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「フフフ……。さあ緋色、こちらへいらっしゃい。お前はこの尾に抱きつくのが好きだったでしょう?」
これは……、夢?あそこで俺を呼ぶ人は……。
ああ、そうか、俺はあの尾が大好きだったんだ。ふわふわで、やわらかく、暖かい九つの尻尾が。
そして、それに抱きついて埋もれながら、頭を撫でられるのが……。
「いけません坊ちゃま!聞いてはなりません!」
「どうして?かあさまがよんでるのに」
「そっ、それは……。くっ……!失礼ながら、ソレはもう、翠様ではございません!」
「やしゃまるったら、へんなの。かあさまだよ?」
「ぐっ……!お願いでございます。とにかく、蒼月様が来るまで、しばしのご辛抱を!」
「おや?夜叉丸よ、式の分際で何ゆえ親子の仲を邪魔するのじゃ?無礼であろう。さあ緋色や、こちらへおいで」
「うん」
「お待ちを!緋色様!!」
駆け寄ってきた夜叉丸が、俺の目の前で何かにはじかれたように宙を舞う。そんな光景を横目で見ながら、俺はゆっくりと『その人』に近付いて行く。
「ぼっ……、坊ちゃま!」
「いい子だね緋色。さあ、母様と一つになろう、お前の柔らかい肉も、生き肝も、活きの良い心の臓も母様にちょうだい。そして妾に喰われて、永遠に一つになるんだよ」
そして、目の前のその人は、ニンマリと笑うと口を大きく開いた……。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
自らの叫び声に驚いた俺は、ベッドから飛び起きた。
気付けば、心臓が早鐘のように鳴っている。ハッキリとは覚えていないが、また何か夢を見ていた気がする
ただ、今回は以前よりも記憶が残っている気がする。そうだ、あれは夜叉丸ではなかったか?それに、『あの人』は……。
だが、相変わらず霞がかかったような記憶は、すぐに薄れていく。
「クシュン!」
ゾクゾクするような寒さにくしゃみをした俺は、全身にビッショリと汗をかいていることに気付く。おまけに暑かったのだろうか、掛け布団が跳ね除けられて床に落ちている。
さすがに汗だくのまま、銀華さん達と出かけるのは失礼だろう。かといって、時計は既に朝の6時を過ぎている。
布団を跳ね除けていたせいで、体はすっかり冷え切っている。だが、ゆっくり風呂に入っている時間はなさそうだし、少しばかり寒いがシャワーで我慢しよう。
寝起きのせいなのか、少しばかり頭がボーッとするし、顔も心なしか熱い。シャワーを浴びればすっきりするかと思い、俺は浴室へと向かったのだった。
軽く朝食を済ませて支度を終える頃には、すでに約束の10分ほど前になっていた。銀華さんだけなら遅刻の可能性はあるが、今回は弘美ちゃんが付いているんだし、その心配はないだろう。
もっとも、さしてお洒落をするほどのこともないし、服を持っているわけでもない。簡単に身支度を済ませる。
その時、ドアのノックされる音がした。少しばかり早いが、銀華さん達が到着したのだろう。
だが、ドアを開けようとした俺はふと違和感を感じる。銀華さんなら、わざわざノックなどせずとも自分で鍵を開ければいいだけだ。それとも、鍵を持っていくのを忘れたのだろうか。
少しばかり不思議に思いながら、俺は銀華さんからのクリスマスプレゼントであるコートを身に纏い、ドアを開ける。
「えへへへ。来ちゃった、緋色センセー」
そこに立っていたのは、色鮮やかな晴れ着を身に纏い、結い上げた茶色い髪に派手な髪飾りをつけた少女……。
「リッ……、リサリサさん!?」
そう、あの女子高のコックリさん事件の当事者となった、青樹理依紗。通称『リサリサ』さんだった。
「どっ、どうして……。それに、なんでここが……」
