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「おはよー。緋色君」

「センセー、おっはよ~」

「緋色君、オッス」

「おはようございます。緋色先生」

「はい、おはようございます」


 翌朝は、冷たい視線の銀華さんに見送られて猫猫飯店を出発してきた。

 

 その冷え込んだ態度を思えば、たとえ玩具にされてもからかわれても、今は挨拶をしてくれる女生徒達に暖かさを感じ、むしろホッとする。

 銀華さんは、昨夜からロクに口をきいてくれなかったし……。

 

 そして生徒達と挨拶をかわしながらながら、校庭を抜けて職員室へと行けば、校長が迅速に動いてくれたのだろう。たった一日だというのに、俺の体にピッタリとフィットしたジャージが用意されていた。

 

「アハハ。よかったね緋色く……、じゃないや、御門先生。ごめんごめん。つい生徒につられて、緋色君って呼びそうになっちゃうよ」

「まだ本当の先生ってわけじゃないし、緋色で大丈夫ですよ」

「そう?それじゃあ緋色先生でいっか。さすがにブタ丸のジャージじゃ、なんだか臭ってきそうだったしね。ま、君はホントに体育大学生かってくらいスリムだし、そのくらい細い服のが似合ってるよ」


 摩耶さんは笑いながら、何気にドキリとするようなことを言った。

 

「ぼ、僕は陸上部で、長距離が専門ですから」

「ああ、どうりで細いわけだ」


 とりあえずは、校長から教わった付け焼刃で何とかなっているが、あまり長引くとボロが出かねない。早々に事件を解決する必要がありそうだ。

 

 

 

「はい整列~。じゃあ、まずはストレッチから。お前ら二人一組で組んだ?」


 翌日からは、本格的に授業のサポートをすることになった。当たり前なのだが、摩耶さんはテキパキと授業を進めていく。


「はいはーい。緋色センセー」

「何ですか、リサリサさん?」

「アタシ余っちゃったんすけど~。センセー組んでください」

「え!?僕ですか?」 

 

 確かに、他の生徒がペアを組んでいる中で、手を挙げているリサリサさんの周りには誰もいない。

 いや、周りの子達が若干ニヤニヤしているのが気になるが。

 

 まさかとは思うが、皆で仕組んでるんじゃないだろうな……。

 

 チラリと摩耶さんを見れば、『ほら、ちゃっちゃと進めるよ!』と言わんばかりの顔をしている。

 

「わかりました」

 

 俺は生徒達の輪の中に入っていく。授業の一環であるただのストレッチだし、変に勘繰ることなどないだろう。

 

 と、思っていたのだが……。

 

「ア……、アン!センセーくすぐったぁい!」

「すす、すみません!わざとじゃないんです!」

「もー、センセー遠慮してそっと押すから、くすぐったくなるんすよ」

「す、すみません。こうですか?」

「キャハハハハ。くすぐったい!違うって!」


 そうは言っても、実際に押したリサリサさんの背中は、思った以上に細く柔らかく、強く押したら壊れてしまうんじゃないかと思わせ、力を入れるのを躊躇してしまう。


「も~、しょうがないなぁ。手本見せたげるっすよ」

 

 そう言ってリサリサさんは俺の背に回り込むと、体育館の床に座って両手両足を前に投げ出した俺の背中を、グイグイと押し始めた。

 

「ほら、こうやってもっと強く押さなきゃ」

「は、はい……。確かに押せていますが……。ですが、その……」

「ん?何すか?」


 リサリサさんは、力強く俺の背中を押してくれている。この方法なら、確かにしっかりとストレッチができるだろう。だが、通常は両手で背中を押すものではないだろうか?

 

 しかし、リサリサさんの取った方法は、自分の体ごと俺の背中を押すというものだった。

 つまり、俺の背中に思いっきりリサリサさんが乗っかかっているのだ。しかも、俺の方を向いて。

 要するにどういうことかといえば、俺の背中におんぶの要領で、リサリサさんの上半身の前面が思いっきり密着し、柔らかい物が当たっているわけである……。

 

「リサリサさん。その……。これはマズイので、どいてもらえますか?」

「え~?何がマズイんすかぁ?」

「いっ、いや、背中に……」

「ん~?背中が何すかぁ?あ!もしかして、アタシの胸が当たってるの意識しちゃってる?ヤ~ン。センセーのエッチィ」

「ち、違いますって!」


 だが、時すでに遅し。周りはもはや、授業どころではなくなっていた。


「摩耶ちゃ~ん。リサリサと緋色君が、イチャついてエロいことしてる~」

「緋色君エッチー」

「リーサやらし~」

「センセー、アタシもストレッチして~」


 大騒ぎになった体育館では、便乗してはやしたてるちょっとやんちゃなグループと、面白そうに見ている活発なグループ。引き気味にこちらを見ている真面目そうなグループなど、様々な目があった。

