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むかしむかしのことじゃった。
ん?どのくらい昔かじゃと?
そうさのう……。儂がまだ大陸におるころじゃったから、ええと……。
まあ……。
何じゃ…………。
その………………。
ええい、いつでもよかろう!とにかく、随分と昔のことなのじゃ!
なにせ、今のように人が一日で海を渡ることもできねば、同じ国でも行き来するに、何十日もかかった頃の話じゃ。
空を飛べる機械も無ければ、燃料を燃やして走る車も無い。
船もたくさんの人手が漕がねばならぬし、陸路とてせいぜい牛馬に車を引いてもらうくらいじゃ。
特に儂のおった国は、ずいぶんとだだっ広かったからの。
世には戦の気配があふれ、毎日のように戦や飢え、病で死んで行った者達が、ゴロゴロと道端に転がっておった時代じゃ。
もっとも、そのおかげで我等のような異形のモノ達には、食うに困らぬ良い時代であったがの。
なにせ、人間の一人や二人おらんくなろうが、大騒ぎされることもない。
戦で死んだか、貧しさに耐えかね逃げ出したか、借金のカタに売られたか……。
そうでなければ、夜盗か山賊に攫われたかと思われるのが、関の山じゃったからのう。
ただ、栄養が足らぬせいで人はやせ細り、あまり旨くはないのが困りモノじゃったがの。
おいおい、そのような目で見るでない。あくまで昔の話じゃぞ。
今では儂も改心……はしておらぬが、人は喰うておらぬぞ。
おお、そうじゃ。どれくらい古いかと言われれば、儂のおった国には、皇帝などと呼ばれる者がおった。今ではそのように呼ばれる者などおるまい?
今でもどこぞの国には、独裁者という者はおるようじゃがの。
ククク、何を慌てておる。事実じゃから仕方あるまい。
もっとも、民衆とて支配されておることにすら気付かぬならば、それはそれで幸せかもしれぬがな。
いずれにせよ、儂にはどうでもいいことじゃ。
そういえば、儂のおった国の頭共も、自分達が世界を統べておると勘違いしておる愚か者共じゃったな。
儂から見れば、人間が人間を必死に支配しようとするのは、滑稽以外の何者でもなかったがの。
もっとも、力ある者が頂点に立つという考えは、嫌いではないがの。
ただ、やたらと儂を目の敵にして、討伐に来るのは困りものじゃった。ちょっとばかり人を喰い、生気を吸っておっただけなのに……。まったく、けち臭い奴らじゃ。
とにかく、そんな大昔の古い時代のことじゃ。
ん?うるさいな。今度は何じゃ?
何?そんな昔のことを知っている儂は、何者かじゃと?
別に儂が何者でもよかろう。単にヌシら人間共より、遥かに長生きをしておるだけの、ただの語り部じゃ。
ただ一つのことを除いては、別段何の取り柄もない『化け猫』のな。
おお、そうじゃ。そういえば、同じ時代を生きた怪に、印象深い奴が二人おったな。
両者とも妖狐ではあったが、成り立ちは随分と違っておった。
一人目は、単なる妖狐じゃった。儂よりも長く生きているとはいえ、初めて見た時は大した力もなかった。何より怪らしからぬ、ずいぶん真面目で堅物な奴だと思ったものじゃ。いい加減に生きておる、儂と違っての。
ククク、ここは笑うところじゃぞ。
……。まあ良い。
いずれにしても。さして力も無い奴ゆえ、遠からず人間か怪に殺されてしまうだろうと思っておった。じゃが、持ち前の真面目さゆえか、随分と修行を重ね、力を付けていったようじゃがの。
今にして思えば、完全に儂の見る目が足らなかったようじゃ。
それから数千年の後には、奴は神仙と称される地位にまで上り詰めておったのだからの。
片や儂は、『厄際の女王』などと呼ばれて、忌み嫌われておるのにな。
ああ、別に嫉妬などせぬよ。
儂が興味あるのは喰うことだけじゃったし、そんな偉いモノになりたいとも思わなんだからの。
それに……、ククク。女としては、可愛い娘を産んだ儂の勝ちじゃしの。
もっとも、あの堅物にも、最近はどうやら気になる男ができたようじゃ。
まあ、相手は儂も良く知る男なのじゃがの。
だが、あれは我が娘の婿にと唾をつけた男じゃ。いくらあ奴とて、はいそうですかと渡すわけにはいかぬ。
とはいえ、あの子も肝心なところで臆病じゃからのう。愚図愚図しておると、周りの輩に取られかねんというに……。。
いや、他所に取られるくらいなら、いっそのこと儂が婿殿を……。
べ、別に良いではないか!儂とてまだ見た目はピチピチじゃぞ。婿殿とて、儂をハタチくらいと言うてくれたのじゃ。
何?娘の父親がいるはずじゃと?