「も~、せっかく久しぶりに会ったってのに、いきなり聞くことがそれっすか?まあ、真面目なセンセーらしいけどね。言ったでしょ。パパ伝手でちゃんと連絡先はわかってるって。もっとも、そんなことしなくても、ここはあの吸血鬼事件で、うちのガッコじゃ結構有名だからね。あ、もちろんセンセーのことは内緒にしてるっすからね」
「はぁ……。ありがとうございます」
「お礼なんていいっすよ。アタシとしても、わざわざライバルを増やすこともないしね。それに、まだワンチャンあるうちは諦めないっていったでしょ」
「……っ」
リサリサさんの言葉に、ただでさえ熱い顔がさらに熱くなる。そうだ、俺はこの子に告白され、結果として振っているのだ。
「あれ?お客さんかい、ヒロ君」
不意に聞こえてきた声の方を見れば、着付けを終えた銀華さん達が立っていた。
「ほら、見てください緋色さん。銀華さん、とってもステキでしょう?」
「え、ええ……」
「そ、そうかな?弘美のマ……、お母さんが、すごく頑張ってくれたからね。ま、まあこんなステキな着物なら、誰でも綺麗に見えるさ」」
少しばかり顔を赤らめながらこちらを見る銀華さんは、見とれてしまうくらい本当に綺麗だった。白地に色鮮やかな花が散りばめられた振袖が、とても良く似合っている。結い上げた髪からみえるうなじにも、少しばかりドキリとする。
「いや、その……、ほ、本当に綺麗だと思います」
「そ、そうかい!?」
謙遜しながらも、銀華さんは褒められて嬉しそうだ。そんな様子に、俺もついつい嬉しくなり、顔がほころんでしまう。
「ヒロ君こそ、そのコート着てくれたんだね。良く似合ってるよ」
「ありがとうございます。さっそく使わせてもらってます」
「い、いいんだよ。あ、それよりも、お客さんかい?まさか、事件の依頼?」
「いえ、違うんですよ。この人は……」
だが、俺が説明するより早く、弘美ちゃんが気付いたようだ。
「もしかして、リーサさん!?」
「ご名答~!でも、弘美ってお正月から着物着て、センセーと会うくらいの仲なんだぁ~。へぇ~、やっぱ付き合ってんの?」
「ちっ、違……!私は、銀華さんと一緒に初詣に行くついでに、緋色さんも一緒にって思って……」
「ふ~ん。ついでねぇ……」
「ちょ、ちょっとリサリサさん?弘美ちゃんも困ってますし、変に勘繰るのは良くないですよ」
「なるほどね……、やっぱセンセーはセンセーのままかぁ」
「ちょ、ちょっと、何ですかそれは?」
少しばかり呆れた顔で俺を見るリサリサさんに、俺は何やら馬鹿にされているような気分になる。
「ん?こっちのことっすよ。それよりもセンセー、もし良かったら、これから一緒に……」
だが、リサリサさんの言葉は唐突に遮られた。
「なんだい?ずいぶんと騒がしいじゃないか」
「げっ……、新年早々、いったい何しに来たのさ」
そこには、こちらも艶やかな着物を纏った、リルさんと狗巫女ちゃんが立っていた。
「わぁ、フェンリルさん素敵です」
「ふん!こいつにお世辞なんて言わなくてもいいんだよ、弘美」
「いえ、お世辞なんかじゃ……。ホントに綺麗ですよ。大人っぽくて」
「大人ってより、単に年食ってるだけでしょ」
「ハッ、これだからお子様は」
「なんだって!ふん、それにしても、今まで着物なんて着たことないくせに。どういう風の吹き回しだい?」
「う、うるさいね。そんなのアタシの自由だろ!」
「はわっ……、お、お正月から喧嘩は……」
それにしても、おしとやかな狗巫女ちゃんならともかく、リルさんが晴れ着を着るとは意外だった。
いや、もちろん似合っていないということではない。吸い込まれそうな黒髪と高い身長で、銀華さんとはまた違った魅力を醸し出している。
一方の狗巫女ちゃんといえば、子供が晴れ着を着た感じの微笑ましさはあるが、こちらもよく似合っている。
