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「銀華さん、まだですか?早くしないと間に合いませんよ」

「ま、待って。もう少しだから……」


 扉の向こうからは、せわしなくバタバタという音が聞こえてくる。

 

「まったく、だから早めに寝ておいたほうがいいって言ったじゃないですか」

「しっ、仕方ないだろ。せっかく新年になるんだから、いろいろとやりたいこととか、見たいものがあるだろ?」

「やりたいことって……。ほとんど何か食べてたり、テレビでお笑い番組とか見てただけじゃないですか。だいたい、晴れ着を着たり髪をセットした後は、着崩れちゃうから寝れないことはわかってたでしょ?徹夜で初詣に行くんですか?」

「う……、うるさいなヒロ君は……。僕は若いから大丈夫だよ!」


 俺たちが扉越しに何を言い争っているかといえば、その理由は今日の日付にあった。

 今日は1月1日。そして時刻は、午前零時を少し過ぎたあたりだ。つまりは、新しい年の始まりである。

 なぜ新年の最初からこんなことになっているかといえば、先日遊びに来た弘美ちゃんの一言がきっかけだった。



 

「初詣にいきませんか?」


 聞けば、弘美ちゃんは毎年お母さんに着付けてもらった晴れ着を着て、初詣に出かけるのだという。

 もちろん今回もその予定ではあるのだが、今回は少しばかり事情が変わったようだ。


「実はですね、母がどうしても銀華さんに着物を着せたいって……」


 話によれば、弘美ちゃんのお母さんは和服にとどまらず、様々な服の趣味があるそうだ。そしてそれは、自分で着るのみにとどまらず、他人に着せることも含まれるのだという。

 そう言われてみれば……。俺は、以前に会ったお母さんの姿を思い出す。

 確かに上等な着物を着ていたし、その着物の質に劣らず見事な着こなしぶりだった。

 ただ、弘美ちゃん曰く、その趣味の中にはお母さんの歳には少々似合わないものも含まれているという。本人もそこはわかっているのか、そういった服は弘美ちゃんやその友人へと無理やり回ってくることもあり、戦々恐々としているようだ。

 

「もちろん、今回は晴れ着がメインですけど……」


 この提案に、銀華さんは二つ返事でOKした。着物から着付けまで、全て弘美ちゃんの家で用意して行ってくれるうえに、なんと髪のセットまでしてくれるというのだ。随分と多才なお母さんである。

 大喜びの銀華さんに対し、なぜか弘美ちゃんは少々引きつった笑顔で、二つほど条件があるんですけど……、と切り出した。

 

「ええとですね、一つは、着付けの前にその……、他の服も着てもらって、写真とか撮らせて欲しいんです。もちろん母がコレクションとして楽しむだけで、外に出すような真似はしません」

「なんだ、そんなことか。いいよ、ファッションモデルみたいで楽しそうじゃないか」


 だが、銀華さんは特に気にすることもなく、その案を受け入れた。確かに、ただモデルのようなことをするくらいで晴れ着を着せてもらえるなら、お得と考えてもいいだろう。

 しかし、俺は何となく嫌な予感がしていた。たかが服を着るくらいで、弘美ちゃんがこんなに嫌がるだろうか?

 

「それで、もう一つの条件って何ですか?」


 その言葉に、弘美ちゃんは様子を伺うように俺を上目遣いで見る。


「その……、初詣の場所は、あの(・・)稲荷神社へ行きたいんです」


 なるほど。少しばかり言い辛そうなのも納得した。弘美ちゃんは、以前に俺が狐の御使いに会ったという、葉山葉介と(ゆかり)のある神社に行きたいのだろう。

 以前の食いつきを見るかぎりでは、弘美ちゃんのお目当てはおそらく兄狐か。

 少しばかり考えるが、せっかくの初詣だし、参拝に行くのは神社にとっても悪いことではないだろう。

 

「わかりました。じゃあ皆で行きましょうか。ただ、こちらも条件を出させてください。遊び半分じゃなくてちゃんとお参りすることと、御使い達が出て来なかった時は、無理に呼んだりせずに諦めてくださいね」

「は、はいっ!わかりました」


 弘美ちゃんは嬉しそうに返事をすると、早速銀華さんと段取りの打ち合わせを始めたのだった。

 

 その後、着付けの時間もあるため、銀華さんは年が明けた頃に満月庵へ向かうこととなった。

 男の俺には想像もつかないが、髪のセットも含め、女性の支度は随分と時間がかかるらしい。そのことを弘美ちゃんに尋ねると、


「確かに髪のセットもあるし、私と二人分なので時間はかかるんですが……」


 何やら歯切れの悪い返事が返ってくる。

 

「今回は、それ以前のことで時間がかかると思います。なので銀華さんは、来る前に仮眠をとっておいてくださいね。多分、晴れ着を着るまでにとっても体力を使うと思いますので……」


