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「フフ、残念だよ。普段憎まれ口を叩きながらも、僕は心の中ではキミを信じていたのさ。けれど、キミがそんなあさましい奴だったとはね。本当に残念だよ……。キミの誤算は、目の前の探偵の存在を甘く見たことさ。なぜなら、僕はただの探偵じゃあない、『名探偵』だからね。さあ、大人しく罪を認めるんだ。今なら、僕の広い心を持って罪を許そうじゃないか」
そして銀華さんは、冷たい目で『犯人』を見据える。ふと気付けば、窓の外は薄暗くなっていた。ああ、そういえば今日は、午後からひと雨来るかもしれないと天気予報で言っていたことを思い出す。
思えば、空気も生暖かく湿っている。ひょっとしたら、季節はずれの夕立でも来るのだろうか。
その時俺は、かすかに遠くから鳴り響く雷鳴を聞いた。いや、それはひょっとしたら、俺だけが聞いた幻聴だったのかもしれない。
だが、確かに聞こえた気がしたのだ。それはまるで、これから始まる嵐を予告するかのように……。
ああ、雨が降る前に洗濯物を取り込まなければ……。俺は重苦しい空気の中で、そんなことを考えていた。
「こ……、こんにちは……」
「ああ、こんにちは狗巫女ちゃん。あれ?リルさんも一緒に来るなんて珍しいですね。あ……、もしかして……」
事の起こりは、30分ほど前に遡る。俺と銀華さんは昼食を終え、二階のリビングルームでくつろいでいた。いや、正確にはくつろいでいたのは銀華さんだけで、俺は昼食後の片付けや洗い物をしていた。
仕事もせずにいい身分だと思われるかもしれないが、いかんせんコックリさん騒動以来、仕事がないのである。
まあ、日曜で世間は休みだし、こうしてダラダラと過ごしているのも、少しくらいは大目に見て欲しい。
それに、先日の仕事で学校から依頼料は受け取っているし、今までの俺のバイト代も、ほとんど手を付けずに残っている。すぐに食うに困ることはないだろう。
それとどうやら、親父からまとまった金が、銀華さんの通帳に振り込まれていたらしい。
おそらく通帳番号の漏洩元は、成田警部だろう。まったく、刑事のくせに個人情報を何だと思っているのか。
もちろん銀華さんはすぐに返そうとしたが、親父は俺を住まわせてもらっている家賃だとして、頑として譲らなかったようだ。
さすがにそう言われては、無理につき返すわけにもいかないし、正直助かるのも事実だ。
そういえば、親父達が来て以来、なんだか寝起きがすっきりしているのは気のせいだろうか?
まあ、収入がないのは困るが、依頼がないということは、多少なりとも世の中が平和になっているということだろう。むしろ喜ぶべきことだ。
もっとも、向かいのビルからは毎日のように、慌しくリルさん達が出入りしているのが見えるのが若干気にはなるのだが……。
それを見て少々不安になるが、決して銀華さんの仕事ぶりが広まって、仕事が減ったのではないと信じたい。
そんなわけで、俺達は事務所の入り口に『骨休め中 御用の方は二階まで』の看板を掲げて、現在に至るわけである。
訪ねて来た狗巫女ちゃんの後ろに立っていたのは、銀華さんと犬猿の仲であるために、余程のことがなければ猫猫飯店に来ることのないリルさんだった。
余程のこと……。俺はいつぞやの、旧鼠事件を思い出す。
「ああ、違う違う。今日はただの狗巫女の付き添いさ。この子がどうしても一緒に来てほしいっていうからね」
深刻そうになった俺の顔を見て、何を心配したのか察したのだろう。リルさんは慌てて否定する。
「ホラ、さっさと用件を言いな」
「は、はい。そ、その、皆でお茶でも飲みに行かないかと思いまして。せっかくだし、リルさんと銀華さんも一緒に……」
「ハッ、変な気を回さずに、二人っきりで行きゃあよかったんだよ」
「はわっ!リ、リルさん!そ、その、実は駅前に新しくできた、コーヒーショップの半額券をいただいたんです。それで、1枚で4名様まで使用できますって書いてあるから……。ちょっと高いお店なんで、入るのは気が引けてたんですけど……。せ、せっかくなので、皆でご一緒しませんか?」
「それは構いませんけど、銀華さんに聞いてきますね」
