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 その日、蒼月はある決意をしていた。すでに翡翠と出会ってから、三ヶ月が過ぎようとしている。いつまでもこそこそと会い続けるのは蒼月の性分に合わぬし、何より翡翠の気持ちを慮っていないように思える。気にしていないとは言うものの、やはりいつまでもこのままというわけには行かぬだろう。

 そして意を決し、いつもの時間、いつもの場所へ出かけて行く。

 

「なんじゃ、遅かったの」


 いつもの時間。いつもの場所に、いつもどおり翡翠はいた。そしていつもどおりの笑顔と言葉で蒼月を迎える。

 もちろん、蒼月が遅刻をしたわけではない。約束の時間よりは、随分と早いくらいだ。だが、どんなに早く来ようとも、なぜか翡翠は自分よりも早くそこにいるのだ。まるで、自分と別れた後に、ずっとその場で待っているかのように。

 もしかしたら、行き場がなくずっとあそこで過ごしているのではないか?そんな考えも浮かび、別れた後に様子を見に引き返そうと思ったことも何度かあった。

 だが、もしも些細なことからでも、今の関係が変化してしまっては……。そんな不安がよぎり、確かめることはできなかった。

 しかし、今日は違う。今日こそは言わねばならぬことがある。そう決意してここへ来たのだ。

 いつもどおりの他愛無い話をした後、蒼月は翡翠の両肩を優しく掴む。そして翡翠は、いつものとおり(・・・・・・・)逆らうことなく力を抜いて、その体を蒼月に預ける。

 

「どうしたのじゃ?」


 だが、いつもであれば力強く抱きしめてくるはずの蒼月に動きはない。見れば、真剣な顔で翡翠を見据えている。その様子に、翡翠は何か大事な話があるのだろうと気付く。

 

 潮時か……。

 

 翡翠がそう思ったのも無理はないだろう。術師と妖怪、ここから先は、望むが愚かというものだろう。まして相手は、この国一番と言われる陰陽師の一族。自らの伝承、九尾の業など当の昔に知っているはずだ。

 だが、翡翠に失望はなかった。いずれ訪れることだとわかっていたし、何より蒼月には言っていないが、大きな宝物を貰ったのだ。例えここで別れても、それを支えに望みを持って暮らしていけるはずだ。

 それに、愛する者との別れなど、数千年もの間に幾度となく繰り返してきたはずだ。数え切れぬほど、何度も何度も……。

 覚悟を決めた翡翠は、自らの肩を掴んでいた両手をゆっくりと外す。

 

「さて、そなたらしくないの。言いたいことがあるのなら、はっきり言わぬか」

「あ、ああ……」


 少しばかり迷った素振りを見せていた蒼月だったが、やがて意を決したのか、再び翡翠の肩を掴む。それは緊張のあまりか、少しばかり傷みを感じるものだった。

 だが、そんなことでとやかく言うような翡翠ではない。そのまま黙って蒼月の言葉を待つ。

 

「翡翠、おっ、俺と、いっ、一緒になってはくれまいか!」

「なんじゃと!?」


 予想もしていなかった言葉に、一瞬翡翠の思考が停止する。刹那に頭に浮かんだ言葉は、はい……。嬉しい……。もちろん……。

 だが、それを言葉にするわけにはいかない。なぜならば……。

 

「ふざけておるのか……?」


 急激に冷たい響きを伴った言葉に、蒼月は慌てて翡翠を見る。その瞳には、言葉と同様に怒りが込められているように見えた。

 

「ふ、ふざけてなどいない。俺はお前を嫁に迎えようと……」

「そなたが九尾の……。妾の業を知らぬはずがなかろう。そなたの伴侶となるということは、いずれ子を成すということ。ならば妾がその子をどうしてきたか……。術師のそなたが知らぬとは言わせぬぞ。それでも一緒になりたいと言うのか!」


 翡翠の全身からは、怒りのあまりか危険な妖気が溢れている。それはもはや、能天気なことを言う蒼月に対するものなのか、恋を成就させることの出来ぬ己の業に対するものなのか、本人にすらまるでわからなかった。

 だが、そんな翡翠に蒼月は臆することなく対峙する。

 

「むろんわかっている!だが、俺はこの三ヶ月、お前の伝説、伝承について調べ上げたし、決して長い時間とは言えないが、お前の性格だってずっと見てきた。だからこそ言ってるんだ。お前のその怪としての業は、抑えられるはずだと!」

「なん……じゃ……と」


 その言葉を受け、翡翠の中で何を馬鹿なという思いと、まさかという思いが交錯する。それはそうだろう。何千年と繰り返してきた己の怪としての性が、抑えられるかもしれぬというのだ。

 

