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 それからしばらく後、俺と弘美ちゃんは連れ立って満月庵へと向かっていた。

 楓さんの話によれば、文字が抜け出すのは常に深夜だということであるため、まずは猫猫飯店で夜を待とうということになった。

 しかし、弘美ちゃんはまだ高校生である。さすがに親御さんの許可も得ずに外泊するわけにもいかない。

 弘美ちゃんが母親に連絡して許可は取ったものの、銀華さんの直接会って説明をしたほうがいいとの意見もあり、お泊まりの準備がてら、俺が代理として説明に向かったわけである。

 しかし、銀華さんにそんな常識的な一面があったのは少々意外であった。

 そういえば、銀華さんの母親は、よく娘の一人暮らしを許可したものだ。たとえ放任主義だったとしても、まだ子供ともいえる年齢の娘にビルを与え、一人で住まわせるとは少しばかり普通ではないだろう。もっとも、人と怪の子供に対する考え方は違うのかもしれないため、一概には決め付けることはできないが。


 そんな経緯もあり、弘美ちゃんと一緒に満月庵へ向かっていたのだが、それは商店街を抜けようとしていた時に起きた。


「お、おい。ありゃあ緋色君と、それにあれは……、満月庵さんトコのお嬢さんじゃないか?」

「アンタ、何言ってんだい?銀華ちゃんの間違いじゃ……。あれ?ホントだよ」

「どういうことだ?ま、まさか緋色君……、玉の輿を狙って銀華ちゃんから乗り換えたんじゃ……」

「まさか。あの真面目そうな子に限って……」

「いやいや、わかんねえぞ。あの満月庵に婿入りとなりゃあ、一生安泰だ。将来に目が眩んだっておかしくは……」

「そういえばあの子、前にも芸能人みたいな、すんごい美少女と一緒にうどん食べてたって、魚屋の奥さんが……。へぇ、人は見かけによらないもんだねぇ」

「そうなのか?奥手だと思ってたのに、意外なもんだなぁ。まあ、雰囲気も大人びてるし、モテそうな顔してるからなぁ。でも、とっかえひっかえってのは、あんまり感心しねえなぁ」


 何やら周りの店からは、ヒソヒソと不穏な言葉が聞こえてくる。隣を見れば、弘美ちゃんは顔を赤くして俯いてしまっている。


「あの、気にしないでくださいね。今度買い物に来た時にでも、誤解だってちゃんと言っておきますから」

「い、いえ。そんな、わざわざ(・・・・)言わなくても大丈夫ですから」

「え?」

「あ……、ち、違うんです!それに、嫌とかいうわけじゃなくて……」


 弘美ちゃんは何やら慌てて両手を振る。


「小娘……、調子に乗るなよ」

「は、はひっ!」


 だが、突然聞こえてきた低い声に、一瞬で表情を凍りつかせた。


「お、おいクーコ。どうしたんだ?」


 だが、クーコは俺の質問に何も答えない。


「おい……」

「い、いいんです。それより、支度もしなきゃいけないし、急ぎましょうか!」


 そうして、釈然としないながらも、俺達は満月庵へと向かったのだった。




「へぇ~。すごいですね」


 満月庵に到着した俺が見たものは、まさに老舗と言うのに相応しい、古いながらも重厚さをたたえた、見事な店構えだった。

 おそらくは、元は江戸時代に建てられたとか、そんなものなのだろう。


「そうですか?私は子供の頃から見てるから、よくわからないけど……。それよりも、こっちです」


 弘美ちゃんは俺の手を引き、店の裏側へと引っ張っていった。

  

 案内されたのは、店の裏手にある門構えの前、住居の入口だった。こちらも店に負けず劣らず、見事な日本家屋である。庭の松の木も丁寧に剪定されており、この家の主人の性格が伺えるようだ。


