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「なぜ、銀華さんと一緒に住まないんですか?いくら狙われているといっても、あなたのそばにいた方が安全なんじゃ……?」
笑顔の金華さんに、俺は疑問に思っていたことを尋ねる。俺と銀華さんを引き離すと恨まれるというのはよくわからないが、金華さんと一緒にいたほうがはるかに安全なはずだ。少なくともこの前の蛭のような怪程度であれば、おそらく金華さんの相手にもならないだろう。それに、銀華さんのことを話すときの笑顔は、とても優しいものだった。まるで、俺が忘れてしまった母様の笑顔を思い起こさせるような……。
「確かに、それが一番安全であろう。しかし、出来ぬ訳がある。空狐が言うておった、儂の通り名を覚えておるか?」
「確か……、『厄災の女王』と」
「うむ。だが、その意味まではわかるまい。ヌシは先ほど言うたな?金華猫の特徴として、人を病にすると」
「はい、確かに……」
「もちろん、それは正解じゃ。儂は人間のみならず、怪でさえ病にすることができる。しかし、儂が厄災の女王と呼ばれる所以はそれだけではない。ま、実際に見せたほうが早かろう」
「え……?」
いうが早いか金華さんは道端に咲く花に向き直る。そしてしばらくその花を見ていたと思った瞬間、突如として俺の全身に悪寒が走る。
「えっ……!?」
俺が驚いたのも無理はない。先ほどまで咲いていた花はあっという間に萎れ、枯れ、そしてまるで砂粒のように崩れていったのだ。
「儂の力はな、周りにいる生きとし生けるもの、その全てを死に至る病に侵すことができる、今のようにな。だが、もっと問題となるのは、それを儂が意図することなく起こしてしまうことじゃ。そしてそれは感染者を通じて、どんどんと広がっていく。つまりは、儂がいるだけで今で言うところの、パンデミックとやらを引き起こすことができる」
「なっ……!」
それは、衝撃的な発言だった。俺の頭の中に、自らが辿ってきた道筋が浮かぶ。それじゃあ、ここの周りの人たちは、商店街は……。
一瞬パニックになりかけたが、クーコが何の口も出さないことに気付き、少しばかり冷静になる。彼女が俺の危機に対し、何の反応も示さないことはないはずだ。
「フフ、さすがに判断力は優れておるようじゃな。案ずるな、意図することなくと言うても、それは十日や二十日程度のことではない。さすがに一月以上も一緒におれば、保証は出来んがな」
そう言って金華さんは、少しばかり寂しそうに笑った。その顔を見た時、俺はわかってしまった。
「それが、銀華さんと一緒に暮らせない理由ですか?」
「まあ、そういうことじゃ。この力は自分でもどうにもならぬ。定期的に住処を転々とするか、生物のいない所に住むしかない。それも、儂一人でな。だからこそ、あの子が何不自由なく暮らせるよう、世界の仕組みを変えさせたのじゃ」
「それが、生物平等基本法ですか……」
種が割れれば何でもない。歴史の真実は、母が子を思う心から生まれたのだ。そして巷に流れる噂は、ほとんどが的を得ていたということだった。
「初めは、あの子が生まれた時に儂等の存在を公にした。だが、それだけではなかなかうまくは行かなくてな」
「でも、いったいどうやってそんなことを可能にしたんですか?」
「なに、骨は折れたが、この国のような所は簡単だった。利で動く国の指導者は、国民の利益が自分達の所に返ってくるのを知っておるからな。儲け話で攻めれば簡単じゃ。ただその中でも、世界のリーダーを気取る大国は、プライドが高いから少しばかり苦労したがな」
そう言いながら金華さんは、遠い目をして昔を思い出しているようだ。