「ふっ、ふざけたことをぬかすな!この……、妾のこの衝動は、何千年を経ても治まることはなかった。それを、それを……」

「だが、お前はそれを抑えたいと思っているのだろう?」


 蒼月の言葉に、わずかに翡翠の妖気が揺らぐ。


「俺とて、この三ヵ月を無駄に過ごしたわけではない。お前の伝承を調べ、そして一つの結論に辿りついたんだ。お前が時の権力者に取り入ったのは、国を乗っ取るためでも何でもない。お前が子供を食ったのも、力を得るためではない。あくまでそれは、結果に過ぎない。全ては愛が……、時を経ても、変わらぬ愛が欲しかっただけだ。違うか?」


 無言のまま、じっと蒼月を見据える翡翠だったが、やがてその瞳から一筋の涙が流れ落ちる。


「お前が権力者を好んだのは、そこがその国で一番安全だと思ったから、愛する者が死ぬ危険が一番少ないからだ。子供を食ったのも、いずれ自らの元を離れていくことが不安となり恐怖したからだ。違うか!?もし違うというのなら、そのように苦しむことなどないはずだ!」

「妾は、妾は……」


 自らの髪を掻き毟りながらうずくまる翡翠に近付くと、蒼月はその体をそっと抱きしめる。

 

「俺はいずれ死ぬ。むろん、お前よりもずっと早く。そしてそれは、お前の長き生からすれば、瞬きするくらいの間のことかもしれん。だが、案ずるな。残りの人生の全てをかけて、俺はお前を愛す。そして、俺達の子にも精一杯の愛情を注ぐ。いつまでも、お前を愛してくれるように。だからお前も、我が子の成長を見守ってくれ。そしてその子が巣立つ時は、我が子の成長を喜び、笑って見送ってくれ。だから何も不安になることはない。俺と愛情の溢れる家族を作ろう」

「馬鹿……者……が……」


 翡翠から流れ落ちた一筋の涙は、やがて滝となりとめどなく流れ落ちる。そんな翡翠を、蒼月は黙ったまま抱きしめ続ける。

 

 どれほどの時が流れたのかはわからない。だが、やがて泣き疲れたのか、翡翠は蒼月の胸元から離れるとゆっくりと立ち上がる。


「翡翠……」

「…………。愚か者が……。術で封じてみせようという者は、確かに過去にもおった。だが、愛でなどと大法螺を吹く阿呆は初めてじゃ。フフッ、妾の負けじゃ。そなたを信じてみよう」

「そ、それじゃあ……!」

「うむ。だが、こうなった以上は、そなたに言っておかねばならぬことがある。腰を抜かしても知らんぞ」


 そして、次に翡翠から発せられた言葉は、蒼月にとって驚くべきことであった。

 

 

 

「さて、行くか」


 御門へ乗り込むにあたり、考えた末に蒼月が取った行動。それは『正門から堂々と入る』というものであった。自らの妻に迎えようという翡翠に、こそこそと隠れて入り込むような真似をさせるのも嫌だったし、万一危害を加えられそうになっても、自分と翡翠の力なら無傷で逃がすことくらいは簡単だろう。


「それに……」


 どうせ自らの父親のことだ。こそこそと三ヵ月も不審な動きをしていた自分が何をしていたかなど、とうにお見通しだろう。

 だったら、小細工はせずにぶつかるだけだ。

 

「よいのか?ここは妾にとって敵地のようなもの……」

「心配するな。いざとなりゃあ、御門を捨ててお前と駆け落ちするさ」

「フフッ、頼もしいの。期待しておるぞ」


 結局、父のいる場所までは、拍子抜けするほどにすんなりと到着した。他の者はすでに知っていたのか、腰を抜かさんばかりに驚いていたのは源左だけだった。おそらくだが、源左に話せば、蒼月を心配してどのような騒ぎになるか……。それを見越して、父は源左にだけは黙っていたのだろう。

 

「ぼっ、坊ちゃま、そっ、その妖狐は……」

「悪いな源左。いろいろ心配してくれていたようだが、俺の嫁は俺自身で探してきた」




 しばらく後、蒼月達は父と向かい合って座っていた。さすがに御門の頭領たる父は、翡翠を見て動揺することも、いきなり手を出すような真似もしなかった。しかし、刺さるような視線は鋭いままだ。

 蒼月は父を見据えると、一息に言い放つ。

 

「俺はこいつを嫁にする!誰が何と言おうとだ」

「馬鹿なことを言うな。一時の気の迷いと放っておいたが、そこまで認めるわけにはいかん。お前とて、九尾の業は知っておるはずだ」


 だが、父の表情は変わらない。オロオロとしているのは、部屋の隅でかしこまる源左だけだ。

 当然、父の返事など想定内である。口論にどれほどの時間を費やしたのか、いつしか外の景色は、赤く染まり始めている。

 

