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「そ、そんな……。ヒロ君のお母さんも、家族皆幸せだったんでしょ?ど、どうして……」
そこまでの話を聞く限り、悲痛とも思える銀華さんの言葉はもっともだろう。
「まさか……、パパの浮気じゃないっすよね!?」
「アンタ、さすがにそれは空気読みなよ……」
さすがにシリアスなこの場面で、リサリサさんの言葉は聞き流されたが……。
「理由はわからぬ。だが、結果として儂は翡翠を信じさせてやれなかった。幸せにできなかったのだ」
親父は苦い顔をして、それからの出来事を話す。
これというきっかけはわからなかったという。ただ、四歳の誕生日を迎える直前に、当たり前の如く翡翠は息子を手にかけようとした。
御門からすれば、当然総力を挙げて退治せねばならぬ案件であろう。
だが、蒼月は源左を含め、他の者に手を出させなかった。むろん、蒼月と夜叉丸以外の者では歯が立たず、危険という理由もあった。
しかし、本当のところは自らのまいた種に、皆を巻き込むことができなかったのだろう。結局蒼月にできたことは、何とか翡翠を封印することで、時間を稼ぐことだけだった。
だが、息子にはどう説明するというのか。お前の母は、お前可愛さから食おうとしたのだ。そんなことを言えるわけがない。それに、すでに自我が芽生えている歳だ。今日のことは間違いなく将来の成長に影を落とす。
考えた末に、己の術と夜叉丸の幻術を使い、緋色の記憶を封印することにしたのだった。母は死んだということにして……。
しかし、人の記憶を操作するなど簡単に行くことではない。結局蒼月は、翡翠の封印術の力を流用することにする。ただしそれは、翡翠の封印が弱まればそれに連動し、記憶の封印も弱まっていくことを意味するのだが。
「思えば、儂自身も翡翠を信じ切れていなかったのかもしれん」
全ては良かれと思ってしたことだった。己自信が強くなるのも、蛟という強大な式神を従えるのも、万が一に備えて必要なことだったろう。
「だが、あいつからすれば、どこかで己を信じ切ってもらえなかった。そう感じたのかもしれんな……」
「成田警部は……、知っていたんですか?」
「いや、20年近くも前の話だぜ。その頃の俺はまだガキだったし、当然こんな世界があるなんて知りもしなかったしな」
「俺とクーコが出会ったのも鬼の洗濯石ですが、あの様子じゃ、クーコがあそこに居ついたのは母様が封印された後……。おそらくは何も知らないか……」
辺りはすでに闇に包まれ、けたたましいほどに鳴く虫達の声意外は何も聞こえない。
親父の話が終わった後も、何も起きそうな気配はなかった。だが、いつ何が起こるかはわからない。当然皆には、ここに泊まってもらうことになった。
本来であれば、俺は自分の部屋で眠ることになる。だが、何となく一人になるのもためらわれ、成田警部のためにあてがわれた男性用の客間にいた。
当たり前だが、女性用の部屋は別に設けられている。俺のそばにいると主張したクーコも、女性陣の猛反発をくらい、大人しくそちらにいるようだ。
「もちろん、今のお前の気持ちだってわからねえさ。悲しいのか、口惜しいのか、怒りなのか、誰に対してどんな気持ちでいるのか……。だがな、俺も人の親だ。前にも言ったとおり、頭領達の気持ちは少しはわかるぜ」
「親父達……?」
「ああ、お前の爺さんも含めてだ。真っ当な親なら、子どもの成長ってのはかけがえのない宝物さ。だからこそ、頭領の子どもが出来た、家族を守るって言葉を聞いて、先代は認めたんだろうよ。まだまだだけど、自分がいなくなる前に、こいつも立派な男になろうとしてるんだって。」
「男……、ですか……」