「連絡しておいたから、母が出迎えに来てるはず……、あ、お母さん。お連れしたよ」


 弘美ちゃんが声をかけた先を見れば、本当にお母さんかと疑うほどの若い女性が立っていた。お姉さんとまでは言い過ぎだが、見たところまだ三十代の半ばではないだろうか。結い上げた黒髪に和服がよく似合う、非常に美しい女性である。

 一見地味な弘美ちゃんとは似ていないようだが、よく見れば顔つきは弘美ちゃんにそっくりなことからも、親子だとわかる。

 弘美ちゃんを成長させて垢抜けさせたら、きっとお母さんそっくりになるであろう。

 つまりは、弘美ちゃんはお洒落に気を使えば、かなりの美人になるであろうということだ。


「お母さん、こちらが御門緋色さん。前に助けてもらった、猫猫飯店の銀華さんの助手の方です」

「ど、どうも、初めまして。いつも差し入れをいただいたりして、弘美さんにはお世話になっています」


 知り合いの母親に紹介されるなどという経験のない俺は、少しばかり緊張しながら挨拶をした。

 だが、お母さんはなぜか俺を見つめたまま、呆然としている。


「お母さん?どうしたの」


 弘美ちゃんの言葉にハッと我に返ったのか、お母さんは慌ててこちらに挨拶を返してきた。


「は、初めまして。いつも弘美がご迷惑をおかけして。ええと、御門さん……、でいいのかしら?」

「はい、そうですが……?」

「ええと、もしかして、今夜はそちらに泊まる……、ということなのかしら?」

「も~、お母さん。電話でそう言ったでしょ」

「ダ、ダメよ!弘美にはまだ早いわ!」


 だが、お母さんは突如として反対の意見を唱え始めた。


「何でよ!いいって言ったじゃない!」

「そ、それは……、その……、そういうこと(・・・・・・)だとは知らなかったから……」

「嫌よ!私は絶対に泊まるんだから!真実と浪漫のためには、絶対に譲らないんだから!家出したって泊りに行くからね!」

 弘美ちゃんは、よほど葉山葉介の真実を知りたいのだろう。しかし、この娘がこれほどまでに強情だとは、少しばかり意外だった。


「あなた、そんなにまで……」


 そう言いながら、お母さんはなぜか俺をじっと見つめる。


「そう……、そうなの……。どうしましょう……。お泊りって……。お父さんに何て言えば……。で、でも、私とあの人も、弘美くらいの……。それに、真実の愛って……、弘美がそれを見つけたのなら……。ちゃんと紹介もしてくれたんだし、そこまで想っているのなら……。御門さん、誠実そうな子だし……」

「お、お母さん、どうしたの?」


 お母さんはなぜか俺達そっちのけで、何やらブツブツと独り言を呟いている。しばらくそうしていたかと思うと、突然俺達を真っ直ぐに見据えた。

 それは、母としての威厳を感じさせる、力強いものだった。


「わかりました。あなたにそこまでの強い想いがあるのなら、もう止めません」

「ありがとう、お母さん!」

「お父さんが何を言っても、責任は私が取ります。御門さん!」

「はっ、はい!?」

「ふつつかな娘ですが、よろしくお願いいたします」

「は……、はぁ。心配しなくても大丈夫ですよ。弘美さんの身は、ちゃんと守りますから」

「そこまで弘美のことを……。御門さん……。いえ、緋色君と呼ばせてもらってもいいかしら?」

「は?はい。構いませんが」

「ありがとう、緋色君。弘美をよろしくね。よかったわね、弘美」


 なぜかお母さんは目尻に光るものを湛え、俺に深々と頭を下げてきたのだった。

 きっと娘が危ない目に遭ったりしないか、怪我をしたりしないかが心配なのだろう。もちろん、弘美ちゃんを危ない目に合わせるつもりはないが、危険な依頼ではなさそうだし、そこまで心配しなくても大丈夫なのに。