「問題は、少数の権力者が牛耳る独裁国家じゃ。いや、ある意味儂等好みのやり方が通じる分、簡単だったのかもしれんがの。あ奴らは、国民が富めば知恵を付け、自分達の地位が脅かされると思っておる。平等や理想を謳いながら、その実体は恐ろしいほどの支配欲と権力欲を持っておる。ククク……。あ奴等こそ人の世に巣食う、本当の妖怪かもしれぬぞ」
「し、しかし、実際に遵守されているかはともかく、そういった国にも法律は制定されているんですよね?いったいどうやって……」
「なに、簡単なことじゃ。儂等好みのやり方が通じると言ったであろう。独裁者を一人を残して、権力に群がる取り巻きを皆殺しにすれば良いだけのことじゃ。恐怖ですぐにでも言うことを聞くようになる。この国のように、頭が簡単にすげ変わるような国では後の報復が面倒だが、そういった国は独裁者をおさえれば良いだけだしな」
ちょっと回りの雑草を刈り取るだけ……。そんな口調で、とんでもないことを言う金華さん。
「なっ……。で、でも、そんなニュースは聞いたことが……」
「ふん。そういった国が、どれだけ情報統制を敷いて、都合の悪い情報を流さないようにしておるかわかってないようじゃの。なんなら儂がその国を訪れた時も、路上には餓死者が転がり、政治犯という名の下に罪の無い国民が大量に、毎日のように殺されておったぞ」
「…………」
「なに、奴らにしてみれば、体がすげ変わるだけじゃ。頭さえ無事なら体のことなど気にも留めんわ」
正直、銀華さんやリルさん、狗巫女ちゃん達と触れ合う中で、怪の本質を甘く見ていたのかもしれない。
特に長い年月を経て存在する怪にとっては、人間の倫理観など意味の無いものなのだろう。
それは、幼い頃に嫌というほど思い知らされたことのはずだ。
「それに大金が動く場所では、相応の欲が生まれる。儂はそれに付け込んでカジノや油田の権利を得たのじゃ」
「どういうことですか?」
「なに、どんな国にも跡目争い、権力争いというものはある。大国はおおよそ体制が定まっておるが、むしろ小国ほど付け入る隙がある。ましてやそれが、資源を持つ豊かな国であればな。時に、ヌシに兄弟はおるか?」
唐突に金華さんは、そんなことを聞いてきた。
「は?いえ、いませんが……」
「そうか。御門ほどの組織なら、後継者候補が何人もいれば、跡目を巡り争いが起きるかもしれぬのう。頂点に立てば、己は前線に立たずとも部下に危険な仕事をさせ、采配を振るうだけでガッポリと……」
「残念ながら、たとえ頭領の息子であろうと、皆を守る力がなければ御門では頭領と認められませんよ。話は逸れましたが、それはつまり、国の権力争いに加担した見返りに……」
「まあ、そういうことじゃ。油田の一つや二つくれてやっても、王になればそれ以上の富が得られる。そういった強欲な者をそそのかし、周りの後継者どもを病死と見せかけて、始末してやる……。まあ、ドラマや小説では真実を知るものは消されるものじゃが……。なに、儂の力を知ってなお、そのようなことをする阿呆もおらぬしの。ライバルを消したはいいが、そのまま自分も消されてもいいという奴もおらなんだし、皆素直に約束は守りおったわ。そして営利を追求するような国には、格安でその資源を融通してやるといえば簡単に靡く。もっとも経営は、他人任せだがの」
「……」
確かに金華さんの行動は、人の倫理観からすれば大きく外れている。だが、子を思う母の心は人と変わらない。はたして誰が、金華さんの行動を責められるのだろうか……。
「その後にいくつかの国を訪れてみたのだが、あの子がこの国を随分と気に入っての。ここに住まわせることにしたのじゃ。まあ、子供らしく漫画やテレビドラマ、テレビゲームなんかの文化が気に入ったようじゃがの。だが、それなりに治安は良いし、娯楽は多い。悪くは無いと思ってな。もっとも、何を思ったのか自力で生活すると言い出したのは驚きじゃった。すでにわかっておると思うが、ああ見えて頑固な子での。儂からの援助は、あの古いビルくらいのものじゃ」
