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- 銀華の場合 -
「う……、うにゃぁぁぁぁぁ~」
目を覚ました銀華は、ベッドから上半身を起こして大きく伸びをする。だが、伸び上がった拍子にパジャマが上がっておヘソが丸出しになり、肌寒さを感じて再びベッドに潜り込む。そして、少しばかりぼんやりとした頭で時計を見れば、すでに昼を過ぎようとしていた。
「うにゅ……。ちょっと寝すぎたかな……」
銀華は普段から、さほど規則正しい生活を送っているわけではない。とはいえ、昼まで寝ているということはそうそうあることではないし、本人もさすがにこれは寝すぎだろうと思っていた。
しかし、銀華がこんな時間まで寝ていたのには理由があった。
しばらくしてようやくベッドから抜け出し、カーテンを開けて何気なくベランダに目をやれば、緋色は普段と変わらず早起きをして、洗濯を済ませてくれたのだろう。他の洗濯物にまぎれて、昨日着て行った白いキャミソールが、風を受けてゆらゆらと揺れている。
「うふ、くふふふふふ……」
昨日のことを思い出すと、自然に顔がにやけてくる。ちょっとしたハプニングはあったけれど、結果として緋色とロマンティックな夜を過ごせたのだから。
そう、これは銀華と緋色がテーマパークに出かけた、翌日のことである。
もっとも、緋色は普段の礼として連れて行ってもらったと思っているだろうし、別に二人の間に何かあったわけでもない。
でも、それでいいのだ。銀華にとっては楽しかったし、あんな微妙な味のお弁当を美味しいと言って食べたくれたし。
それに、予想もしていなかった最後のパレードに誘ってくれた時など、まるで本当のデートのようだったからだ。
まあ、ちょっとばかり、『モンスター・パニックハウス』で怖がる姿を見られるという失態も見せてしまったが……。
ともかく、結局昨夜は興奮でなかなか寝付けず、ベッドの上を転げ回ったり、時には転がりすぎてベッドから落ちたりしながら、ようやく明け方近くに眠りについたのだ。そういうことであるから、この時間に目が覚めたのも仕方がないだろう。
思えば、緋色と出会って数ヶ月が経った。初めて会った時は、何気ない人助けのはずだった。いや、本当は少し違うのかもしれない。いくら銀華といえど、見ず知らずの人間を誰彼構わず助けるということなどない。
あの時の緋色に、何か不思議なものを感じたからこそ、気付けば声をかけていたのだ。
銀華は、経験上自分の直感を信じていたし、その後の緋色の人となりや行動を見れば、それは正しかったと証明もされた。ただし、緋色に対してこんな想いになることは予想外だったが……。
もちろん、銀華の中でも何が何でも緋色と……、という強い想いがあるわけではない。今はまだ、好意を持つ気になる男の子というくらいである。今はまだ……。
『クゥ~』
ぼんやりとそんなことを考えていると、銀華のお腹が可愛らしく鳴った。昨日の夕食は少し遅かったとはいえ、それから昼まで何も食べていないのだ。育ち盛りの銀華なら、当然お腹も空くだろう。
キッチンからほのかに漂ってくるカレーの匂いも、それに拍車をかけたのかもしれない。
「お腹空いた!」
ベッドから飛び起きた銀華は、急いでキッチンへ向かおうとしたが、ふとベランダに干してある白い布切れに目を止めた。
それは、キャミソールよりも小さい分、さらにひらひらと風に揺れている。
そう、それはちょっぴり気合を入れて先日買って来た、いつもよりほんのちょっとだけ大人っぽい、銀華の白い下着だった。
それを見た途端、銀華の中で忘れようとしていたはずの、昨日の記憶が蘇る。それは、全面が鏡張りの、ミラーハウスの中での出来事だった。
あの時、ミラーハウスの中で興奮してはしゃいでいた銀華は、ふと緋色の様子がおかしいことに気がついた。それまで一緒に楽しそうにしていたはずの緋色が、急に無口になったかと思うと、さらには顔を赤くして横を向いているのだ。
初めは、何か具合が悪くなったのかと思ったが、どうやら違うようだ。わけを聞くと、緋色は顔を逸らしながら、
「銀華さん、その……、映ってます」
「ん?鏡だから映るのは当然だろ?」
「いえ、その……、後ろの鏡に……、パ……、下着が……」
「え……?う……、うにゃぁぁぁぁあ!!」
ぐるりと首を回した銀華が反対側の鏡に見たものは、前かがみになっていたために後ろが引っ張られ、ずり上がった短いスカートから覗く白いパンツだった。おまけとして、いつもより布面積が少ないために、少々食い込んだパンツから少しばかりはみ出ている、小さなお尻も見えていたのだった……。
