばあちゃんのようになっているというわけである。
銀華の言葉を否定した緋色であったが、あの姿を見るかぎり、正直これで間違いなくフェンリルの婚期は遅れると確信をしていたのであった……。
「でも、二十歳ちょっとの若妻だよ。クミちゃんを選ばなくて、もったいないことをしたとは思わないのかい?」
見れば、銀華は緋色を見ながらニヤニヤと笑っている。
「ええ。確かに、もったいないことをしたかも……」
「なっ……!」
「な~んてね。冗談ですよ、今の質問のお返しです。俺が選んだのは他の誰でもない銀華さんですし、絶対に後悔なんかしませんから」
「ずっ、ずるいよヒロ君!急に敬語を使ったり、名前で読んだりして……、む、昔を思い出しちゃうじゃないか……」
恋人同士、あるいはそれ以前のことを思い出しているのか、銀華は顔を真っ赤にしている。
「ははっ、いいじゃないですか。親父だって、二十年近くも前の母様とのことを、鮮明に覚えてたんですから」
「ヒロ君は……、本当に僕を選んで後悔してないの?」
「当然です。銀華さんのおかげで、風太と風華にも会えたんですから」
「ヒロ君……」
潤んだ瞳で緋色を見つめる銀華。やがて二人の顔が接近し、お互いの吐息がかかる。だが、それでもなお、二人の距離は離れることはない。そして、二人の唇が触れ……。
「ねーねー、ぱぱとままはちゅーするの?くーこ」
「お二人とも見てはなりません。まったく、昼間っから破廉恥な……」
ふと見れば、クーコの背に乗った風太と風華が、目を輝かせて二人を見つめている。
「ちょ、ちょっとクーちゃん?なんで二人を連れてきてるのさ!」
「おや、お二人がいては何かマズいことでもあるのですか?」
「い、いや、そ、そうじゃないけど……」
銀華は気まずいのか、顔を真っ赤にしてしどろもどろになっている。
「ふーかも、ぱぱとままとちゅーするよ?」
「ばっかだなー。おとなのちゅーってのは、けっこんしたひととするんだぞ」
「じゃあ、ふーかはぱぱとままと、にーちゃとくーことけっこんしたいから、みんなとちゅーする!」
「あはは、風華は女の子だからね。結婚は男の子としかできないのさ。お兄ちゃんとはできないし、パパは僕と結婚してるから、風華のお婿さんはこれから探さなきゃね」
「う……?なんで!?ぱぱとままだけずるい!」
さすがに銀華の言葉は理解できなかったのだろう。だが、風華はこの中の誰とも結婚できないと知り、少しばかりむくれている。
「じゃあぼくは?ぱぱとままはだめだけど、くーことはけっこんできるの?」
「ななな、何をおっしゃいますか風太様!そ、そのような恐れ多いことを……」
幼児の言葉をどう捉えたのか、今度は空狐が慌てふためいている。あまりに慌てたのか、無意識に変身を解いた拍子に二人が背中から転げ落ちそうになったのを、慌てて空中で受け止めている。
「そうだな。クーコさえ嫌じゃなかったら、いいんじゃないか」
「は……!?」
「うん、僕もクーちゃんになら、風太を任せても安心かな」
「へ……!?」
「やったぁ。じゃあぼく、くーことけっこんする!」
まさかこんな展開になるとは思わなかったのだろう。唖然としている空狐のホッペに、風太は可愛らしいキスをする。
「ひひひ、緋色様!こっ、子供の冗談とはいえ、このようなことは……」
「あれ?俺はわりと本気だったんだけどな。ママはどう?」
「うん、風太はわりと本気でクーちゃんのこと好きみたいだし、僕もクーちゃんならいいかなって思ってたんだけど」
「そそそ、そのようなことを言われても……。私は緋色様に仕える身であり、風太様と風華様のお世話をする立場ですから……」
「もちろん、今はそこまで現実的な話じゃないさ」
慌てる空狐に、緋色は優しく語り掛ける。
「今はまだ、幼児の好きって感情かもしれない。でも、この子が成長しても、俺が銀華さんに抱いたような感情を持ち続けていたとしたら……。その時は、一人の女性として真面目に応えてあげてほしいんだ。人とか怪とか、年齢とか立場とか、生きる長さの違いとか……。そんなことは気にしなくていい。クーコが風太のことをどう思って、どうしたいのかを正直に答えてあげてほしいんだ。もちろんクーコが風太を選んでも、俺達は歓迎するし、たとえ選ばなくたって、今までの関係は変わらないさ」
