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結局明け方近くになると、文字達は本の中へと、まるで吸い込まれるように戻って行った。
どちらにしても、解決には再び夜を待たねばならないし、皆一晩中起きていたために疲労している。軽い朝食をとった後、一旦仮眠を取る事にした。
とはいえ、さすがに銀華さんの部屋の状態を考えれば、二人をそこに泊まらせるわけにも行かない。銀華さんLOVEな弘美ちゃんにいたっては、理想とのギャップにショックを受けるのは間違いないだろう。
そんなわけで、2階の俺の部屋を弘美ちゃんと楓さんに提供し、俺は事務所のソファで横になることにした。
元々何も置いていない部屋だが、お客さんのために手早く掃除を済ませ、二人を案内する。
「狭い部屋で申し訳ありませんが、自由に使ってください。ベッドも小さいですけど、女の人二人なら何とか寝られると思いますので」
「うむ、何から何まで済まぬな」
「お、お、お邪魔します!」
弘美ちゃんは、他人の家では寝られぬタイプなのだろうか。何やら緊張しているようだ。反対に楓さんはといえば、落ち着いたものだ。
「じゃあ、ごゆっくり」
俺が部屋から出ようとした時、弘美ちゃんの抱えていたカバンから、紙袋が転がり落ちた。
見覚えのある袋は、出発時に弘美ちゃんのお母さんが渡したものだろう。
落ちた拍子に転がり出た中身は、楓さんの前へと転がっていった。
「何か落ちたぞ。おや、これは確か避妊……」
「わ、わーーーっ!ち、違うんです!これは、母が無理やり持たせた物で……」
突然大声を出しながら、弘美ちゃんは楓さんからその小さな箱をひったくった。拾い上げた楓さんはといえば、何やら納得したような顔をしている。
「ほほう、なるほどな。そういうことであれば、妾は遠慮して下で寝ても……」
「ちちち、違います!違うんです!!」
なぜかニヤニヤする楓さんと、対照的に真っ赤になって興奮状態の弘美ちゃん。
「どうしたんですか?お母さんに貰った物が何か……?」
「何でもありません!そ、それじゃあお休みなさい!」
そして俺は、押し出されるように部屋を後にしたのだった。
「さてと……」
オフィスへと戻った俺は、銀華さんの机を借りて作業を始めた。徹夜明けで眠いとはいえ、弘美ちゃんの感が当たっているとすれば、どうしてもやっておかなければならないことがあるからだ。
その時、不意にノックの音がしたかと思うと、ドアを開けて入ってきた人物がいた。
「楓さん?どうしたんですか。眠れないんですか」
「いや、そうではないが、そなたに夜這いでもしようかと思ってな」
「え……!?」
その時、俺の胸元の竹筒がブルリと震えた。
「フフ、冗談じゃ。そなたに妙なマネをして、懐のソレに殺されたくはないしの」
「なっ!気付いて……。それじゃあ、俺のことも……」
「何か特別な力を持っておることはわかる。持って生まれたものというより、修行で得た、我ら天狗の神通力に近いもの……。それに怪を使役する能力。おそらく、そなたは陰陽師なのであろう?」
「は、はい。ですが、この事は銀華さんには……」
「心配するでない。妾は助けを乞うておる身。事情は知らぬが、そなたがそう望むなら言うつもりはない。それに、そなたの式神はとてつもない存在のようじゃ。妙な刺激はしたくないからの」
「楓さん……」
「それに、そういう事情であれば、そなた自身は表立って動けぬのであろう?妾に話があるのではないのか」
「さすがですね。実は、今回の解決策として、思いついたことがあるんです。」
そして俺は、先ほど作ったものを楓さんに見せる。それは、人型に切り抜き、呪文を書き込んだ小さな紙切れ。
「これは……、依り代か?」
「はい。おそらくは、これがキモとなるかと思います。それで、今回の作戦なんですが……」
そして俺は、考えていることを楓さんへ伝えたのだった。
「なるほど……。確かに考えられる。これはうまく行くかもしれんな」
「いえ、あくまで想像の域ですから」
「いや、限りなく真実に近そうだ。それに例え失敗したとしても、ここまで親身になってくれたそなたには感謝しておる。それにしても、そなたを見ていると葉介を思い出す。あやつもお人良しで優しい、いつも人のために損をしておるような男だった。だが、いざというときは頼りになる男でな……。もう少し早うに、そなたを知っておれば……。フフ、残念ながら、またしても妾は出遅れたわけか」