「うう……。やっぱり穿いてない時とはいえ、見られるのはよくないよね……」
昨日のことを思い出し顔を赤らめた銀華は、今後は普段から緋色に口うるさく言われている、下着の管理を自分でしようと決意したのだった。
ただし、持ち前のズボラさと、その後に食べたカレーに夢中でその決意を忘れ、それが実行されるのは当分先の話になるのだったが……。
そんなある日の、午後の出来事であった。
- 緋色の場合 -
「さて、洗濯物は干し終わったし、掃除機をかけたいけどさすがに銀華さんが寝ている間はなぁ。よし、ちょっと早いけど昼飯でも作るか。カレーなら銀華さんが起きてきた時に、すぐに食べられるしな」」
いつもと変わらぬ様子の緋色であったが、先ほど干した銀華の下着が、少しばかりいつもよりセクシーだったのが気になっていた。
それが昨日銀華が穿いていた下着であることに気付き、昨日見た光景を思い出して少々顔を赤らめる。だが、それをクーコに悟られたら、何を言われるかわかったものではない。
平然を装い、家事を済ませていく。
これは、緋色と銀華がテーマパークに出かけた翌日、銀華が目を覚ます少し前のことである。
「それにしても、今日はいつにもましてお寝坊さんだな」
「フン、あの猫又めが。緋色様に雑用をさせて睡眠とは……。いい身分ですね」
「お、おいクーコ。俺はお世話になっている身だし、そもそもこれは好きでやってることなんだぞ。それに昨日の銀華さんは、俺の疑いを晴らすために大活躍してくれたんだし……。ま、まあ、原因のほとんどは、銀華さんのせいでもあるんだけど……。きっと疲れてるんだろ。それに、昨日は随分と遅くまで起きていたようだし」
そう、あれは昨夜のことだった。パレードを最後まで見てきたためにいつもより遅くなってしまったが、そろそろ寝ようかとお手洗いに行く際に、銀華の部屋の前を通った時だった。
「うにゅ~……。う、うぅぅぅぅ……。うああああああ……」
部屋の中から、銀華のうめき声と、何やらのた打ち回るような音がするのだ。
「ぎんっ……!」
何か急な病気にでもなったのだろうか。慌ててドアをノックしようとした緋色だったが、続いて聞こえてくる声にその動きを止めた。
「くふ、うふふふふ……。ひひっ……」
少々気味が悪かったが、あきらかに笑い声が聞こえてきたからだ。おそらくは漫画を読んでいるのか、ゲームにでも夢中になっているのだろう。
きっとこのバタバタという音も、スポーツ漫画や格闘漫画を真似て暴れ回っているのか、もしくは対戦型のゲームでもしているのだろう。
そう納得した緋色は、そっとその場から離れて自室へ向かったのだった。
もっとも、その音は明け方近くにまで及び、時おり『ドシーン』という何かが床に落ちる音まで響いてきたのだった……。
おかげで、緋色としてはすっかり寝不足である。だが、お世話になっている身としては、家事をサボるわけにもいかないし、性分なのであろう。そんなことは思いつきもしなかった。
そんなわけで、寝不足の原因が銀華である以上、緋色を絶対的に崇拝するクーコが不機嫌になるのも、いたしかたないことであった。
「とにかく、あまり銀華さんのことを悪く言わないでくれよ」
「……。かしこまりました」
クーコと話をしながらも、緋色は冷蔵庫の中身を確認していく。
「うん、タマネギにジャガイモ、ニンジンもあるな。甘口のルーもあるし、買い物に行かなくても良さそうだ。んー……、肉はないけど昨日贅沢をしたばかりだし、勘弁してもらうか。さて、ニンジンが大きいと銀華さんはこっそり残すから、いつものごとくみじん切りか。よし、今日は時間もあるし、タマネギをじっくり炒めてみるか」
そう言いながら楽しそうに料理をする緋色に対し、クーコがそれ以上口を開くことはなかった……。
「さて、そろそろかな」
部屋中にカレーの匂いが漂い始めた頃、緋色の予想通り銀華の部屋からドタドタと音が聞こえ、やがてパジャマ姿の銀華が駆けるようにキッチンへと現れた。
「おはようヒロ君!カレー出来てる!?」
「おはようございます銀華さん。ちょうど出来上がったところですよ。さっそく食べますか?」
「うん!あ、その前に……」
食事前に銀華が言ったことは、驚いたことに、これから自分の下着は自分で洗濯や整頓をするというものだった。
それは、もちろん緋色にとってホッとする出来事であったが、同時に少しばかり残念に感じたことは内緒である。
