30
程なくして俺達は、猫猫飯店へと戻ってきた。だが、夜が更けるまではまだまだ時間がある。
「ふむ、妾は将棋には自信があるぞ。あれは何百年前だったかの。名人と呼ばれておった男とも、互角の勝負を繰り広げたこともあるぞ」
「いえいえ、せっかくですので、ここは葉山先生直筆の書をじっくりと読むべきかと」
「なるほど。しかし妾は飽きるほどに読んでおるし、そもそもいくつか文字が抜けておるのだぞ」
「う……、それはそうですが。しかし、せっかくの貴重な書物を目の前にして放っておくのも……」
女三人寄れば何とやら。三人は姦しく、夜までどうやって時間を潰すかの議論をしている。
「うーん、それよりもさ、弘美も楓も、せっかくこれだけの人数が集まってるんだから……」
「ただいま。戻りましたよ」
俺は夕食の食材を買い終えて戻ってきた。もちろん、商店街中に先ほどの誤解を解いて回るのは忘れなかったが。
「フフフ、これは『すとれえとふらっしゅ』と言うやつではないのか?」
「うげ……。ホ、ホントだ。ちょっと楓、もしかしてインチキしてるんじゃないだろうね!」
「馬鹿を言うな。そもそもこの遊びの決まりすら、先ほど聞いたばかりであろう。妾がどうやってインチキにまで頭が回るというのじゃ?」
「うぐ……。ま、まあそうだけど……。ま、まあいいや。次だよ、次!」
「あ、私フルハウスです」
「ぐ……、弘美まで……」
「おや、4枚そろっておるぞ。これはもしかして、『ふぉーかぁど』とかいう手ではないのか?」
「うそ……。ぐっ、なんで二人にばっかり……。くっ、今度こそ…………。あっ!来たー。フフフ、見てよ、ロイヤルストレートフラッシュだよ。今回は僕の勝ちだね」
「あ、あの……、ごめんなさい銀華さん。ジョーカーの入ったファイブカードみたいで……」
「…………。ま、まあ、ただのトランプに熱くなっても仕方ないしね……」
俺が買い物に出ている間に、三人は随分と仲良くなったようだ。もちろん、楓さんが年下の二人に気を配っているのは感じ取れる。
しかしながら、それ以上に自分が楽しそうにしている気もする。
ひょっとしたら、俺達にはわからない、楽しかった過去を思い出しているのかもしれない。
しかし、運の要素が強いゲームで、銀華さんがこれほど負けるのは珍しい。もしかしたらこの二人も、結構な強運の持ち主なのかもしれない。
だが、楽しそうに遊ぶ3人に口を挟むのも野暮だし、俺はそっと事務所を出て、二階の自宅にある台所へと向かったのだった。
「お待たせしました。晩御飯にしましょうか」
「待ってました!」
「おお、すまぬな」
「す、すみません。お手伝いもせずに……」
「いえ、気にしないでください。簡単なもので、こちらこそすみませんが」
四人が座るテーブルの前には、カレーライスとサラダが並んでいる。
「和食ではないので、楓さんのお口に合えばいいんですが」
「なに、心配はいらん。そもそも妾は、食事など山で取れる木の実や獣の肉で事足りる。だが、葉介に叱られてからはちゃんとした料理を食べる機会も増えたし、ここ百年余りは、欧米の料理を食する機会も増えた。かれーも好物の一つじゃ」
「そうですか。よかったです。あ、それと皆さんの好みがわからなかったので、味付けは『中辛』にしてありますから」
「えっ!?」
突然銀華さんが素っ頓狂な声をあげた。いや、申し訳ないが、原因はわかっている。
普段作るカレーは、銀華さんに合わせ甘口で作ってある。しかしながら、いくらなんでもあとの二人が甘口が好みとは思えない。それに銀華さんのことだ。甘口を出したところで、絶対に見栄を張って文句を言うだろうと思い、あえて中辛にしたのだ。
「あ……。もしかして……」
おそらく、弘美ちゃんはそのことに気付いたのだろう。言いかけた言葉を飲み込む。
「ん?どうかしたのか?」
「あ、い、いえ。何でもありません。そうですよね、銀華さん?」
「ん?あ、ああ。もちろんそうさ。ただ、いつものとおり辛口でもよかったのにって思ってね」
「あ、あはは。私は辛口はちょっと苦手なので……。そ、それより、せっかく緋色さんが作ってくださったんだから、冷めないうちにいただきましょうか」
見栄を張って顔を真っ赤にしながらカレーを食べる銀華さんに、俺と弘美ちゃんはさりげなく水のお代わりを差し出すことしかできなかった……。
「うむ、見事な腕前じゃ。馳走になったな。しかし、銀華よ。そんなに汗をかいてどうしたのだ?」
「な、なんでもないよ!今日は暑いからね」
「そうか?それほどでもない気もするのだが……。しかし、猫舌とも言うくらいだから、猫は暑さに敏感なのやもしれぬな」
「そ、そう!そうなんだよ」
銀華さんは、必死にカレーの辛さを誤魔化そうとしている。だが、全身は汗まみれで、服がびっしょりと濡れている。