フン。儂等は怪ぞ。
別のあの子の父親とて、人の世のように結婚しておるわけではないわ。
おっと、いかんいかん。どうやら話が脱線してしもうた。
うむ、もう一人の奴の話じゃったな。
とはいえ、奴の方は棲む世界が随分と違っておったからのう、あまり詳しいことは知らぬのじゃ。
なにせ、儂や先の妖狐がその日の食い扶持を求めて、必死に野を駆け回る中、あ奴はほとんど宮中で過ごしておったからの。
奴は、人間など玩具か食料かという我等の中でも、変わり者というか……。むしろ、積極的に人の世の中で生きておった。
窮屈な生き様を嫌う我等とでは、文字どおり棲む世界が違ったのよ。
もっとも、今と違い我等は、よほど無害か人間の眼中に無いほど力弱きモノでなければ、討伐されてもおかしくない時代じゃ。
あ奴も当然、正体は隠しておったがの。
まあ、それはそれで賢い生き方じゃと思うぞ。
特にあ奴は、時の皇帝などの権力者に取り入って、正妻の座に収まっておったからの。
黙っていても三度ごとに贅沢な食い物が出てくるし、身の周りのことは至れり尽くせりじゃ。
いや、先にも言うたが、別にうらやましいわけではないぞ。
そりゃあ、黙っていても旨い食い物が出てくる生活は魅力的じゃ。だが、代わりに息の詰まるような暮らしをせねばならんのだぞ。
欲望のまま生きる我等にとっては、そんな暮らしは御免じゃ。
それに、正体がバレたら即座に殺されかねん。常に気を張っておらねばならぬしの。
ん?奴の正体か。
ああ、確かに妖狐じゃが、先の奴とは比べ物にならんよ。当時から既に大妖と言ってもいい存在じゃった。
もっとも、今ではあ奴も神仙と呼ばれておるし、あくまで当時の話じゃがな。
別に、もったいぶっておるわけではない。そう急かすな。
奴には尾が九つあった。そう言えばわかるじゃろう。
そうじゃ。『九尾』じゃよ。九尾の狐じゃ。
むろん、尻尾が多ければ偉いというわけでもないがの。なにせ神仙に至っては、尾が無くなっておるのじゃから。
だが、尾の数は力の象徴であることには違いない。
とにかく奴は、そうして人に化けては時の権力者に取り入り暮らしておった。
なぜ、そのようなことを繰り返していたのかはわからぬ。こればかりは奴の性格なのか、怪として持って生まれた性なのかはわからぬからのう。
もしかしたら、人の社会に興味を持ち、影から支配したかったのやもしれぬ。
まあ、その男を篭絡する手口だけは娘に教えてほしいくらいじゃ。
何じゃ?バレなかったのかじゃと?
ククク、そんなわけがなかろう。一度や二度ならまだしも、その長き生のほとんどで、そんなことを繰り返しておるのじゃ。
儂も詳しくは知らぬが、伝え聞いたところによれば、何度も正体がバレては殺されかけておるようじゃ。
何度も同じ目に合っておるというのに、馬鹿なのか、怪の性なのか……。
まあ、奴に人間の注意が向いている間は、儂への注意がそれて、随分と楽をさせてもらったがの。
いずれにせよ、そんなことを何百年も繰り返し、やがては大陸におれぬようになった。その結果流れ流れて、東にある小さな島国へ辿り着いたと言われておる。
まあ、結局は性なのじゃろうなぁ……。そこでも同じことを繰り返し、最後はかの地の術者に封印されたと言われておるわ。
ん?殺さずに封印した理由?
ああ、復活を恐れたのじゃろう。
儂等怪の存在というのは、人間の信じる心が生み出すものじゃ。恐れ、敬い、願い、欲望……。様々な理由で人が儂等の存在を信じる限り、怪異は必ず現れる。特に九尾などという有名な怪は、意識せずとも人々の心に棲まわっておる。だからこそ、存在を留めたまま封じるという手段を取ったのじゃろう。
もっとも、東の島国では封じたは良いが、その魂が封印を抜け出し、自らの子孫に取り付く事態が起きたらしいがの。
何?封じられておるのに、他に九尾がいるのはおかしいだと?
たわけが。九尾がどれほど権力者と番ってきたと思っておるのじゃ。当然、子を成しておるに決まっておろう。
九尾の子と気付かれずに成長することもあるだろうし、たとえバレたとしても、皇帝とて人の子じゃ。妖怪であったとしても、愛した女子との間に生まれた我が子を殺すのも忍びなく、内密に逃がすこともあったろう。そうした者が各地におるはずじゃ。むろん、力はだいぶ薄まっておろうがな。
ん?九尾の正体がバレた理由か?
うむ……。まあ、様々なものはあるのだが……。
何じゃ?言い辛そうじゃと?
うむ……。そうかもしれぬな……。
昔の儂ならともかく、子を成した今の儂ではの……。
まあ、ヌシにとってもあまり後味のいい話ではないぞ。それでも聞くのか?
