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「おお、坊ちゃま、良くぞご無事で。しばらく見ない間に、随分と逞しくなられましたな。『男子三日会わざれば刮目して見よ』とはよう言うたものです。まさに見違えるほどになられましたぞ。それに、あの奥手だった坊ちゃまが、将来の花嫁たる方々をこんなにもお連れなされて……。これで御門も安泰でございますな。儂は嬉しゅうございますぞ」

「いや、源爺(げんじい)。少し離れてたくらいで大げさな……。それに、この人達はその……」


 石段を登った俺に抱きつかんばかりに駆け寄ってきたのは、既に七十歳の半ばは超えているであろう、頭の後ろと横にわずかに残った頭髪も真っ白になった、小柄な老人であった。

 

「何をしておる源左(げんざ)。客人をお待たせしてどうするか」

「これは申し訳ございません。蒼月坊ちゃま」


 源左と呼ばれた老人は、親父の一喝で慌てて俺から離れる。


「申し遅れましたが、私がそこにいる不肖の息子、緋色の父である御門蒼月と申します。本来ならば、わざわざお越しいただいたお客様をおもてなしせねばならぬところですが、何分事情が事情です。ここにくるまでにお疲れでしょうし、まずは中でお休みください。ご迷惑をおかけした原因もそこで説明しましょう。私はまだ、少しばかりすることがあるので失礼しますが。源左よ、皆の案内を頼むぞ」

「かしこまりました、蒼月坊ちゃま」


 深々と頭を下げる源爺だったが、それを見た親父は、わずかに渋い顔をする。

 

「源左よ、客人もおるのだ。『坊ちゃま』はよさぬか」

「おお、これは申し訳ございません。蒼月坊ちゃ……、おほん、蒼月様」


 更に渋い顔になる親父を見て、俺はつい吹き出しそうになる。わかっていたとはいえ、あの親父がかなわぬ人物がいるとは、おかしなものだ。

 

「とにかく、いつまでもここで立ち話をしているわけにもいかぬ。早々に案内を頼む」

「かしこまりました。蒼月坊ちゃま(・・・・・・)

「…………」


 苦虫を噛み潰したような親父の後ろ姿を背に、俺達は御門の屋敷へと足を踏み入れたのだった。

 

 

 

「ククク、相変わらずだなぁ源さんは。あの頭領(おやじさん)が自分のペースを掴めないのは、あんたくらいのもんじゃないか?」

「何を言われるか成田殿。儂にとって蒼月坊ちゃまは、幼き頃より面倒を見てきた我が子も同然じゃ。言うことを聞くばかりが教育ではないぞ」


 俺達は屋敷で一番の大広間に通され、座卓に運ばれたよく冷えたお茶を飲んでいた。弘美ちゃんとリサリサさんに至っては、相当に喉が乾いていたようで、出されたお茶を立て続けに二杯飲み干して、ようやく落ち着いたようだ。

 

「あ、あの~」


 二人の会話を止めるように、不意に声が上がる。誰かと思えば、それは発言を求めるように右手を上げる、リサリサさんだった。

 

「あの~、アタシ、ここに来た理由も全くわかんないんすけど。それに、さっきの人がセンセーのパパなんすか?チョー渋いんすけど」

「なんだお嬢ちゃん、あーゆー堅っ苦しいのが好みか?」

「うん、チャラいよりは全然いいっす。じゃあ、センセーの性格はパパ似ってことっすね。フフン、良いところが遺伝したんすね。あ、もちろんルックスはセンセーのほうが全然好みっすけど」


 そのリサリサさんの発言に、源爺の目の色が変わる。

 

「なんじゃ嬢ちゃん。嬢ちゃんは、緋色坊ちゃんの嫁に来る気があるのか?」

「もちろんっす。え?なに?お爺ちゃんって、もしかしてセンセーのお爺ちゃんなの?」

「いやいや、儂ごときがとんでもない。じゃが、儂はまだ蒼月坊ちゃまが生まれる前、先代がご存命の頃からこちらにお仕えし、はや五十年以上は経とうか。じゃから、蒼月坊ちゃまは我が子、緋色坊ちゃまに至っては、孫も同然に思っておる」

