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「まあ、母様に向かって何て酷いことを言うの。でもいいのよ。すぐに優しい緋色に戻ってくれるはずだから……、ね」
俺の叫びに、一瞬悲しそうな顔をした九尾だったが、すぐに恍惚の笑みを浮かべると、源爺と成田警部の血で染まった尾を持ち上げる。
「やっ、やめて!!」
「銀華さんっ!?」
だが、俺と九尾の前に両手を広げた銀華さんが立ちはだかる。
「やめてよ翡翠さん!こんなことをしなくたって、蒼月さんも、ヒロ君も、あなたを愛してるんだよ。だっ、だから……、だからもう、こんなことをする必要はないんだ!」
「銀華さん、下がって!」
だが、懸命な銀華さんの叫びも、まるで九尾には届いていないようだった。
「ホホホ、妾と緋色の前に抜けぬけと立ちはだかるとは……。やはり泥棒猫じゃったか。ならば、問答は無用」
言うが早いか、銀華さんに向かい真っ赤に染まった鋭い尾が伸びてくる。
もちろん俺だって、そのやり取りを黙って見ていたわけではない。あらかじめ用意しておいた守りの呪符を、二人の間に投げる。
「間に合ってくれ!」
しかし、俺が投げた札はわずかばかりに尾の勢いを緩めたものの、突き破られ、銀華さんに向かい鋭い尾が伸びる。
「銀華さん!逃げて!!」
だが、瞬時に逃げられるはずもない。長く伸びた尾が銀華さんに迫り、その体を貫く……。それはまるで、俺の目にはスローモーションのように見えた……。
「ぎんっ……!」
しかし、銀華さんの体が貫かれたと思われた瞬間、まるで金属がぶつかるような硬質な音と共に、九尾の尾がはじかれた。
「ああ……、お会いしとうございました。お懐かしゅうございます……」
気付けば、銀華さんの前には人一人を丸ごと包み込むような、分厚く巨大な氷柱が立っていた。九尾の尾はそれにはじかれ、銀華さんまで届かなかったのだ。そして、この場でそんなことができるのはただ一人……。
「親父!」
そこに立っていたのは、愛する妻を目の前にし、いったい何を考えているのだろうか。内面の様々な葛藤をいつもの鉄面皮に包んだ男、御門蒼月。そして……。
「翠様……、いえ、翡翠様。もうおやめください」
「フン、やはり貴様だったか……。たとえ母君といえど、緋色様に手を出した罪は重いぞ。かつての我ではないことを思い知らせてやろう」
「まったく、付いて来るなって言ったのに……。仕方ないねぇ。緋色、弘美達はアタシと狗巫女に任せときな。ほら、アンタ等も付いて来ちまった以上は、二人を助けるのを手伝いな!」
「はっ、はい!」
リルさん達は、手早く怪我をした二人を引き摺って行ったかと思うと、狗巫女ちゃんが必死で唾液を擦り付けている。
そういえば犬神の唾液には、治癒力を高める効果があったはずだ。心配だが、今はそれに賭けるしかない。
「翡翠、大人しく封印されてくれぬか。お前の性を抑える方法……、もう少しだけ時間が欲しい。俺を信じてくれ!」
「ホホホ、何を世迷言を。愛する緋色が目の前にいるのに、もはやそんなものは必要ありませぬ」
「翡翠!!」
「ですが……」
九尾は目の前の俺達、そして周りをぐるりと取り囲む、御門の陰陽師たちを見回す。
「さすがにここは分が悪いかと。一旦引かせていただきましょう。名残惜しゅうございますが、いずれまた……」
言うが早いか、九尾の姿はまたしても霧のように掻き消える。
「クーコっ!」
「はっ!」
俺はクーコを従え、慌てて後を追おうとする。ここで逃がしては、また源左達のような人が……。
「待たぬか!」
だが、親父の一喝で制止される。
「冷静にならぬか。今は怪我人の治療が先だ」
「ははっ……。俺はいいから、げ、源さんを先に……。かなり……出血して……、ヤバ……い……はず……だ」
その言葉に我に返った俺は、源爺達を見る。
「源爺!」