 何やら意味深な言葉を残し、弘美ちゃんは帰って行った。だが、銀華さんはそんな弘美ちゃんの忠告を聞くこともなく、大晦日に浮かれはしゃいでいた。

 結果として俺が気付いた時には、銀華さんは出発の10分ほど前だというのに、ソファでうつらうつらとしていたのであった。

 そんな銀華さんを慌てて叩き起こし、現在に至るわけである。

 

 

 

「やれやれ、もうこんな時間か」


 大騒ぎしながら何とか銀華さんを送り届け、猫猫飯店に俺が戻ってきた頃には、すでに午前3時を回っていた。

 もちろん、送り届けるだけならそれほど時間はかからなかったのだが、なぜか満月庵でお茶を出され、お母さんに引き止められたのだ。

 

 

 

「せっかくだから、緋色君もぜひ見て行ってね」


 そして、その言葉が終わるか終わらないかのうちに、目を爛々と輝かせたお母さんによって、銀華さんは隣の部屋へと引き摺りこまれていた。

 そして隣の部屋からは時折り、『えっ?ちょ、ちょっと!』とか、『うひゃあ』とか、『パ、パンツはダメだって!』、『ひゃん!』なんて声が聞こえてくる。

 そんな状況に、なにやらこれ以上聞いてはいけない気がして、俺は目の前のお茶の味に集中する。

 以前にも思ったが、随分と旨い。おそらくは上等なお茶だろう。

 

「あ、あははは。随分と母が張り切ってるみたいで……。あ、も、もう一杯いかがですか?」


 俺は、引きつった笑いの弘美ちゃんの入れてくれるお茶を飲みながら、ひたすらに心を無にしていた。

 

「ど、どうかなヒロ君?」


 待つこと暫し、不意に襖が開いて銀華さんの声が聞こえてきた。目を向けると、そこに立っていたのは……。


「かっ、可愛いです銀華さん!緋色さんもそう思いますよね?」

「えっ、ええ……。い、いいと思います……」


 そこには、ゴシックロリータというのだろうか。漆黒を基調としているが、ふち周りは白のレースに包まれて、ふわりとスカートが広がった可愛らしいドレスに身を包んだ銀華さんがいた。

 恥ずかしそうな素振りをしているが、本人もまんざらではないようだ。

 

「うふふ。やっぱり私の目に狂いはないわ。純白の肌と銀の髪に漆黒のドレスが映えて……。ああ、素敵……」


 お母さんは、恍惚の表情で銀華さんを見つめている。

 

「はっ!それより、時間がもったいないわ。弘美!ビデオは回してる?写真は撮った!?」

「だ、大丈夫だよ……」


 気付けば、カメラ片手に少々引き気味の弘美ちゃんがいた。

 

「さあ、こうしちゃいられないわ。次よ!」

「えっ?ちょ、ちょっと……!」


 そして、銀華さんは再び巣穴……、ではなく、隣の部屋へと引き摺り込まれていったのだった。

 

「交換条件って……。つまり、こういうことだったんですね」

「す、すみません。服のことになると、人が変わるみたいで……。しかも、銀華さんっていう最高のモデルさんがいるものですから。お恥ずかしいかぎりです」

「それはいいんですけど、何と言うか、親子なんですねぇ……」

「え?」

「いえ、何でもありません。こっちのことです」


 俺は、この二人に間違いなく血の繋がりを感じたのだった。

 そうこうしている間に、隣の部屋からは、次々と衣装を替えた銀華さんが出てくる。中世の貴族を思わせるような豪華なドレスや、大正浪漫を思わせる袴、最近流行っているらしいアニメキャラクターのコスプレのほか、まるで歌劇団のような男装なんかもあった。

 しばらくして、ひととおりの衣装は着終わったようで、お母さんは満足そうだ。以前に俺が見た凛とした表情はどこへいったのかと思うほど、顔がニヤけっぱなしである。

 だが、対照的に銀華さんの限界は近付いてきたのだろう。さすがに疲労困憊のようだった。

 さすがにお母さんもそれを察したようで、

 

「これで最後だから。ね?」


 そして再び襖が開いた時に、俺達が見たものは……。

 

「綺麗……。素敵です」


 それは、純白のウエディングドレスに身を包んだ銀華さんだった。

 真っ白な肌と純白のドレスが混ざり合い、それはまるで放っておいたら空中に溶けていってしまいそうなほどに、幻想的な雰囲気を醸しだしていた。

 銀華さんも、これには驚いたのだろう。嬉しそうな表情で、少しばかり顔を赤らめている

 そして俺は、口を半開きにして銀華さんに見蕩れていたことに気付き、慌てて口を閉じる。

 

「うふふ、敵に塩を送っちゃったかしらね……」


 それを見ながら、なぜかお母さんは意味深な顔でつぶやいたのだった。

 

 結局、満月庵で二時間ほどファッションショーを見物した後、俺は猫猫飯店へと帰ってきた。

 約束の時間は朝7時だし、それほど時間があるわけではない。とにかく、少し寝ておく必要があるだろう。

 俺は着替えも風呂も諦め、早々にベッドに潜り込んだのだった。

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