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「おや、坊ちゃまではありませんか。いかがされましたか?もしや、私共が何か忘れ物でもしましたか?」
「いや、そういうわけじゃないんだが……」
勢いで来てしまったはいいが、いざ親父達を目の前にし、俺はどうしたものか悩む。
「何て言うか、その、見送りでもと思って……」
その言葉に、夜叉丸が嬉しそうに微笑む。
「蒼月様、お聞きになりましたか?坊ちゃまが、わざわざ見送りに来てくださいましたよ」
「ふん。子供ではあるまいし、見送りなどなくても帰れる」
「蒼月様。そのような言い方は……」
親父の言うことはもっともなのだが、そんなことを言ったら世の中の見送りが全て無意味になってしまう。
「そんなことより緋色よ、お前の目は節穴か?」
「は?」
少しばかり不愉快に思っていた俺は、その言葉に冷静になる。そして、背後から不快な気配がすることに気が付いた。
「気付いたか。何か心当たりはあるか?」
その言葉に、俺は言おうかどうしようかと悩む。だが、親父の性格からして、下手に隠すよりはいいかもと思い直す。
「実は、銀華さんのお母さんは……」
「金華猫か……」
俺の説明に、親父は一言つぶやいただけだった。
「だからって、二人とも決して悪い人じゃないんだ!それに……」
「何を勘違いしておる。金華猫とて、今は人を襲うことはないのだろう?なら、先に言ったとおり、どうこうするつもりはない。それよりも、ここでは騒ぎが大きくなる。ほど良い場所へ案内しろ」
「あ、ああ」
俺はスクーターを押しながら、二人を連れて町外れへと向かい歩いて行く。
「力を食えば力が得られるか……。怪共の、愚かしくも悲しい考えよ」
「え!?」
不意に背後から親父のつぶやくような声が聞こえて、俺は振り返る。だが、そこにはいつもどおり、何を考えているのかよくわからない表情の親父と、反対に珍しく深刻な表情をした夜叉丸の顔があった。
「ふむ、この辺りなら良いか」
辿り着いたのは、木々に囲まれた人気の無い場所だった。俺は黙ってスクーターを離れた場所に置く。
さすがに銀華さんの愛車を、巻き添えで傷付けるわけにはいかない。
「さて、そろそろ出てきたらどうだ?」
そして親父は、ゆっくりと振り向く。
そこに立っていたのは、長いコートを身に纏い、すっぽりとフードをかぶって顔を隠した人物だった。
「グゲッゲッゲッ、やはり気付いていたか。お前らからは、何か普通の人間とは違う臭いがするしな。それに……、臭うぞ。間違いなく猫の臭いだ」
ガラガラとしたしわがれ声で、その男は笑う。フードの下の顔はわからないが、声や体つきの感じからすれば、おそらく男であろう。
「お前達、猫又の小娘を知っているだろう?隠しても無駄だぞ。この町に大妖の娘がいることは、調べがついている。お前達の体からは、妖猫の臭いがする」
「お前、銀華さんを狙って!?」
「グゲゲゲ、やはりな。なあに、悪いことは言わん。さっさと居場所を教えれば、お前らの命は助けてやる。お前らとて、妖怪などを助けるために食われたくはないだろう」
そう言うと男は、顔を覆っていたフードを取る。そこに現れたのは……。
「蛙の怪異か!」
フードの下にあったのは、巨大な蛙の頭であった。そして蛙は大きな口を開け、不気味に笑う。
「さあ、死にたくなければさっさと……」
「やれやれ、両生類とは下等なものですね。餌の臭いに興奮して、周りにある恐怖の匂いにも気付かぬとは」
「何……!?」
蛙は、目の前の色白で痩せた男が、いったい何を言っているのか理解できなかったのだろう。
「ですが、頭が悪いというのは、時には役に立ちます。死ぬほどの恐怖を感じるのが、わずかな時間で済むのですから。さて、空狐殿、今回は私に譲っていただいても?」
「緋色様を見下した、こ奴の態度は許せんが……。まあいい、好きにしろ」
「これはありがたい」
「お前、誰と喋って……?まあいい、その気なら、こいつが死んでから考えろ!」
言うが早いか、蛙の大きく開けた口から長い舌が伸びる。そして、鋭く尖った舌先が夜叉丸を貫いた……、ように見えたのだったが、夜叉丸はわずかに体を逸らしただけで、それをかわしていた。
「外れた!?運のいいやつめ。まあいい、これでわかっただろう?さっさと猫の居場所を言わねば、死ぬぞ」
この期に及んでも、蛙は自分の状況を理解していないようだ。
「やれやれ、ここまで頭が悪いとは」
だが、夜叉丸が動こうとする前に親父が動いた。口の中で小さく呪を唱えると、着物の袖を翻し四方に向けて呪符を飛ばしたのだ。
その瞬間、俺達のいる空間が薄暗い闇に包まれる。
「蒼月様。わざわざ、このような結界を張っていただかなくとも……」
「ここは山奥ではない。どこに人目があるかわからぬゆえ、目立つ行為は避けるべきだろう」
「ごもっともです。これは申し訳ございせん」
だが、俺は用心以上に、親父の術に見惚れていた。親父の使ったのは、単純に空間内部のモノを封じ込め、外部からの認識を阻害する結界術だ。
もちろん俺だって、白骨夫人やコックリさんを封じ込めるために使ったように、封印術は使うことができる。
