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「なるほど、巨大化した化け鼠……、『旧鼠』ですか。でもいくら凶暴とはいえ、所詮は鼠。リルさんたちの相手になるような怪異ではないですよね?」
「そのはずだったんだけどね……」
「その『はず』?」
「ああ……」
臭いを追った狗巫女が辿り着いたのは、地下へと続く下水道の入り口だった。
「なるほど、鼠らしく昼間はここに隠れてたわけかい。それじゃあ、さっさとひっ捕まえてこようかね」
「ウォン!」
中に入ろうとしたフェンリルを遮るように、狗巫女が吼えた。
「ん?何だい。アンタが入るって?まあ確かに、こっちに逃げてくる可能性もあるしね。正直あんまり入りたい場所でもないし……、いいさ、狗巫女に任せるよ」
「ウォン」
「アンタも気をつけなよ……、って程の相手でもないか。じゃあ、アタシはここを見張ってるから、こっちに逃げてきたら任せときな」
「ウォン!」
そして一吼えすると、狗巫女は慎重な足取りで下水道へと入って行った。
「さて、アタシも少しは仕事をしようかね」
そういうとフェンリルは、地下へと向かい耳を澄ます。奥からは狗巫女のわずかな息遣いと足音が聞こえるが、すぐにそれも聞こえなくなる。
「さすが狗巫女だね。アタシもこの姿じゃ気配を感じ取れないよ。まあ、感づかれても問題はないだろうけどね」
しばらく待つが、下水道内では何も起きる様子はない。そしてフェンリルが気を緩めかけた時だった。
「ウォン!!」
下水道内に狗巫女の一吼えが響き渡る。
「おっ!見つけたようだね」
フェンリルも万一に備えて身構える。しかし、その時だった。
「ギャンッ!!」
ゴツンという鈍い音が小さく聞こえたかと思うと、悲鳴のような甲高い声が響き渡った。だがそれは決して鼠の鳴き声ではなく、フェンリルの聞きなれたはずの声であった。
「狗巫女っ!?」
その叫び声を聞いた瞬間、フェンリルは下水道内に向かい走り出していた。
「クッ、クミちゃんは!?いったいどうしたのさ!」
「落ち着いてください、銀華さん。リルさん、それで……」
「ああ、大丈夫。確かに重症だけど、命に関わるとか後遺症が残るとかじゃないから。アタシらは人間よりもはるかに回復力は早いし、そんなに心配することじゃないさ」
「よ、よかったぁ……」
軽い口調で話すリルさんだったが、俺は気付いてしまった。彼女の手が、テーブルの下で硬く握りしめられていることに。
リルさんはともすれば傲慢でキツイ性格に見られるが、実は非常に仲間思いである。それが群れの仲間を大切にする狼の習性から来ているのか、本人の性分によるものはわからない。
だが、周りが思っているよりも、はるかに狗巫女ちゃんを大事にしていることは確かだ。
それゆえに、決してリルさんのミスではないとはいえ、危険な場所に狗巫女ちゃんを一人で向かわせてしまったことに、責任を感じているのだろう。
「それで、旧鼠は……?」
「アタシが駆け付けて来るのを察したのか、すぐに逃げちまった。追っかけりゃあ捕まえられたかもしれないが、狗巫女を医者に連れていくのが先だったからね。それに……」
「なぜ、狗巫女ちゃんがやられたか……、ですね?」
「ああ、まだ幼いとはいえ犬神だ。その狗巫女があっさりとやられたんだから、警戒はするべきだったしね」
リルさんが駆けつけた時、狗巫女ちゃんは血を流しながら、地面に倒れ気絶していた。そしてその前には、大量の動物の骨や腐った肉が、山のように積まれていたという。
追うべきか一瞬迷ったリルさんだったが、まずは狗巫女ちゃんの安全確保が先だと判断し、狗巫女ちゃんを担いで一旦引き上げたのだという。
「あはは、何だい?偉そうなこと言ってたわりには大したことないね。それで僕を頼ってきたわけだね」
狗巫女ちゃんが無事とわかってか、銀華さんはいつもの調子に戻ったようだ。
「うるさいね!こっちだってアンタを頼りにしてるわけじゃ……」
言いかけてリルさんは言葉を止め、チラリと俺の方を見る。これ以上のことは、言ってはならぬと思ったのだろう。
実を言えば、黒狼探偵社の二人は俺が陰陽師であることを知っている。もちろん自分から話したわけではないのだが……。
詳細は省くが、とある事件で窮地に陥っていた狗巫女ちゃんを、偶然にも助けたことが原因だった。
