51 ~ 幕間
俺は、あらためて目の前の二人を見る。妹の方はその美しい顔立ちから、女性であることは容易に想像がつく。
しかしながら、兄の方は女性とだ言われても、全くと言っていいほど違和感はない。いや、確かに大きく開いた胸元には、膨らみは見当たらないが……。
しかし、それだって銀華さんやクーコと同じく、少々小さめのタイプだと言われれば、納得してしまいそうだ。
「ホホホ、いかがされました?私の顔に何か付いておりますか?それとも、陰陽師殿は私のような者が好みでしょうか?」
瞬間、胸元の竹筒がピクリと揺れた。
「お、おい兄ちゃん!空狐様の前で……」
「ホホホ。冗談でございますよ。ですが、こういったことは、少し刺激を与えた方が自分の気持ちに素直に……」
「兄ちゃん!」
なぜだか、妹狐が叫ぶように兄狐の言葉を遮る。
その言葉に反応してか、さらに竹筒がピクピクと震える。クーコが何に反応しているのかは知らないが、あまり刺激しない方がよさそうだ。
それに、今気にすべきことは、そんなことではないだろう。俺は、とりあえず話題を逸らす。
「あの……、なぜあなた方は、俺とクーコのことを知っているんですか?それに、俺に恩があるって……。そもそも、俺はこの神社に来ることすら初めてですし、何か恩を売るようなことをした覚えもありませんよ」
「ホホホ、何をおっしゃいますか。見せていただきましたよ、先日学び舎で、狐騒ぎを見事解決したのを。おかげで、同族の疑いを晴らしていただくことができました」
「え!?見ていたって……」
「先に申したとおり、私どもはこの地を守る稲荷神様の御使いにございます。そして、遥か昔よりこの地に生きる者達を見守って参りました。ですから、この地に暮らす陰陽師殿のことも、猫又殿のこともよく存じております」
「な、なるほど……」
一瞬、『覗き魔』という言葉が頭に浮かぶが、いやいや、神様がそのようなことをするはずがないと思い直す。
「まあ、覗くのは私の趣味なのですけれどね」
「兄ちゃん!」
「ホホホ、冗談ですよ」
一瞬ずっこけそうになるが、妹のツッコミで、この兄妹の性格というものを何となく理解した。
まあ、良く言えばお茶目で悪戯好きな兄に対し、真面目で堅物の妹といったところか。
ん?そういえば、最近似たような話をどこかで見たような……。
「もっとも、今の時代は人間が増えすぎました。それも、多くは土地に根付くのではなく、生業のためにこの地に通ってくる者がほとんどです。そして人の多さとは相反するように、この神社………、いえ、稲荷神様を崇拝する者はどんどんと数を減らしております。神の力は弱まり、今では私達に『視える』のは、強い信仰心を持った者と、強い『力』を持った者のみです。そう、陰陽師殿の周りにいる方々のように……」
兄狐の言葉に、俺はあらためて神社を見渡す。確かに、一昔前は多くの信仰を集めた神社だったのだろう。だが、時代の移り変わりとともに、徐々にそれは薄らいで行き、神社も小さくなり……。
兄狐は、そんな俺の思いを察したのだろうか。
「確かに、昔はこの地に住まう、全てに近い者達を見渡すことができました。ですが、今視えるのは……」
兄狐は、悲しそうな顔で呟いた。
「せいぜい、学び舎で陰陽師殿の上に跨った女子が、艶っぽく腰をくねらせている場面くらいでしょうか……」
「んなっ!!ちょ、ちょっとあれは……!」
「緋色様……?」
俺の胸元から、地の底から響くような声が聞こえる。
「今のこ奴の言葉は、どういう意味でしょうか?」
「ちっ、違うぞクーコ!へ、変な意味じゃなくてだな!あれには事情が……」
「ああ!申し訳ございません。私としたことが、決して言ってはならぬ、あの秘め事のことを……」
兄狐の煽るような言葉を聞いた瞬間、クーコが竹筒から飛び出してきた。普段は俺の命令がなければ、絶対に外に出てくることのないクーコが、勝手に飛び出してくるなど……。
しかも、可愛らしい人の姿とは対照的に、真っ赤に燃える恐ろしい目で俺を睨んでいる。
「まあ、可愛らしい格好ですこと。やはり空狐様も、女ですのね」
「え?そ、そりゃあ見てのとおり。クーコは女性ですよ」
「ホホホ、そういうことではございませんよ。私の言う女というのは……」
「だ、黙れ御使い!それよりも、先ほどの言葉はどういうことだ!」
「もう、兄ちゃんもいい加減にしろよ!空狐様、あれは……」
妹狐のとりなしで、クーコもようやく誤解だと理解してくれたようだ。理解してくれたようなのだが……。
「そのようなことは聞いておりませんでした。後でじっくりと、私がロッカーとやらに閉じ込められていた間の話をお聞かせ願えますか?」
「は、はい……」
じっとりと俺を見る目は、何も変わることはなかったのだった……。
そんな俺達のやりとりを見て、兄狐は可笑しそうに笑う。