「ああ。だからこそ、息子に賭けたんだろうよ。九尾の業を断ち切ってくれることに。それに、それはお前にだって言えることだ。はたから見ても、お前は銀華嬢ちゃん達に出会って変わったよ。もちろんいい意味でな。頭領だって、それを認めてるはずだ。その辺は源さんに聞きゃわかるさ。そうだろ、源さん」
「は、はいっ!?」
不意に成田警部は襖の外に向かい声をかける。すると、そこにはいつからいたのか、源爺が慌てて襖を開けた。
「お、お気付きでございましたか……」
「いんや。ただ、心配性なあんたのことだ、絶対に緋色の様子を伺いに来るだろうとは思ってたからな」
そう言って成田警部は笑う。思えばこの人とも、10年近い付き合いだ。屋敷の人間の性格もおおよそ掴んでいるのだろう。
「ま、そんな所にいるのもなんだし、入りなよ。いろいろと緋色に言っておきたいことももあるだろうしな」
成田警部の言葉に、源左は黙って部屋に入ってくる。しばらく黙っていたかと思うと、おもむろに口を開いた。
先代御門家頭領、緋色の祖父に至っては、おおよそ蒼月の考えるとおりであったという。彼が病の宣告をされたのは、亡くなるおよそ三年ほど前、おそらくはもって三年であろうということだった。
その事実を知って、彼は考えたのだという。息子は才能溢れる逸材とはいえ、御門を切り盛りするにはまだ若く、まだまだ子どもじみている。かといって他の人間に任せるのでは、実力が大きく見劣りする。人を引っ張るリーダーシップも大事だが、御門家は命をかけて怪異と戦う集団だ。いざという時に周りを救えぬ力がないようでは、リーダー失格である。
蒼月が成長するまで、年長者であり、信頼の置ける源左を一時名代にするという考えも浮かんだ。しかし、これは本人に拒否された。
「蒼月坊ちゃまは必ずや期待に答え、やり遂げる男にございます」
源左のその言葉と、己の息子の才を信じて。
その日から、父の蒼月に対する態度は更に厳しいものとなった。他人に出来ぬことを平然とやってのける息子に対しても、父は褒めることがなかった。全ては自分の亡き後、息子が御門を守り、強く生きて行くために。
「しかし、稀に酒など飲まれた時は、蒼月坊ちゃまの成長を心から喜んでおりました……」
そして彼の余命が近付いてきた頃、転機が訪れた。言わずもがな、蒼月と翡翠のことである。
「初めは、認めるつもりはなかったそうにございます。しかし、緋色坊ちゃまが腹にいると聞かされた時に、決意したのです。父親の気持ちがわかるようになるのなら、それでよいと……」
「そして今の頭領だって、同じってこった。自ら母親を封じてしまった手前、何としてもこの子を強く育てねばならない。たとえ恨まれても……、だろ」
「わかってますよ……。もちろん、一人じゃわからなかった。けど、銀華さん達に出会って、俺も少しは成長した……『つもり』ですから」
「ぼ、坊ちゃま……。そのお言葉を聞けば、蒼月様……、いえ、先代様も含めて、どんなに喜ばれるか……」
俺の言葉に、源爺は涙を流さんばかりの表情をしている。
「あ~あ。凛子もいつかは成長して嫁に行くんだろうけどよ、親としちゃあ複雑だよな。何だか一杯飲みたくなっちまった!源さん、付き合ってくれるかい?」
「はい、喜んで。そういえば、人狼のお嬢さんもイケそうなクチでしたが……。いかがしますか?」
「あ~、あっちはあっちで緋色を肴に盛り上がってるだろうし、まあいいさ」
「かしこまりました。では坊ちゃま、ひとまず失礼します」
言うが早いか、二人は嬉々として部屋から出て行った。
「やれやれ、二人とも危機感はあるのか?」
一人部屋に残された俺は、二人の気楽さに少しばかり呆れていた。とはいえ、俺だって本気で思っているわけではない。幾度も修羅場を潜り抜けている二人だし、いくら九尾といえど、親父のいるこの御門の総本山に簡単に何かできるとは思えない。