「も、もうよい。そなたが本当に妾を想ってくれていることはよくわかった。妾はこの山を去る。だから、もうこれ以上は……」


 不安そうな翡翠からは、諦めの言葉が漏れる。だが、蒼月は微塵もそんな気持ちはなかった。そして、翡翠から聞いた最後の切り札を使う。

 

「親父は言ったはずだ。俺は将来の御門家頭領として、御門家、そして家族同然である、この家に仕える者達を守る責任があると」

「ああ、それは当然のことだ」

「だったら、自分の家族も当然守る責任があるはずだ」

「なに……?」


 そして蒼月は、爆弾を投下する。それは、先ほど翡翠に聞いたばかりの事実。驚きのあまり、しばし絶句してしまった真実。ただし、それは喜びからくることでもあった。

 

「当然、俺にはあるはずだ!翡翠の腹の中にいる俺の子と、母親である翡翠を守るという責任がな!」




「ひゅ~!パパ、やるっすねぇ~」

「す、素敵……、禁断の愛……。恋愛小説みたいでロマンティックです……」

「はわわ……、さ、三ヵ月で赤ちゃん……、ですか……。で、でも、そんなに好きになってもらえたら、幸せかも……」

「え?てことはなにかい?その時の子が緋色……。へぇ~。人は見かけによらないもんだねぇ。冷たい男かと思ってたけど、情熱的でちょっと見直したよ」

「…………。茶化さんでもらおうか……」


 むっすりとした表情の親父だったが、その顔は真っ赤になっていた。それはそうだろう。娘ほどの年頃の少女たちに、自分の恋愛話を語っているのだ。余程図太い人間でない限りは、羞恥にもだえ苦しんでも仕方ないだろう。

 そして、それ以上に俺もダメージを受けていた。自分の両親の恋愛話を聞かされたうえ、自分が誕生するきっかけを知らされるというのも、さすがにきついものがある。

 

「おほん!そ、それよりもだ……」




 子供の話が出た途端、驚くほどに父は大人しくなった。ただ、不安と安堵感が入り混じったような不思議な表情で、『そうか、わかった……』とつぶやいただけだった。

 もっとも、源左にいたっては、部屋の隅で本当に腰を抜かしていたようだが。

 拍子抜けしながらも、認めてもらったことには変わらない。そしてその場を立ち去ろうとした蒼月達の背中に、父は声をかけてきた。


「お前のその決意、見事実行してみせよ。九尾の業を防いで、己の家族、そして御門を守ってみせろ」


 思えば、それが父の遺言であったのかもしれなかった……。


 蒼月と翡翠が祝言を挙げた半年の後、孫の誕生を見ることなく父はこの世を去った。源左に聞いてわかったことだが、すでに病に冒され、医者からは幾ばくも無いと知らされていたらしい。ただし、そのことについては口外せぬことを厳命され、御門家の中でも事実を知る者は源左だけであった。

 その時になって、蒼月は少しだけ父の気持ちを理解することができた。

 あの、子どもができたと知った時の父の顔……。それはおそらく、まだ若い蒼月を一人残していくことへの不安の中で、唯一の希望になったのではないか。

 幼い頃に母を亡くし、今また若くして父を失おうとしている息子。その息子に自らの家族、守るべき者ができた……。

 蒼月の言葉を本当に信じたのか、本当に九尾の業を抑えることができるなどと思ったのかはわからない。ただ、その不安の中で、自分の息子が必死になって家族を守ろうとする姿に安堵したのだろう。将来への不安と、精神的に急激な成長を遂げた我が子の姿への安心感。その思いが、あの不思議な表情として表れたのではないか。

 

 父の死後少しして、元気な男の子が生まれた。幸いなことにと言おうか、生まれてきた子は人の姿をし、妖狐の特徴は次いでいないようだった。

 翡翠が気にするかと思ったが、むしろ今後の人生に無駄な苦労をさせずにすむと喜んでいた。

 むろん、たとえ妖狐として生まれてきたとしても、蒼月はそんなことは気にしなかっただろう。翡翠との間に、元気な子が生まれてきてくれただけで満足だった。

 名付けの際に、蒼月は迷うことなくある名を告げた。それは、翡翠と初めて出会った時に聞いた言葉。三つの光が交わり、生まれ出ずるかもしれないもの。その元となる赤い光、『緋色』と

 そして蒼月は、家族を守るために懸命に修行を重ねた。翡翠に、過去に見た古今の術者の技を聞き、自らの術を高めていった。万が一に備え、緋色を守れる存在、災いを成すと言われる蛟を、苦労の末に自らの式神として従えた。

 その結果、蒼月は持って生まれたその才能と、御門家頭領の名に恥じぬ力を持つ陰陽師となったのだった。

 そして愛する妻と子と、幸せに暮らす日々が続く。

 

 だが、そんな幸せも長くは続かなかった。それは、緋色が四歳の誕生日を迎える直前のことであった……。

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