「ホホホ、楓殿の言うとおり、本当に葉介殿によく似ておられる。あの方もよくそうして、周りの女子達に問い詰められておりましたね。随分と懐かしいことを思い出させていただきました」
「え!?楓さんって……、もしかしてあの天狗の?それに葉介って……、まさか、この神社は……」
「ホホホ、言ったでしょう?恩ある身と。陰陽師殿にいただいた本当の恩は、古き友人の願いを叶え、妹と友人達の想い人の魂を救っていただいたことです。本来ならば、こちらから陰陽師殿と猫又殿の住まいへ出向くべきところですが、何分随分と力が弱まり、この神社から遠くへは離れられぬ身ゆえ……。それが偶然にもこのような出会いがあり、私としたことが、思いもかけずはしゃいでしまいました」
神妙そうに兄狐は言うが、最後の言葉は絶対に嘘だ。最初から、明らかに俺をからかって楽しんでいた気がする。
だが、兄狐の言うとおりなら、ここはかつて、作家の葉山葉介が、あの文字が抜け出す本を預けていった所ということになる。
つまり狐の兄妹も、楓さんの話に出てきた葉介の友人達なのだろう。
何と世間は狭いものなのだろうか。
「あなた達の事はわかりました。しかし、いったいなぜ……。何か俺に頼みたいことでもあるんでしょうか?」
「ホホホ、本当に他意はございませんよ。先ほども申したとおり、純粋にお礼を申したかっただけにございます。まあ、他意があるとすれば、この子が少しばかり、陰陽師殿が気になっていたことでしょうかね。何せ、葉介殿以来、随分と久しぶりに殿方に興味を……」
「なっ、何を言い出すんだよ兄ちゃん!僕はただ、何となく葉介に似てるって言っただけで……、ひいぃっ!!」
瞬間、俺の横にいたクーコから、強烈な殺気がほとばしる。そして、それを察知したらしい妹狐からは悲鳴があがる。
「おっ、おいクーコ!どうしたんだ!?この人達は敵じゃないぞ!」
「ホホホ。むろん空狐殿も、私達を敵と思ったわけではありますまい。ああ、なるほど。むしろ敵と言っても、頭にもう一文字付く敵と思ったのでしょう。恋……」
「にっ、兄ちゃん、やめて!それ以上空狐様を刺激しないで。ごっ、誤解です。僕は本当に葉介に少し似ていると思っただけで、それ以上のことは……」
「よさないか、クーコ!」
妹狐の慌てようと俺の言葉を受けて、クーコから殺気が消える。
「ホホホ、冗談でございますよ。空狐殿も、お気を静めてください」
「貴様……」
「ま、まあまあ。お兄さんも悪気があったわけじゃないから。ほら、クーコも落ち着いて」
「いや、兄ちゃんは悪気の塊だよ。だいたい……」
「いっ、妹さんも、そんなこと言わずに……、ね!」
せっかくとりなしたのに、またぶり返されてはたまったものではない。俺は慌てて妹狐の言葉を遮った。
「ホホホ。少しばかり、はしゃぎ過ぎてしまったようですね。ですが、偶然とはいえ、陰陽師殿がここを尋ねてくださったことには感謝しております」
「それは、僕からも礼を言う」
兄妹は、突然真剣な表情となった。
「この神社は、昔はもっと栄えたものでした。ですが、見てのとおり、今では小さな敷地に細々とした参拝者が来るのみです。あの古き時代が終りを告げ、この国に大きな転機が訪れてからというものですが……」
兄狐の言うのは、楓さんの話からすれば、おそらく明治維新と呼ばれた出来事のことだろう。
「ご承知のとおり、我等の力は人々が我等を信じてくれてこそ存在するものです。少なくとも、この神社がある限りは、我等の存在が消え去る事はないでしょう。ですが……。浅ましいようですが、私達は我等を理解してくれる者に、その存在を認めてもらいたかったのかも知れません。そう、あなた様に……」
俺は、唐突に彼等の気持ちを理解した。いや、理解した気がするだけなのかもしれないが……。
この不思議の存在が公となった時代とはいえ、彼等のような実質神とも呼べる存在が、そうそう人前に現れるわけには行かない。
それは、信じ奉るものが現実の存在となった場合に、様々な不都合が考えられるからだ。
彼等が、人々の願いを叶えられなかったとすれば。
彼等の姿が、人々の理想と違っていたら……。
そして、今の信仰心の薄れた時代に合わせ、彼等は人々から少しずつ忘れられ、力は弱まっていく。
だからこそ、誰かにその存在を認めて欲しかったのではないだろうか。
力は徐々に弱まり、この地から遠くへは離れられぬ身となった。だが、そんな時に偶然俺達が通りがかった。
それは、彼等にとって待ち焦がれていたことだったのだろう。そうして、彼等を理解する俺の前に現れたのではないか。
そんな俺の気持ちに気付いたのか、兄狐は再び口を開く。
「おそらく、お察しのとおりでございます。私達が陰陽師殿の前に現れた理由、それは……」
「わかています。あなた達の存在を……」
「油揚げが食べたかったからにございます」
「はい!?」
俺は再びずっこけそうになった。何だ?今油揚げって言ったか?