すでに意識の無い源爺の顔からは、血の気が失せている。狗巫女ちゃんのおかげか流れ出る血は止まっているものの、危険な状況には違いない。
「すぐに源左を結界を張った部屋へ運び、治癒の術を!」
親父は御門の者達に、手早く指示を飛ばす。
当然ながら、こんな山奥に医者などいるはずはない。だが、危険と隣り合わせの仕事をする陰陽師だ。当然、術を使った治療方法なども発達している。だが、それはあくまで応急的なもの。まして源爺は高齢だ。これだけの傷を負っては……。
俺の中で膨らむ嫌な予感を、頭を降り懸命にかき消す。そうだ、源爺は言ったはずだ。俺の子を……、曾孫の顔を見るまでは、くたばるはずがないと。
「成田君にも早く!」
源爺が運ばれた後、親父の言葉を受けた狗巫女ちゃんが、慌てて成田警部に走り寄る。
「ハハ……、慌てんなって……。それ……よりも緋色、ひ……、火ぃ……持ってねえか?」
成田警部は震える手で、胸ポケットから紙巻煙草を取り出す。だが、真っ赤に染まり湿気ったそれは、どう考えても火など点くはずがなかった。
「なっ、なに馬鹿なこと言ってるんですか。凛子ちゃんが生まれた時に、禁煙するって誓ったじゃないですか!そんなことより、さっさと治療しますよ」
「ケ……、ケチケチ……すんなよ。俺ぁ……決めてたんだよ。凛子が……嫁に行く……日と、人生……最後の日に……は、心行くまで……吸うんだって。もっ……とも、こ、こんなチンケな……煙草じゃなくて、ハバナ葉の……高級葉巻の予定……だったん……だがな」
「ばっ、馬鹿なこと言ってんなよ!どっちもまだまだ先の話だろ。余計なこと言ってないで、黙って治療を受けろよ!」
「はは……、本……性が、出て……んぞ」
「いいから喋るな!」
興奮のあまりか、俺はすでに自分が敬語で話していないことにすら気付いていなかった。頭の中にあるのは、この人をこのまま死なせるわけにはいかないということ。この軽薄で、スカした、女垂らしの、いざという時は滅茶苦茶格好良い、子どもの頃から俺を見守ってくれた、兄のような存在の男を……。
「そ、そう……怒んな……よ。大丈夫……だって……。け、けどよ……、も、もしもの……時は、嫁さん……と、凛子を……頼……む。俺……の、世界一の……女達……を……」
成田警部の口元から、咥えた煙草がポトリと落ちる。それと同時に、糸の切れた人形のように、力なく床に倒れたまま動かなくなる。
「お……、おい!おい、しっかりしろよっ!!」
「落ち着け!源左と同じ部屋に運ぶんだ。成田君にも急いで治癒を」
「成田っちは……、おじいちゃんは無事なのかい!?」
襖を開けて入ってきた親父に、銀華さんは叫ぶように尋ねる。
あれから二人を結界を張った部屋に運び込んだ俺達は、大広間で焦れるように時間を過ごしていた。
ただ待つことしかできず、時間ばかりが過ぎていく。そんな中で、状況にわずかな変化があったのだ。銀華さんでなくとも、皆同じ気持ちだっただろう。
親父は俺達を見回すと、やがて重い口を開く。
「正直に言えば傷は深いし、楽観視はできん。二人とも意識はないし、なにより出血が多い。最悪の場合もありえる」
「そ、そんな……」
「わわ、私がもっと唾液で治療を……」
慌てて立ち上がる狗巫女ちゃんの提案にも、親父は黙って首を横に振る。
「お嬢さんは本当によくやってくれた。ありがたい申し出だが、これ以上の効果は望めないだろう。今は体を休めてほしい」
「は、はい……」
確かにそうだ。口元を真っ赤に染めながらも、必死になって二人を治療してくれた狗巫女ちゃんだ。たとえわずかばかりの治癒の効果があったとしても、これ以上は望むまでもないだろう。
「お、お医者さんはどうっすか?運ぶのは無理でも、来てくれる人がいるんじゃないっすか?」
「確かにそれが一番だろう。だが、皆がここへ来るのでもわかったように、簡単にというわけにはいかない。ましてや今は夜だ。このような田舎では、更に難しいだろう。それに……」
