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「あらあら、そんなにふくれちゃって。どうしたの、緋色?」
「きいてよかあさま!あいつらったら、なんかいいってもいたずらをやめないんだ。あれじゃあ、とうさまにたいじされちゃうよ!」
「ふふふ、緋色はお友達が心配なのね。でも大丈夫よ。お父様は、そんなことくらいで緋色のお友達を退治したりなんかしないわ」
「でも……、とうさまはようかいがきらいだから、たいじするんでしょ?」
「いいえ、お父様が退治するのは、本当に悪いことをする妖怪だけよ。それも、お仕事で皆のために必要なことだからなの。だから、心配しなくても大丈夫。それに、お父様が妖怪が嫌いだなんてとんでもないわ。ほら、緋色も知ってるでしょ?お父様とお母様は、こんなにも……」
「……ロ君。ヒロ君……。ヒロ君!」
「っ……!?」
体を揺さぶられる感触と、遠くから聞こえてくる声に俺は目を覚ました。
「……え?あれ……?かあさま……?」
ぼんやりとした視界が定まった先には、何やら心配そうな表情の銀華さんがいた。
「もう、寝ぼけてるのかい?でも、何事もなくてよかったよ」
「え?」
「ヒロ君にしては珍しく、なかなか起きてこないし、様子を見に来たら何やらうなされてるし……。悪いと思ったけど、起こしたほうがいいかなって思ってさ」
「す、すみません。何か夢を……って、え?起きてこないって……?」
俺は枕元の時計に目をやる。その時計は、すでに朝の8時を過ぎていることを知らせていた。
「うわっ、す、すみません!こんな時間まで寝てたなんて……。と、とにかくすぐに何か朝食を用意しますから!」
俺は慌てて飛び起きる。何か大事な夢を見ていたような気もするが、ただでさえ曖昧な記憶の夢は、一瞬で吹き飛んでしまった。
「ちょ、ちょっと落ち着きなよヒロ君。大丈夫だって。こんなこともあろうかと、今日の朝ごはんは僕が作っておいたからね!」
「うぇ!?」
驚きのあまり、妙な声が出てしまった。
「ヒロ君……?今の妙な声は、どういう意味かな?」
「え?な、何って、普段料理をしない銀華さんが、朝ごはんを作ってくれたことに、ちょっと驚いただけですよ」
驚いたのは本当だが、正直に言えば、あの遊園地のお弁当の出来栄えを思い出したのも事実だ。もっとも、銀華さんの努力の隠し味は認めるが……。
「ふふん。遠慮することはないさ。さあ、朝ごはんを食べようじゃないか」
「どうだいヒロ君。僕の作った朝食は?」
「はい。普通に美味しいです。何ていうか、とっても素朴で……」
結論から言えば、銀華さんの作った朝食はいたって普通だった。いや、むしろどうやったらこれを失敗できるのかというくらい、シンプルなものだった。
出されたのは、1枚のトーストとコーヒーだった。ただし、コーヒーには銀華さんの好みに合わせてたっぷりのミルクと砂糖が入っていたが、トーストには何の装飾もなく、ただ焼いてあるだけだった。
「う……、ホ、ホントはサンドウイッチとか作るつもりだったんだよ!ただ、時間がなくて……」
「いえ、おいしいですよ。むしろ、このシンプルさが、コーヒーの甘さに合うというか」
「そうかい?そう言ってもらえると嬉しいよ」
ニコニコとこちらを見つめる銀華さんが、せっかく作ってくれたものだ。俺としても、文句のあろうはずがない。
ただし、この場でクーコが口を出せたなら、
「緋色様にお出しするのに、何たる粗末なモノを……。無礼者が!」
くらいは言ったかもしれないが。
「おはようございます。あの……、銀華さんいらっしゃいますか?」
その時、ノックの音と共に、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「あれ?あの声は弘美じゃないかい?こんな早くからどうしたんだろう」
「あ、俺出ますよ」
俺は食事を中断してドアに向かおうとしたが、銀華さんに遮られた。
「いいって、僕が出るから。ヒロ君はゆっくり食べてなよ。よーく味わってね!」
「は、はぁ」
ゆっくり食べるも何も、トーストはあっという間に無くなって行き、もうほとんど残っていない。味わいも、まさにパンの味そのものなのだが……。
だが、銀華さんは俺に気を使ってくれたのだろう。ここは大人しく、お任せすることにした。
「ごめんなさい、こんな早くに……。下のオフィスで呼んでも、いないみたいだったんで、こっちのほうまで来ちゃったんですけど……」
「ああ、かまわないさ。さあ、入りなよ」
「おじゃまします……。あ!」
