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「あらあら、またしがみついちゃって。緋色は甘えんぼさんね」
「だって、かあさまのこれ、あったかくてやわらかいんだもん」
「ふふふ。じゃあ、全部でいくつあるか数えられる?」
「できるよ!えっとね、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、い……、うぅ……」
「ふふ、残念。その次はね、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、ここのつ、よ」
「う……、うん。いちゅち、むっち……」
「ふふふ、まだ少し難しいかったわね。ほかにもね、ごぉ、ろく、なな、って簡単な数え方もあるのよ。それだと、ここのつは『きゅう』っていうのよ」
「う……?うん……」
「だから母様は、こうも呼ばれているの。『きゅう……」
「……っ!」
けたたましく鳴り響く、目覚まし時計の音で目を覚ます。なんだろう、何か最近よく見る夢を見ていた気がするが、思い出せない。
いや、むしろ思い出そうとすると、頭に霞がかかるような、記憶を無理やり押さえつけられるような……。
だが、わずかな間に記憶が薄れて行く。
あれ?俺は何を気にしていたんだっけ?いや、そんなことよりも、銀華さんが起きてくる前に、洗濯を済ませ朝ごはんを作っておかなくては。
俺は少しばかりボォッとする頭で、いつものとおりに、キッチンへと向かったのだった。
「え?置いてないんですか?弱ったなぁ……」
「ごめんよ緋色君。ほら、今テレビで流行ってるだろ?あれのおかげで、いつも卸してもらってる豆腐屋が、隣町の大手スーパーに全部卸すように頼まれたって。おかげで、ウチの分がなくなっちまったっていうんだよ」
「は、はぁ……。そういうことなら仕方ありませんね」
「まったく、ウチが昔から仕入れてやってるのに、恩を忘れやがって!」
「ちょっとアンタ、仕方ないだろ。あそこは細々とやってる、小さなトコなんだから。大手から睨まれて卸させてもらえなくなったら、死活問題だよ。それとも、アンタが全部仕入れてあげられるのかい?」
「い、いや。それはさすがに……」
「そうだろう?それに豆腐屋の大将も、流行りなんてすぐに廃れるから、心配しなくても少し待てば大丈夫だって言ってたじゃないか」
「ま、まあまあ二人とも……」
俺は慌てて二人を止める。俺のせいで夫婦喧嘩にでも発展されては、たまったものではない。
俺が何処にいるかといえば、商店街へ買い物に来ているのだ。そもそも俺が買おうとしているのは、普段であれば難なく手に入る物だし、もし買えなければ諦めて他の物を買うだけのことだ。
だが、今回ばかりは、できれば手に入れたい理由があったのだった。
事の起こりは銀華さんの、『油揚げのお味噌汁が飲みたい!』と言うひと言だった。
普段であれば、放っておけばお菓子で朝ごはんを済ませてしまうような銀華さんである。
そんな銀華さんが健康志向に目覚めたのかといえば、そういうわけではない。
先ほどの店主の言葉と、大いに関係があることだった。
最近、銀華さんが大好きな探偵ドラマや刑事ドラマを放っぽりだして、あるアニメに夢中になっているのだ。
内容としては、古い絵本を元にして新しく作り直しているようだが、それが功を奏したのか、本来の対象である子供達を通じてその親へ、更には若い世代へと伝播して、ちょっとしたブームとなっているらしかった。
それは、幼い化け狐の兄妹を主人公としたアニメだった。
俺も銀華さんに付き合って何度か見たことがあるが、兄妹が協力して様々な出来事を解決したり、人間と触れ合ったり、ほのぼのとした日常を描きながらも、笑いあり、時には感動の涙ありと、子供向けとは思えないほどによくできていた。
もちろん、それ自体に何の問題もないのだが、今回問題となっているのは、その兄妹が『油揚げが大好き』ということである。
途中まではうまく行っているのに、油揚げが絡んで大失敗してしまうという定番のオチもあり、またそれが可愛いと人気に拍車をかけているようだ。
当然子供にせがまれたり、銀華さんのように影響されやすい人達が、世間には一定数いるということだろう。現在の状況のように、油揚げの品薄状態へと繋がっているわけである。
「とにかく、散歩がてら足を伸ばして、隣町のスーパーでも覗いて見ますよ」
俺は商店街で必要な買い物だけを済ませると、油揚げを求めて隣町へと向かったのだった。
「いやー、よかった。もう少し遅かったら売り切れてるところだったな」
隣町の大型スーパーで見た光景は、少々滑稽なものだった。油揚げの置いてあるコーナーでは、『今話題の!』『子狐の大好物!』などの煽り文句が並べられ、微妙にアニメキャラクターに似せた、手書きのイラストが添えられていた。
まあ、俺がどうこう言うことでもないし、商売というのも大変な苦労があるのだろう。
それでも、俺が一袋買い物籠に入れて他の商品を見ている間に、小さな子連れの主婦などにより、あっという間に商品はなくなっていた。
「まったくあの猫又め。緋色様に、このような雑務をさせるとは」
「まあまあ。俺も久しぶりに歩き回って、気分転換にもなったしな。それに、商店街に置いてない物もいろいろあったし、たまにはこっちに来てみるのもいいんじゃないか?」
それは、胸元でブツブツと文句を言うクーコをなだめながら、猫猫飯店へと帰る途中であった。
「へぇー。こんな所に、稲荷神社があったんだな」
それは、田舎の一軒屋程度の敷地に建つ、小さな神社だった。
少しばかり寂れて薄汚れた感じはするが、どこか清浄な気配がする。おそらく、昔はこのあたりの信仰を一身に集め、もっと大きく栄えた神社だったのではないだろうか?