「緋色様……。わ、わかりました!このクーコ、命に代えても風太様の嫁として勤め上げさせていただきます!」
「いや、まだ気が早いだろ……」
興奮しているのか、クーコは自分が何を言っているのか、いまいち理解していないようだった……。
「あはは、まだ考える時間はいっぱいあるさ。クーちゃんも風太も、お互いにね。あ、そうそう。こないだママから連絡があって、ヒロ君の作った符が調子いいんだって。もう1年以上も周りの動物に影響も出ていないし、ほぼ完成なんじゃないかって」
「そっか……。親父の力も借りた甲斐があったな。でも、だったらこっちに来て一緒に住めばいいのに……」
「そこはまあ、『若い者の邪魔をしてはならんしの』だってさ。でも、近いうちに遊びに来るって言ってたよ」
「ばーちゃがあそびにくるの?」
銀華の言葉に、風華達が反応する。
「ああ、もう少ししたらね。ただし、ばーちゃんなんて言っちゃ駄目だからな!ちゃんと『ねーちゃん』って呼ぶんだぞ」
何かを思い出したのか、緋色は一瞬身震いする。そう、基本的に孫の前ではデレデレの金華だが、とある一言を発せられた瞬間、それまでの態度が嘘のように豹変するのである。おかげで緋色は、子供たちがいつその言葉を発するかと、ハラハラドキドキしながら見守っているのである。
「そうそう、パパの机の上に置いておいたんだけど、弘美の小説は読んだかい?」
「ああ、面白かったよ。結構売れてるみたいだし、夢が叶ってよかったね。弘美ちゃんもついに小説家かぁ」
「ふふ、怪と人間のコンビが悪い妖怪や悪人を退治する物語。まるでどこかで見てきたようなお話だけどね。僕達は出演料をもらわなきゃいけないかな」
「ははは、そこはまあ恩もあるわけだし、特別サービスってことで。そうだ、リサリサさんは相変わらずの様子かい?」
「ああ、新任教師は覚えることが多すぎるって、残業残業でヒーヒー言ってるよ。でも、お父さんのコネで教師になったんじゃないってのを証明するために、意地でも頑張るって言ってたけどね」
「そっか。皆頑張って、新しい道を進んでるんだ。俺ももっと頑張らなきゃ……」
「フフフ、頑張って僕達を守ってね、パパ。今の世の中は、一昔前じゃ想像できないほど賑やかだから大変だよ。この前なんて、ついに魔界から魔王が現れたんだしね」
「ああ、あの世界を征服しに来たってやつか。でも、その後の話も一切されなくなったし、いったいどうなったんだろう」
銀華が言う魔王は、少し前に突如として魔界から現れ、この世界を征服すると宣言したのだ。むろん各国はそんなことを許すはずもなく、戦争まがいの攻撃を仕掛けたのだが、ことごとく返り討ちにされた。
もはや世界は魔王のものかと、世界中がパニックになりかけた時だった。魔王は突然、絶世の美女を生贄に差し出し、自らが気に入ったなら嫁に迎え、世界征服は中止してやると言い出したのだ。
詳細は省くが、各国が生贄を出す役を押し付けあう中、この国に住む一人の女性が、自ら生贄になると名乗りを上げたのだった。
「う~ん……。その後に何の変化もないってことは、魔王に気に入られたのかも。テレビで見たかぎりは、物凄く綺麗な人だったし。でも、同じ女としては、そんな道具のように扱われるのは許せないな……。もしも魔王が僕を気に入って、嫁に差し出せって言ったら、パパはどうする?」
悪戯っぽく笑う銀華の質問に、緋色は真面目な顔で答える。
「そりゃあ、全力で戦いますよ。さすがに勝ち目は無いかもしれませんけど、銀華さんを守るためなら、たとえ勝てなくても、全力で戦いますから」
「ヒ、ヒロ君……。その、ごめん。冗談だったんだけど、そ、そんなにも僕のことを……」
再びいい雰囲気になりかける二人だったが、不意に響き渡るノックの音で、二人は慌てて離れる。
「あ……。ク、クミちゃんかな?それにしては随分早いけど……」
「わんわん?あそびにきたの?ふーかもわんわんとあそぶぅ」
「ああ、俺が出るからいいよ」
緋色は玄関へと向かい、おもむろにドアを開く。
「やあ、いらっしゃい狗巫女ちゃ……」
だが、その言葉は最後まで発せられることはなかった。なぜなら、玄関先に立っていたのは女性には違いないが、まるで見覚えの無い人物だったからである。
「ホホホ、いかがしたのだ?いくらわたくしが美しいからとて、あまり見つめていると石になっても知らぬぞ」