うむ……。そうか……。
では話すが、心して聞けよ。
宮中に潜り込んだ九尾は、その美貌と、それを鼻にかけぬ慎ましやかな性格もあってか、たちまち皇帝の心を虜にしたそうな。
それは色を忘れ、女など皇帝に取り入るために利用する物としか考えておらぬような宦官たちですら、同様だったという。
ん?宦官を知らぬのか?
うむ……。まあ無理もないか。
まあ、要するに皇帝のそばに仕えるために去勢された者達じゃ。
じゃから、去勢じゃ去勢。
何?わからぬと?もしやヌシは、セクハラをしておるのではあるまいな。別段儂はどうとも思わぬが……。
要は、貧民が宮中に入り込むための手段として、タマタマを取ったのじゃよ。ヌシもぶら下げているソレじゃ。
何じゃ?今さら股ぐらを押さえて青い顔をしおって……。
まあ良い。話がそれたが、いずれにせよ宦官達の協力もあり、皇帝が毎夜通うのは九尾の元のみとなった。
そうなれば、当然のごとく後宮に集められた女達からの不満がたまる。
それはそうじゃろう。女共にとっては、皇帝の子を成すことが唯一の存在意義なのに、そのチャンスすら与えられぬのじゃ。
だが、宦官でさえ味方につけるような女じゃ。そこらの少しばかり顔のいい、意地の悪いだけの女では太刀打ちできぬ。
表だって不満をあらわにする者は、次々と暇を出されたようじゃ。
そして寵愛を受け続ければ、いずれは子が生まれよう。
むろん、皇帝も九尾も、我が子の誕生をそれは喜んだそうじゃ。生まれた子はごく普通の人の姿であったというし、九尾も目の中に入れても痛くないほどに可愛がったそうじゃ。
じゃがな……。
生まれた子が、4つ5つばかりになる頃じゃろうか。ある日、無残に喰い殺された子供の死体が見つかった。
しかも、子供の死体は、内臓と心臓が喰われておったとういうことじゃ
怪しいものなど入り込めるはずのない宮中の中じゃし、その無残な死に様に、それはもう大変な騒ぎとなった。
野犬か虎が入り込んだか、はたまた魔物に魅入られたのかと騒然となったが、結局はわからずじまいだったという。
いずれにせよ、今と違い、そもそも幼な子が無事に育つことが難しい時代じゃ。さすがに作ったのは一人だけではなかったし、悲しみながらも次の跡継ぎとなる子に、愛情を注ぐことに決めたそうじゃ。
何じゃ?
うむ……、察しがいいの。そのとおりじゃ。
次の子も……、喰われた。
呪われておるのかと、国一番の道士を呼んで祈祷もしたらしいがの。
だが、無駄じゃった。
その数年後、新しく生まれた子も喰われたのじゃ。ただし、その頃には皇帝もこれ以上可愛い我が子を喰われてはならぬと、随分と警備を厳しくしていた。
我が子の部屋の前には、衛兵の他、常に厳しく訓練された犬を数頭置いておくほどにの。
そして、その日が来たのじゃ。
ある夜、番犬のけたたましい鳴き声で、部屋の前の衛兵が目を覚ました。
うむ、目を覚ましたのじゃ。おかしいじゃろう?寝ずの番をしているはずの衛兵が、全員眠っておったのじゃ。
異変を察知した衛兵共は、大慌てで皇子の部屋へ駆け込んだ。
そして、そこで見たものとは……。
そうじゃ。やはりヌシは勘がいいの。
うむ、そのとおりじゃ。そこにおったのは、我が子の返り血を浴び、口元から真っ赤な血を滴らせた皇后……。そう、九尾じゃった。
なぜ我が子を喰ったかじゃと?そんなことはわからぬ。怪の性かもしれぬとしか言えぬわ。
ただ、そんなことを幾度となく繰り返すうちに、九尾の妖力は見る間に強くなっていった。もしかしたら、自らの血を喰うことで、力を強くすることが目的だったのかもしれぬ。
ただ、何となくじゃが、儂にはそうは思えんくてな……。伝え聞くところによれば、本当に子煩悩な母親じゃったというし……。
な、何じゃその目は!別に同情しておるわけではないぞ!
と、とにかく、人間とて馬鹿ではない。そんなことが何百年にも渡って繰り返された後、もはや宮中に入り込むことすら難しくなり、そしていつしか奴の姿を見ることもなくなった。
風の噂で、東の島国へ流れ着き、そこでも同じことを繰り返し、そして封印されたと聞く。
今でも魂だけ抜け出し、取り憑く子孫をさがしておるのやもしれぬし、もしかしたらすでに殺され、どこかの国で生まれ変わって王妃にでもなっておるのやもしれんな……。
いずれにせよ、昔々のお話じゃ。
何じゃ?九尾の名か?
うむ、何と言ったかのう。たしか……。
ああ、そうじゃ、『翡翠』じゃ。
その名のとおり、翡翠のごとき緑色をした美しく輝く髪と、透き通るような瞳を持った女じゃった……。
~『閑話 化け猫の昔話』 完~