そんな銀華の成長ぶりを喜びながら食事を済ませた緋色だったが、再び脱ぎ散らかされた銀華の下着を発見するのは、それから6時間後のことだった……。
そんなある日の、午後の出来事であった。
- 弘美の場合 -
「ありがとうございました~。またお越しくださ~い」
ここは、一般庶民は立ち入るのを少々ためらうほどの老舗の高級和菓子屋、満月庵である。割烹着姿で年配の女性客を見送ったのは、この店の一人娘、弘美であった。
立場的には大店のお嬢様である弘美であったが、両親はそんな弘美を必要以に甘やかすことなく育て、当の弘美もきちんとした常識を備えた娘に育っていた。
これは、ふとしたきっかけで天狗の依頼を銀華達と解決してから、一週間ほど経った頃の話である。
「弘美、ちょっといいかしら」
「何?お母さん」
客足が途絶えたのを見計らってか、弘美は母親から声をかけられた。
「緋色君とのことは誤解だとわかったけど、その後の進展はあったの?」
「ちょ、ちょっとお母さん!?誤解だったわかったって今……」
途端に店内の従業員達がざわめきだしたのを感じて、弘美は慌てて母親を裏口へと引っ張って行く。
「ちょっとお母さん!私と緋色さんは、そんなんじゃないんだから」
「ええ、それはもうわかっています」
「だったら……」
「あなたはそれでいいの?」
「え?」
「緋色君とあなたに、何もないことはわかりました。でも、あなたの気持ちはそれでいいのかと聞いているの」
「う……、それは……」
弘美とて、緋色が気になるのは正直なところだ。少し前までは、男の人全般が苦手だったし、猫猫飯店で緋色と初めて出会った時もそうだった。
だが、怪異から助けられたからというわけではなく、その後の緋色の人柄や優しさを見ているうちに、何となくだろうか、そんな気持ちになったのである。
「商店街で聞いた話によれば、緋色君は随分とモテるそうじゃない。雇い主の猫又さんや、そのお向かいの狼女さん、その助手の犬娘さんとか」
「あの人たちの話を真に受けないで!あれは面白おかしく、噂をしてるだけなんだから……」
だが、商店街の店主達の噂は話半分としても、弘美の見る限り、少なくとも彼女達が緋色に好意を持っているのは事実だろう。
それに、ここでは言えないが、あの式神さんも……。
あんな強力なライバル達に、自分のようなのが勝てるのだろうか。ふと落ち込みかけた時だった。
「オホン!と、ところで、その店主さん……、銀華さんと言ったかしら。ここに遊びに連れてくる予定はないの?」
「は……?なんで銀華さんを?」
「だってあなた、その子に浴衣を着せたんでしょ!ああ、銀色の髪に浴衣が映えて、さぞ素敵だったでしょうね……。家に連れて来れば、もっと素敵な着物を着せてあげられるわ!透き通るような白い肌だって言うし……。ああ……、あれもこれも……。うふふ……、きっと素敵でしょうね……。きっと着物以外のドレスも似合うわ。なんならゴシックだって!」
「お、お母さん……。わかったから……。今度聞いてみるね……」
「そ、そう!?よろしくね!」
興奮する母親にドン引き状態の弘美だったが、もしもこの場に緋色がいたら、こう言ったであろう。
『お母さんと弘美ちゃんって……、そっくりですね……』
それは見る人が見れば、趣味は違えどまさにそっくりの親子だと感じる一場面だった。
そんなある日の、午後の出来事であった。
- 成田の場合 -
「ぱぱー。にゃーにゃのとこにあそびにいくー」
「おお、そーかそーか。んじゃ、さっそく電話してみようかな」
父親に向かっておねだりしているのは、『成田凛子』五歳児である。
そして、デレデレとにやけた顔で娘の言いなりになっているのは、彼女の父親である、成田三樹夫だ。
これは……、まあ、いつでもいいか。成田家の休日によくある出来事である。
「ちょっとパパ!凛子はこれからピアノのお稽古があるのよ。それにそんなにしょっちゅう遊びに連れて行ったら、向こうにも迷惑でしょ!」
「い、いや、ピアノなんてたまにはサボっても……。それに、あいつらだって凛子を連れてくと大喜びしてるぜ」
「銀華ちゃんや緋色君がいい子達だってのはわかってるわよ。そうじゃなくて、向こうの都合も考えないといけないし、お稽古をサボるなんてもってのほかよ」
成田に強い口調で怒っているのは、彼の妻である。
「ぱぱー、ひーろのごはんたべるー」
「おお、そうか。もうすぐお昼だし、あいつの作る飯は旨いからなぁ。まったく凛子は、大好きなくせに、緋色の前じゃ全然素知らぬ振りをしてるんだから」
「へぇー、そうですか。パパも凛子も、お気に入りの緋色君のご飯は食べられても、私の作るご飯はまずくて食べられませんか」