そう言って楓さんは少しばかり寂しそうに笑った。
「楓さん?」
「さて、夜まではまだ長い。お互いに一眠りしておいたほうが良い。そなたが望むなら、添い寝してやっても良いがな」
そう言って楽しそうに、楓さんは俺の部屋へと戻って行った。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「妾は平気だが、弘美は興奮して寝付けなかったようじゃ。何せ、そなたの匂いの残る閨じゃ……」
「だだ、大丈夫です!よく眠れました!」
なぜか大声で楓さんの言葉を遮る弘美ちゃんだったが、言葉とは反対に目元が腫れぼったい。
昼過ぎに起きてきた皆は、再びオフィスに集まり軽い朝食……、いや、昼食をとっていた。
本当は昨夜の残りのカレーがあったはずなのだが、とある事情により跡形もなく無くなってしまったため、急遽サンドイッチを作ったのだった。
そして昼食をとり終わった後に、俺は自分の考えを告げる。
「妾は先に聞いておったが、緋色の意見に賛成じゃ。葉介の性格からすれば、一番考えられそうなことだからな」
「それが本当なら……、悲しいけど素敵です。あ……、ご、ごめんなさい。楓さんの気持ちも考えずに、勝手なことを言って……」
「なに、構わぬ。葉介ならばどんな行動を取るか……。それを考えれば、妾もそれが一番しっくりくる」
「そこで、今回の作戦のキモなんですけど……」
俺と楓さんの視線につられ、弘美ちゃんもそちらを見る。
「へっ?な、何、僕がどうかしたの?」
視線の先には、まだ眠そうに欠伸をしていたが、皆の視線に慌ててそれを止めようとする、銀華さんの姿があった。
空が赤くなり始めた夕刻時、俺と弘美ちゃんは再び満月庵へと向かっていた。弘美ちゃんのお母さんへ、もう一晩泊まらねばならなくなったことの説明と、ある物を借りるためだ。
まあ、無くても問題ないとは思うが、それがあれば効果は高まるはずだ。
そして、再び商店街を抜けようとしていた時だった。
「お、おい。違うなんて言っておきながら、今日も緋色君と満月庵のお嬢さんが一緒だぞ」
「そう言えばお嬢さんの服、昨日と同じじゃないかい?」
「何?本当だ。そういやあの後、、お嬢さんが満月庵に戻る姿を見てないな。てことは、猫猫飯店に泊まったってことか?銀華ちゃんがいるのに!?」
「馬鹿なことを言うんじゃないよ。いくら何でもそこまでは。ほら、最近はそういうホテルもたくさんあるんだし」
真っ赤になった弘美ちゃんを横目に、取りあえず俺はその場での釈明を諦め、急ぎ満月庵へ向かったのであった。
「ただいま。お母さん、アレ用意できてる?」
「ええ、用意してあるけど……。ちょっとこちらへいらっしゃい」
「え、何?」
弘美ちゃんのお母さんは、出発時と同じような笑顔で迎えてくれたのだが、その笑顔に微妙に困った表情が見えているのが気になった。
そして昨日と同じように、弘美ちゃんを物陰へと引っ張って行く。
「弘美、仲が良いのは結構だけど、そう毎日毎日は良くないわ。いくら男の人が望んでも、少し焦らすのも大事よ。それに、まだ若いうちからこんなものに頼るなんて……。緋色君の趣味にとやかくは言わないけど、こういうのはもうちょっとマンネリになってから使うもので……」
「は……?何を言って……って、そんなわけないでしょ!何考えてるのよ。これは事件解決のための重要なアイテムで、そんなんじゃないんだから!」
それは、弘美ちゃんの叫び声がきっかけだった。
「おい、聞いたか。お嬢さんの彼はコスプレさせるのが好きらしいぞ……」
「へぇ、人は見かけによらないもんだねぇ」
「やだ、変態……?」
「そんなことないわよ。今はフツーにそういうことするよ。ホテルだってレンタルの衣装とか置いてあるし。あたしだって彼と……。やだ!何言わせるのよ」
俺は昨日と同じく、店先でお茶と饅頭をいただいていたのだが、まるでデジャブのごとき光景に、何も聞かず一心不乱にお茶と饅頭に精神を集中したのだった。
「ホ、ホントにこれでいいのかい?」
「かっ、かわい~!銀華さん、素敵です。よく似合っています。そうですよね、緋色さん」
「ええ、見違えるようですよ」