「に、兄ちゃん!」
「ホホホ、冗談でございますよ。概ねは、陰陽師殿の考えているとおりでございましょう」
「だったら、俺に思いついたことがあるんですが……」
俺は、先ほど考えついたことを話す。
今、アニメの影響で狐や油揚げが人気なこと。狐の兄妹もおそらく知ってのとおり、先の事件では噂を沈静化させることで解決に導いたこと。そして、ならばその逆もありえるのではないかということを。
つまりは、昨今のブームを利用して、商店街などで神社を宣伝してもらうのである。さらには、リサリサさんに協力してもらえば、若い女の子達も立ち寄るようになるのではないか。
まあ、告白を断ったリサリサさんに会うのは少々気まずいのと、コックリさんなどインチキだと広めて解決した以上、少しばかり気は引けるのだが。
「ホホホ。私共ごときのために、随分とありがたいお申し出ではありますが、お断りさせていただきます」
返ってきたのは、意外な言葉だった。
「確かに、その方法であればここに人々は集まるかもしれません。ですが、それはあくまで一時的なもの。いずれは廃れていくだけになりましょう」
俺は、兄狐の言葉にハッとなった。確かに、それでここに来る人達は、今の油揚げを買い求める多くの人達と何ら変わりはないだろう。豆腐屋の大将の言葉通り、流行りなどすぐに廃れていく。
「す、すみません。安易な考えを……」
「いえ、大変にありがたいお申し出でした。陰陽師殿の優しさは、遠くから見ていたとおり、存分に伝わってまいりました。そのお話のことは存じておりますが、私共を元に作られたお話を見てここに来られるのも、少々気恥ずかしいものでございますからね」
「え?」
「それに、先に申したことは冗談ではありますが、半分は本気なのですよ。ああ、先ほどからその芳しい匂いが……」
「に、匂い?」
見れば兄狐の視線は、俺の持つ買い物袋に釘付けになっている。
「お、おい兄ちゃん。さすがに失礼だぞ!」
だが、そういう妹狐の表情も、涎を垂らさんばかりとなっている。
「もしかして……」
俺は、唐突にアニメの内容を思い出す。そういえば、話の中で兄は女の子のような格好をした悪戯好きな子で、反対に妹は男の子のように腕白だが、根は真面目な子だった。
ならば、あの作品の原作というのは……。
「わかりました。良かったら、ここへお供えしていきますよ」
『よ、よろしいのですか?』
『い、いいのか!?』
兄妹の声が重なる。
「その油揚げは、あなたが猫又殿に請われて、わざわざこの地まで買い求めた物。それを……」
「ははは、いいんですよ。油揚げは、時間が経てばまた買えます。今の時代に、稲荷神社に油揚げを供えていく人などいないでしょうし。それに、こうして俺がお供えをすれば、少しは信仰の足しになるんじゃないでしょうか」
「……。ありがとうございます」
兄妹は、俺に深々と頭を下げる。
「よ、よしてください。そんな大げさなことではないですから!」
「いえ。陰陽師殿のお心遣い、感謝いたします。さしたるお礼もできませんが、良ければ妹を嫁にもらっていただければ……。ああ、そういうご趣味がおありなら、私でもかまいませんが」
「貴様……。そこまで死に急ぐか……」
「に、兄ちゃん、やめて!ち、違うんです空狐様!ご、誤解です!」
「や、やめろクーコ!どうしたんだ!?殺気を出すな!」
「やれやれ、やっぱり売り切れだったか……。まあ、銀華さんには諦めてもらうしかないか」
あれからひとしきり大騒ぎした後、狐の兄妹に別れを告げた俺は、もう一度スーパーへと立ち寄ってみた。だが、予想通り油揚げのコーナーは、綺麗さっぱりと商品がなくなっていた。
「まあ、今回は俺も勉強になったよ。いくら人の思いが怪達の糧になるとはいえ、何でもかんでも人が手を出せばいいってものではないんだな。特に彼等は神に連なるモノ達だ。一過性の人気を得た所で、彼等のためにはならないってことか」
「差し出がましいようですが、そのとおりかと。所詮我等は、人間とは違う理で生きるモノ。人の尺度では全ては計れぬでしょう」
「そうか……」
わかってはいるが、そんなクーコの言葉に少しばかり寂しさを覚える。
