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「くっそー、何でうまく行かねえんだよ。俺の計算じゃ、もっと巨大なものが作れるはずなのに……。じゃあ、この呪符なら……」


 とある山中、鬼の洗濯石とも呼ばれる巨大な岩の上で、一人の青年がブツブツとつぶやきながら何かを行っている。

 青年が紙切れを宙に向けて飛ばす度に、周りに人の背丈の倍はあろうかという氷柱が立ち上り、火柱が吹き上がる。不思議なことに、その氷や炎は周りの草木を傷付けたり、燃え広がったりすることはない。少し経てば、何事もなかったかのように消えていくのだ。

 青年が繰り広げる殺伐とした光景は、艶やかに咲き乱れる周囲の山桜の景観と比較しても、随分と浮いたものであった。

 

「大して変わんねえなぁ……」


 人が見たら驚くような光景……。とりわけ同業者(・・・)や、その行為の意味を知る者が見れば涎を垂らしてうらやむような才能も、青年にとっては不満なようだ。

 まるで、自分ならばもっととてつもないことが出来ると信じているように。

 年の頃なら二十歳(はたち)を少し過ぎたところだろうか。細身だがしっかりとした筋肉質の体を、簡素な着物で包んでいる。そしてその太い眉と鋭い目つき、真っ直ぐに通った鼻筋は、青年の持つ意思の強さを物語っているようだ。

 

「やっぱうまくいかねえか。くそっ、親父に大口叩いた手前、少しは何か掴んで帰らねえとな」


 その少し前のことだ。青年は自分の父と些細なこと……。もっぱら、自分の力を過信する若者と、まだまだ子供の力を認めない父親によくある口論をして、家を飛び出して来たのだ。

 青年の名は、御門蒼月。代々この山に住まい、妖怪退治を生業としてきた御門家の跡取り息子である。

 彼は陰陽師として、幼き頃より非凡な才を発揮した。いつしかそれは、歴代御門家の中でも五本の指に入ると噂され、もてはやされ、若く世間を知らぬ蒼月も、当然その気になったものだ。簡単に認めてくれぬのは、彼の父くらいのものだった。

 だが、いくら才能があるとはいえ、若さゆえに経験が圧倒的に足りない。

 そんな折、とある筋から大物退治の依頼が降ってわいたように舞い降りた。そこで自らの力を見せつけようとしたはいいが、己の思う自己評価の高さと、まだまだ実力を認めない父との間のちょっとした諍いで、自らの力を示そうと躍起になっているわけである。

 だが、父に見せつける術を試していたはいいが、自らの思うような効果があらわれない。しだいに苛立ち始め、焦りが頂点に達しようとしていた、まさにその時だった。

 

「誰だ、源左か?」


 不意に茂みがガサガサと音を立て、蒼月はそちらを見る。多忙の父に代わり、幼き頃より父親の代わりとなり面倒を見てくれた源左が、自分を心配して追いかけてきたのだろうと思ったのだ。


「源左、少し過保護すぎるんじゃないか?」


 わずかに顔立ちに幼さを残すとはいえ、さすがに蒼月も成人した大人である。源左の過保護ぶりに呆れて声をかけるが、そこに現れた人物を見て、驚きの表情を隠せなかった。

 

「女……?しかも、妖狐か!?」


 そこに立っていたのは、明らかに人ではなかった。美しい緑の髪に、これまた透き通るような緑色の目をした、一匹の妖狐だった。簡素だが上質そうな生地の単衣を纏い、その髪に時おり舞い落ちる淡い桜の花びらが、お互いに映えて鮮やかなコントラストを描き出している。それはまるで、絵画のようであった。

 妖力の高さを表す尾の数は、見えるかぎりでも四、五本はある。おそらくは隠れている部分に、もっと生えているはずだ。

 

 察するに、九尾の妖狐……。

 

 不意の出来事に、蒼月は呪符を握り締め警戒する。しかし、それ以上にあることに心を奪われていた。

 

「美しい……」


 その言葉は、無意識のうちに己の口から漏れ出ていた。

 御門の人間が怪異を褒めるなど、父には叱られるかも知れぬ。それに、その姿とて偽りのモノかもしれぬ。

 だが、蒼月は怪異に対してそれほど嫌悪感を持っているわけではない。いや、むしろ幼少の頃は父に渋い顔をされながらも、積極的に善良な妖怪と関わりを持っていた。

 だが、今しがた自分が妖狐に感じた感情。それは、今まで友人関係を築いたモノに対するものとは違う、全く別の物だった。

 