ただ、おそらく着やすいように胸を押さえつけているのだろう。いつもよりは胸が強調されていないとはいえ、それでも強烈な主張を放っている。
「それよりも、この子は誰だい?」
幸いにも、それ以上険悪な空気に発展することもなく、リルさんの興味はリサリサさんに向いたようだった。
「ええとですね、この人は青樹理依紗さんといって……」
「初めまして!緋色センセーの彼女候補っす。リサリサって呼んでくださいね」
突然とんでもないことを言い出したリサリサさんは、さらに俺の腕に抱きついてきたのだった。
「「「「なっ!」」」」
瞬間、空気がザワリと音を立てた気がした。なんだろう、コートは暖かいのに、それを突き破るかのような悪寒が感じられる。
それはまるで、俺の周りの気温が急激に下がったように感じられた。
「ちっ……、違いますよ!リサリサさんも変なこと言わないでくださいよ」
「え~?センセー酷~い」
「ふ~ん……。随分と仲が良さそうじゃないか。それに、なんだかヒロ君の顔が赤いのは気のせいかい?」
「だ、だから違いますって。前に弘美ちゃんから仲介されて、学校へ調査に行ったでしょ?その時の依頼主の娘さんですよ。それに、顔の赤さはなんか寝起きから体が熱いんですよ」
「え~?もしかしてセンセー、アタシのことを思って体が熱くなっちゃったの?ふふ。いいっすよセンセーなら、アタシの着物脱がせても」
「だ、だから違いますって!」
「ハッ!ようするにアタシ達に……、じゃなくて、狗巫女に喧嘩売ってるってことかい?面白いじゃないか」
「はわっ!わわ、私は別に喧嘩するつもりなんて……」
俺の目の前では、先ほどまでは女神のような姿だった彼女達が、今はさながら般若のごとくになっている。
「ちょ、ちょっと皆さん落ち着いてください。えっと、この人はですね……」
修羅場になりかけたこの場の空気をとりなしたのは、弘美ちゃんだった。彼女の説明により、リサリサさんと俺の関係は説明された。もちろん、あの告白のことは除くが……。
あれは弘美ちゃんとて知らないことだし、そこはあえて蒸し返さないほうがいいだろう。
「ふ~ん、まあいいけどさ。それよりも、こんなに早くから何しに来たんだい?」
「そりゃあ、センセーと初詣に行こうと思って。もちろん二人きりでね」
リサリサさんはニコリと笑うと、更に俺の腕に体を押し付けてくる。
「ふ、ふふん!おあいにくさま。ヒロ君はもう僕と弘美と初詣に行く約束をしてるんだ。残念だったね」
「え~?そうなんすかセンセー。アタシと一緒のが楽しいっすよ」
「な、何言ってんのさ!僕達はもう約束してるんだから。だいたい、いつまでしがみついてんのさ。さっさとヒロ君から離れなよ!」
「ぎ、銀華さん……?」
俺の目の前で、銀華さんとリサリサさんが睨み合いを始めた。それはさながら、二人の間に火花が飛び散っているかのごとくだった。
「お話中悪いんだけどさ、とりあえず緋色は狗巫女と初詣に行くから」
「「なっ!」」
そして、リルさんが二人の間に油を……、いや、ガソリンをぶちまけて炎上させる。
「はわわ……!リ、リルさん、なんだか緋色さんもお忙しいみたいだし、私はこの辺で……」
「逃げんじゃないよ!戦わずに負ける気かい」
「はわっ!」
この場の空気にいたたまれなくなったのか、早々に逃げようとした狗巫女ちゃんだったが、リルさんに首根っこを捕まえられて身動きが取れなくなっていた。
銀華さん、リルさん、リサリサさんが睨みあい、ヒリヒリとする空気がしばらく続いたかと思うと、唐突に三人がこちらを向いた。
「それでヒロ君……」
「アンタはいったい……」
「誰と初詣に行きたいんすか!?」
三人に睨みつけられ、何だか急激に体温が上がった気がし、少しばかりクラクラとする頭で俺は答えた。
「ええと……。せ、せっかくなので、皆で行きましょうか!」