「お前も……、そうなのか?」
俺の言葉に、クーコはさも心外だとばかりに反論する。
「何をおっしゃいますか!私の幸せは、緋色様に仕えた時より始まったのです。私は、緋色様の想いさえあれば存在し続けられます!」
「そうか……。ありがとうな」
クーコの言葉に、少しばかり胸の内が熱くなるのを感じる。そうだ、例え世界のの全てが忘れ去っても、俺はクーコのことを忘れないし、怪達のことを忘れないだろう。
「私に礼など、もったいないことにございます」
「なに、お前に礼なんて、いくら言っても言い足りないくらいさ。さて、銀華さんも待ちくたびれているだろうし、帰ろうか」
「はい。ですが、その前に……」
「ん?」
「あの狐共の言っていた、学び舎での出来事を詳しくお聞かせ願いましょうか」
「……。や、やっぱり……?」
せっかくいい感じでまとまりかけていたのに、俺はまるで浮気のバレた旦那のように、クーコに言い訳をしながら猫猫飯店へと向かったのだった。
「ええっ!緋色さん、ご存知ないんですか!?あのアニメの原作は、橘鈴子の絵本を元にしてるんですよ。もちろん、橘先生が原作ということは、当然その元は葉山先生のお話になるわけで……。そ、それよりも、楓さん達と葉山ハーレムを築いた狐さん達に会ったんですよね!?しかもお兄さんは、お、男の娘……」
翌日、遊びに来た弘美ちゃんの話を聞き、アニメと狐の兄妹の関係に納得した。どおりで、兄妹の性格といい、油揚げが大好きなことといい、お話に似ているはずだ。
「ひ、緋色さん。じ、神社の場所を教えてください!早速、油揚げを持ってお供えに……」
「ちょ、ちょっと落ち着いてください。今、簡単に油揚げは買えませんよ。そもそも彼等は神に仕えるモノ達ですし、簡単に人前には出てきませんよ」
「で、でも……!」
それに、今の鼻息を荒くして、涎を垂らさんばかりに興奮している弘美ちゃんを見たら、兄狐はともかく、妹狐は絶対に姿を現さないだろう。
まあ、彼等もたまには油揚げを食べたいだろうし、弘美ちゃんが落ち着いたら、今度は銀華さんも含めてまた訪れようと思う。
「うう……、僕の油揚げ……」
「す、すみません……。また買ってきますから」
まあ、今回は銀華さんには悪いことをしまったのだが……。
~『閑話 油揚げ狂詩曲 江戸の夢再び』編 完~
それは、緋色達がいつもと変わらぬ日常を過ごす裏で進んでいた。
「蒼月様、よろしいでしょうか?」
「夜叉丸か……。構わん、入るがいい」
「はっ、失礼いたします」
音も無く襖を開け、痩身の男が入ってくる。
そこは、山中に建つ巨大な屋敷の中だった。いや、屋敷というよりは、それを見た者は、おそらく山中に佇むその姿からも寺だと思うだろう。
それほど簡素で、質実剛健な平屋造りの建物だった。
そしてそこは、屋敷の主の部屋なのだろう。そのひと際大きな和室に胡坐をかいて座っているのは、厳めしい顔をした、年の頃なら四十ばかりの男であった。
蒼月と呼ばれたその男は、その厳めしい顔つきに引けを取らぬ、がっしりとした体躯をしている。
さらにはその環境に合わせたかのごとき和装のため、その体は一回り大きく見える。
反対に夜叉丸と呼ばれた男は、細身の体に漆黒のスーツを纏っている。だが、その漆黒の衣装とは相反するように、その肌は白い。いや、白いというよりも、むしろその肌は不健康そうな青白い色をしていた。
その顔は二枚目と呼べるほどに整っているが、たった一つの顔の作りが、それを打ち消すような雰囲気を漂よわせている。
それは、夜叉丸の目であった。その目は、まるで爬虫類のそれのように吊り上がり、冷たく輝いている。
「蒼月様、やはり、翠様の封印が弱まっております」
「そうか……」
蒼月と呼ばれた男は、遠い目をして空中を見る。
「むろん、すぐにというわけではないでしょうが、このままでは封印が解ける可能性も……。それに、封印が弱まっているということは、坊ちゃまの記憶も……」
「ふむ……。やはり、一度は行かねばならぬか……。夜叉丸、支度を」
「はっ」
そして男は、ゆっくりと立ち上がった……。