俺は、言い澱む親父の次の言葉を理解する。
「怪我人や医者を運ぶために離れ離れになり、そんな隙だらけのところを狙われたら……」
「うむ。そのとおりだ。今は護衛の付いた、この場所ににいるのが一番安全だとしか言えぬ。それに、こういった時のために我等は治癒術の研鑽を積んでおるのだ。今は皆の力を信じるしかあるまい……」
皆の顔には不安そうな陰が浮かんでいる。しかし、今はそれを信じるしかないだろう。
「とにかく、皆疲れているだろうし、今日は少し休んでほしい。なに、先ほどは不覚をとったが、次はそうはいかん。儂と夜叉丸もおるゆえ、心配せずまずは体を休めておいてください」
そう言うと、親父は部屋から出て行った。
「蒼月様、本当によろしいのですか?空狐殿もおりますし、坊ちゃま方に加勢を頼まれたほうが……」
「構わん。元々は儂のまいた種だ。これ以上勝算があるかもわからぬこの事態に、あの子達を巻き込んではならぬ。そういった意味では、お前もなのだがな……」
「何をおっしゃいますか!本来ならば私は、あの時存在を消されてもおかしくなかった身。それを蒼月様は……。私は蒼月様のお人柄とお力に感服し、この身を捧げたのです。好きにお使いください」
「すまぬ。世話をかけるな……」
その日の深夜、交代で懸命に怪我をした二人の治療を続ける者達以外が、寝静まった頃だった。
闇夜に紛れるかのような黒い衣に身を包み、御門の屋敷を抜け出そうとする者達がいた。
それは、誰にも知られずに、死地へ赴こうとするかのような悲壮な姿の二人。
「かの御仁は、どうやら間に合わぬか……」
蒼月はポツリとつぶやく、それは、夜叉丸でさえ聞き取れぬものだった。
「さて、行くか」
屋敷の正門脇のくぐり戸を静かに開け、足音を忍ばせながら暗闇に向かおうとする二人。だが……。
「二人だけで格好付けようってのは、ちょっとずるいんじゃないか?」
暗がりから突如聞こえたきた声に、二つの影は慌てたように振り返る。
「ぼ、坊ちゃま!?」
そこに居並ぶのは、緋色ほか、すでに浴衣から外出用の服に着替えている六人の女性達。漆黒のスーツに身を包んだ銀華の頭には、トレードマークの山高帽が乗っかっており、その上には真夜中だというのに、丸目のサングラスが引っ掛けられている。
それは、銀華が事件解決に向かうスタイル。
さらには、こんな山の中だというのに、フェンリルはいつもの胸元の大きく開いた、体に張り付くような服。そちらも、彼女が仕事に向かうファッション。
それはおそらく、二人の……、いや、ここにいる全員の決意の表れだった。
「ぼ、僕だってママの子なんだからね!旧鼠を退治したのは、僕の力があればこそなんだから。だから、きっと役に立てるはずさ!そ、それに、僕達の、け……、結婚式に、もしパパがいなかったら、寂しいじゃないか!」
顔を真っ赤にしながら、サラリととんでもないことを言い出す銀華さん。
「はわっ!?ぎ、銀華さん、それって、プ、プロポ……。はわわ……。わっ、私だって、緋色さんと……。だっ、だから、一緒に戦います!」
銀華さんの言葉に、両手で握りこぶしを作る狗巫女ちゃん。その反動で、大きな胸がフルフルと揺れている。
「ハッ、やるねぇ。ツッコミどころ満載の旧鼠のことは置いといても、二人ともようやくその気になったってわけかい。ま、アタシは狗巫女の味方だけど、実力的には、最後に緋色の隣に立ってるのはこのアタシかもね」
両手を胸の前で組み、二人を見下ろすように見るリルさん。組んだ腕に押し出された胸が、露出の多い服と相まって、大変なことになっている。
「フン、小物が粋がるな!猫又や犬っころ風情などおらぬとも、緋色様は一生我が守ってみせるわ!」
そんな彼女等を鼻で笑い、式としての矜持を見せるクーコ。いや、これって式として……、なんだよな?