だが、あの短時間でここまで広範囲に及び、更には内外に影響するものを作ることは、俺には不可能だ。いったい、親父はどれほどの力を秘めているのだろう。
「な、何だこれは!?ただの人間ではないことはわかっていたが、お前らはいったい何者だ!?」
だが、蛙の声で意識を戻す。今はそのようなことを気にしている場合ではない。
「何者と言われましても……、残念ながら秘密です。真実を伝えてショック死でもされては、後の楽しみがなくなりますから」
そう言うと、夜叉丸は細い目を吊り上げてニヤリと笑う。その笑みは普段の紳士的な彼とは違う、得物を見定めるかのような、嫌らしくサディスティックなものだった。
「夜叉丸、よさぬか。一思いに始末してやれ」
「はっ、申し訳ございません」
だが、その顔も親父の一言で、瞬時に普段の表情に戻る。
「お、お前ら、何を言って……」
ここにきて、蛙もようやく自分達の目の前にいる者が、只者ではないことに気付いたのだろう。狼狽し素早く逃げ出そうとするが、薄暗い壁に阻まれこの空間から出ることができない。
やがて、どこからかシューシューと空気が震えるような音が聞こえてくる。
「お、お前……、蛇……!?」
「お静かに」
蛙は、音の主が夜叉丸だと気付いたようだった。だが、気付いた時には既に手遅れだった。夜叉丸の赤く光る目を見た瞬間に、そのままの体勢で固まってしまったのだ。
「グ……、ゲ……」
必死に動こうとしているのか、顔からはまさに油のような液体が滲み出ている。だが、必死の努力も虚しく、声すら発することもできずに立ち尽くすだけだ。
「さて、本当なら手足の1本ずつでも、順番に食らっていきたいところではありますが……。お優しい蒼月様のお慈悲に感謝してください」
言い終わった瞬間、夜叉丸の首が伸びた。いや、首が伸びたというのは正しくないかもしれない。だが、周りからはそう見えただろう。
そして、凄まじい速さで伸びた首が蛙の元に到着したと思った瞬間、蛙の姿は綺麗さっぱりなくなっていた。
代わりに、先ほどまで蛙が立っていた場所にいるモノは、巨大な蛇であった。そして、蛇の喉元は丸く膨れ上がっており、その塊はゆっくりと腹の方へと下っていく。
「フン、『蛟』か……。相変わらず品のない姿だ」
「お、おいクーコ。よさないか」
そう、目の前の巨大な蛇……、『蛟』こそが、親父の式神であり、夜叉丸の本来の姿なのだった。
やがて、蛙を飲み込み終わった夜叉丸は人の姿に戻る。むろん、そのまま戻れば素っ裸という、場所によってはすぐさま通報されてもおかしくない危険な状況なのだが、クーコの妖術と同じく、夜叉丸も幻術でスーツを作り出しているようだ。
飲み込んだ蛙も一瞬で消化したのか、体のどこにも変化は見られない。
そして、夜叉丸が人の姿に戻るのに合わせ、薄暗い結界が消えていった。
「さて、用は済んだな。夜叉丸、帰るぞ」
「はい。かしこまりました」
「え?ちょ、ちょっと!」
「何だ?」
親父を呼び止めたはいいが、正直自分が何も考えずに追いかけて来てしまったことを思い出す。
だが、親父を見た瞬間、なぜ追いかけてきたのか不意にわかった気がした。だからここまで来た以上、ちゃんと伝えねばならないだろう。
「その、何だ……。黙って家を飛び出してしまったことは謝ります。きっと、親父も夜叉丸も、家の人達にも心配をかけたと思います。それに、銀華さんや周りの皆にも迷惑をかけてるかもしれない。けれど、この数ヶ月の経験は自分を成長させてくれたし、間違ってないと思ってる。だから、もう少しだけここにいさせてください」
俺は親父に向かい頭を下げる。正直、怒られて連れ戻される覚悟もしていた。だが、親父の返事は意外なものだった。
「今の生活も、怪と共に過ごすのも、お前が選んだ道なのだろう?だったら儂が何も言うことはない。それに最初から言っておるだろう。ご主人に挨拶に来たと。それだけのことだ、行くぞ、夜叉丸」
そして、今度こそ親父は、後ろを振り返りもせずに帰って行った。
「はぁ……、ホントに何だったんだよ」
「さて、お父上の考えは私にもわかりません。緋色様にお仕えしてからのことしか知りませんし。あの方の考えを知っているのは、あの蛟くらいでございましょう」「夜叉丸か……」
確かに、親父の若い頃からの式だという夜叉丸なら、親父の意図をわかっているのかもしれない。だが……。
「いいさ、たとえ何があろうと、俺は皆と共に生きて行く。そう決めたんだし。なあ、クーコ」
「はっ。私は常に、お側におります覚悟ゆえ」
「ははは、頼りにしてるぞ。それよりも……、ちょっとだけでいいから、手伝ってくれないか?」
俺は、帰り道をひたすらにスクーターを押していたのだった。勢いで乗ってきてしまったはいいが、当然のごとく免許など持っているはずがない。
さすがに無免許で乗って帰るのは気が引けて、こうして押して歩いているのだった。
「そこを頼りにされるのは別問題です。猫又の大切な愛車なのですから、緋色様が頑張って押すべきでしょう。なにせ『特別に』貸していただいたんですからね」
「あ、あれ?クーコ、何か怒ってるのか?」
「いえ、別に」
なぜかはわからぬが、少しばかり機嫌の悪くなったクーコにこれ以上の頼み事はできず、俺は汗をかきながらスクーターを押して、猫猫飯店へ帰って行ったのだった。
~『父が来たりて猫踊る』編 完~