「へぇ~。アタシって割とじーちゃん、ばあちゃんっ子だったんだよね~。だからここに来たら、お爺ちゃんのことも大事にしたげるっすよ」

「おお、そうかそうか。なんと優しい娘じゃ。坊ちゃまは良い嫁を見つけられたのう。そうじゃ、なんならここで式を挙げて……」

「ちょっ、ちょっと待った!」


 またしても声が上がり、全員の注目が集まる。声の主は、電車の中からほとんど言葉を発することのなかった、銀華さんであった。

 

「さっきから聞いてりゃ、随分とずうずうしくないかい。だいたい、ヒロ君の奥さんは、まだ誰かって決まったわけじゃ……」

「ハッ、そうだよ。狗巫女が候補の一番手なのは変わらないんだからね」

「は、はわっ!?そ、その中にリルさんも入ってるんだけど……」

 

 徐々に小さくなる銀華さんの声だったが、俺は少しばかりホッとしていた。ずっと元気のなかった銀華さんが、リサリサさんのペースに引っ張られ、いつもの様子に戻りつつある。

 まあ、会話の内容はなんだが、まずは一安心というところか。

 だが、いつまでもくつろいでいるわけにはいかないだろう。俺は意を決して源爺に声をかける。

 

「源爺、それで、話の続きなんだが……」


 俺の言葉に、その場の空気が張り詰める。だが……。


「お嬢さん方、汗もかいてお疲れのようじゃし、せっかくなのでまずは風呂でも入ってこられてはいかがかな」


「「「はい?」」」


 突然の源爺の提案に、皆キョトンとした顔をしている。それはそうだろう。

 今から俺の過去のこと、これからに関わる大事な話が始まろうかという時に、突然温泉旅館に来たかのごとき提案をされたのだ。


「お、おい源爺……」


 だが、源爺は俺の言葉を遮ると、再び女性陣に語りかける。

 

「何せ御門家にあるのは、正真正銘、源泉掛け流しの温泉ですからな。疲れなんぞあっという間に吹っ飛びますぞ」

「ちょっとアンタ、温泉って、旅行に来たんじゃないんだから……」

「そうだよ、ヒロ君が大変なときに、のんびり温泉なんて……」


 さすがに女性陣からも反対意見が出るが、その抵抗は目に見えて弱弱しい。

 

「何を言われるか。女は男の前では身だしなみを整えておくものじゃぞ。それに、湯上り後の女性の火照った顔というのは、なんとも艶っぽいものじゃ。男というのは、そういうのに弱いのですぞ。のう、坊ちゃま?」


 意味深な目で女性陣を見る源爺の、その言葉がダメ押しになったのだろう。皆が一斉にこちらに振り向く。

 

「ま、まあたしかに、焦っても仕方ないしね。少しくらいなら大丈夫か」

「そ、そうですね。私もここに来るまでに、すっごい汗かきましたし……」

「はわぁ~、私、露天風呂って初めてですぅ……」

「し、しかし……」


 けれど、俺が止めようとするも無駄なようだ。皆の心は、すでに温泉へと傾いている。

 

「我は行かぬぞ」


 だが、誘惑に次々と女性陣が陥落する中、氷のように冷たい声が響き渡った。声の主を見れば、ここへ到着してからは皆に遠慮をしていたのか、随分と大人しくしていたクーコだった。

 だが、静かな態度とは反対に、その顔つきは険しかった。

 

「この非常時に何を考えておるか!今我等がすべきことは、緋色様を守ること。それに、そこの人間二人。ヌシ等も狙われておるのだぞ。緋色様に無駄な心配をかけぬよう、大人しくしておるべきだろう」

「う……、それはそうです。すみません」


 クーコの正論には、弘美ちゃんもこたえたようだ。

 

「源左もだ。緋色様がヌシに甘いからと、調子に乗るでないぞ」

「何を言われるか空狐殿。儂はお客人をもてなそうと……」

「ま、まあまあ。クーコも源爺も、ここは落ち着いてだな……」


 徐々に悪くなっていく雰囲気に、俺は慌てて口を挟む。だが、時すでに遅かったようだ。


「ふ~ん。やっぱクーコちゃん、自信ないんすね」

「なに!?」


 だが、そんな険悪になりかけた雰囲気を、リサリサさんの不意の一言が変えたのだった。

 

