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「わ、我は何という事を。緋色様に無断で抜け出すなど……」


 いつもどおりの無表情を装い売店に並びながらも、クーコは内心オロオロとしていた。

 これほど心臓が激しく鳴るのは、子狐の頃に野犬の群れに囲まれた時以来だろうか。あの時は死を覚悟したものの、何とか逃げ出すことができたが……。

 以前に思わず飛び出してしまった時といい、自分のしたことは、式にはありえぬ愚かな行為だとわかっている。そしてそれは、主従の契りを解かれてもおかしくないほどのことであると。

 むろん、緋色はその程度のことで、クーコを見限ったりはしないだろう。

 とはいえ、そうされても仕方のないことをしてしまった。だが、御使いの言葉を聞いた瞬間、なぜかはわからぬが、とっさに体が動いてしまったのだ。


「だ、だが、この神社に溢れる神気からしても、この(やしろ)に土地神である稲荷神がいるのは間違いない。御使い共が言っておるのだし、籤の効果とやらも本物やも知れぬ」


 それは、とても三千年を生きた神仙の態度には思えなかった。さらには、自分を落ち着かせようとでもしているのか、はたまた無意識なのか、ブツブツと独り言をつぶやいている。

 

「そ。そうだ!我には緋色様を守る義務があるのだ。それに、あのような力弱き小物共に緋色様は任せられぬゆえにな。フフン。だから、我が百年籤とやらを引けば問題はないのだ。さすれば、我が一生緋色様のお側で仕え、お守りし……。ん?一生……?お側で……?」

 

 わずかばかりに冷静になったクーコは、自分が何を言っていたのか気付いたようだった。

 

「ちっ、違うぞ!!我はそのような大それたことは……。い、いやしかし、緋色様は我のことを信頼してくれ、好意を持ってくださっている。ということは、つ、つまり、我が籤を引き当てれば……」


 クーコの頭の中に、猫猫飯店での日常が思い浮かぶ。もちろんそれは、緋色と銀華の日常、クーコのいない空間だ。だが、今は銀華のはずのその姿が、もしもクーコに変わったとしたら……。

 依頼を受け、事件解決に向かう緋色を颯爽と手助けするクーコ。緋色から感謝をされ、御礼の料理を振舞われるクーコ。様々な記念日とやらに、少し照れた緋色から、プレゼントを貰うクーコ。時には二人で遊びに行き、難事件を解決し、徐々に親密になる二人。そして、いつしか二人は……。

 やがて、二人の間には玉のように可愛らしい赤子が抱かれており……。

 

「……の……、あの~」

「はっ!」


 妄想に我を忘れていたクーコは、背後からの呼びかけに気付き、慌てて現実に戻る。見れば、自らの後ろには猫又達が並んでいる。

 むろん、正体を知っているリルと狗巫女は目を丸くしてクーコを見ているが、さすがに言ってはならぬことは弁えている。

 

 

「なっ、何用だ!」

「な、何って、アタシおみくじ引きたいんで、早くしてほしいんすけど~」

「ん?あ、ああ、おみくじな!う、うむ。すぐに引くゆえ、しばし待て」


 そうだ、もはや迷っている時間はない。クーコは決心をする。だが、彼女にとって最大の失敗は、動揺のあまり目の前から感じる、ある気配に気付かなかったことだった……。

 

「そ、そうだ。何も我は、やましい気持ちで引くのではないのだ。緋色様を守るため……。う、うむ。緋色様を守るために、仕方なくなのだ」

「あの~?」

「わ、わかっている!すぐに引く」


 少し離れた所を見れば、緋色が呆れとも疑問ともつかぬ表情で、こちらを見ている。怒ってはいないようだが、それでも勝手に抜け出したことは叱られるだろう。

 だが、ここで自分が当たり籤を引けば……。そうだ、緋色はきっと褒めてくれるに違いない。いや、むしろ自分が引き当てることを望んでいるのではないか?

