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「いや、すまぬ。そなたが『りん』であるはずはないしな。よくよく見れば感じる気配も違う。そもそも、妾が最後にりんを見た時は、もっと成長した姿をしておったな……」
そう言いながらも、天狗は懐かしそうに銀華さんを見つめる。ソファに腰掛け、頭巾を取った頭からは、艶やかな黒髪がまさに流れるように腰まで届いている。そして、その黒髪の間から顔を覗かせるように、背には白い翼が生えている。伝え聞くような長い鼻や鳥のごとき嘴は見当たらないが、その大きな翼は間違いなく彼女が人でないことを表している。
「しかし、良く似ておる。猫又が皆このような姿になるのかはわからぬが、少女の頃のりんにそっくりじゃ」
「ふ~ん。僕は他の猫又は知らないから、よくわかんないけど……」
「あの、それで今日ここに来られたのは、いったい……」
「おお、すまぬ。そもそも自己紹介もまだだったの。妾の名は『楓』と申す。見てのとおり、ただの天狗じゃ」
「ほ、本当に天狗さんなんですね。私、初めて見ました……」
先ほど帰ると言っていた弘美ちゃんだったが、天狗見たさからか、まだオフィスに残っていた。まあ、ファンタジー大好きな彼女からしたら、天狗を見られるなどこんなチャンスは逃せないのだろう。
俺も実際に見るのは初めてだが、目の前の天狗は、確かに妖力に格調の高さを感じさせる。もっとも、それが天狗という妖怪全般に言えることなのか、この楓と名乗る天狗が特別なのかは定かではないが。
「フフ、しかし、人と怪が当たり前のように交わる世界など、いつ以来のことであろうか……」
楓と名乗る天狗は、遠い目をして窓の外を見つめる。そして、優し気な瞳で俺達を見つめた。
「そなた達は、人と怪の垣根を超え、随分と良い関係を築いておるようじゃ。あの頃の妾達のように……。だが、人と怪の時が交わるのは一瞬。我らは人の想いさえ消えねば、悠久の時を存在することができる。それに対し人の生は、我らからすれば一瞬の時……。また反対に人の想いがなくなれば、我らは明日にでも消えて無くなってしまう。そのことを忘れず、お互いのことを想って生きよ。少しでも長く、共にいられるように。差し出がましいようだが、妾からの助言じゃ」
天狗は、自らの経験からだろうか、俺達にそんなことを言った。当初妖艶に見えたその瞳は、優しい母性を感じさせるものとなっていた。
「う~ん。良くわかんないけど、僕はヒロ君達を大事にしてるよ」
「ああ、それで良い。その想いこそが、人と怪の懸け橋になるのじゃ。それが、あの男の願いだったからの」
「あの男……?ええと、天狗……さん……?」
「楓で良い。何、昔を思い出しての戯言じゃ」
「それじゃあ、楓さん。先ほどの言葉を聞く限りでは、ここがどういう所かを知って訪ねて来たんですよね?ということは、つまり……」
「おお、そうだった。懐かしさのあまり忘れかけていたが、ここが不思議の出来事を解決してくれる所と聞いて、訪ねて来たのであった」
そういうと楓さんは、持っていた風呂敷包みから、さらに絹の布で包まれた四角い塊を、大事そうに取り出した。
そして、それを机の上に置くと、丁寧に包みを開き始めた。
「これは……、本?」
包みが開かれて中から現れたのは、随分と時代を感じさせる、一冊の和綴じの本であった。
俺には詳しいことはわからないが、いわゆる古書というやつなのだろう。正直に言って、達筆なのかどうかもわからない古い書体からは、作者の名前なのだろう、『葉山 葉介』という文字が読み取れる。
「ふ~ん、なんか随分と古いし汚い本だね」
「ちょ、ちょっと銀華さん、失礼ですよ!」
銀華さんの言葉に、俺は肝を冷やした。正直に言えば俺も同じ感想を持ったとはいえ、こういうものは好きな人にはたまらない価値のあるものだ。それをけなされて、いい気分の人はいないだろう。
「い、いや、でも見事な古書ですよね。おそらく、かなり価値のあるものなんじゃないですか?」
だが、銀華さんの失礼な言葉も俺のおべっかも、楓さんにはさして何の感情も抱かせなかったようだ。
「ああ、気にするでない。何せ、百五十年以上は経つであろう古いものだし、興味の無い者からすればただのガラクタにすぎん。まあ、古いというだけで、人の世界ではそれなりに価値があるのかもしれんがな」
そう言いながら、楓さんは大事そうにその本をそっと撫でた。
「だが、他の者がどう思おうが、妾には大切な想い出なのじゃ」
その言葉や態度から察するに、きっと楓さんにとっては、大切な想いが詰まっているのだろう。だとすれば、この本がここに来た理由なのだろうか。
それを尋ねようとした時、俺は弘美ちゃんの様子がおかしいことに気が付いた。顔を紅潮させ、本を見つめたまま全身をプルプルと震わせている。
「あ、あの!少し中を見せていただいてもいいでしょうか!?」
弘美ちゃんは興奮した様子で、楓さんに問いかけた。
「ん?ああ、構わぬぞ」
「あ、ありがとうございます」
そして弘美ちゃんは、恐る恐るという感じで本を捲り始めた。
「これは……。うそ!?やっぱり……。間違いない……」
何やら真剣な表情でブツブツとひとり言を言う弘美ちゃんに、若干の恐怖を覚えながらも俺は尋ねた。