「何をしておるのじゃ?随分と力のある術師と見るが、一人でそのようなことをして楽しいのか?」


 鈴を転がすような声で語りかけてきたかと思うと、妖狐は蒼月のことなどまるで意に介さず、術に恐れもせずに近付いてくる。そして、その足取りに敵意がないことは蒼月もわかる。

 

「い、いや、訳あって術の修行をしている。しかし、思ったほどの効果が出なくてな」

「ほう、なかなか見事なものだと思うたが、更に上を望むか。どれ、少しばかり見せてみよ」


 近付いてきた妖狐に、蒼月は黙って符を渡す。本来ならば、得体の知れない怪異に己の命を守る武器を渡すなど、命取りだろう。

 だが、蒼月は魅入られたように符を渡す。

 

 ああ、良い匂いがする。これは白檀の匂い袋か……?

 

 そんなことを、うっすらと思いながら。

 

 妖狐はしばらく符を眺めていたが、何をするでもなくそれを蒼月に返す。

 

「妾は呪文には詳しくないが、昔見た、この国一の術師と言われておった男が使っておった符の文字は、少し違うておった気がするぞ。ほれ、ここのところじゃ」

「え!?」


 妖狐から漂う香りに気を取られ、ぼんやりとしていた蒼月は、その言葉に我に返る。そして、言われた場所の文字をよく見る。

 

「そ、そうか!おい、ちょっと待っていてくれ」


 洗濯岩から飛び降りた蒼月は、近くの木に引っ掛けておいた風呂敷包みを取る。その中から筆と符を取り出し、新たな呪符を作成する。そして出来上がった符を片手に、妖狐に告げる。

 

「今からこれを投げる。危ないからお前は下がっていてくれ」

「何じゃ?妾は構わんが、そう言うならば下がろうか」


 言うが早いか、妖狐は音もなく一瞬で蒼月のすぐ後ろに位置取る。その動きで妖狐の力に気付いた蒼月は、己の心配が無用であったことを知る。

 だが、万が一にもこの美しい妖狐を傷付けては……。そんな思いにかられ、下がらせた事への後悔はない。それよりも、妖狐が自らのすぐ後ろ、息も届かん場所にいることに気を取られそうになる。

 

「い、行くぞ。……うおっ!?」


 蒼月の投げた呪符からは、勢いよく火柱が立ち上がる。なんと、その高さは先ほどの倍はあろうかというものだった。

 

「す、すげえよ!お前の言ったとおりにやったら……。あ……、す、すまん」


 興奮のあまり妖狐の両肩を掴んでいた蒼月は、そのことに気付いて慌てて手を離す。

 

「気にするでない。しかし、ここにはそなたのような術師が幾人もおるのか?」

「ん?ああ、俺ほどの使い手はいないがな。俺以上と言えば、今のところ親父くらいのものか。むろん、すぐに越えてみせるがな」

「そうか。ならば、ここも妾が長居をする場ではないか。邪魔をしたな」

「え?」


 妖狐はくるりと後ろを向くと、あっさりと立ち去っていく。

 

「お……、おい。待ってくれ!」


 だが、蒼月の中に芽生えた思いが、無意識に妖狐を引き止める。

 

「何じゃ?まだ何ぞ用があるのか」

「い、いや、用というわけではないのだが……」


 呼び止めたはいいが、何を言うのか、何のために呼び止めたのか、己自信もよくわかっていなかった。だが、このまま別れてはいけない、そんな気がしたのだ。

 今でこそ冷静沈着を絵に描いたような男だが、元々は己の信念を貫く、直情型の人間である。今の姿は御門や息子を守るために、大人にならざるを得なかった姿、皆の理想像である蒼月に過ぎない。

 それゆえ、そうと決めれば迷いはなかった。

 

「ここを離れて、どこへ行く気だ?」

「さて……。決めてはおらぬが、どこか静かな地へでも行こうかの」

「待ってくれ。ここは確かに陰陽師……、おまえの言う術師の統べる地だが、悪さをせねば怪異にも手は出さん。それに、お前ほどの力があれば、簡単にはやられぬはずだろう」

「ほう……。わかるか?」


 蒼月の言葉に、妖狐は警戒した目をする。だが、次に続く言葉に目を丸くした。

 

「そ、そんなことよりも、あ、明日も会えないだろうか!」

「何じゃと?」


 蒼月の言葉の意味が理解できなかったのだろう。妖狐は何かを考え込んでいるようだった。

 だが、続く蒼月の言葉に、少しばかり目の前の男を信じる気になったようだ。

 