「……、小娘よ。今のはどういう意味だ?」

「だってそうでしょ?クミコちゃん……、は特殊すぎて置いとくとして……」

「はわっ!?特殊って何ですか!?」


 突然名前を呼ばれた狗巫女ちゃんは、意味がわからずアタフタとしている。しかし、リサリサさんはそれを無視して話を続ける。

 

「フェンリルさん……、も立派過ぎるからあれだけど、アタシや弘美と比べてもかなりアレ(・・)だしねぇ。まあ、もしかしたら銀華よりも……」


 そう言いながらも、リサリサさんの目線は女性陣の体の一部、首から下あたりを見回している。

 

「貴様……、何が言いたいのだ」

「ん?別にぃ。まあ、誰にだって比べられたくないことはあるっすからね」

「ふ、ふ、ふざけるな!わ、我の胸が猫又ごときに劣るだと!?そそ、そのようなことがあるわけが……」


 どうやら図星だったようだ。普段は白磁のようなクーコの顔が、今は屈辱で真っ赤になっている。

 そして、その言葉を受けて興奮したのは、クーコだけではなかった。

 

「ちょ、ちょっとリサリサ!どういうことさ。ぼ、僕の胸がクーちゃんより小さいって……。そ、そりゃあクミちゃんとかと比べるのはアレだけど、さすがにクーちゃんよりは……」


 それを聞き、さらにクーコが反応する。

 

「フン!事実を事実と認められぬとは……。猫又とは愚かなものよ」

「なっ、事実ってどういうことさ!僕のほうが少しは……」

「ぐっ……、なら、勝負するか!」

「いいよ。受けてたとうじゃないか!」

「ならばついて来い。風呂場はこちらだ。おい、そこの人間、ヌシも来い。判定を下せ」

「ええっ、わ、私ですか!?」


 そうしてクーコは、銀華さんを引き連れ風呂場へと向かう。その右手には、首根っこを捕まれて、引き摺られるように引っ張っていかれる弘美ちゃんの姿があったのだった。

 

「へへっ、面白そうっすね。アタシも行ってきま~す」

「ちょ、ちょっとリサリサさん!?」

「ああ、お嬢さん方のタオルと浴衣は用意しておくんで、ゆっくり楽しんでくだされ」


 呼び止める間もなく、リサリサさんは三人の後を追っていってしまった。

 

「ま、こうなっちまったら仕方ないさ。んじゃ、アタシ等も行くとしようか」

「はわっ、す、すみません緋色さん」

「はいはい、今さらですし、ゆっくりしてきてください」

「ああ、何せ御門の護衛付きだ。こんな機会はまたとないだろうしね。せっかくだしのんびりさせてもらうさ。それよりも、アンタはどうするんだい。なんなら一緒に入るかい?」

「へ……?一緒にって……。そ、そんなわけないでしょ!」

「アハハ、冗談だよ。んじゃ、ひとっ風呂浴びてこようかね」


 そして、まるでどこかのオッサンのように豪快に笑いながら、リルさん達も風呂場へと向かったのだった。

 

「心配めさるな。ここは御門の総本山ですぞ。それに、蒼月様や坊ちゃまには遠く及ばぬとはいえ、儂等も陰陽師の端くれ。易々とやられたりはしませぬ。それに、いざとなればこの命に代えても、坊ちゃま方はお守り申す」

「ま、源さんの気持ちも汲んでやれよ。こんな時に風呂を勧めた理由……。とっくにわかってんだろ?」


 成田警部の言葉に、俺は自分を落ち着かせるようにため息を吐く。

 

「ええ、わかってますよ。頭に血が上ってた俺を、冷静にさせようとしてくれたんだろ」

「はて、儂は御門家自慢の温泉を、お嬢さん方に楽しんでもらおうとしただけですぞ。それに気に入れば、ここに嫁入りを望む方も増えるかもしれませんしな」


 すっとぼけた顔で、源爺は笑う。

 