 だが、その中でもっとも恐ろしかったのは、光彩の無い瞳でこちらをじっと見つめる、弘美ちゃんの氷のような視線だった……。

 

「はいお前ら静かに。また生活指導の先生に怒られるぞ~、主に私がな……。それと緋色先生。無事教員になれた際には、赴任地がアフリカで無いことを祈ってるからね」

 

 

 

「うぅっ……。気持ちいい……」


 午前中の授業が一段落した俺は、数少ない男子トイレで一息ついていた。さすがにここまで追ってくる生徒はいないし、この学校は男性教員自体が少ないため、ここに来る人はめったにいない。


 いや、一息ついていたといっても、授業での感触を思い出して、何かやましいことをしていたわけでは断じてない。

 気持ちいいというのも、緊張で固まった体を、大きく伸びをしてほぐしていただけだ。

 

「しかし、いくつかのクラスの生徒達を見たわけだけど、別段何かを感じるわけでもないし……。どう思う?クー……」


 言いかけて、俺はクーコがこの場にいないことを思い出す。


 校長が迅速に服を用意してくれたのはいいが、一つだけ問題があった。

 

 この学校の体操着は、本格志向というのか何というのか、割とからだにフィットした競技用に近いものであった。

 つまり、ポケットなどの余分な機能がほぼ付いていないのである。

 

 大丸先生のお古であれば、ブカブカのためにまだ物を隠しておける余地があったのだが、今の俺にピッタリとフィットしたこの服では、そうはいかない。

 

 要するに、クーコの入った竹筒を持ち歩けないのだ。


 昨日は首から紐でぶら下げておけば違和感なく隠せたものが、今では完全に無理になってしまった。

 さすがに胸元に怪しげなデコボコがあれば、真っ先に生徒達に何か言われるだろう。

 運動する以上、余計なものを持ち歩くわけにもいかず、結局クーコをロッカーに残して、一人で行動することにしたのである。

 

「仕方ないか。まずはコックリさんをしている現場を見つけないことには、どうにもならないからな」


 本来であれば、俺にはとてつもない量の実習があるらしいが、そんなことをしていたら、とても調査などしていられない。

 しかし、そこは校長がうまいこと理由をつけてくれたらしい。俺の役目は、『校内を巡視し、生徒達の年齢に近い目線から彼女達の考えや意見を理解して、学校の改善に役立つ案を考える』という、よくわからないものだった。

 だが、ある程度自由に動けるようになったことは確かだ。俺は授業の合間と放課後を利用して、校内を調べて歩くことにしたのだった。




「それで、成果はどうだったんだい?」

「ええ、コックリさんをしているグループはいくつか見かけたんですけど、取り立てておかしなところは見受けられませんでした。まあ、まだ二日目ですしね」


 その日の夜、俺は銀華さんへ今日の報告をしていた。朝と違い、銀華さんの機嫌も多少は直ったのだろう。俺の話を聞いてくれている。

 

「ふ~ん。まだ(・・)二日目ね……。そうだね、ヒロ君としては長引いたほうがいいのかもね」

「え?どうしてですか。そんなことはないですよ。事件が早く解決するに越したことはないじゃないですか」

「ああ、そうだね。別に僕は、もしかしたらヒロ君がわざと長引かせてるんじゃないかなんて、疑ってないよ」

「なっ……。なんで俺がそんなことする必要があるんですか?」

「ふ~ん?別に~」


 やっぱり、銀華さんはまだ微妙な態度のままだったのだが……。

 

 

 

 それから数日間は、何事もなく過ぎていった。コックリさんをしているグループはいくつか見受けられるのだが、別段何か起こっている様子もないし、何か怪の気配を感じることもない。

 弘美ちゃんに聞いても、ここ数日は知る限り何も起きていないという。


 変わったことといえば、日が経つにつれて、生徒達に取り囲まれることが少なくなくなってきたことくらいか。

 まあ、アレはいわゆる、『珍獣が来た』くらいのノリだったのだろう。『めずらしく男の実習生が来たから、いい玩具になる』くらいの。

 実際に、俺の周りに常に寄ってくる生徒達は、顔ぶれも限られてきた。

 

 まあ、リサリサさんは相変わらずその中に入っているのだが……。




「やあ、御門先生。実習には慣れてきましたか?」

「あ、校長先生。おはようございます」


 翌日、摩耶さんと教室に入ろうとしていたところを、校長に声をかけられた。


「ここ何日か授業に出て、学校も見て回ったことと思いますし、一度レポート代わりの中間報告をしてもらいましょうか。ああ、別に文面にまとめなくても、口頭で結構です。水木先生、御門先生ををホームルームの時間お借りしますよ」

