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『寒いよ……』
「うん……」
『暗いね……』
「うん……」
『辛いな……』
「うん……」
『苦しいの……』
「うん……」
『それに、悲しい……』
「うん……、そうだね……。私もそうだよ……」
私の中に、一気に様々な感情が流れ込んでくる。それは、拒否したいのに拒否できない、不快であって、それでいてどこか甘美なものを感じさせる、とても不思議なものだった。
『辛いよなぁ……、苦しいよなぁ……、憎いよなぁ……。俺達はあんなに頑張ってたのに……。それを、あいつらは簡単に否定して裏切るんだ……。あいつだって、簡単に他のヤツと……。そうだよ、辛いだろ?こんな所にいても仕方ないだろ?さあ、君も一緒に逝こうじゃないか。安らかな世界へ』
「で、でもリルさんが……。ううん、そうだね。もういいよ。こんな世界にいたって仕方がないし……」
私の頭の中に、自分の知らない感情が湧きあがる。
違う!これは私が思っていることじゃない!私はそんな所には逝きたくない!どうして、どうして……。
わずかに残った理性で考える。やっぱり、あの時に憑かれたのだ。早くどうにかしないと、私はこのまま……。
ちょっと気弱そうだけど、優しそうな男の人だった。この人になら、きっと話が通じるはずだ。私は少し、引っ込み思案な自分とのシンパシーを感じたのかもしれない。
そうだ、無理やり除霊してしまうのも可哀想だ。話をして、自分から成仏してくれるように頼んでみよう。この人なら大丈夫なはずだ、話せばきっとわかってくれるはずだ。
そう思ったのが間違いだった。自分でも何とかできると、調子に乗ったのがいけなかった。あの人の忠告も聞かずに……。
頭の中に、出発時にくどいほど聞いた言葉が蘇ってくる。
「いいかい、アンタの役目はあくまで状況確認だけだからね。相手が死霊である以上、アタシ等の専門外だし、今回は除霊師へのお膳立てが仕事さ。まあ、中にはまだ人の心を保っている霊もいるし、そういう奴なら話も通じるけどね……。でも、今回は自殺者の霊なんだし、望みは捨てたほうがいいね。中には心を保っているフリをして、こっちを引きずり込もうとする奴もいるしね。絶対に声をかけたり話を聞いたりするんじゃないよ!」
「う、うん、わかってる……。私は怖がりだから、そんなことはしないよ」
「まったくあの除霊師は、肝心な時に出払ってるだなんて……。とにかくアタシは急いで代わりを探すから、アンタは状況を見たら知らせにおいで。いいかい、一人で何とかできそうだと思っても、絶対に変なこと考えるんじゃないよ!アンタは妙に優しいトコがあるからね」
「だ、大丈夫だよ」
ああ、あんなに私のことを心配して言ってくれたのに、どうして私は昔からちゃんと言いつけを守れないんだろう。怖がりのくせに、どうしてあんなことを……。
どうして……?そうだ、私はいいところを見せたかったんだ。いいところを見せて、あの人に認められたかったんだ。
『アンタはもう、一人前だね』
そう言ってほしかったんだ。
今ならまだ間に合う。そのためにも、早く何とかしてこの状況から抜け出さなければ!
でも、体がうまく動かない。それに、何だか物を考えるのも面倒だ。
だんだんと、いろんなことがどうでも良くなってきた。
それよりも、なんだろう?無性に苛々する。私の周りのにいる人達のことを考えるだけで、知っているもの全てが憎らしく思える。
大好きなはずの、あの人のことさえも……。
あの人……?そうだ、アイツだ!アイツが私にあんな仕事をさせたから、こんなことになったのだ。私はまだ子供なのに……。
『そうだよ、君はまだ子供なんだよ。本当なら学校に行って、友達に囲まれて、何だったら、素敵な恋人もいたかもしれないのに……。これも全部、君を捨てた親、君にこんな大変な仕事をさせているヤツ、この世の中、全てが悪いのさ」
そうだ。でも、両親のことは覚えていないからどうでもいい。それよりも、子供にこんな恐ろしい仕事をさせるなんて。まるで悪魔のようなやつだ。児童相談所?とかに言えば、アイツは逮捕されるのではないか?そうだ、これはきっと、児童虐待とかいうやつだ。
それに、私に手を出すなと言ったのも、きっと手柄を独り占めするためだ。私に活躍されては、自分の立場が無くなるからだ。そうして依頼料も、独り占めする気だろう。
都合よく、私を心配する振りをして……。
ああ、憎い……。無性に憎い……。