「ばっ……、馬鹿。そういう意味じゃなくてだな。り、凛子はママの作るご飯も好きだよな?」
「うん、にんじんいれないときはすきー」
「ほっ、ほらな!凛子もこう言ってるし!」
「もう、冗談に決まってるでしょ。そうじゃなくて、もっと早くから連絡しておかないと、あちらにも迷惑だって言ってるの!」
「いっ、いや、でも凛子が行きたがってるし……」
「そうやって甘やかすから、凛子が我がままになるんでしょ!」
この妻の口撃には、『警視庁 特殊犯罪超常現象対応特別捜査課』にその人ありと言われた、敏腕警部の成田も形無しである。
その力関係を見る限りでは、当然このままでは夫の妻に対する不満も溜まって行くだろう。
だが、彼女は学生時代から、この一見軽薄なモテ男と付き合ってきた身である。うまく彼の心のツボを押さえて自分に向けさせることなど、お手のものとなっていた。そしてそれは、フラフラと他の女に声をかける三樹夫を自分に繋ぎとめるために身に付けた、少しばかり悲しい能力ではあったのだが……。
もっとも、今では娘を溺愛する彼の心を操るのは、学生時代と比べれば数十倍は楽になっていたが。
「別に私は、意地悪して言ってるんじゃないのよ。この時期の情操教育は、今後の成長にとても大事だからなの。それに、考えてごらんなさい。もしも凛子が、プロのピアニストにでもなれたりしたら」
「ハハハ、そんな大げさな」
「何言ってるの!パパは昔から、勉強もスポーツも、芸術だって何をしても優秀だったでしょ?」
「ん?ああ……。まあ。大概のことは苦労せずにできたなぁ」
「そうでしょ?凛子はそんなパパの血を引いてるのよ。考えてごらんなさい?あなたから受け継いだ才能を開花させた凛子が、海外の大ホールで演奏する姿を……」
「ハハ……、まさか……」
妻の言葉を話半分に聞いていた三樹夫も、親の欲目であろう。だんだんとそれが現実のことのように思えてきた。
目を瞑った彼の頭の中に見えているのは、ショパンコンクールへ出場し、審査員の満場一致で優勝する凛子。そして美しいドレスを着て、オーケストラをバックに演奏する凛子。だが、目に映るのは、そんなドレスなど吹き飛ぶほどに美しく成長した凛子の姿。
その後も次々とヨーロッパのホールでリサイタルを開き、世界的スターへと駆け上る娘の姿に、いつしか三樹夫の閉じた目からは、涙があふれていた……。
「ああ……、綺麗だ……。うん、そうだな。ピアノのお稽古は大事だな。よし、早くご飯を食べて、お稽古に行くぞ!」
「えー?やだー。あそびにいくー」
「ちょっと、お稽古の時間は決まってるんだから慌てないでよ」
すでに成長した娘の晴れ姿で胸が一杯の三樹夫には、妻がしてやったりという表情でニヤリと笑っているのに、まったく気付くことはなかった。
「それと、遊びに行くなって言ってるんじゃなくてね、行くんならピアノのお稽古が終わってからでも行けるでしょ?それなら今から連絡しておけばいいしね」
「おっ!さすがママだな。凛子、良かったな」
「じゃあ、ぴあのおわったらあそびにいくー」
「はいはい、ちゃんとお土産持っていくのを忘れないでよ。ほら、もうお昼を過ぎちゃったから、早くご飯にするわよ」
「おっ、そうだな。ママのおいしいご飯を食べるとするか!」
成田家の休日は、穏やかに過ぎて行く。
そんなある日の、午後の出来事であった。
- フェンリル & 狗巫女の場合 -
「たっ、ただいま」
「おかえり。随分と早かったね。その様子じゃ、進展は無しかい?」
これは、狗巫女が猫猫飯店へと向かい、銀華と緋色と食事を済ませてきた後の話である。
「そそっ、そんなことないよ!ちゃ、ちゃんと緋色さん『と』、ご飯を食べて来たんだから」
「へぇ、アンタにしちゃ上出来だね。で……?」
そう言うとフェンリルは、何やら怪しい目付きで狗巫女を見つめる。
「アンタと緋色『だけ』とで、食事してきたのかい?」
「っ……。ひ、緋色さん『と』、ぎ、銀華さん『も』一緒です……」
狗巫女の涙ぐましい抵抗は、フェンリルにはすっかりお見通しだったようだ。
「ハァ……。まったくアンタは。まあ、こうなることはわかってたけどね。さて、それよりも……」
フェンリルは態度を一変させる。
「すまないけど、アンタが出かけてる間に仕事が入っちまった。楽しんできたところ悪いけど、さっそく手伝ってもらうよ」
「はっ、はい。任せてください!」
黒狼探偵社は、今日も商売繁盛だ。
そんなある日の、午後の出来事であった。
~ 『短話 それぞれの昼下がり』 完 ~