 少しばかりのやましさから、必死に言い訳を考えたクーコは、意を決して袖口から小銭を取り出す。

 少ないとはいえ、緋色から貰ったお小遣いだ。あまりにもったいなく、一度も使うことはなかったが、クーコは今こそ使うべき時だと判断した。

 

「こ、これで頼む!」

「はい、かしこまりました。それでは、こちらの箱から一枚引いてください」


 巫女姿の女性は、愛想のいい笑顔でクーコに籤箱を差し出す。クーコはおそるおそる箱に手を突っ込むと、ゴクリと唾を飲み込み、一気に手を引き抜いた。

 

「こっ、これだ!」

「はい、では破らないように、端のところからめくってください」

 

 言われるがままに、クーコは籤をめくる。だが、ゆっくりと開かれた籤は黄金色に光ることもなく、徐々に黒い文字が見えてくるのみだった。

 

「な……、馬鹿な……」


 あまりにショックだったのか、クーコは膝から崩れ落ちる。その拍子に、手から離れたおみくじは、するりと巫女の足元に落ちる。

 

「あらあら、いかがなさいましたか?結果が悪くても、気にすることはありませんよ。しょせんは占い、当たるも八卦当たらぬも八卦ですから。むしろ凶報こそ、こらからの生活に気を配る良いきっかけになるのですから」


 若いのに随分と立派なことを言う巫女は、足元の籤を拾い上げる。

 

「あら?」


 拾い上げた拍子に、中身が見えてしまったのだろう。

 

「これはこれは。随分と良い結果ではありませんか」

「ぐぅっ、しかし、これは百年籤では……」

「いえいえ、ここにも書いてあるではありませんか。『わずかな勇気が吉兆をもたらす』と。大切なのは、自分の正直な気持ちを伝えることです」

「み、巫女殿……。そ、そうだな、何事も決めるのは自分の勇気だ……。命令されることに慣れ、我は最も大切なことを忘れていたようだ。感謝する」

「さあ、お次の方が待っています」


 元気を取り戻したクーコは、籤を握り締めて列から離れる。そんなクーコを見送っていたリサリサだったが、

 

「なんかすっごい可愛い子だったけど、あれって妖怪っすよね?は~、あんな美人でも、恋は思い通りにいかないんすね~。……っと、今は人のことなんてどーでもいいや」

「どうでもいいけど、早く引いてくれないかな?」

「順番取りに負けた人は黙っててくださいっす。さ~て、それじゃあサクッと当たりを引いて、センセーとラブラブになるっすかね」


 リサリサは、クーコとは正反対に勢いよく箱に手を突っ込むと、ためらうことなくその腕を引き抜いた。

 

「これっす!」


 リサリサは引き抜いた籤を、ためらいなくめくる。そして……。

 

「うげ……、黒い。しかも末吉って……、ビミョー……」


 残念ながら、彼女の籤も当たりではなかったようだった。

 

「しかも、なんすかコレ?『相手の都合を思いやるが吉』って……。アタシそんな空気読めない子じゃないっすよ」

「ハハハ、それはどうかな?ヒロ君だって、ホントは随分と迷惑してたんじゃないのかい」

「うぅ……。で、でも、ワンチャンあるうちは諦めないっすから!」

「どっちでもいいけど、さあ、どいたどいた。次は僕の番だからね」


 銀華はリサリサを押しのけると、豪快に籤箱に腕を突っ込む。

 

「これだぁ!」


 そして、引き抜いた籤を、待ちきれないようにめくっていく。

 

「さあ、これぞ黄金色に輝く百年籤のはず……」


 自らが当たり籤を引き当てると信じて疑わぬ表情で、銀華は籤をめくる。

 

「な、なんで……」


 だが、無常にもそこに書かれていたのは、ごく当たり前の黒い文字だった。

 

「はわぁ~、銀華さんすごいです。大吉ですよ」

「あ、ありがとうクミちゃん、でも……」


 落ち込む銀華を見かねたのか、巫女姿の女性が声をかけた。

 

「大丈夫ですよ。ほら、そこにも書いてあるでしょう?『何事も焦らず地道な努力が身を結ぶ』と。あなたはまだ若いのですから、人生も人との絆も、何事もこれからゆっくりと時間をかけて築いていけばいいのです」