そう思わせるかのように、入り口には神社の規模にしては不釣合いなほどに大きな鳥居と、その左右には古ぼけてはいるが、立派な二匹の狐の像が建っている。
「小さいけれど神聖な気配もするし、もしかしたら、この地を守る氏神様が祭られているのかもな」
なんとはなしに、クーコに語りかけたつもりだった。
「ホホホ。さすがは巷で噂の陰陽師殿ですね。見事なご慧眼ですこと」
「えっ!?」
いつの間に、そこにいたのだろうか。鳥居の中から聞こえてきた声に顔を向ければ、そこには一人の美しい人物が立っていた。
いや、美しいことには間違いないのだが、そのあまりの頓狂な格好に、一瞬開いた口が塞がらなくなる。
その人は、派手な白塗りの化粧をしていた。だが、その整った顔の造りから、決して化粧でごまかしている美しさでないのは一目でわかる。
だが、それ以上にインパクトがあったのは、その格好であった。
それは、物語の中でしか見たことがないもの。そう、かつて遊郭にいたという遊女達。しかも『太夫』と呼ばれる者の格好だった。
もちろん、遊女の格好をしているからといって、目の前の人物がそのような生業をしているということではないだろう。
それに、この人は確かに俺のことを、『陰陽師』と言った。さらには、この人から感じる気配は、間違いなく人のソレではない。
だが、その気配は決して妖怪悪霊の類ではない。いや、むしろ……。
さらには、この状況にも関わらず、クーコが何も動く気配はない。つまりは、俺の感が正しいということだろう。
「あなたは、もしかしてこの神社の……」
「さすがは陰陽師殿。察しが早いですね。私は……」
それは、目の前の人物が話し始めた時だった。
「いい加減にしなよ、相変わらず人をからかって楽しんで。しかも、空狐様の目の前だぞ。もっとちゃんとした自己紹介の仕方ってもんがあるだろ!」
「ホホホ。今、紹介をしようとしていたではないですか。相変わらずあなたはせっかちですねぇ」
現れたのは、簡素な着物を身に纏い、髪を総髪に結った、これまた侍のような、時代がかった格好をした人物だった。
身なりといい顔つきといい、非常に凛々しい外見だが、おそらくは先の人物と何かしらの血縁関係があるのだろう。非常によく似た、美しい顔立ちをしていた。
しかもこの人は、クーコの名を口にした。つまり、俺の正体は筒抜けだと思っていいだろう。警戒すべきなのだろうが、こちらも敵意はまるで感じない。
「まったく、いつまでたっても子供みたいな悪戯をしかけて……。こいつ一人ならともかく、今は空狐様も一緒なんだぞ!」
「ホホホ。あなたこそ、いつもで経ってもそんな堅物では、また振られてしまいますよ」
「なっ……、いつまでそれを言う気だよ!それに、あ、あれは僕が自分の気持ちを伝えただけで、別に振られたわけじゃないからな!そもそも、答えだって聞いてないし!」
「ホホホ。それは聞くのが怖くて、単に逃げただけではありませんか?」
「そっ、そんなことあるわけないだろ!あれは……」
なんだろう。二人の会話を聞いていると、何やら違和感を感じる……。
そうだ、太夫姿の人物の声は妙に低いのに対し、その反対に侍の声は随分と高いのだ。まるで、女と男ではなく、男と女のように……。
「だっ、だいたい、あれは兄ちゃんが勝手に葉介に……」
「ホホホ。可愛い妹の幸せを願って、何が悪いというのです?」
「ぐっ……。そ、それは……、それが余計なお世話だって言うんだよ!」
「ホホホホホホ」
完全に主導権を握ったのだろう。太夫姿の人物は、口に手を当て笑いながら俺の方に向き直ると、深々と頭を下げた。
「失礼をいたしました。我等はこの地の稲荷神様の御使いをしております、狐の兄妹にございます。陰陽師殿に恩ある身ゆえに、本来ならばこちらから出向くべきところでございますが、何分事情がありますゆえ、ご容赦願います」
それは、太夫姿のとてつもなく美しい『男』と、侍のように凛々しい『女』の、狐の兄妹であった。