「そうと決まれば、渡しておくものがあります。用意するから、出発はしばらく待ちなさい」

「うん。どっちにしろ、着替えとかも用意しなきゃいけないし。緋色さんは、お店でお茶でも飲んで待っていてください」


 そうして俺は、店先に作られた簡易な茶店部分で、饅頭とお茶をいただきながら待つことになったのである。


「あの人がお嬢さんの……。そういや、女将さんに紹介する時、お互いの手を握り合ってたな……」

「入り婿なのかい?じゃあ、この店を継ぐのは……」

「どうしましょう。挨拶しといたほうがいいかしら……」


 なぜか、商店街と同じようなヒソヒソ話ををBGMとして聞きながら。



 

「お待たせしました、緋色さん」


 待つこと三十分ほど、支度を終えた弘美ちゃんが、バッグを抱えて戻ってきた。それと時を同じくし、弘美ちゃんのお母さんも戻ってきた。何か買い物をしてきたようで、手には薬局の名前の入った、小さな紙袋を持っている。

 

「弘美、こちらへ来なさい」


 お母さんは何やら真剣な表情で、弘美ちゃんに声をかける。

 そして、俺から離れた所へ弘美ちゃんを連れて行くと、紙袋を渡し何かを話しているようだ。しかし、俺との距離は離れており、よく聞き取れない。


「弘美、あなたの決心はわかりました。でも、あなたはまだ高校生です。万が一のことがあっては、この後の人生にも影響します。あなたを一人の女と認めて話をしますが、私も高校生の時にはあなたのお父さんとお付き合いしていましたし、あなたを産んだのは高校を卒業した次の年です。でも、さすがに高校生の頃はそういうことには注意していましたし、ちゃんと避妊もしていました。だからね、こういうことはきちんとしておかないといけません」

「お母さん!?突然何の話……?」

「それと、持って行く下着は、あまり派手な物にしてはダメよ。女が思っているほど、男の人は派手な下着は好きではないから。特に緋色君のような誠実そうなタイプは、白や薄いピンクなんかの、清楚な感じの方が好きなはずよ」

「お、お母さん?何を言って……、それに何これ?ま、まさかこれって……、コ、コ、コンド……」

「あなたたちの決心はわかりました。でもね、赤ちゃんが出来た時のことを軽々しく考えてはいけないわ。結婚まではきちんと避妊はするべきよ。緋色君が用意していなかったら、あなたからきちんと渡しなさい。彼ならきっと着けてくれるはずだから。それに心配しなくても、お父さんには黙っていてあげるから」

「なっ!ななななな……、何でそんな話になるのよ!!」


 それまで、断片的に赤ちゃんがどうとか聞こえていたのが、突然の弘美ちゃんの叫び声がきっかけとなり、店内がざわつきだした。


「おい、聞いたか。どうやらお嬢さんのお腹にはすでに……」

「まさか。あの大人しそうなお嬢さんがねぇ……」

「そう言えば最近、大人っぽくなった気が……」

「てことは、もちろん相手は……」


 何やら店内の不穏な空気を感じた俺は、ひたすらに意識をお茶と饅頭に集中させて、外の雑音をシャットアウトしたのだった。


 程なくして弘美ちゃんは戻ってきたのだが、なぜか顔が真っ赤になっていた。


「どうしたんですか?何かお母さんとの会話で、赤ちゃんがどうとか聞こえましたけど」

「ひゃいっ!?にゃにゃ、にゃんでもありません!あ、いえ……。そ、そうです、にゃんです。うちのにゃん……。猫に、もうすぐ赤ちゃんが生まれそうだって話です!」

「へー、そうなんですか。そういえば猫好きって言ってましたもんね。きっと可愛い赤ちゃんが産まれるんでしょうね」

「そ、それはもう、緋色さんの赤ちゃんなら、きっと格好いい子が……」

「はい?猫の話ですよね?」

「ひゃ……、はいっ!もちろんそうです。そ、それよりも、早く戻りましょう。一刻も早く事件を解決しないと」

「は、はあ」


 来る時よりも更に挙動不審になった弘美ちゃんと、なぜか満面の笑みで俺達を見るお母さんに見送られ、俺達は満月庵を後にしたのであった。

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