「はいはい、まあいいさ。けどな、命に代えてもなんてのはやめてくれよ。俺にとっては、源爺も大切な家族同然なんだからな。まだまだ長生きしてもらわないと困るんだよ」

「ワハハハ、ご安心めされよ。この源左、坊ちゃまの子……、儂の曾孫を見るまでは、簡単にはくたばりませんぞ」

「俺の子って……。まあ、源爺は当分長生きするだろうよ」

「ハハハ、まあ、女の長風呂をこのまま待つってのも退屈なもんだ。俺達もひと風呂浴びるか。それとも何か?お前はあっちの女湯のほうに行くか?」

「いっ、行くわけないでしょ!!」


 そして俺は、久しぶりに我が家の風呂場へと向かったのだった。

 

 

 

「違う……、違うぞ……、だ、大丈夫だ。我は猫又には勝っていたはずだ……」

「うう……、まさか弘美があんなに成長してたなんて。以前に楓と一緒に入った時は、もう少し小さかったはずなのに……。くっ、で、でも大丈夫さ。少なくとも僕は、クーちゃんには勝っているはず……」

「お、お二人とも元気出してください。別に、どっちもどっち……、じゃなくて、こ、こんなの勝ち負けをつけるようなことでもないんですから、ね?」


 三十分あまりで風呂から出た俺と成田警部だったが、そこから待つこと更に三十分ばかり。ようやく銀華さん達が戻ってきた。

 全員が浴衣を着て、満足げに上気させた顔をしている。だが、その中にあって銀華さんとクーコだけが、片や俯いて、片や虚空を見上げたまま、何やらブツブツと呟いている。そしてその傍らには、必死で二人を慰める弘美ちゃんの姿があった。

 

「しっかし、フェンリルさんも立派っすけど、クミコちゃんのおっぱいは凄いっすね~。アタシ、あんなマシュマロみたいなの初めて揉んだっす」

「はわわっ!ひ、緋色さんの前で揉んだなんて……」

「まったくアンタは……。あんなに躊躇なく人の胸を揉む奴は、初めて見たよ」

「いやいや、アレは1回は揉んどくべきっすよ。一緒に住んでて、1回も揉んでないんすか?」

「は、はうぅぅ……」


 女性陣は皆、湯上りのいい香りをさせているうえに、薄手の浴衣が体のラインをくっきりとさせ、色香を増している。

 さらには、何やら俺達の入り辛い会話をする女性陣に、なんだか妙な気分になりそうになる。だが、幸いなことに源爺が飲み物を持って戻ってきた。

 

「皆様満喫されたようじゃし、お茶でも飲んでくつろいでくだされ。成田殿と犬神殿は、酒のほうがよかったかな?」

「おっ、いいねぇ。風呂上りに冷たいビール……、といきたいところだが、今回は遠慮しとくよ」

「ああ、アタシもやめとくよ。こんな状況じゃなきゃ、遠慮なくいきたいんだけどね。それより、そろそろ本題に移ったほうがいいんじゃないかい?」

「うむ……」


 少しばかり真面目な顔に戻ったリルさんの言葉を受け、源爺の顔に苦いものが走る。それを見た俺は、少しばかり違和感を感じる。それはまるで、何か言わなければならないことを、必死に耐えているかのような感じがしたからだ。

 

「源左殿は、蒼月様と翠様が出合った頃から知っておられます。我が子のような二人があのようなことになり、辛い部分もあるのでしょう。よろしければ、私が変わってお話いたしましょうか?」

「夜叉丸……?」


 襖を開けて入ってきたのは、風呂上りでくだけた浴衣姿の俺達とは正反対に、いつものスーツを着こなした夜叉丸だった。その姿を見た源爺は、チラリと俺を見た後に夜叉丸に向き直ると、黙って頷いた。

 

「かしこまりました。では、不肖私めが、九尾の狐の物語についてお話いたしましょう。それは遥か昔、私でさえまだ生まれていない頃……。そうですね、その頃のことを知るのは、空狐殿くらいでしょうか……」

「フン、下らぬ小芝居はよせ。さっさと話さぬか」

「かしこまりました。では、昔々のことにございます……」

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