「うむ、りんに良く似ておる。瓜二つじゃ。これならば、いけるやもしれぬ」
「うにゃ……。ちょっと恥ずかしいな……」
夕食を終えた後、オフィスでは浴衣を身にまとった銀華さんがいた。小柄な銀華さんに、薄い黄色に花柄の模様が入った可愛らしい浴衣がよく似合っている。
俺達が何をしているかといえば、決して少女にコスプレをさせて悦に入っている変態集団ではない。
これが、俺が考えた今回の作戦のキモであった。幸いなことに、この話をした時に弘美ちゃんからの、
「それなら、私にまかせてください!」
と言う言葉がなければ、もう少し苦労しただろう。
今回の作戦の一つのキモは、『銀華さんを、りんのように見せる』ということである。
そのためには、いつものダークスーツよりは、やはり当時のりんの風貌に似せたほうがいいと思ったのだ。
幸いなことに、弘美ちゃんはお店で和服を着て接客のお手伝いをすることもあるそうだし、着付けもできるということだ。
本格的には和服がいいのかもしれないが、さすがに手間を考えれば、浴衣くらいがちょうどいい。
楓さんに確認しても、りんは簡素な服を好んだということだから、浴衣でも問題はないと判断したのだ。
さらに、二人の体型も良く似ていることから、すんなりと着ることができた。これがもし狗巫女ちゃんだったら、少々着るのに苦労しただろう。特に胸の部分の問題で……。
「さて、もう一つのほうは……。楓さん、準備はできましたか?」
「うむ、問題ない」
そう言うと楓さんは、豊かな胸元から何かを取り出した。いや、何でそんな所にしまってるんだよ……。とは思うが、あえてスルーする。
幸いなことに、誰もそのことにツッコむことはなかったが……。
「そ、それってもしかして、式札っていうやつですか……?」
「うむ、よく知っておるな、弘美。正確には依り代じゃ。妾の神通力で作りあげたこれに、文字の意識を憑依させる」
それは、俺が作り上げた依り代だった。これをどう扱うかが問題だったが、楓さんの神通力で作ったということにして、すんなりと使うことができた。
「へぇ~。神通力ってそんなことができるんだ。まるで陰陽師みたいだね」
銀華さんの言葉に、俺は内心ドキリとする。
「感心しておる場合ではない。そこからが銀華の出番じゃ。重要な役割じゃぞ」
「ふふん。心配ないさ。ドラマを見て鍛えた、僕の女優並みの演技力を見せてあげるよ!」
自信満々の銀華さんだが、大丈夫だろうか。まあ、今回は容姿がそっくりということだし、とんでもないボロを出さない限りは心配ないだろう。
今回の作戦、それは、文字の意識を依り代に憑依させるということだ。このことを思いついたのは、弘美ちゃんの一言がきっかけだった。
そして、俺の考えが正しければ、文字に宿っている意識の主はおそらく……。
そしてそうであれば、そこからは銀華さんの役割が重要となる。
そして俺達は、準備を整えて夜更けを待ったのであった。
「まだかなぁ?もう出て来てもいいんじゃない?」
「フフ、まだ夜は長い。焦っても仕方ない」
銀華さんは飽きてきたのか、それとも浴衣姿が嬉しいのか、姿見の前でクルクルと回っている。
対照的に、楓さんは落ち着いたものだ。
だが、俺は楓さんの様子が妙なことに気がついた。
視線が本と時計の間を行ったり来たりしているし、微妙に体が揺れているのか、胸元がフルフルと揺れている。
「まだまだ夜は長いですし、ひと息入れましょうか」
俺は紅茶を入れると、そっと差し出した。
「すまぬな。そなたは何でもお見通しか……」
「そんなことはありませんよ」
楓さんは紅茶を口に含むと、優しく微笑んだ。その時だった。
「緋色さん、あれ!」
弘美ちゃんの声で、俺達は一斉に本を見る。
本は昨夜のように青白い光を放ち、そこから文字が浮かび上がってくる。
「楓さん」
「あ、ああ」
楓さんは依り代を手に文字へと近付いて行く。そして手を伸ばしかけるが、ためらうようにした後に、それを引っ込めた。
「ダ、ダメじゃ。妾には出来ぬ……。もしも、もしも葉介がおらぬとしたら……」
「大丈夫です楓さん。そこに必ず葉介さんはいます」
「……。わ、わかった。そなたを信じよう」
楓さんは、震える手で依り代を文字へと近づけた。
そして文字に触れた瞬間、依り代は光を発しながら空中へと浮かび上がる。それは靄のように空中で揺らめいていたが、やがて人間の形をとっていく。そこに現れたのは、痩身で柔和な顔立ちをした、和装の男性であった。