「ここを統べるのは親父だが、俺は御門の跡継ぎだ。俺が命令すれば、他の者とていきなりお前に手出しをしたりはせん。いや、させん!だから……」


 真剣な表情の蒼月を見て、妖狐はクスリと笑う。

 

「わかった。では、明日のこの時間、この場所で良いか?」

「あ、ああ!もちろんだ」

「では、また明日な」

「まっ、待ってくれ!」


 立ち去ろうとする妖狐に、蒼月は再び声をかける。

 

「名を……、名を教えてくれ。俺は蒼月……、御門蒼月だ」


 妖狐は驚いたような顔をしている。当然だろう。教える教えぬは別として、何者かすらわからぬ怪異にいきなり真名を聞き、あまつさえ自らの名を教える馬鹿がどこにおろう。少しばかり迷った素振りを見せた妖狐だったが、やがて笑う。

 それは心底楽しそうな、心からの笑顔に見えた。その笑顔を見た蒼月の胸が、早鐘のように鳴り響く。

 

「『翡翠』じゃ。妾の名は翡翠。この髪と、両の(まなこ)の色と同じ名じゃ。覚えておくがよい」

「あ、ああ、覚えたぞ。忘れはせん!」

「ホホホ、面白い奴じゃ。さしずめそなたは、熱き中に秘めた氷の青か……。しかし、翠に蒼か……。この場に赤……、緋や朱がおればどうなるのか……。面白いものじゃ」

「は……?どういうことだ?」


 不思議なことを言う翡翠に、蒼月は尋ねる。


「なに、ちょっとしたことじゃ。そなたは緑と青、そして赤い光が交われば、どのような色を成すか知っておるか?」

「い、いや……。紫……、とかか?」


 今までの人生で考えたことすらない質問に、蒼月は戸惑う。そんな様子を見て、翡翠は更に可笑しそうに笑う。

 

「正解はな、()じゃ」

「無……?」

「そうじゃ、無色、白、透明とも言おうか。そんな無垢な者が生まれ、育ってゆけば、どんな色に染まっていくのだろうなぁ。なに、他愛の無い戯言じゃ。では、明日……の」


 そう言うと翡翠は、振り返ることなく山中へと消えていく。ほんの他愛の無い会話ではあったが、この時の翡翠の言葉を、蒼月は忘れられなかった。


「赤……。緋色……か……」




「坊ちゃま、どこへ行っておられたのですか。心配しましたぞ」

「ん……?ああ……」

「源左よ、いつまでも蒼月を甘やかすでない」

「し、しかし……」


 屋敷に戻った蒼月の耳には、父と源左の言葉などまるで耳に入ってこなかった。考えるのは先に出合った女のこと。あの緑の髪と瞳、風に揺れる耳と九つの尾。熱に冒されたかのごとく、翡翠のことしか考えられなかった。

 フラフラと自室に戻り、疲れた体を投げ出すように、畳の上に大の字に寝転ぶと目を瞑る。

 

「明日、また会える……」


 それだけを考えながら……。




「何じゃ、随分と遅かったのう」


 翌日、蒼月が約束の場所へと来てみれば、すでに翡翠は石の上に立っていた。

 遅いといっても、決して蒼月が遅刻したわけではない。むしろ、待ち切れなくて早く来てしまったため、約束の時間よりは随分と早い。

 そんなに早くから翡翠が来ていたことに、蒼月の胸にはもしかしたらという淡い期待が膨らむ。

 長い髪が日の光を受け、美しくきらめく様をしばらく黙って見ていると、不思議そうな翡翠に声をかけられる。

 

「黙りこくってどうしたというのじゃ?そもそも、ここへ呼び出したのはそなたであろう」

「あ……、ああ。それなんだがな……」


 蒼月は必死で話を繋ぐ。昨日聞いた呪符の事、匂い袋の中身、今棲み家としている場所。何を食っているのか、何をして過ごしているのかなど。

 それは、他愛の無い話だった。だが、修行に明け暮れていた蒼月にとっては、新鮮で何よりも楽しい時間だった。

 翡翠もそんな蒼月との会話に飽きる様子もなく、話は尽きることはなかった。

 だが、そんな楽しい時間もあっという間に過ぎる。蒼月とて修行や仕事もあり、そうそう長居をするわけにもいかない。去り際に蒼月は、思い切って尋ねる。

 

「あ、明日もまた、会えぬだろうか!?」


 そんな蒼月を見て、翡翠は微笑む。

 

「では、また明日な……」


 雨の日も風の日も、二人はそこで逢瀬を重ねた。そしていつしか、二人の別れ際の言葉は決まったものとなっていた。

 

「では、また明日……」


 そんな二人の心が近付くのに、長い時を要することはなかった……。

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