「はい。わかりました」

「では御門先生。校長室へ」


 俺は校長の後に続き、教室から離れていく。摩耶さんはニヤニヤと笑いながら、口の動きだけで『が・ん・ば・れ』と言っていた。

 きっと、いつも周りを騒がせている俺が、こってり絞られるとでも思っているのだろう。

 そして俺が校長室へ向かう背後から、ガラリとドアを開る音が聞こえてきた。

 

「えぇ~!緋色君いないのぉ~?お休み?」


 教室からは、賑やかな生徒達の叫び声が聞こえてきたのだった。

 

 

 

「さて、御門さん。その後の進捗状況はいかがでしょう」


 俺は、校長室の応接テーブルの前に座っていた。

 

 目の前には、校長自らが入れたお茶が出されている。もちろん、万が一にも俺のことを知られないために、他の先生に出させるわけにはいかないからだ。


「はい。正直あまり芳しくないというか……。まだ、何も手がかりは見つけられません。何より、そういったモノの気配を感じないんです」

「ああ、いいんですよ。こちらも教員から、ここ数日生徒の様子がおかしいとも聞きませんし。たまたま生徒の体調不良が重なっただけで、何もなかったのならそれに越したことはありませんから。もちろん何もなかったとしても、依頼料はきちんとお支払いしますのでご心配なく」

「ありがとうございます」


 それから校長は、話を雑談へと変えてきた。

 

「しかし、さすがですね。こういったお仕事をされている方は、幽霊や妖怪の気配を感じ取れるのですね」

「えっ!?あ、ああ……。僕が感じ取れるというよりも、うちの店主はそういった事件専門ですからね。その……、気配を読めるお守りを預かってきてるんですよ」「なるほど。前回の事件を解決したことといい、その店主さんは優秀な方なんですね」

「え、ええ……。まあ……」


 俺は不用意に話をしてしまったことに、少しばかり冷や汗をかく。これが下手に広まったら、銀華さんの耳に入る可能性もあるのだ。俺はあくまで、助手として振舞わねばならない。

 

「なるほど……。ところでですね……」


 俺は、そこで校長の態度に違和感を覚えた。俺が自分のミスに焦って気がつかなかったのもあるが、よく見れば何かソワソワしてるし、話の切り替えも強引だ。

「以前にお話した件は、大丈夫ですか?」

「はい?以前とは」


 一瞬、意味がわからず聞き返す。

 

「ですから、御門さんは生徒達の間で大人気だとお聞きしますし、何か問題になるようなことは……」

「そ、そんなことはしてませんよ!」


 校長の言葉の意味を理解した俺は、慌てて否定する。

 

「いえいえ、御門さんを疑うわけではないんですが、中には積極的に近付いてくる生徒もいるようですから……」

「もしかして、リサ……、青樹理依紗さんのことですか?」


 校長の言葉に思いつく人物といえば、リサリサさんのことだろう。

 

「ああ、そのような生徒でしたかね」

「心配しなくても大丈夫ですよ。多分彼女は僕が物珍しくて、からかって遊んでるだけですから。他の生徒達もそうですけど、何かと僕はからかいやすいみたいで。動物園のパンダを見るのとかと、同じレベルだと思います。実際に、初日ほど生徒が寄ってくることもなくなりましたし」

「そうですか……。いや、取り留めの無い話で引き止めてしまってすみません。もうすぐ授業ですし、引き続きよろしくお願いします」


 なぜかご機嫌になった校長に見送られ、俺は教室へと戻って行った。

 

 あれ?そういえば、最近リサリサさんと同じような名前を、どこかで聞いたような……。そんなことを思いながら。




「センセー、さよなら~」

「バイバーイ、緋色君」

「緋色君、また来週ね~」

「はい。気をつけて帰ってくださいね」


 次々と帰宅して行く生徒達を見送ったあと、俺は薄暗くなりかけた校内を巡回していた。

 もちろん全ての生徒が帰ったわけではなく、部活をしている生徒や、教室で友達とお喋りしている生徒もまだ残っている。

 校庭では、熱心に走りこみをする陸上部の生徒もいるし、美術部の前を通ったときは、カンバスとにらめっこする弘美ちゃんの姿も見た。

 そして遠くからは、吹奏楽部が練習をしているのだろう。管楽器の音が聞こえてくる。




「フフフ……、来てくれたよ」

「アハハハハハハッハ!」

「ヒヒ……。イヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!」


 それは、文芸部の前を通りかかった時だった。室内から聞こえてくる奇妙な笑い声に、俺は足を止めた。

 それはだんだんと、けたたましく大きくなっていく。

 

 慌てて窓ガラス越しに室内を伺えば、そこには三人の女生徒が机に紙を広げ、何かを行っている。紙を見る限りは、おそらくコックリさんだろう。

 

 だが、明らかに様子がおかしい。ガラス越しに見る彼女達の瞳は焦点が合っておらず、何かに憑かれたようになっている。

 

「……っ!」


 そして、西日に照らされて壁に映った大きな影には、まるで狐のごとき姿が映っていたのだった……。

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