俺が一人で行動していた時だったし、銀華さんはそのことを知らない。
リルさんには当初警戒されていたが、狗巫女ちゃんが俺に懐いているのを見て、徐々に信用してくれるようになった。
そして俺が、銀華さんに正体を隠しているのも理解してくれている。なぜなら彼女も、最初は同様の理由で俺を警戒していたのだから。
「フン、狗巫女がどうしてもって言ったからだよ。まあ、アンタでもそこらの狸くらいには役に立つだろうしね」
「た、狸って何さ!」
「あれ、お馬鹿さんは狸も知らないのかい?」
「ぐっ……、ば、馬鹿にしてんの!?狸くらい知ってるさ」
「ま、まあまあ二人とも。それよりも、もう少し詳しい状況がわかるとありがたいんですが」
銀華さんの煽りに、リルさんもいつもの調子に戻ってきたようだ。
「それについちゃあ、本人に聞くのが早いだろうね。アンタらが見舞いに来てくれれば、狗巫女も喜ぶだろうし」
「見舞いって……。じゃあクミちゃんは」
「ああ、入院中さ。おっと、さっきも言ったとおり重症ではあるけど、だからどうこうってわけじゃないからね」
「そうですね。お邪魔じゃないようなら、無事な顔も見たいですし」
そうして俺達は、狗巫女ちゃんの入院する病院へと向かったのだった。
病院に到着し、病室に入った俺達が見たものは、左足をギプスで固定され、所々包帯を巻かれてベッドに横たわる狗巫女ちゃんだった。
「ク、クミちゃん!?大丈夫なのかい」
「はわっ!?銀華さん、それに、緋色さんまで。す、すみません、こんな所までわざわざ来ていただいて……」
「何言ってんのさ。それよりも、怪我は大丈夫なのかい?」
「は、はい。左足の骨折と、あとは爪で引っかかれた切り傷とか、噛まれた傷があるんですけど、一週間もすれば治ると思います」
「だから言ったろ?アンタも猫又ならわかるだろうけど、アタシらの回復力を人間と一緒にするんじゃないよ」
「何だい、クミちゃんは怪我人なんだから、もっと優しくしたらどうなんだい!」
「はわわ……。ぎ、銀華さん。そんな大げさなものじゃないし、私は大丈夫ですから」
口ではそうは言いながらも、リルさんは随分と心配しているようだ。狗巫女ちゃんが少しでも動こうとするたびに、『何してんだい』、『動くんじゃないよ』、『アタシが取るからアンタは寝てな』などと、甲斐甲斐しく世話を焼いている。
そんな光景に、不謹慎かもしれないが、俺はつい笑ってしまう。
「思ったより元気そうで良かったです。でも、左足が使えないと何かと不便ですよね?何かして欲しいこととか、買ってきて欲しい物があれば手伝いますよ」
「いい、いえ、そんな……。そ、そこまでしていただくなんて……。それに、リルさんがいろいろしてくれますし、不便なのはおトイレくらいで……」
「トイレ?」
「はわっ!なな、何でもありません!」
真っ赤になった狗巫女ちゃんは、慌てて両手を振る。実はさっきから気になっていたのだが、病室用のパジャマ姿ということもあり、狗巫女ちゃんは下着を着けていないようなのだ。
先ほどまでは、少し動くたびにフルフルと揺れていた程度だったのだが、今は両手の動きに合わせて、かなり激しくブルンブルンと揺れている。
俺はそっと目を逸らしたが、その先にあった銀華さんのジト目と視線が合った。
「ヒロ君……?どこ見てんのさ」
「ちっ、違いますからね!別に見ようと思って見たわけじゃ……。そっ、それよりも、いったい何があったんですか?」
「は、はい。実は……」
狗巫女は、下水道を真っ直ぐに進んでいた。地下とはいえ、メンテナンス用の非常灯も点灯しているため、薄明かりではあるが視界も確保できる。
もっとも、真っ暗でも彼女の能力であれば、さほど支障はなかっただろうが。
問題は、下水の臭いのために鼻が正確に利かないことだった。そのため、目と耳を頼りに進むしかなかったのだ。
もしも相手が動かずに待ち伏せをしていたら、危険かもしれない。
だが、旧鼠にそこまでの知能はないはずだし、狗巫女の気配はほぼ消しているはずだ。相手からすれば気配の無い狗巫女が突然目の前に現れるだけで、待ち伏せてもあまり意味は無いだろう。それにたとえ突然遭遇したとしても、力では狗巫女のほうが遥かに上だ。
時おりある横穴を警戒しながらも進んで行った狗巫女は、前方から聞こえるカリカリという音に足を止めた。それは、硬いものを削るような、動物が何かを齧るかのような音だった。