だが、いつまでもここに隠れているわけにはいかない。さすがにいろんな事が起こりすぎて疲れたし、明日からに備えて眠ろうかと思った時だった。
「ヒロ君、いるかい?」
襖越しに聞こえてきたのは、銀華さんの声だった。
「銀華さん?どうしたんですか」
「さっき成田っち達とすれ違ったら、ヒロ君はここにいるっていうからさ……」
「あ、その、夜はまだ冷えますし、とりあえず中へ入ってください」
襖を開ければ、夜気が忍び込むように入り込み、室内を冷んやりとさせる。銀華さんは黙って部屋に入ってくると、静かに襖を閉めた。
だが、部屋に入っても、相変わらずいつもの銀華さんらしさは見られない。
「どうしたんですか?もう皆寝ちゃったんですか」
「あ……。いや、なんかいろいろと大騒ぎさ。僕にはわからないけど、きっと修学旅行の夜とかってあんな感じじゃないのかな」
そんな言葉に、俺はふと自分の置かれた状況を忘れそうになる。
そして、唐突にある思いにかられる。この人並みの生活をすることができなかった猫又の少女に、年相応の思い出を作ってあげたいと。それと同時に、ちょっとした悪戯心が芽生える。
「修学旅行ですか……。俺も経験はないけど、確かにそうかもしれませんね。それならさしずめ、銀華さんは消灯後にこっそり抜け出して、男子の部屋に忍び込む女子生徒ですか。でもいいんですか?俺にだって親父の血が流れてるんですよ。出会って間もない母様と、子どもを作っちゃうような」
「え……?」
一瞬呆けた顔をした銀華さんだったが、その意味を理解したのか、見る間に顔を真っ赤にする。
「ななな……、何言ってんのさ!!ぼぼ、僕はそんなんじゃなくて……」
両手と尻尾を振り回し、大慌てで否定する銀華さんは可愛かった。その姿を見ていると、俺も妙に落ち着いた気分になる。
「ほら、あんまり暴れると、浴衣がはだけちゃいますよ。」
「……っ!?」
普段は男物のスーツばかり着ている銀華さんだ。こういった着物には慣れていないのだろう。顔を下に向けて自分の姿を確認すると、慌てて乱れかけた裾と胸元を隠す。
「も、もう!エ、エッチなのはダメなんだからね!」
「はははっ、すいません。冗談ですよ」
銀華さんは尻尾を振り回しプリプリと怒っているが、少しばかりいつもの調子に戻りつつあるようだった。
「ありがとうございます」
「え?」
「銀華さんや、他の皆が心配してくれているのはわかってます。そりゃあショックはありますけど、俺にとってはかすかな母様との思い出より、皆と過ごして行く、これからの時間を大切にしたいんです。もちろん、救えるものなら救いたいです。でも、覚悟はできてます、過去より未来を向いていくことに」
「ヒロ君……」
「それに、ここまで来た以上は、お嫁さん候補を紹介しないと、源爺に何を言われるかわかったもんじゃないですからね」
「おっ、お嫁さ……!そ、それって……」
「まあ、まだ結婚できる年齢でもないし、まだまだこれからなんですけどね」
「も、もう。からかわないでよ!」
真っ赤になって怒る銀華さんを前に平然としたふりをしているが、正直に言ってしまえば俺自身も平静ではなかった。
部屋は違えど、今までだって銀華さんと同じ屋根の下で寝泊りしてきたのだ。何を今更と思われるかもしれないが、皆の気持ちを知り、かつ親父達の話を聞いてしまった今、男女のことを意識してしまうのは仕方ないだろう。
おまけに今は部屋に二人きり。前回は歯止めとなったクーコもいないのだ。
「ヒロ君はさ……、やっぱり、結婚するなら人間の女の子がいいかい?弘美や、リサリサみたいな……」
「え……?」
唐突な銀華さんの質問に、俺は一瞬言葉に詰まる。