「弘美ちゃん、この本がどうかしたんですか?」
「どうしたって……、これ、直筆ですよ!本物かどうかまではわかりませんけど、少なくとも相当昔に書かれたモノです。しかも、葉山葉介の直筆なんて……」
興奮した様子で弘美ちゃんは語る。やはり先ほど見た、葉山葉介というのが作者の名なのだろう。だが、残念ながら俺はその名を知らなかった。もしかしてと思い銀華さんを見るが、黙って首を振るだけだ。
「しっ、知らないんですか!?葉山葉介といえば、明治維新以降の、日本文学界の基盤を確立させた人ですよ。『近代文学の父』とまで呼ばれて、特に妖怪文学やその研究については、第一人者だったんです。しかも、その書籍の大半は、自らの経験を元にして書き綴ったのではないかと言われているんです。今のような不思議の存在が公表されている時代ではなく、はたして妖怪というモノが存在がするのかしないのかという、曖昧模糊な時代にですよ!」」
「は、はぁ。すみません、なにぶんあまり本を読むという習慣が……」
興奮して語る弘美ちゃんに、俺と銀華さんは少々引き気味になっている。
「じゃ、じゃあ、『橘鈴子』は読んだことありますよね!?」
「う……、ぼ、僕も本はあんまり……」
銀華さんは気まずそうに答える。確かに、銀華さんの部屋を掃除する限りでは、漫画やゲーム、DVDは山のようにあれど、活字の本は見たことがない。
「そ、そんなことはないはずです!日本人なら一度は……。『ようかい、おばけはおともだちだよ』って絵本を読んだことありません?子供向け番組で、アニメにもなったんですよ」
「あ!それ見たことある。子供の頃、大好きだったなぁ」
「でしょ!その橘鈴子のひいおじいさんが、葉山葉介なんですよ。なんでも、ひいおじいさんが毎日のように聞かせてくれたお話や、彼の残した作品を元に書き上げたのがその絵本らしいんです。か、楓さん、この本は本当に葉山先生の……?」
弘美ちゃんの質問に、楓さんは少しばかり嬉しそうに口を開いた。
「フフ、あの葉介が先生と呼ばれるとはな……。何度聞いても不思議な感じじゃ。確かに、この本は葉介が自らの筆で書きあげた物に間違いはない。それを縁のある稲荷神社に納めていったのを、色々あって妾が譲り受けたわけじゃ」
「じゃ、じゃあ、本物……」
「ああ、それが葉介が世に出した最初の本だったから、思いもひとしおだったのだろう。もっともその頃には事情もあって、妾達はすでに葉介の前からは姿を消しておったがの。そういう時代だったのじゃ。だが、本が無くなっていることで、きっと我らの存在には気付いてくれていたと思う」
「しゅしゅ、しゅごいです!日本文学界の真実が……。歴史浪漫が今ここに!」
弘美ちゃんは真っ赤になって興奮しているようで、呂律も回っていない。
「お話を聞く限り、楓さんは葉山先生と親しかったんですよね!?」
「ああ、まあそうじゃな」
「じゃ、じゃあ、葉山先生はたくさんの怪の美女達と暮らして、ハーレムを築いていたというのは本当なんでしょうか!?さらにはそのうちの一人と結婚をして、お子さんを授かったとか……。橘先生には、怪の血を引いているという噂もありますし。はっ!もっ、もしかして、そのハーレムの一員で、葉山先生の奥さんというのは……」
興奮する弘美ちゃんのあまりの矢継ぎ早の質問に、楓さんも面食らっているようだ。
「ほ、ほう、なるほど、人の世ではそのように伝わっているわけか……。まあ、どこまで言って良いのかはわからぬが、少なくとも妾が葉介の嫁というのは、残念ながらハズレじゃ。もっとも、出会った時は婿に迎えようと……、フフ……」
当時を思い出したのか、一転して楓さんは妖艶な表情をして、含み笑いをする。その表情に、その場にいた三人は思わず唾を飲み込む。
「じゃあ、葉山先生の奥さんはいったい誰なんですか!?」
「ひ、弘美ちゃん。そもそも楓さんは、何か依頼に来られたわけですし、あまりプライベートなことをお聞きするのは……」
さすがに個人的なことを根掘り葉掘り聞くのは失礼かと思い、弘美ちゃんの暴走を止める。
「う……、そ、そうですね。すみません」
「なに、かまわぬ。妾も久方ぶりに昔を思い出し、楽しかったぞ」
弘美ちゃんが冷静になったところで、早速本題に入る。
「それで、依頼というのはこの本に関することなんですよね?」
「ああ。まずは話すより、中を見てもらった方が早いだろう」
そう言うと楓さんは、本を捲り始めた。
しばらくそれを見ていたが、別段おかしなところはない。だが、正直書体も古く俺には読み取れない部分も多い。銀華さんにいたっては、活字を見ると眠くなるのだろうか。半眼になり、うつらうつらしだした。
さすがに依頼者の前で失礼かと思い、銀華さんをつついて起こそうとした時、不意に弘美ちゃんが口を開いた。
「文字が、抜けてる……?」
「え?」
その言葉に、銀華さんの眠気も吹っ飛んだようだ。
「ふむ、気付いたか。そなたは本当に書物が好きなようじゃな。見てのとおり、この本は所々文字が抜けておる。もちろん、最初からそうであったわけではない。文字が逃げ出すのじゃ」
「文字が……、逃げ出す?」
そして楓さんは、今回の依頼内容について語り始めたのだった。