『いる!』
その音と先から漂う腐敗臭に、この先に旧鼠がいることを確信した狗巫女は慎重に進んでいく。そして、少しばかり進んだ先に、黒い物体を見つけた。
『うっ……』
それは、犬の姿であっても吐き気をもよおす光景だった。
全身が黒い毛に覆われた巨大な鼠の前には、大量の動物の骨や腐った肉が山のよう積まれていた。
そして鼠は、狗巫女に気付くことなく、一心不乱に骨を齧っている。
「ギッ!?」
狗巫女の接近に気が付いたのか、旧鼠は顔を上げて振り向いた。こちらを見るその目は、金色に輝いている。
旧鼠は目の前の生き物が何なのか理解できないのか、はたまた怯えて動けないのか、その場に立ち尽くしている。
自分から進んで名乗りを上げたとはいえ、正直に言えばあまりこんな所に長居はしたくない。
「ウォン!!」
狗巫女は身を低くし、一吼えした。たいていの獣は、この吼え声で身を竦める。ましてコンクリートの壁に囲まれた下水道内だ。その声は何倍にもなって下水道内に響き渡る。
その声は、表で待つリルにも作戦成功の合図として伝わるだろう。
そして狗巫女の思惑通り、旧鼠はビクリと身を震わせると、その場から動かなくなった。
『よし!』
そして狗巫女が、旧鼠に向かい飛び掛ろうとした時だった。
「ギャンッ!!」
後頭部に突然の衝撃が走り、思わず悲鳴をあげた。
『な、何……?』
気が付けば、自分の顔にコンクリートのじめっとした感触がある。さらには意識も朦朧とし、体もうまく動かない。
『私……、倒れてるの?何で……』
目の前には、死骸の山の前に立つ旧鼠が見える。
「ギャワンッ!」
『ゴキン』という音と左足に走る激痛で、わずかばかり意識が覚醒する。そこに目をやると、自分の左足に噛み付いている旧鼠がいた。
『な、なんで二匹……?まさか、罠!?最初の旧鼠は囮で、私を挟み撃ちにするために……。そんな、鼠にそんな知恵が……』
目の前の旧鼠はゆっくりと近付いてくると、動きを封じるためなのか、狗巫女の前足を鋭い爪で踏みつけると、ゆっくりと喉元に噛み付いた。
『私、食べられちゃうんだ。ごめんなさいリルさん。私、役に立てなくて。ああ、リルさんの言うとおり、ちゃんと緋色さんに言っておけばよかったかなぁ……』
近後頭部への衝撃と左足の激痛、さらには死への恐怖心から、狗巫女の意識は遠のいていった。
「狗巫女っ!!」
遠くから聞こえる声と、駆け寄る足音を聞いた途端、体が軽くなったのを感じながら……。
「旧鼠が二匹。しかも、罠を張っていたと……」
「は、はい。おそらくですけど、一匹は下水で私の鼻が利かないのを見越して、横穴に隠れていたんだと思います。それで、もう一匹が私の注意を引き付けている間に、後かろ体当たりをされたんだと……」
話を聞く限りでは、おそらく狗巫女ちゃんの推測どおりなのだろう。だが、鼠の狩りにしてはやり口がスマートすぎる気がする。
待ち伏せをしたうえに、一番に後頭部を狙って体当たりしたり、動きを封じようと手足を狙いに行ったりなどするものだろうか。
急所を狙う獣の本能なのかもしれないが、何か違和感を感じる。
「まったく、アンタが役に立ってないなんてこと、あるわけないんだから。変なことを気にするんじゃないよ」
リルさんは狗巫女ちゃんのその時の思いを知り、呆れたように声をかける。彼女は状況を正確に伝えようとするあまりか、心の声までも実況していたのだった。
「そうですよ。リルさんと狗巫女ちゃんが揃ってこその黒狼探偵社なんですから。あ、そう言えば俺に言っておくことって……、何かありましたか?」
狗巫女ちゃんは俺の言葉に、なぜだか真っ赤になって慌てたように両手を振り回す。
「はっ、はわっ!?にゃ、にゃんでも……、何でもありません!お、お礼……、そうです、日頃のお礼を言いたかっただけで……」
「は、はぁ……?」
「ハァ……」
胸をブルンブルンと揺らしながら慌てふためく狗巫女ちゃんを見て、リルさんはなぜかため息をついている。
「それよりも、状況はわかったさ!いいよ。この依頼、僕が受けようじゃないか」
そして、銀華さんは不敵に笑う。
「フフフ。不思議、怪し、妖怪、幽霊、この世の不可思議困り事、この猫猫飯店店主『銀華』の名にかけて、頼りないリルを助けて、クミちゃんの敵を討ち、万事解決してみせよう!」