目の前にいたのは、真紅のドレスを着た目の覚めるような美女だった。いや、その美しさももちろんだが、実際に目の覚めるように感じるのは、その髪だろう。
美女の髪は、明らかに人では無い真っ青な色をしている。しかしながら、それ以上に衝撃的なのは、その髪はわずかながらにウネウネと蠢いているのだ。良く見れば、その髪の一本一本は極細の蛇の群れであった。
「よさぬか、メドゥ。余はここへ頼みごとをしに来ておるのだ。いくら下等な人間種とはいえ、礼儀を尽くさねばならん」
「こ、これは失礼いたしました。ああ、さすがは偉大なる魔王、オルフェベルゴニウス様。下々の、それも人間などに敬意を表されるとは……。さすが魔界……、いえ、全世界の王にふさわしきお方にございます」
美女の後ろから、不意に渋い声が聞こえてくる。その後ろに立っていたのは、やや顔色は悪いものの。190センチを超えるであろう身長に、黄金の髪を持ち非常に整った顔立ちをした男であった。それはまさに海外の映画俳優のような、イケメンと言う言葉がふさわしい、そんな男性だった。
そしてメドゥと呼ばれた美女は、主であろう男の言葉に、涙を流さんばかりに感動している。
「あ、あの……。仕事の依頼でしたら、ここではなんですので、下の事務所へどうぞ……」
しばらく後、風太達をクーコに預け、緋色と銀華は猫猫飯店の事務所にいた。
「オルフェ様にコーヒーなどと……。ワインはないのか?」
「す、すみません、あいにくとお酒は……」
「よさぬか、メドゥ。先ほども言ったであろう。それに、このコーヒーはなかなかに旨いぞ。豆の蒸らし方といい、なかなかの腕前だ。この男はなかなかにやるぞ。余の城で働かせても良いくらいにな」
「は、はぁ……。ありがとうございま……す?」
いまいち何が起きているのか理解できない緋色だったが、とりあえず褒められたということは理解したのだろう。あいまいに礼を言う。
「それよりも、オルフェベラ……、オルフェベロ……、オルフェベサメムーチョさんだっけ?この猫猫飯店に来たってことは、僕達に依頼があるんだろ?」
「貴様!偉大なるオルフェベルゴニウス様を、どこぞのラテン音楽のような呼び名で……」
「メドゥ!」
男は興奮する美女を嗜める。その一喝で大人しくなったのを見て、緋色はどこかで見た光景だと、笑いを噛み殺していた。そう、美女の男に対する態度は、クーコにそっくりだったのである。
「構わん、お前達は特別に、オルフェと呼ぶことを許そう。その代わり、頼まれてほしいことがある」
「は、はい。何でしょう」
緋色はゴクリと唾を飲み込む。会話から察するに、目の前の人物は先の話題に出ていた、世界征服をたくらみ、魔界から進出してきたという魔王に間違いない。実際に、部下と思われる女性の外見はどう見ても伝説の魔物、メドゥーサである。そんな悪魔達が、いったい猫猫飯店に何を望むというのだろう。
「実はな……。悪魔を退治してほしいのだ」
「「は!?」」
銀華と緋色は、目の前の男から発せられた言葉に、口をあんぐりとさせていた。
「あの、オルフェ……さんって、魔王様なんですよね?」
「むろんそうだ。余こそは魔界の全てを統べる偉大なる王、オルフェベルゴニウスなるぞ」
「悪魔を退治って……。そんなの、悪魔を統べる魔王である、オルフェさんなら簡単なはずじゃ……」
「お、愚か者が!」
銀華の言葉に、二人の態度が急変する。
「お、お前達はあの悪魔の恐ろしさを知らぬから、そのようなことが言えるのだ。な、何が生贄だ。確かに美しい女だし、外見は見事だったから嫁にしてやると言った。だ、だが、あのように恐ろしい女とは聞いてないぞ!もしやこの世界は、我等を滅ぼすためにあの女を送り込んできたのではないか!?」
「お、おいたわしやオルフェ様……」
その時、ドアがノックされる音がした。
「あれ?狗巫女ちゃんかな。でも、こっちに来ることはないと思うんだけど……。もしかして、二人の相手でクーコの手が離せないのかな。ちょっとすみません」
銀華に悪魔の恐ろしさを力説する魔王達を残し、緋色は玄関へと向かう。
「はい、狗巫女ちゃ……」
だが、ドアを開けた先に立っていたのは、またしても狗巫女ではなかった。そこにいたのは、緋色よりも少し年下だろうか。長い黒髪をした人間の女性だった。少しばかり気の強そうな顔立ちをしているが、メドゥーサと比べても、負けず劣らずの美人である。
