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「あれ?ここは……」


 怪訝そうな顔の緋色さんを前に、私は冷汗をかいていた。結局、いつ言い出そうかと悩んでいるうちに、黒狼探偵社へと到着してしまったのだった。

 途中の道のりでは、


「へー、割と近くに住んでたんですね。え?あの商店街でよく買い物をするんですか?俺もですよ。じゃあ、また近いうちにバッタリと会うかもしれませんね。それにしても、その歳で家の事をいろいろやってるなんて偉いですねぇ」


 などと言っていた緋色さんも、そのビルの前に立った時、さすがに何かがおかしいことに気付いたようだった。

  

「あの……。つかぬことを聞きますけど……。君、もしかして……」

「は、はい……。ここの探偵社で働いてる、フェンリルさんの助手の犬神狗巫女といいます……」


 銀華さんからは、その中学生くらいの女の子は犬神だということまでは聞いていなかったのだろう。私の言葉に、今度は緋色さんの顔が青ざめ、額から大量の冷や汗が流れてきたのだった。


「す、すみません!その、君の雇い主のことをそんなつもりで言ったんじゃ……」

「だ、大丈夫です。あの二人はお互いに悪口ばっかり言い合ってますから……。それに、銀華さんからしか聞いたことのないあなたからすれば、当然の反応だと思います。リルさん……、フェンリルさんには絶対に言いませんから、安心してください」

「すみません。助かります」

「あ……。でも、リルさんは最初はとっつきにくいかもしれませんけど、ホントはすごく優しくて、何よりカッコいい人ですから」

「そうですね。君が信頼してるなら、悪い人じゃないだろうし。じゃあ、さっきのは二人だけの秘密ですね」


 私の言葉にホッとしたのか、緋色さんはそう言って笑った。

 別に深い意味はないのだろうが、二人だけの秘密という言葉に、私はまたしてもドキドキしてしまったのだった……。




「た、ただいま。リルさ……、はわっ!」


 ドアを開けようとした私は、慌てて外へと飛び出そうとしていたリルさんと、危うく鉢合わせしそうになってしまった。


「狗巫女!?いったい何してたんだい。随分遅いから、何かあったんじゃないかって、今そっちに向かおうと思ってたんだよ!まったくアンタは、心配させんじゃないよ。ん……?そいつは?」


 どうやら私を心配して、後を追ってこようと慌てて飛び出してきたようだ。そして私が無事とわかれば、当然のごとく疑問は私と一緒に帰ってきた、見知らぬ男の人に向けられるだろう。


「あ、あの、リルさん。この人は御門緋色さんといって、その……、銀華さんの所で働いてる人なの……」

「はぁ!?アンタが……?でも、何でそんなヤツ連れてきたんだい?」

「そ、その……、実は……」


 私は、向かった先で何が起きたのかを包み隠さず話した。もちろん、怒られるのはわかっているが、私は器用に嘘をつくなんてできないし、そうなると緋色さんの事もどうやって説明すればいいのかわからないからだ。


「まったくアンタは……。あれほど言ったのに、どうして簡単に騙されるのさ!」

「ご、ごめんなさい……」

「ごめんで済むならなんにも問題ないんだよ。いいかい、今回のことはアンタの命に関わることだったんだよ!だからあれほど……」

「あの、この子も悪霊と思わずに、成仏させてやりたい一心でしたことですし、そのへんで……」

 

 私が怒られているのを見かねたのか、緋色さんは助け舟を出してくれた。でも、今回のことは私が悪いんだし、リルさんも私のことを心配して怒ってくれてるのはわかっている。

 けど、緋色さんが私の味方をしてくれるのは、ちょっぴり嬉しかった。


「ハッ!部外者は黙ってな!」

「リ、リルさん……。緋色さんは……」

「と、言いたいトコだけど、この子を助けてくれたことは感謝してるよ。アンタがいなけりゃ、今頃狗巫女は悪霊に堕ちててもおかしくなかった……。世話になったね」

「いえ、俺はたまたま通りがかっただけですから」

「たまたまねぇ……。まあいいさ、だけどね」


 そう言うとリルさんは、緋色さんを鋭い目で睨んだ。


「アンタが狗巫女を助けた方法さ。どうやってあっさりと悪霊を祓ったんだい?アタシも商売柄、除霊師の知り合いは何人もいるけど、アンタもそうなのかい?それにしちゃあ、御門緋色なんて聞いたこともないけどね。むしろ、悪い意味で御門って名前にゃあ聞き覚えがあるんだが」