「あの、銀華さん。まだ夜更けまでは時間がありますし、よかったら皆さんでお風呂にでも入ってきたらどうです?」
「いいこと言うね、ヒロ君。そうだよ。まだ先は長いし、皆でお風呂に入ろうよ」
「で、でも、そこまでしていただくのも悪いですし……」
「いいからいいから。まだ先は長いんだから、一緒に入ろうよ。ほら、楓も」
「ふむ、ならばいただくとしようかの」
三人が風呂に入りに行った後、俺は手早く洗い物を済ませ、問題の本を調べていた。
「どうだクーコ。何かわかるか?」
「いえ、特には。ただ、ごくわずかな霊気のようなものは感じられます」
「うん、お前もそう思うか。ただ、弱すぎるし、楓さんの霊力が残り香のように残留しているのかも。もしかしたら、年月が経って付喪神化しようとしているのかもしれないが……、どう思う?」
「お腹が空きましたね」
「は?」
「お腹が空いたと言ったのです。猫又共は緋色様の作ったカレーを食べて満腹かもしれませんが、私は何も食べていませんし」
なぜかクーコは、俺の質問そっちのけで、突拍子もないことを言い始めた。
「いや、でもお前は食べなくても平気なはずだし、そもそも今までそんなこと一度も……」
「私に食べさせるカレーなどないというのであれば、無理にとは言いませんが」
「いやいや、そんなつもりじゃなくてな……。わ、わかった、とりあえず三人が風呂から出るまでに、さっさと食べちゃえよ」
今まで俺に我がままや要求を言わなかったクーコが、最近はなぜか自己主張が強くなった気がする。いや、それはそれで構わないのだが、いったいどうしたのだろうか。
そして人の姿になったクーコは、テーブルに出されたカレーを黙々と食べ始めたのだった。
「ふ~、さっぱりしたよ。あれ?ヒロ君、まだ食べてたの?って、ちょっと、どんだけ食べたのさ!?」
「い、いえ、ちょっとお腹が空いてまして……」
「で、でも、まだ4人前くらい残ってたはずだよ?そんなにお代わりして大丈夫なのかい?」
「だ、大丈夫ですよ。育ち盛りですから……」
風呂から銀華さん達が戻ってきた時、明日の朝用にと取っておいたはずの米とカレーは、全て無くなっていたのだった。
その後、女性達のたわいもない話を聞いているうちに、気付けば時計の針は深夜を回っていた。
楓さんの話によれば、文字が飛び回るのはこのくらいの時間だということだ。
部屋を暗くし、しばらく待ってみるが、何も起きる気配はない。
「ふむ、毎日文字が抜け出すわけではないし、今日の所は無駄骨だったか」
「ちぇ、残念だなあ」
そして銀華さんが明かりを点けようとした時だった。
「待ってください!あれ……」
不意に弘美ちゃんが声をあげたかと思うと、本を指差した。
見れば、本が青白く光を発している。そしてその本から、何かが浮かび上がってくるのが見える。
「あれは……。確かに楓さんの言うとおり、文字のようですね」
空中に浮かぶのは、まさに紙から剥がれ落ちたかのように厚みのない、ペラペラの文字であった。
空中に浮かぶそれらは、ゆらゆらと揺れながら少しばかり彷徨ったかと思うと、ガラス窓に向かいふらふらと飛んで行く。
そして、コツコツと音を立てながら窓に当たるが、どうやら障害物をすり抜けたりはできないようだ。
「見てのとおり、このように抜け出しては戻って来れぬ者だけが、少しずつ数を減らしていくのだ」
「しかし、この行動に何の意味が……」
「やっぱり散歩……、な、何でもないよ」
全員にジロリと見つめられ、銀華さんは大人しくなった。
「しかし、物をすり抜けられぬということは、とりあえずは密閉した箱なんかに保管しておけば……」
「ダ、ダメですよ!そんなことしたら本の保管状態が……」
「うむ、それも考えたのだが、確かに弘美の言うとおり、それこそ本の傷みを早めてしまう。それに、この文字の行動に意味があるのなら、それを叶えてやりたいと思ってな」
楓は、そう言いながら少し悲しげな目で、窓にぶつかる文字を見た。
「文字の願い……、ですか。もしかして、この文字達はどこかに行きたいとかじゃないでしょうか。いえ、そうだとすると本に戻って来るのは変ですし……。なら、何かを探しているんじゃないでしょうか?会いたい人とか……」
弘美ちゃんの言葉に、俺はハッとした。そして楓さんに問いかける。
「楓さん。この本が書かれた時に、あなたや葉山さんと親しい怪達は、彼の前から姿を消していたと言いましたね」
「え?あ、ああ。ちょうど長く続いた政権が倒れ、この国が大きく変わる時だったしな。このままでは葉介に迷惑をかけると思い、我らは身を引いたのじゃ」
「その後葉介さんは、もしかしたらあなた達がいるかもしれない場所に、この本を置いていった……。そうですね?」
「ああ、そうだ。もしや……、何かわかったのか!?」
「可能性の一つだということに過ぎませんが……。でも、試してみる価値はあるかもしれません」