「ちょ、ちょっと!アタシだっているんすからね。なんなら、センセーと一番エッチなことしたのは、アタシなんすから!」
「……、ヒロ君……?エッチなことって、どういう意味だい……?」
「い、いや、違いますからね!あ、あれはその……、コックリさんの自己催眠のせいで……」
突然に爆弾を放り込むリサリサさん。その言葉に少しばかり冷静になった女性陣から、冷ややかな視線が向けられる。
「わ、私だって、お母さん公認なんです!それにちゃんと源左さんに、曾孫の顔をみせてあげるんですから!そ、その、い、今すぐってわけじゃないですけど……。で、でも、緋色さんがすぐにって望むなら、考えても……」
モジモジしながらも、こちらはこちらで、とんでもないことを言い出す弘美ちゃん。
「ちょ、ちょっと皆さん!?」
どさくさ紛れにとんでもないことを言いだす女性陣に、俺は少々……、いや、かなり面食らっていた。だが、どうやら親父のツボにはハマったらしい。初めは唖然としていたが、やがて顔を歪めて笑い出した。
「クク……、ハハハハ!緋色、こんのクソガキが。人様の娘さんをこんなにたぶらかしおって。成田君から碌でもないことばかり教わったようだな……。まったくうらやましいかぎりだよ。だが、ちゃんと責任は取れるんだろうな?もしもお嬢さん方に半端なことをするようなら、ぶっ殺すぞ!」
「お……、親父!?」
そこにはもはや、威厳ある御門家頭領の姿はどこにもなかった。目の前にいるのは、母様と出会った頃の、己をさらけ出した一人の男。自分を飾ることなく出し尽くした人間、素顔の御門蒼月であった。
そんな姿は初めて見たが、あの鉄面皮をしたいつもの親父よりも、不思議と好感が持てた。
「わ、わかってるよ!俺だって一応、考えてはいるんだから……」
「「「「「「えっ!?」」」」」」
俺の言葉に、女性陣が一斉にこちらを向く。だが、その後の有無を言わさぬ親父の言葉は、彼女達に二の句を告げさせない。
「よく言った!ならば、男に二言は無いことを証明して見せろ。翡翠を倒し、惚れた女を守ってみせろ!」
「ああ!」
「ならば行くぞ。翡翠は、間違いなくあの場所にいるはずだ。俺達が初めて出会った、あの『鬼の洗濯石』に……」
それを聞き、完全復活した銀華さんのセリフが炸裂する。
「ふふん、それじゃあいくよ!不思議、怪し、妖怪、幽霊、この世の不可思議困り事、猫猫飯店店主『銀華』と、その恋人ヒロ君、その式クーちゃん。僕達のお義父さんの蒼月さんとその式、夜叉丸さん。そして僕の愛する友人達、弘美、リル、クミちゃん、そしてリサリサの名にかけて、ヒロ君のお母さんを救い出し、万事解決してみせよう!」
ただし、さらりと紛れ込ませた『恋人』という一言で、その後女性陣から総攻撃をくらう銀華さんであった……。