「……。はい、俺は……」


 緋色さんは少し言い辛そうだったけど、自分のことを話したのだった。




「なるほどね。それで最近、銀華のヤツが調子に乗ってたってわけかい。アンタの力を手に入れたと思い込んで。で?実際はアタシ達を退治するために、銀華や狗巫女に近付いたってわけかい?」

「リ、リルさん。緋色さんはそんなことする人じゃ……」

「アンタは黙ってな。陰陽師ってのは、アタシらのような人間でないものを退治する連中なんだよ。ましてや御門っていやあ、冷酷非道な連中で知られてるんだ。それとも、銀華に頼まれてウチを潰しにきたのかい?」

「緋色さんはそんな人じゃないから!それに銀華さんだって!!」


 いったいどこから声が出てきたのだろう。大声でリルさんに反抗した自分に、私は自分でも驚いていた。でも、どうしても誤解を解きたくてつい怒鳴ってしまったのだ。

 私のそんな姿を初めて見たはずのリルさんも、驚いたように目を見開いている。

 

「あの、そのことなんですけど……」


 それから緋色さんは、自分のことについて教えてくれた。御門のやり方が嫌で家を出たこと、行くあてがなかった自分を、素性も聞かずに銀華さんが拾ってくれたこと。正体を明かしたら銀華さんにどう思われるか、不安で内緒にしていること、できれば周りには黙っていてほしいことなんかを。


「フン!なるほどね……。まあ狗巫女もこう言ってるし、とりあえずは信用してやるよ。もっとも、おかしな真似をしようとすれば容赦しないよ。アタシだって人狼のはしくれさ。御門といえど簡単には行かないからね。ああ、それとあの馬鹿猫だけどね……」


 そこでリルさんは、窓の外の小さなビルを見た。

 

「別に、アンタが陰陽師だって知ったくらいで、どうこうなるようなヤツじゃないさ」

 

 そう言って渋々だけど、リルさんは緋色さんを認めてくれた。でも、ホッとしたのも束の間のことだった。


「そこの犬っころの殊勝な態度は良しとしても、狼よ、助けられたのは貴様等の方であろう。これ以上緋色様に無礼な口を利くようであれば、容赦なく食い殺すぞ」

「!?」


 緋色さんが、それまでの態度と一変した言葉を発したのだ。でも、声がしたのは

緋色さんの方からだが、明らかに声色が違っていた。


「緋色様、外に出ることをお許しください」

「お、おいクーコ。よさないか」

「心配いりません。小娘どもと少々話をするだけですから」

「おい……。わかった。いいか、決して暴れたりするんじゃないぞ」

「心外です。そのようなことをするはずはありません」


 私は一瞬、緋色さんがおかしくなってしまったのかと思った。一人で声色を変えてお芝居をしているのかと。

 でも、そうではなかった。もう一つの声は、緋色さんの胸元から聞こえてきたのだ。


「アンタ、今何て言った!?空狐って……。まさか……!」


 緋色さんの一人芝居?を聞いて、今度は珍しくリルさんが取り乱している。


「ちょっと、待ち……!」


 だが、リルさんの言葉は最後まで続くことはなかった。なぜなら、緋色さんの胸元から浮かび上がってたモノを見て、開いた口がそのままの形で固まっていたからだ。


「かっ、可愛い……」


 私が思わずつぶやいてしまったのも仕方ないだろう。なぜなら、空中に浮かんでいたのは、真っ白で小指くらいの大きさの『モフモフ』だったからだ。


「ア……、アハハハハ。驚かすんじゃないよ!ただの管狐じゃないか。昔聞いた噂を本気にしちまったじゃないか。空狐を手なずけた陰陽師がいるってね。神仙にあやかりたい気持ちはわかるけど、分不相応な名前を付けるんじゃないよ!」

