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「その時さ!僕の直感が叫んだんだ、『ヒロ君が危ない!!』ってね」

「そっ、それで……、緋色さんは……」

「フフフ、ヒロ君の危機を察した僕は、ありったけの妖力(ちから)を込めて鳴いたのさ。そしてその声は周りの木々を揺らし、大地を震わせ、コンクリートの壁を振動させながら、下水道内へと伝わって行ったんだ」


銀華さんの言葉に、ゴクリと生唾を飲み込む音が聞こえる。


「そう、それはまさに間一髪だった。鼠達に捕まっていたヒロ君は、手足を噛まれ身動きすらとれず、食べられる寸前だった。大口を叩いていたリルに至っては、恐怖に震え上がって、なんとお漏らしまでしていたのさ」

「ひっ、緋色さんは、食べられてしまったんですか!?」


 半泣きになりながら、彼女は問いかける。


「ああ、僕がいなければ、まさにそのとおりだっただろう。しかぁし!大地を震わす僕の鳴き声に驚いた鼠達は、ある者は逃げ回り、ある者は腹を出して服従し、そしてある者は恐怖のあまり失神したのさ!」

「はぅぅぅ……。素敵です。お姉さまぁ……」

「そうなれば、後はもうリル程度でもじゅうぶんさ。ようやく動けるようになったリルが、鉄鼠と旧鼠を退治したってわけさ。もっとも、ひっくり返っていたり、気絶しているのを退治するだけの、簡単なお仕事だったけどね」

「す、すごいです」

「そして、ようやく下水道から戻ってきたリルは、僕との実力差に打ちのめされ、報酬の増額を口にしたのさ。しかも、お漏らしがバレないように、変身で服が破れたなんて可愛い嘘をついてね。もちろん寛大な僕は、気付かないフリをしてあげたよ」

「さすがです。優しいお姉さまも素敵です!」

 

 ここがどこかといえば、もちろん猫猫飯店のオフィスである。そしてソファの上に立ち上がり、身振り手振りで突っ込み所満載の武勇伝を語るのは、言わずと知れた猫猫飯店店主、銀華さんある。

 その前に座り、目の前に俺がいるのにも関わらず、俺がどうなってしまったのか心配する、同じく突っ込み所満載の聞き手は、老舗の和菓子屋、満月庵のお嬢様である弘美ちゃんだ。

 しかしながら、どうやったらここまで自分を美化し、想像力豊かに見てもいないことを語れるのだろうか。探偵よりもむしろ、作家のほうが向いているのではないだろうか。

 ある意味感心しながらも、この場にリルさんがいないことに心底ホッとする。

 リルさんがこんなデタラメを聞いたら、間違いなく血の雨が降るだろう。

 一通り語り終えた銀華さんは、ひたすらに喋り続けて喉が渇いたのだろう。冷めた紅茶を一気に飲み干すと、弘美ちゃんの実家から差し入れられた高級饅頭を、もっちゃもっちゃと頬張っている。




 今はあの事件から、一月ほど経とうとしていた頃である。

 鉄鼠退治の後、病院に担ぎ込まれた俺は、予想どおり入院の運びとなった。

 しかし、幸いなことに俺の左手足は骨折ではなく、ヒビが入っているだけということであった。医者からは一月もすれば完治すると言われ、事実今は痛みも無く、生活にも支障はない。

 だが、鼠達に噛まれた傷に関しては、傷口によっては縫う必要があるし、どうしても跡が残ってしまうということだった。

 それについては仕方ないし、女の子ならともかく、男の俺が気にすることではない。そんなことを言うと、車椅子に乗って病室に俺の様子を見に来てくれていた狗巫女ちゃんが、突然口を開いた。


「わ、わっ、私に任せていただけませんか!」


 聞けば、犬神には傷を治す能力があるのだという。骨折などの重症は無理だが、切り傷などの外傷であれば、殺菌やある程度の治癒をすることなら可能なのだという。

 言われてあらためて見てみれば、確かに元々の回復力の高さもあるのだろう。だが、昨日まで包帯を巻いていたはずの狗巫女ちゃんの体からは、ギプス以外の包帯が取られ、目に見える部分に傷跡は見当たらない。