しかし、どうしてだろう。ここは随分と寒い。
周りを見渡せば、暗闇の中にポツンと、ひと際心惹かれる場所がある。
ああ、ここは嫌だ。早くあそこに逝きたい。あの、真っ暗で気味の悪い……、気味の悪い?いや、なぜそんなことを思ったのだろう。そんなはずがあるわけないのに。
早く、暖かな、あの何か安心するものを感じさせる場所へ逝きたい……。
『そうだ、早く俺達の所へおいで』
うん……。そうだ、早く逝こう。ここはとても寒いから……。あそこはきっと暖かいに違いない。だって、あんなにもたくさんの人たちが集まっているし、この闇の中でも、ひと際真っ暗で不気味に輝き、とっても安心できそうだから……。
そして私が、ゆっくりと暗闇へ歩きかけた時だった。
『ギイィィィィィィィッィッ!』
とても不快な、気味の悪い絶叫が聞こえてきた。
「……っ!!」
その声に我に返った私は、私が逝こうとしていた暗闇の正体を見た。
そこには暗闇から伸びて手招きする無数の手と、こちらを眺めながら薄笑いを浮かべるモノ、泣いているモノ、怒りの形相をしたモノ、悲しみに満ちた表情をしたモノ、苦悶の表情を浮かべるモノ……。その他様々な顔が、こちらを向いて、そして私を見つめていた。
それは恨み、憎しみ、悲しみ……、様々な臭いを纏っていた。そしてそれらを凝縮した死の臭いを撒き散らした、恐ろしいものだった。
「い……、嫌ぁぁぁぁっ!たっ、助けて、リルさーーーん!」
必死に叫ぶが返事はない。辺りには一面の闇が広がるばかりだ。すでに私は死んでしまったのだろうか?しかし、いくら泣き叫ぼうが、暗闇に光は訪れない。
天国とか地獄とかが、本当にあるのかはわからない。でも、私の目の前にあるのは、決して安らかに眠れる世界ではなかった。
ああ、私は死んだら悪霊になるんだ。これはきっと、悪霊に憑かれていたとはいえ、リルさんに対して酷いことを思ってしまった罰だ。
せめて、私が死んだら早く除霊してください。だって私、きっとこの悪霊達と同じように、寂しくて周りの人を引きずりこんでしまうから……。
せめて、少しでもそういうことをしないように、穏やかに死にたい……。
観念した私は、ゆっくりと目を閉じた。
しかし、それは突然のことだった。覚悟を決めて目を閉じたはずの私の視界が、急に光に包まれた。
そして、突然辺りが明るくなったかと思うと、今まで感じていた寒さが嘘のように、体中が暖かな感触に包まれていた。
それはまるで、春の日差しの中でお散歩をしているような、とても心地いいものだった。
「この感じ……。ああ、リルさん……」
そう、それは毎年お花見に連れて行ってくれるリルさんと二人で、春の土手を歩いている時のような、暖かな温もりだった……。
ふと気付けば、私の顔を覗き込んでいる人がいる。どうやら私は、その人に抱きかかえられているようだった。
ぼんやりとした意識の中で、私を抱きかかえているのは、どうやら若い男の人らしいとわかった。
「……ょうぶですか?キミ、大丈夫ですか?」
少しずつ、はっきりとした声が聞こえてくる。
私は男の人は苦手だ。がさつだったり声が大きかったり、時には私の体を変な目で見たり……。
でも、意識がはっきりしていないこともあったのかもしれないが、その人に抱きかかえられた感触は嫌ではなかった。いや、むしろ心地良いと言っても良かった。
私は泣いていたのだろうか。その男の人が柔らかい布で、私の目元を拭いてくれている感触がする。
だんだんと、私の意識ははっきりとしていく。そして……。
「もう大丈夫ですよ。キミに憑いていた悪霊は祓っておきました。怪我とかも無さそうだし、もう少しすれば落ち着くでしょう。あれ……?キミはもしかして……、犬神……?」
私はその時に確信した。小さな頃には信じていたけど、大人になるにつれて、誰もが子供騙しだとわかって信じなくなるもの……。それはサンタクロースとか、魔法少女とか、変身ヒーローとか……。人によって、いろいろあるだろう。
でも、成長すればそんな人達はテレビや物語の中の人物で、現実にはいないって知ることになる。
大人になってもそんなことを信じているのは、恥ずかしいことだって。
でも、私にはわかった。確かにサンタやヒーローは作り話かもしれない。でも、巷にあふれる御伽噺とか童話とかって、本当にそれを体験した人が書いていたん
だって。
なぜなら、目を覚ました私の前には、本物の王子様がいたからだ。もっとも、
白馬には乗っていなかったのだが……。