「す、すみません。そういうわけではなくてですね……」

「……、緋色様。やはりこのような下等な輩どもは、実際に目の当たりにしないと理解できないのでしょう」

「ハッ!随分と偉そうな管狐だね。アンタのご主人様を見習って、もう少し謙虚に振舞ったらどうだい?」

「フッ。緋色様が謙虚であるのは、人格者であらせられるとともに、強者であるがゆえだ。反対に、弱い犬ほどよく吼えるものだ。貴様のようにな」

「フン、口の減らない狐だね」

「お、おい。クーコも、もうそのくらいで……」

「アンタもだらしないね。自分のペットくらいしっかり躾ときな」


 たぶん、その言葉がきっかけだったのだろう。


「緋色様に対する重ね重ねの侮辱……。愚か者が!!」


 モフモフさんが叫んだと思った瞬間、ボンッという音とともに、私の目の前が真っ白になっていた。いや、少しして気付いたが、正確には目の前に真っ白な壁ができていたのだった。

 その壁は雪のような白さで、柔らかそうにふわふわと揺れていた。その誘惑に駆られて、私は思わず手を伸ばしてしまう。


「気持ちいい……」


 手を伸ばしたそれは、今までに触ったことのないくらいに柔らかく、ほのかに暖かかった。そして私の頭の中に唐突に、子供の頃にテレビアニメで見た、主人公の女の子が雲の上を歩いているシーンが思い浮かんだ。

 その感触は、『ああ、雲の上ってきっとこんな感じなんだ』と思わせるものだった。


「ばっ、馬鹿、よせ!」


 だが、私が我を忘れてそれに抱きつこうとした瞬間、緋色さんの声と共にそれは消えうせ、私の両腕は空を切っていた。

 後には、今までに見たことのないほどに青ざめた表情のリルさんと、右手に何か細長い棒切れを持って、ひたすらにリルさんに頭を下げる緋色さんが立っていたのだった。

 後で聞いた話によれば、音とともに部屋中に巨大な妖狐がみっしりと詰まっており、目の前で燃えるような真紅の瞳をした妖狐の顔が、じっとリルさんを睨みつけていたのだという。


 そんな最高のような最悪のような出来事が、私達の出会いだった。でも、たった数ヶ月で、緋色さんはすっかりリルさんのお気に入りになっている。

 時にはからかったり、時には猫猫飯店から引き抜こうとしたり、時には頼りにしたり……。




「ホラ、臨時の小遣いをあげるから、さっさと誘っておいで。ああ、お泊りするつもりならホテル代も追加するけど、どうする?」

「お、お、お、おと……、ホ、ホテルって……。しょ、しょんなこと……」

「アハハ、冗談だよ。アンタも緋色も、そういうことはからきしだしね」


 リルさんは楽しそうに笑う。でも……。


「ん?何だい、アタシをじっと見て」

「いいの?」

「何がいいんだい?」

「わ、私が緋色さんを誘っても」

「いいに決まってるじゃないか。さっさとあの馬鹿の所からぶん獲っておいでよ」

「……」


 本当にそうなのだろうか。私に気を使っているだけではないのだろうか。リルさんの態度を見ていると、もしかして……、という思いはある。

 もしそうなら、私の本当のライバルは……。

 私はちょっぴり、リルさんを試してやろうと思った。


「い、いいの?ホントに行ってくるよ!」

「だからいいって言ってるだろ?」

「……」


 結局、自分の言葉に後に引けなくなってしまった私は、向かいのビルへと行くことになったのだった。出発前に、リルさんに無理やり服をコーディネートされてのおまけ付きで。




「あれ?どうしたんですか狗巫女ちゃん。今日は随分とお洒落ですね。どこかへお出かけですか」

「は、はい。しょ、しょの……、実は……」


 どうしよう。勢いで言ってしまったが、本当にこんなことになるとは思ってもいなかった。でも、ここまできた以上、何かを進展させなければ!

 意を決した私は、思い切って緋色さんに伝える。


「あ、あの!今日はおしゅごと……、お、お仕事の予定はありますか?」

「いえ。今日は特に何もありませんよ。家の事も終わりましたし、これからお昼ご飯でも作ろうかと」


 その答えに、私の心の中に『チャンスだ』という言葉が響く。


「もも、もし良かったら、お昼ご飯を一緒に食べに行きませんか!?」


 言った……。言ってしまった……。だが、もう後には引けないのだ。


「え?構いませんけど……。リルさんもいないし、二人でですか?」

「も、もちろん……」


 ここが勝負所だ!攻めるのは今しかない!

 

 そして私は叫んだ。


「銀華さんと三人で!」


『ハァ……。まったくアンタは。まあ、こうなることはわかってたけどね』


 私の頭の中には、リルさんの呆れた声が聞こえてくるようだった……。



~ 『彼女たちの事情 狗巫女の場合』編 完 ~

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