「おお……、よ、葉介……。まこと、葉介じゃ……」
楓さんを見れば、涙を浮かべてその男を見つめている。
「あれ?私は書き物をしていたはず……。それにここは……。な、なんだ!?この奇妙な物たちは……」
男……、葉介は突然の状況が理解できず、辺りを見回している。だが、それは当然だろう。今までいたはずの場所から見も知らぬ場所へと移動しており、ましてや周りには、見たこともないような家具や電化製品が並んでいるのだ。
「葉介よ。妾がわかるか?」
「か、楓さん!?よかった、無事だったんですね!」
「うむ、心配をかけたな。妾も、狐鈴も、兄狐も、雛も、熊吉も、木霊も……、皆無事じゃ。心配はいらぬ。今は少しばかり身を潜めておるが、すぐにお前の元へと戻るつもりじゃ」
「そ、そうですか。よかった……。本当によかった」
葉介は目に涙を浮かべ、心底嬉しそうだ。しかし、一転して不安そうな表情をすると、顔を曇らせた。
「りんは、りんは無事なのですか!?」
「なに、心配いらぬ。見てみよ」
楓さんは、銀華さんへと顔を向ける。つられて葉介も銀華さんのほうを見る。
「おお……、りん!よかった。無事だったのか……」
「え?あ、ああ、もちろん無事さ。心配しなくても大丈夫だよ」
「そうか……。何やら雰囲気が変わった気がするけど、無事でよかった。そうだ!これを見てくれないか。私の本がついに世に出たんだ!稼げるようになったし、これなら皆が戻ってきた時に、食うに困ることは無い。ちゃんと生活していけるぞ。ほら、せっかくだから読んでくれないか?」
そして嬉しそうに、葉介は自分の書き上げた本を開いた。
「あれ?文字が……。すまないりん、擦れて消えてしまったようだ。少し待ってくれ」
そう言うと、懐から筆を取り出し、何やら書き込み始めた。
「何と、消えた文字が……」
「やだなあ楓さん。何を言ってるんですか。書けば文字が写るに決まってるでしょう?」
葉介が筆を滑らせた跡……。そこには、消えていたはずの文字が全て元通りとなっていた。
「どうだい、りん。すごいだろう?」
「あ、ああ、すごいね。僕にはあんまり読めないけど……」
「ははは、少しずつ勉強していけばいいさ。私はまだまだ、たくさん書き続けるつもりだからね。一年も頑張れば、きっと文字も読めるようになるさ。本を読むというのは楽しいぞ。なにせ、世界を知ることができるのだからね」
そう言って葉介は、ふたたび周りを見回した。
「しかし、見慣れぬ人達もいるけど、あの人達は……?」
「ああ、心配はいらぬ。妾達のことを理解してくれている、友じゃ。そなたの願いどおり、我らとの架け橋になってくれる者たちじゃ」
「そうですか。少し会わない間にそんなことが……。ありがとうございます。これからも皆のことをよろしくお願いします」
そして葉介は、俺達に深々と頭を下げたのだった。
だが、俺達は徐々に葉介の姿が薄くなっていることに気が付いていた。
「楓さん……」
「うむ……。葉介よ、気分はどうじゃ?」
「え?別に悪くはないですが……。ただ、少しばかり興奮しすぎたのでしょうか。随分と眠いです」
「そうか……。心配はいらぬ。妾達はどこにも行かぬゆえ、ゆっくりと休め」
「まだまだ、話したいことは山ほどあるのですが……。それは明日にでもしましょうか。りんも、あまり夜更かしをするんじゃないぞ」
「わ、わかってるよ」
「ははは。じゃあ、おやすみ」
そう言うと葉介は目を閉じた。そしてその姿は、徐々に薄くなり消えて行く。
「ああ……。そなたも、ゆっ……、ゆっくりと……、休むがよい……」
消え行く葉介に声をかける楓さんの声は、嗚咽交じりであった。
そして葉介が完全に姿を消した後に残ったのは、役目を終えて床に落ちた依り代と、暗い部屋の中に聞こえる、楓さんのすすり泣く声であった。
その悲しげな声が聞こえなくなるまで、誰も部屋の明かりに手を伸ばすことも、その場から動くこともできなかった……。
あれから皆、仮眠を取るために各々の部屋に戻っていた。
葉介が消えた後、本には全ての文字が戻っていた。不思議なことに、それは新しく書き足したというようなものではなく、百五十年の歳月が経っていることを思わせるものだった。