「そっ、そうか!そうだよね。これから二人の時間を作っていけばいいんだし。うん、僕頑張るよ」


 巫女の一言で、銀華は元気を取り戻したようだ。。

 

「アンタ若いのに、随分と達観したようなこと言うんだね。まあ、そんなことよりも、次は狗巫女の番だから、アンタはさっさとどきな」

「リ、リルさん、私は別に……」

「何言ってんだい!戦わずに負ける気かい?いいからさっさと引きな!」

「はわっ!?」


 半ば脅されたような形で、狗巫女は慌てて籤箱に手を突っ込む。

 

「はわわ……、あうぅ……、ええと……」


 どれを引くか決めかね、随分と箱の中で吟味していたようだが、やがておずおずと箱から出した手には、しっかりと籤が握られていた。

 そして、恐る恐る籤を開いていく。

 

「ど、どうなんだい狗巫女!?」


 自分のことでもないのにドギマギした様子のリルに向かい、狗巫女は満面の笑みを浮かべる。

 

「ま、まさか、当たり……」

「はわぁ~。リルさん、見てください。大吉ですぅ~」

「は?」


 嬉しそうな狗巫女の手には、大吉の文字が書かれた籤が握られていた。


「ちょっと、今はそんなものを引くのが目的じゃないだろ!」

「で、でも、おめでたい大吉だし、『周りとの関係も良好な年』だって。わ、私は嬉しいけど……」

「ハァ……、アンタは相変わらず欲がないというか……。まあ、百年に一度の神頼みなんて、そんなに簡単に引けるもんじゃないか……。さて、それじゃ次は弘美の番か」


 そう言って列から離れようとしたリルだったが、狗巫女がその場から動かないことに気付いた。

 

「ん?どうしたんだい」

「つ、次はリルさんの番だから……」

「はぁ?何言ってんだい。アタシは別にそんなもんに興味はないよ。それに、もしアタシが引いちまったらどうすんのさ。ほら、馬鹿なこと言ってないで、弘美が引けないだろ」


 だが、狗巫女は何かを決意したような目で、その場を動こうとしない。

 

「ちょっと狗巫女……」

「あ、あの!」


 だが、そんなリルを止めたのは、意外にも後ろに並んでいる弘美だった。

 

「そ、その、私が言うのもおこがましいんですが、狗巫女ちゃんはフェンリルさんの気持ちをわかって、ライバルだと認めているからこそ、正々堂々と勝負したいんじゃないでしょうか?も、もちろんここまでのお二人の様子を見ていての、勝手な推測ですけど……」

「ばっ、馬鹿なこと言ってんじゃないよ!それじゃあまるで、アタシが緋色のことを……」

「ふ~ん。まあ僕には、大方予想はついてたけどね……」

「なっ、何言ってんだいこの馬鹿猫!」

「マ、マジッすか……。爆乳ロリ妹系の次は、カッコいいお姉さん系っすか……。うわ~、センセーの周りって、なんでこんな美女ばっかなんすか?」

「ちょっとリサリサ。僕の『美少女』が抜けてるよ!」

「ちっ、違う、アタシは狗巫女に……」


 あたふたと言い訳をするリルだったが、真っ直ぐに自分を見つめる狗巫女の瞳を見て、観念したのだろう。やがて、大きくため息をついた。

 

「わかったよ。確かに嫌いじゃないし、チラッとは考えることもあるさ。ただ、これがそういう気持ちなのか、弟みたいだって思う気持ちなのかは、正直良くわかんないんだけどね。でも……」


 リルは、離れた所で兄狐とともに立っている緋色を見る。

 

「アイツには言うんじゃないよ!」


 言うが早いか、リルは籤箱に手を突っ込むと、素早く引き抜く。そして、まるで破るかのごとく籤を開く。

 

「ははっ、小吉だとさ。結局アタシも引く運命じゃないんだよ。でも……」


 リルは狗巫女の方を振り向く。

 

「この、『雨降って地固まる』ってのは、見事に当たってんじゃないのかい」

「リルさん……」

「さて、最後のチャンスだよ。頑張んな、弘美」


 だが、リルに促された弘美は、なぜか動こうとはしなかった。

 