だが、そのファッションは少々独特なものだった。上半身は純白の長いコートのようなものを羽織り、その下はなぜか素肌にさらしを巻いている。
おかげで豊満な胸が強調され、それに相反するかのようなくびれたウエストとおへそが丸見えとなっている。さらには、下半身も純白の少しばかりダボッとした、裾だけが絞られたズボンを穿いている。
そしてもっとも特徴的なのは、その上着に施された刺繍である。そこには黄金の糸で、『十四代目総長』『天上天下唯我独尊』『喧嘩上等』『夜露死苦』『仏恥義理』などのほか、『咲かせて見せます女の命』なんて、まるで演歌のイントロでの司会者のセリフのようなものまで縫い込まれている。
それは一言でいうなら、銀華の好む古いテレビドラマで見たことのある格好。そう、暴走族とか、レディースなどと呼ばれるものであった。
「あ、あの……、どちら様でしょうか?」
そう言いながらも、緋色はその女性をどこかで見たような気がしていた。だが、間違いなく知り合いでは無い。しかしこんなに美人なのだ。もしかしたら、最近見たドラマに出ていた女優さんかもしれない。
「あの馬鹿……、来てんだろ?」
「え!?」
「迷惑をかけてすまないね。少し邪魔させてもらうよ」
「あ、あの……!」
止めようとする緋色をすり抜けるようなしなやかな動きで、その女性は事務所の奥へと入って行く。
「え?何だあの動き。武道か何かやってるのか……?」
あっけに取られていた緋色だったが、慌てて女性の後を追う。
「いいか、とにかくあの悪魔を退治せねば、夜もおちおちと寝ていられんのだ。いや、夜こそは我等悪魔の蔓延る時間なのだがな……。と、とにかく貴様らに、余の役に立つ名誉を与えてやろうというのだ。当然ながら、報酬も思いのままだぞ」
事務所のソファでは、魔王が相変わらず力説をしている。
「おい、よそ様の家で何迷惑かけてるんだ?それに、初対面の人に向かってその偉そうな態度はなんだ?」
だが、踏ん反りかえっていた態度は、聞こえてきた声で一変する。
「なっ……!なぜお前がここに……。おっ、おいメドゥ。今日のことは内密に行うのではなかったのか!?」
「も、もちろんでございます!わたくしは、決して口外などしておりません!」
「な、ならばなぜ……」
「ああ、様子がおかしかったから、エウリュアレーを締め上げたら吐いたよ」
「エ、エウリが……」
「ね、姉さま……。さぞかし恐ろしい拷問を……。ああ、おいたわしや……」
その女性を前にし、なぜか魔王たちは真っ青になり絶望の表情となっている。
「さて、帰るぞオルフェ。迷惑をかけたお詫びは置いていけよ」
「ま、待て!余はこの者達に……」
「そうです!いくらオルフェ様が嫁にと認めたからといって、これ以上の好き勝手は、このわたくしが許しませ……」
だが、メドゥと呼ばれた女性の言葉は最後まで続くことはなかった。黒髪の女性が手を伸ばした瞬間、がっしりと顔面を捕まれていたのだ。
「ひっ、ひいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!痛い!許してぇ!」
それは不思議な光景だった。それほど力を入れているように見えないのだが、鷲掴みにされているメドゥの顔面からは、メキメキと骨のきしむ音が聞こえてくる。
「おっ、お前、メディに何をするか!この……。いっ、いたいいたいいたいいたいいたたたたたたたたた!!ごめんなさい!やめてぇぇぇぇ!」
果敢にもメディを助けに向かったオルフェだったが、残りの手にあっさりと捕まり、こちらも顔面を鷲掴みにされていた。その光景は、さながらプロレス技のアイアンクローのようだ。しかしながら、悪魔二人の顔面からはミシミシと危険な音が聞こえている。
「ほら、さっさと出せ!」
その言葉に、メドゥは必死に懐から硬貨のようなものを取り出す。
「いいか?アタシが怒ってるのは、こそこそと動いて他人に迷惑をかけたことじゃねえ。男のくせに、人に頼って物事を解決しようとしたことだ。テメェも魔界の王だってんなら、男としての筋を通しな!」
その女性は、どちらが魔王かわからない形相で啖呵を切る。