おそらくは、葉介が懐から出した筆を介して、残りの霊力全てをもって書き上げたのだろう。いずれ消え行く残留思念とはいえ、己の命を燃やして……。
その時、ノックの音と共に楓さんが部屋に入ってきた。
「世話になったな。緋色よ」
「いえ、皆のおかげですよ。ヒントをくれた弘美ちゃん、りんさんに扮した銀華さん、そして依り代を使うことができたのも、楓さんがいたからです。一人でも欠けていたら、きっと成功しませんでした」
「しかし、もっとも活躍したのはそなたじゃ」
「でも、楓さんも気付いているとおり、この本にはもう……」
俺は傍らの本を見つめる。今や本からは、以前に感じた霊力は微塵も感じられない。それはつまり、彼の存在が完全に消えてしまったことを意味する。
「なに、構わぬ。あれは所詮葉介の残り火に過ぎぬ。それに、未練で苦しんでいたものから解き放たれたのだ。むしろ喜んでやるべきだろう」
俺には、当時の状況など慮ることはできない。だが、当時の葉介の状況を考えれば、相当に強い想いを持って書き上げた本のはずだ。そのため、彼の想いが残留思念のように本に宿ったのであろう。
そうして、魂の入った文字が怪達を探し始めた。
しかしながら、葉介は何の力も持たない普通の人である。彼の霊力は、微々たるものだっただろう。
りん達を探すという強い想いはあれど、長く存在し続けることは難しく、捜索の途中で徐々に力尽きていったのだ。
そのわずかな思念を依り代に憑依させ、実体として出現させたのである。
「それにな、妾は嬉しいのだ。そなた達は、葉介の願いをそのまま叶えてくれておる。妾は安心して山へ帰れるというものじゃ」
「楓さん……」
「そんな顔をするな。なに、また遊びにでも来るさ。そうそう、そなたには報酬の他に礼をしたいのだが……」
「そんな、必要以上には要りませんよ」
「なに、たいしたものではない。だが、先に許可は取っておかねばならんがな。さて、式神殿よ、すまぬが少しばかり目をつぶって、やり過ごしてくれぬか」
「……。今回だけだぞ」
「おお、すまぬな」
「クーコ?」
突如言葉を発したクーコに問いかけるが、返事はない。
「では緋色よ。少しばかり目を瞑ってくれ」
「はい?ええと、こうですか」
言われるがままに目を瞑った俺の唇に、柔らかいものが触れる。そして、暖かい息が吹きかかる。
「ちょっ……!」
「フフフ、ささやかな礼じゃ」
その後、昼過ぎに起きてきた弘美ちゃんから楓さんが解放されたのは、夜も更けようかという頃だった。
さすがに話し疲れてクタクタの様子だったが、
「いや、これ以上泊まっては別れ辛くなるからの。そなた達には本当に世話になったな。また会うこともあろう。では、さらばじゃ」
そう言って、あっさりと闇夜に飛び立って行った。
一方の弘美ちゃんはといえば、寝不足もどこへやらのツヤツヤした顔をして、ご満悦の様子である。今はお母さんに連絡し、本日の外泊許可を得ているようだ。
まあ、これだけ遅くなっては帰すのも危ないし、仕方ないだろう。
ただ、弘美ちゃんが泊まるたびに、俺の商店街での評判が悪くなっていくのが気になるが。
一方の銀華さんはといえば、よほど浴衣が気に入ったのか、部屋に埋もれていた古いファッション誌を引っ張り出し、浴衣特集の記事を眺めている。
女の子なんだし、ダークスーツ一辺倒よりは、お洒落に目を向けるのはいい傾向だろう。
しかし、楓さん達のような怪のように、悠久ともいえる時を生きて行くというのは、どのような心境なのだろう。
たとえ人間と親しくなっても、間違いなく人は彼らより先にいなくなっていく。
楓さんは、そんなことを何百年と繰り返してきたのだろうか。
クーコは、何千年という時をどう過ごしてきたのだろう。俺がいなくなったら、彼女はどうするつもりなのだろうか。
言いようのない虚しさを感じたが、ふと楓さんの言葉を思い出す。
『お互いのことを想って生きよ。少しでも長く、共にいられるように』
そうだ、俺に出来ることは、今を大切にに過ごすことだけだ。そう思うと、気持ちが軽くなる。
「さて、遅くなっちゃいましたけど、軽く夜食でも作りましょうか」
「待ってました!」
「す、すみません。私もお手伝いを……」
そうして俺は、キッチンへと向かう。今日は奮発して、冷蔵庫の食材を使い切ってやろうと決意をして。
~ 『天狗の願い 時を越えた想い 大江戸銀鈴あやかし絵巻』編 完 ~