「僕は、僕のパパのことを知らない。妖怪なのか、人間だったのかも。だからママが、どんな気持ちで僕を産んだのかもわからない。もちろん、ヒロ君のパパの決意は立派だと思うけど、翡翠さんの不安もよくわかるんだ。たとえどんなに人間を好きになっても、僕達と人間の寿命は比べるまでもない。それがわかっていて、本当にお互いを好きになれるのかって……」
銀華さんは、普段の姿からは想像もつかないような寂しそうな表情で言う。その姿に、なぜか俺の胸は、締め付けられるような痛みを覚える。そして俺は、何となくだが自分の気持ちに気付く。
「大丈夫ですよ。確かに、人と怪では一緒にいられる時間はわずかなものなのかもしれません。でも、お互いを想う気持ちに、人も怪も関係ありません。楓さんだって言ってたじゃないですか。それに、葉介さんとりんさんも、親父と母様も、そして他にも、たくさんの人と怪が愛し合って子どもが産まれたはずです。そこに種族は関係ありません。相手を特別だと想う気持ちさえあれば。そういった意味では、そ、その……。俺にとっての銀華さんは、他の皆より、少し特別ですから……」
「えっ!?」
俺の告白ともつかぬ言葉に、銀華さんは唖然としている。
「そ、それって、もしかして……」
だが、その言葉が終わらぬうちに、俺たちは異変に気付く。それは、ガラスが割れるような硬質な音に続き、誰かが叫ぶような声。そして漂ってくる、肌を刺すような強烈な妖気。明らかに何かが起きていることを予感させる、嫌な気配だった。
「銀華さんっ!」
「うんっ!」
俺達は音のした方へと走る。嫌な予感を振り切るように、全速力で。
「ぼ……ちゃ……ま、来て……は、なり……ま……せん」
薄暗がりの中、台所の前の廊下に何か黒い塊があった。傍らには割れた酒瓶が転がり、その塊の周りの床は、暗闇よりも更に黒い闇に包まれている。そしてその闇は、時間と共にじわじわと広がりを増している。
「源……じ……い?」
その闇は、塊より流れ出ていた。じわじわと、広がりながらその生命を奪って行くように。源爺の体から、命を削り取るように流れる真っ赤な血として……。
「おじいちゃん!!」
呆然としていた俺だったが、銀華さんの叫び声で我に返る。
「源爺!」
慌てて駆け寄ろうとする俺に、今度は横合いから声がかかる。
「馬鹿っ!危ねえ!!」
俺は目の前の光景が理解できなかった。俺は目の前に立ちはだかる人物に突き飛ばされたのだろうか。気付けば廊下で尻餅をついている。そして俺の目の前では、わき腹から何かを突き出して立ち尽くす男……。
「なっ、成田警部!?」
俺の目の前には、俺を庇ったのだろう。その拍子に何かに脇腹を貫かれ、立ち尽くす成田警部の姿があった。
「や……、やっちまったな……。まさか俺が、男なんぞを庇っちまうとはよ……。ま、何も……しなきゃ、そ……、それはそれで、凛子に……、お、怒られてただろうけど……よ」
「な、何で……」
成田警部の脇腹から突き出ていた物が、ゆっくりと引き抜かれる。それは脇腹を貫く、真っ赤に染まった狐の尾だった。
「ホホホ、愚かな人間風情が、妾と緋色の仲を裂こうとするからじゃ。大人しくしておれば生きながらえたものを」
暗闇からゆっくりと現れたモノ。それは、言うまでもない。その声、その姿、その気配……。全てはこの人から始まったのだ。
「なぜ……。なんで無関係な源爺や成田警部を……」
「どうしたの緋色?親子の仲を裂こうとする者達に、罰を与えただけよ」
その人は、幼い頃に聞いた優しげな声で語りかけてくる。だが、違う……。この人は……。俺の中で、ふつふつと怒りが湧き起こる。
「この人達は、俺の大切な家族です。だから、いくらあなたとて許せないことがあります。母様……、いや、九尾!」