「すまないね。あいにくとこちらの世界の通貨は持っていないみたいなんだ。けどそいつは金貨だから、こっちでも換金は出来ると思うからそれで勘弁してくれ」
「で、でも、俺達は何もしてませんし……」
「なあに、迷惑をかけたお詫びさ。すまなかったね。おい、とっとと帰るぞ」
「いたいいたいいたいぃぃぃ!せめて放してぇぇぇ!」
言うが早いか、黒髪の女性は両手で二人の顔面を掴んだまま引き摺って行く。正直、その細身の体のどこにそんな力があるのか、不思議なほどだった。
「あれって……。たしか魔王の生贄になったっていう女性だよね。ていうか、間違いないよ!テレビで見たまんまだもん」
銀華の言葉に、緋色は黒髪の女性をどこで見たのか思い出していた。
それはしばらく前、魔王が現れたと連日のようにニュースで報道されていた時、自ら生贄を志願した女性として、救世主のごとく大々的に報道されていた人物だった。
だが、どういうわけかある時を境にピタリと報道は止まった。おそらくは魔王が生贄を気に入り、慰み者として楽しんでいるのだろう。そんな憶測が流れ、人々は女性の境遇を哀れに思いながらも、それが自らの身近な人や、己自信でなかったことに安堵して、やがて話題にのぼることも少なくなっていったのだった。
「しかし……、いったいなんだったんだろう。ホントに魔王と生贄の女性なら、周りの憶測とは随分感じが違ったけど……」
「なるほどねぇ~。そういうことか」
ふと気付けば、銀華がニヤニヤと笑っている。
「何?どうかしたの」
「ん?別に。僕達と一緒で、愛の形は様々ってことさ」
「え?どういうこと?愛の形は様々って……。え!?ま、まさかあの人、魔王のことを……。でも、生贄に差し出されたんでしょ!?」
「それだって、自分で志願したって話だろ?別に無理やり連れて行かれたわけじゃないし、魔王だって奥さんにするって認めたみたいだしね。悪魔って言っても、案外悪い人じゃなさそうだったし。それに……、帰り際の奥さんの顔、見た?」
「え?い、いや……」
そんな緋色を見て、銀華は楽しそうに笑う。
「ちょっぴり笑ってたんだよ。それに、優しい目をしてた。きっと、あの人はあそこに幸せを見つけたんだろうね」
優しい目をして銀華は笑う。それはまるで、異種族と結婚して幸せになった先輩として、暖かく後輩を見守るような目で……。
その時、再びノックの音が聞こえた。それと同時に、赤ちゃんのけたたましい鳴き声が聞こえてくる。
「こっ、こら!泣くんじゃないよ。ほ~ら、べろべろばぁ~。ばぶぅ~。おお、よしよし……」
「あはは。リルさん、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
「でっ、でも狗巫女、こんなに泣いて……」
扉の外からは、賑やかな声が聞こえてくる。
「はは、今度こそリルとクミちゃんが到着したようだね」
「ええ。そろそろクーコも、小さな怪獣の相手でバテてる頃だろうし、二階へと行こうか」
「うん!」
緋色と銀華は手を繋ぎ、玄関へと向かう。そして、未来へと繋がる扉をゆっくりと開けるのであった……。
~『猫猫飯店怪異事件顛末記』 完 ~
「猫猫飯店怪異事件顛末記」お読みいただきありがとうございました。
自分が物語を書き続けた一年は、公私共に本当に(ほぼ悪い意味で)いろんな事がありました。それでも現実逃避的に一年近く書き続け、プライベートで使える時間は遊びに出ることもせず、(嫁に文句を言われながらも)ほぼこの作品を書くことに費やし、それなりに納得できるものができたのかと思っています。
もっとも、そこまでしてこの程度というのが、私の才能の無さを表しているのでしょうが。
それでも、それなりに読んで下さる方も増えましたし、評価をしてくださる方、感想をくださる方もいました。そんな皆様には大変感謝しています。
もっとも、何十、何百というブックマークの付くような作品を書く方達からすれば、鼻で笑うような作品かもしれませんが……。
最後は、次作ではありませんが、いずれ書こうと思っている物語のキャラクターを出してみました。仮タイトルは「魔王の嫁」といったところでしょうか。
とりあえずの次作題材(予定)は、ブルースと悪魔と幼女……です。もしも気になる方がいましたら、首を長くしてお待ちいただければ幸いです。それでは、自作でお会いできることを楽しみにしています。