「ご、ご迷惑をおかけした、せめてものお詫びに……」

「いえ、迷惑なんてかけられてないですけど……。でも、そんなことが出来るんですね。確かに、狗巫女ちゃんの傷もほとんど治っているみたいですし。じゃあ、お願いしてもいいですか」

「は、はひっ!!」


 俺の頼みに、狗巫女ちゃんはなぜか、ひっくり返った声で返事をした。

 そして俺は妙なことに気付いた。狗巫女ちゃんは赤い顔をしているし、その横ではリルさんが、明らかに笑いをこらえているのだ。

 嫌な予感がした俺は、狗巫女ちゃんに問いかける。


「あの、狗巫女ちゃん?ところで、その方法って……」

「はっ、はい。唾液です」

「……。はい?」

「で、ですので唾液……。つ、つまり、涎……、唾です。わ、私の唾液なんて汚いもので申し訳ありませんが、傷を舐めればたとえ人間でも、かなり回復力は高まるはずです!」

「…………」


 想定外の返答に、俺は言葉を失った。いやいやいやいや!それはマズいでしょ!

 噛まれた傷は手足が中心とはいえ、臀部や足の付け根の方の、かなりきわどい部分にまで及んでいるのだ。そんなところを……。

 いや、そもそも十四歳の少女に体を舐めさせるなんて、どんな変態だよ!


「いやいや!それはマズイですって。銀華さんだってそう思うでしょ?」

「うう、クミちゃん。ヒロ君を心配してくれて……。ありがとう。僕からもお願いするよ」

「ちょっと、銀華さん!?」


 少し前に、銀華さんは俺が入院しなければならないと聞いて、しょげ返りモードになっていた。そんな時に狗巫女ちゃんの言葉を聞き、まさに救いの神が現れたかのごとくになっているようで、それが社会的にどんなにマズいことか、思考が働いていないようだ。


「おやぁ?何をためらってるんだい緋色。せっかく狗巫女が、傷を治してくれるって言ってるんだ。存分に体中舐め回してもらって、良くしてもらえばいいじゃないか」

「ちょっとリルさん、言い方がおかしいです!そもそも、それ治療目的の行為じゃないですよね!?」

「何だい?せっかくの狗巫女の好意を、無駄にするのかい?」

「そ、そうじゃなくて……。ありがたいんですけど、女の子が男の体を舐めるなんて……。狗巫女ちゃんにも悪いですし」

「だっ、大丈夫です!私、緋色さんに良くなってもらえるよう、一生懸命舐めますから……」

「ちょ、ちょっと!そんな誤解を招くような言い方……」

「え?誤解って……」

「あ、い、いや。何でもないです」


 キョトンとした表情で首をかしげる狗巫女ちゃんと、女性陣からの言葉を聞いていると、俺が変に意識しすぎているのだろうか。だんだんと、舐められたって大丈夫じゃないのかという気になってくる。

 しかし、わずかに残っていた俺の理性が、あることに気付いた。


「あれ?でも、狗巫女ちゃんはどうやって自分の傷を治したんです?まさか、自分で自分の全身を舐めるなんて出来ないだろうし」

「え?そりゃあ、ガーゼに唾液を含ませて……。は、はわわっっ!!」


 ようやく、自分が何をしようとしていたのかに気付いたのだろう。狗巫女ちゃんはさらに真っ赤になって俯いてしまった。

 銀華さんも冷静になったようで、気まずそうな顔をしている。

 ただ一人、絶対に狗巫女ちゃんに入れ知恵をしたであろう、確信犯のリルさんだけは声を押し殺して笑っているが……。

 結論として、どのような方法が取られたかは省かせてもらうが、そのおかげで外傷に関しては、一週間ほどでほぼ治ってしまった。傷跡も近くでじっくり見なければ、ほとんどわからないくらいだ。