そう言って、俺が室内に戻ろうとした時だった。
「こんにちはー」
「あれ?弘美ちゃんまで?」
「あ、お客様でしたか……?」
背後から聞こえてきた声に振り向けば、そこには私服姿の弘美ちゃんが立っていた。
「ああ、すみません。実は今、新しく出来たコーヒーショップへ誘われまして、銀華さんと出かけようと思ってたんですよ」
「そうでしたか……。ごめんなさい。そういうことでしたら私は出直しますね」
「はっ、はわっ!い、いえ、こちらこそすみません。あ、あの、コーヒーショップなんていつでも行けますから、私達はこれで……」
言うが早いか、狗巫女ちゃんはたゆんたゆんと胸を揺らしながら、そそくさと帰ろうとする。
「ちょっと狗巫女!なに遠慮してんだい?せっかくのチャンスなんだよ!」
「はわっ!で、でも、この券は4人までしか……」
「そんなんじゃいつまでたっても進展しないし、あの馬鹿猫に負けちまうよ!」
「ちょ、ちょっと落ち着いてください」
何やら揉めだしたリルさん達を、俺は慌てて止める。
「サービス券は4人までなんですよね?だったら俺はいいですから、4人で行ってきてくださいよ」
「ばっ、馬鹿かいアンタは!アンタと狗巫女が行かなきゃ意味がないだろうが!それにアタシがあの馬鹿猫と一緒なんて、冗談じゃないよ!」
「はわわっ!リ、リルさん!」
なぜか、良かれと思って言った俺の発言は、リルさんの罵声を浴びたあげく却下された。
「じ、じゃあ、俺は自腹で行きますから、皆さんが半額券を使ってもらうということで……」
「そ、そんな、私が誘ったのに、緋色さんに悪いです」
「あ、あの、私は最後に来た部外者ですから、私のことは気にせずに出かけてもらえれば。じゃあ、私はこれで……」
「ちょっと待ちなよ!ハッ!そんな一人だけノケモノみたいにしたら、後味が悪いだろ!それに、元々アタシは乗り気じゃなかったんだから、アタシが抜けるよ」
弘美ちゃんとは初対面のはずなのに、なんだかんだ言いながらも、リルさんは姉御気質を発揮している。
「はわっ!リ、リルさんも一緒じゃないと……」
なぜか、たかがコーヒーの半額券を巡り、物凄く険悪な空気になりかけている。だが、その場を救ったのは、突如弘美ちゃんが発した一言だった。
「あ、そうだ!あの、迷惑じゃなかったら、銀華さんのお家でお茶をいただいてもいいですか?」
「え?それは構いませんけど。それじゃあ、中で待っててください。用意がないんで、急いでお茶菓子を買ってきますから」
「大丈夫です!それには及びません」
弘美ちゃんは右手をグイッと前へ突き出す。そこに握られていたのは、見慣れた『満月庵』の銘が入った紙袋だった。
だが、見慣れた俺とは違い、リルさんと狗巫女ちゃんの二人への効果はバツグンだったようだ。
「そ、そいつは……!」
「はわっ!で、伝説の満月庵の……」
いや、伝説ってなんだよ?んな大げさな……。と、思わんでもないが、確かにここ最近の俺の感覚が麻痺しているだけで、世間一般からすれば、満月庵の饅頭などなかなか口にできる物でないことは確かだ。
「えへへ~。実は、今日はお店の新作を持ってきたんです。しかも、ちょうどいいことに、5個あるんですよ。それなら、銀華さんも含めて全員食べられますよね。銀華さんが後から食べる分は減っちゃいますけど……」
「はわっ……。駅前のコーヒーショップより、満月庵のお饅頭のほうが食べたいです。そんなものが食べられるなんて、ゆ、夢のような……」
「ちょ、ちょっと狗巫女。まるでウチが、碌に食べさせてないみたいな言い方するんじゃないよ!そ、そりゃあ、こんな高級饅頭は食べさせてないけど……」
今まで揉めていたのが嘘のように、二人の顔は涎を垂らしそうな表情になっている。
「じゃあ、遠慮せずにいただきます。それより、リルさんたちは初対面ですよね?自己紹介もまだでしょうし、とにかく中に入ってください。銀華さーん。リルさん達が遊びに来てくれましたよ」
俺は、3人を中へ招き入れる。
だが、この時の俺はまだ知らなかったのだ。このほんの軽い気持ちで取った行動が後に、あの恐ろしい事件を引き起こすことになるのだとは……。