金華さんが話し終える頃には、新しいシュガーポットの中身は空になっていた。
「さて、こんなところか。そろそろ出るとするか。客も案内せねばならぬしの」
「え?」
「おっと、あまりジロジロ見るでないぞ」
気付けば、入り口に近い席に客が一人座っている。女性であろうということはわかるが、室内だというのに手袋をしたまま、羽織った上着のフードを目深に被り、注文した品に手を付ける様子も無くじっと座っている。
「まさか、あれは……」
「なに、すぐにわかることじゃ」
俺達は会計を済ませ、店を後にした。砂糖を全て食べてしまったことを謝った方がいいかとも思ったが、店主は別段気にする素振りも見せなかった。
辺りはすでに、薄暗くなりかけている。
そして俺たちが店を出た直後、入口に座っていた客も、続いて店から出てきたのだった。
「どうじゃ?すぐそばを通ってみて、何か感じたか」
「はい。少なくとも生気が感じられませんでした。何か人でないようなモノの気配が……」
「ふむ。上出来じゃ」
「無礼者が。緋色様がそのようなことに気付かぬとでも思ったか」
今まで静かだったクーコが、不意に声を上げた。
「やれやれ。ここでヌシと争うつもりはない。それに、大人しくしておったほうが良いぞ。空狐の気配が知れたら、さすがに逃げられてしまうやもしれん」
「チッ……」
不満げではあったが、クーコはそこからは無言になった。
そして金華さんは、どんどんと人気のない方へと足を進めていく。そしてビルの隙間、薄暗く人気のない路地裏へたどり着いた時だった。
「ククク、見つけたぞ、やはり金華猫だ。さあ、その血をよこすがいい!」
背後から聞こえる声に振り向いてみれば、そこには先ほどのフードを被った女性が立っていた。しかし、今はそのフードは取り去られ、肉の無い顔……、しゃれこうべが顔を覗かせている。
「こいつは……、骨女!?」
「残念ながら外れじゃ。こ奴は白骨夫人。このような姿をしておるが、正体は屍の怪じゃ。わざわざ大陸から儂の後を追ってきたようじゃの。律儀なことじゃ」
「そうだ。お前を追って、わざわざ海まで渡って来たのだからな。大人しく私に食われるがいい」
「まったく、愚かしいことじゃ。ヌシの力ごときで、儂にかなうとでも思っておるのか」
金華さんは呆れた様子でため息を吐いた。
だが、確かに妙だ。目の前の白骨夫人の力は、正面切って金華さんに対するほどに強いものとは思えない。
「ククク、私を甘く見るなよ。それともなにか?ならば、貴様の娘を食うてみようか。貴様の後をつけ、居場所は突き止めたぞ。なにせ金華猫の娘じゃ、貴様を食うより手軽だし、ひょっとしたら効果はあるかも知れんしな。ククク、私の術は知っておろう。魂を飛ばし肉体を移り変わることができる。この場でこの身に何かあっても、貴様の娘の元に辿り着き、憑り殺す方が早かろうなあ」
「なっ!お前、銀華さんに……!」
白骨夫人はしわがれた声で笑う。だが、金華さんに慌てた様子はない。
「おヌシ、それをどこで知った?」
「ククク、怪達の間では噂になっておるわ。もっとも、それを知るのはまだ一部のモノ達だけだがな。さて、わざわざ海を渡り会いに来るほど大事な娘を食われるよりも、自らが犠牲になった方が良いとは思わんか?心配せずとも、貴様の力を手に入れれば、娘に手は出さん」
「なるほどのう……。ところで緋色よ。ヌシは西遊記という古典文学を読んだことがあるか?」
「は……?ま、まあ、大陸の妖怪を知る手段として、親父に子供の頃に読まされましたが……」
唐突に場違いなセリフを言った金華さんは、俺をチラリと見るとこう言った。
「ならば、わかるな?」
「……!はい!」