銀華さんに続いて部屋に入ってきた弘美は、俺の姿を見て慌てたように言った。
「ご、ごめんなさい。まだお食事中だったんですね」
「いえ、気にしないでください。ちょっと寝坊をしまして……。それよりも、いったいどうしたんですか?その格好を見る限り、今日は学校ですよね?」
俺の言葉通り、弘美は初めて依頼に来た時と同じように、セーラー服姿だった。今日が平日であり、時間帯を考えれば当たり前のことだろう。だが、登校前にわざわざここに寄るとは、珍しいこともあるものだ。
「はい。そうなんですけど……。その……、実は、依頼のお話に来たんです」
「依頼?また何か起きたのかい!?フフフ、安心しなよ。弘美の依頼とあらば、この猫猫飯店店主である僕が、万事解決してあげるから!」
「ありがとうございます。でも、今回の依頼は正確には私からじゃなくて、うちの学校からなんです」
「学校?弘美の通う?」
「そうなんです。あ、なので依頼料は、ちゃんと請求していただければ大丈夫です!前の時のように、あんな格安でサービスしてもらわなくても……」
前回の吸血鬼騒動では、銀華さんは弘美ちゃんの懐具合を慮って、彼女の一月分の小遣い程度を請求しているはずだ。だが、今回は組織が依頼主である以上、取りっぱぐれはないだろう。
「でも、学校が銀華さんに依頼ってことは……。前回よりも大きな事件が起こったってことですか?」
「い、いえ、そういうわけではなくてですね……。その、前回の事件を一生徒……、つまり、私ですけど……に任せて、学校が何もしなかったというのが、少々問題になってまして……。うちの学校は少々体面を重要視している部分もありまして、今回は少しばかり早めに動いたってわけなんです。私は、お二人のことを良く知ってるってことで学校に頼まれた、いわば仲介役ですね」
なるほど。それで弘美ちゃんが登校前にここにきた理由も、少しばかり遅刻しそうなこの時間でも、平然としているのもわかった。
「つまり、事件は学校で起きているんだね!」
「は、はい。そうですけど……」
突然テンションの上がった銀華さんの声に、弘美ちゃんは驚いたようだ。
「フフフ、学校に潜入となれば、当然必要なものは何かわかるかい?ヒロ君」
「ええと……、制服……ですか?」
「そのとおり!今こそ、あの時に用意したセーラー服が役に立つのさ!うふふ……。僕のセーラー服姿の可愛さを見れば、ヒロ君もイチコロ……。ふふ……」
銀華さんは、なにやら興奮した様子でブツブツとつぶやいている。そんなに制服を着るのが嬉しいのだろうか。
「あ、あの……。実はそのことなんですけど……」
反対に、弘美ちゃんは何やら言い辛そうに口を開く。
「銀華さんは、その……、前回の事件を解決したことで、少々有名になりすぎてしまったというか……。それで、今回はまだ大きな事件にもなっていないので、穏便に済ませたいというのが学校の考えでして……」
「え?じゃあ僕の役目は?」
「ですので、その……、今回は……」
弘美ちゃんは、申し訳なさそうな顔で、チラリと俺を見る。
その瞬間、俺の中に恐ろしい思い出が蘇った。
「きっ、着ませんからね!俺は絶対にセーラー服なんか着ませんから!!」
そう、俺の中に、あの吸血鬼事件の際に女装させられそうになったトラウマが蘇ったのだ。
いや、もしかしたら弘美ちゃんは、俺に女装をさせるために、学校を巻き込んだ壮大なドッキリを仕掛けているのかもしれない。
そんな疑いも持ったが、続く弘美ちゃんの言葉で、少しばかり冷静になった。
「お、落ち着いてください。大丈夫です。制服を着てくれなんて言いませんから。そりゃあ、ちょっとは……、いえ、かなり見たいですけど……」
後半に何やら心の声が漏れている気はするが、とりあえずは一安心のようだ。
「ただ、そうなると緋色さん一人で、事件に臨む形になってしまいますが……」
確かに、俺の正体を知らない以上、銀華さんは俺のことを心配して断る可能性もある。だが、銀華さんの答えは迷いがなかった。
「ふふん。ここにいるのを誰だと思ってるんだい?この僕の助手、ヒロ君だよ!僕と一緒に、幾多の修羅場を乗り越えてきたんだ。少しくらいの危険なんか平気さ。それに、ヒロ君は強いんだから。吸血鬼の時だって夢の中で……」
「え?夢って……?」
「い、いや、何でもないんだ!ともかく……」
銀華さんは一呼吸置くと、一気に言い放った。
「不思議、怪し、妖怪、幽霊、この世の不可思議困り事、この猫猫飯店店主『銀華』の最も信頼する助手『ヒロ君』が、万事解決してみせるだろう!」