 ちなみに、その効果の程を見た医者から、狗巫女ちゃんに対し唾液の提供や、治験体になってほしいという熱烈な誘いがあったそうだ。

 困り果てていた狗巫女ちゃんだったが、リルさんの一喝で医者は大人しくなったという。

 そんな事情もあり、一月も経つ今では、今までどおりの生活が送れるようになっていた。




「え?そんなこともあったんですか?」

「ああ、それも僕の天才的頭脳で、万事解決さ!」


 その後も二人はいろいろと盛り上がっているようだったが、『すねこすり』事件の話になった時、弘美ちゃんが少しばかり妙な反応を示した。


「へぇ~。お二人でテーマパークへ……。ふ~ん、あのパレードを二人だけ(・・・・)で見てきたんですね……」


 そして、少しばかりジト目で俺を見てくる。 

 どうやら、弘美ちゃんは俺達がテーマパークに行った理由を、何か勘違いしているようだ。

 銀華さんLOVEな弘美ちゃんとしては、俺に嫉妬しているのだろう。


「大丈夫ですよ。別にデートとかじゃなくて、銀華さんは普段のお礼として、連れて行ってくれただけなんですから。そうですよね、銀華さん?」

「え……?う、ああ、も、もちろんそうだよ」


 俺は弘美ちゃんを安心させ、銀華さんが誤解されてしまわないようにと気を使って言った。

 これで、二人ともひと安心だろうと思った矢先、なぜかその場の雰囲気が気まずくなっていることに気付いた。

 なぜか銀華さんのテンションは下がり、弘美ちゃんはそれに気付き、ホッとしながらも俺を呆れた顔で見るような、妙な感じになっている。


「あ、お、俺洗濯物を取り込んできますんで、弘美ちゃんはゆっくりしていってください」


 理由はわからないが、俺は自分の一言が原因になった気がしていたたまれなくなり、逃げるように事務所を出て行った。




「俺、何か変なことを言ったかなぁ」


 ベランダで洗濯物を取り込みながら出た、ひとり言とも言えぬ俺のつぶやきに、胸元から声が聞こえる。


「別に、お気付きになられていないのなら、それでよろしいかと」

「は?何だそれ。どういうことだ?」

「いえ、大したことでは。それよりも……、来ますよ」

「来る?おい、何が……」


 俺の言葉は途中で止まった。前方を見れば、ビルの間を縫って大きな鳥が飛ん

でいる。

 この距離から見る限りでは、かなりの大きさだろう。

 そしてその鳥は、迷うことなく真っ直ぐにこちらへ向かって来るようだった。


「え!?」


 間近に見えてきたそれは、鳥ではなかった。いや、鳥の羽根を羽ばたかせて空を飛んでいるのは間違いないのだが、その羽根に付いている体は、人のものだった。


「あれは……、『鳥天狗(からすてんぐ)』!?いや……、『尼天狗(あまてんぐ)』か!」

「はい、間違いないでしょう」

 

 真っ直ぐにこちらに向かって飛んできた天狗は、直前で速度を落とすと、ゆっくりとベランダに降り立った。


「すまぬが邪魔をするぞ。この辺りに怪が関わる出来事を解決する、何でも屋があると聞いたが……。ここで間違いはないのであろうか?」

「え?あ……、はい。確かにここはそういった事を請け負っていますが……」

「そうか。ならばそなたが、ここの(あるじ)というわけか」

「いえ、違います。ここの店主は猫又でして、俺はその助手です」


 ベランダに降り立った天狗は、法衣ではなく桜模様の小袖に、鮮やかな朱色の袴を身に着けていた。頭巾で隠れているが、隙間から覗く黒髪は艶やかで、美しく輝いている。

 年はリルさんよりやや上に見えるが、天狗である以上見た目どおりの年齢ということはないだろう。

 そして、緋色の周りの怪達と比べても負けず劣らずの、妖艶という言葉がぴったりの美女であった。


「ほう、猫又と……。これはまた、随分と懐かしい……」

「え?店主……、銀華さんのお知り合いですか?」

「銀華……。ああ、人……、いや、(あやかし)違いじゃ。残念ながら、(わらわ)の知っている猫又は、そのような名ではない」

「そうでしたか……。では、そのお知り合いの猫又というのは……」

「ヒロ君。弘美がそろそろ帰るっていうから、送って……」


 その時、質問を遮るように銀華さんが二階へと上がってきた。そして、ベランダに立つ天狗の姿を見ると、驚いたように言葉を止めた。


「ヒ、ヒロ君?その人……、誰?」

「あ、ええと、こちらは……。すみません、どちら様でしょう?」


 そもそも、俺もこの天狗が誰なのかさっぱりわからない。だが、天狗は俺の質問に答えることなく、驚いたように目を見開いて銀華さんを見つめている。


「り……、『りん』!そなた、まさか『りん』なのか!?」


 天狗は驚きの表情で、聞いたことのない名を口にしたのだった。

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