その言葉に、うろ覚えであった内容が思い浮かぶ。幸いなことに、白骨夫人は金華さんに意識を集中しており、ただの人間と思っている俺など眼中に無いようだ。 俺はそっと二人から離れ、呪符に文字を書き込む。そしてその札を死角から白骨夫人の頭上と足元へと飛ばし、印を結ぶ。
「ふむ、準備は整ったようじゃな。ならばヌシ等にも、儂の力を見せてやろうぞ」
そう言い放った金華さんの体から、あの異質な気配が発せられる。ただしそれは前に感じたものなど比べ物にならぬほど、強力なものだった。
「緋色様、お下がりください」
「クーコ?」
「あ奴が対象を見誤るとは思いませんが、念のためもう少し離れた方がよろしいかと」
俺はクーコの助言どおり、素直に後ずさる。正直、何が起こるかわからないという若干の恐怖もあったからだ。
「なっ!なんだ!?まさか、この骨の身が……!?」
見れば、白骨婦人の骨の体が、まるで砂の城が風に崩れて行くように、サラサラと崩れていく。
「ふん。儂の力は生身の肉体があろうがなかろうが関係ない。生ある物は全て滅ぼすだけじゃ。おヌシ程度の力では抵抗できん」
「お、おのれ……。だが、こうなってはいたしかたない。食い殺された娘の死体を見て、後悔するがいい!」
その時、崩れ行く白骨婦人の体から、何かが飛び出した。モヤモヤとした形をしたそれは、勢い良く空へと飛び立つと、猫猫飯店の方角へと向かって飛び去って行く……、はずだった。
だが、それは鈍い衝撃音とともに、空中で静止した。
「何だ!?貴様、何をした」
「はて、儂は何もしておらぬぞ。したというのならば、そこの男であろう」
「何だと!?」
金華さんの言葉に、白骨婦人は自分が陥った状況に気付いたようだった。
「これは……、結界か。小僧、貴様まさか道士か!?」
「フフフ、外れじゃ。この国では陰陽師というものじゃ」
「ふん、どっちでも構わん。人間ごときの術など、私にかかれば……」
モヤモヤとした塊は結界の中で数倍に膨れあがると、さらに勢いを増して飛び去ろうとする。だが、何度突進しても結界を破ることはできない。
「馬鹿な!人間ごときの術で……」
「この男の封印術を甘く見ぬほうが良いぞ。何せ、あの空狐を封じて手なずけた男じゃからな」
「な……、何だと!?では、この男が噂の……。だ、だがなぜだ!なぜそのような男が、人間の敵とも言えるこの大妖と手を組んでおる……。ありえん!」
「ありえんことはなかろう。現にこうして一緒におるのだしな。理由は……、そうじゃな、言うなれば、二人の『愛の力』……かの」
どこまで冗談なのか、金華さんは恥らう乙女のように頬を染めて言った。おそらくは白骨婦人をからかって楽しんでいるのだろう。
「ふっ、ふざけるなぁぁぁ!」
表情はわからぬが、白骨婦人はかなり狼狽しているようだ。だが、うまく正体を現させたのはいいが、魂だけの存在をどうやって倒すというのか。
「金華さん。このまま封印する手立てを考えます」
「その必要は無い」
「え?」
「儂の言葉を忘れたか?生ある物は全て滅ぼすと。肉体の有無など関係ない。たとえそれが魂だけの存在であろうとな」
そう言うと、再び金華さんの体から異質な気配が放たれる。それと同時に、結界の中の白骨婦人の魂が苦しみだした。
「なっ、なぜ……。本体を持たぬ私の身に……」
「ふん、闇に棲む怪どもに伝えておくがいい。銀華には、空狐を従えた強力な陰陽師がボディガードに付いておると。手を出す時は、自らが滅びる時だと知れとな。もっとも、近いうちに再び白骨婦人が生まれ出ずることがあればだが……な」
白骨婦人の魂は、うめき声をあげながら徐々に小さくなって行き、やがてその姿を消した。
後には、役目を終えて地に落ちた呪符と、風に飛ばさながら消えて行く、砂のようになった骨の山がわずかに残っているだけだった。