「どうしたんだい?まさか、怖気づいたわけでもないんだろう?」


 そう言いながらリルは、弘美がある一点を見つめていることに気付く。向かう視線の先に目をやれば、そこには銀華がいる。

 そして、その弘美の目も、ある決意を秘めていることに気付く。

 

「やれやれ、何の青春ドラマだい?」


 口調こそ呆れた様子だったが、リルの顔はどことなく嬉しそうだった。

 

「銀華さん!」

「な、なんだい弘美」

「私、おみくじを引こうと思いますけど……、いいですか?」

「いいですかって……。僕に止める権利はないし、弘美の好きにすればいいんじゃないかな?」


 そうは言ったものの、銀華は弘美の表情がいつになく真剣なものであることに気付く。

 

「じゃあ、引きますよ。私がこれを引く意味、わかりますよね……?つまり、銀華さんへのライバル宣言です」

「ラ、ライバルって……。ぼ、僕は別にそんなんじゃ……」

「じゃあ、もしも私が当たり籤を引いたら、緋色さんとお付き合いをしてもいいんですね?」

「そ、それは……」

「まったく、今までの態度でバレバレだってのに。ここまで馬鹿猫とは思わなかったねぇ」


 突然、呆れたように横合いからリルが口を出した。

 

「なっ、なんだって!駄目狼のくせに!」

「はいはい、何とでも言いな。でも、本当に駄目なのはどっちだい?少なくともアタシは、狗巫女の気持ちに誠意を尽くして応えたさ。それがなんだい?アンタは弘美の誠意に応えるどころか、自分の気持ちにも嘘をついて、はぐらかしてるだけじゃないか」

「…………っ!」

「弘美がどんな気持ちでアンタに伝えたのか、わかんないのかい。大事な親友と同じ人を好きになっちまって、もしかしたら友情が壊れちまうかもってわかっていながらも、正直に自分の気持ちを伝えたんだよ。しかも、正々堂々と戦うためには、アンタの気持ちもちゃんと引き出さないといけないって、誠意を持ってね」

「…………」

「さて、アンタはどう応えるんだい?」


 いつになく真剣な表情で、リルは銀華を見据える。その重苦しい雰囲気は、永遠に続くかと思われた。だが……。


「わ、わかったよ」


 ポツリと銀華はつぶやく。

 

「そうだよ。僕はヒロ君が好きさ!あの日、初めてヒロ君を見た時から、なぜかずっと気になってたさ!で、でも、もしも弘美が百年籤を引いて、結果としてヒロ君が弘美を選んだなら、祝福すべきだと思ったんだ。だって、ヒロ君と同じくらい、弘美も大事な友達だから……」

「銀華さん……」


 予想以上に大切に思われていることが、よほど嬉しかったのだろう。弘美の目には涙が浮かんでいる。

 

「で、でも、やっぱりヒロ君を誰かに取られるのは……」

「銀華さん!」


 そんな銀華を、弘美が抱きしめる。

 

「ありがとうございます。そんなに大事に思ってくれて」

「ハッ、まったく意地を張って……。でもいい機会じゃないか。お互いの本音をぶつけあったんだ。ここで弘美が籤を当てても恨みゃしないし、外せば今度こそ実力勝負だ。そうなりゃたとえ狗巫女、アンタにも負けないよ」

「はわっ!?の、のぞむところです!」

「アタシもいるんすけど……」


 一人の男を巡り、お互いがライバル宣言をしあう。だが、そこには確かな友情が芽生えていた。

 

「それはさておき、私にはまだチャンスがあるんですからね。恨まないでくださいよ」

「ちょっと、せっかくいい雰囲気だったのに。ずるいよ!」

「銀華さんはもう引いたじゃないですか。いきますよ」


 弘美は目を瞑ったまま籤箱に手を入れると、願いをを込めるかのようにゆっくりと引き抜く、そして……。

 

「あはは……、中吉ですって。でも……」


 百年籤を引けなかったにもかかわらず、弘美は爽やかに笑う。

 

「『生涯の友と出会う』ですって。うふふ、でも正直、これは恋が叶うより嬉しいかも」

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