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 その依頼が黒狼探偵社に持ち込まれたのは、三日前のことだったという。

 ここから電車で一時間ばかり離れた所にある、高級とまではいかないが、それなりに閑静な住宅街でそれは起きた。

 最初に起きた異変は、街で姿を見かけていた野良猫や鳩などが、一月ほど前から徐々にその数を減らしていったことだった。

 もちろんその程度のことを不審がる人は無く、気付いた者とて誰か猫好きの人間が拾って行ったか、はたまたどこかで事故に遭って死んでしまったのかと思う程度で、特に気に留める者はいなかった。

 せいぜい、無責任に野良猫や鳩に餌付けをして、近隣住民から煙たがられている非常識な人間が騒いだくらいで、当然警察や行政はそんな言いがかりに近いものは相手にせず、放っておいたそうだ。

 住民が少しばかり異変に気付き始めたのは、野良猫があらかた姿を消した後、住宅で飼われているペット達が姿を消し始めたことだった。

 初めは、気ままに外を出歩く飼い猫が姿を消していった。

 愛猫が数日間家に戻らないことを心配し、飼い主は当然のごとく近所を探し回ったり、張り紙をしたりして行方を捜した。

 しかしながら猫達の行方は全くとして掴めず、おそらくは離れた場所で車に轢かれてしまったのだろうと考えるものが大半であった。

 そんな彼らが事態の深刻さに気付き始めたのは、飼っていた犬までもが姿を消し始めたことだった。


 ある日の深夜、とある家の庭先で飼われていた犬のけたたましい鳴き声で、その家の住人は目を覚ました。

 悲鳴のような泣き声に慌てて庭へ出てみれば、犬の姿はどこにも無く、皮で出来た首輪も引き千切られたように切れており、地面には何かを引き摺ったような跡が残るのみであった。

 そんなことが数件ばかり続き、さすがに住人も何か不穏な事が起きていることを理解し始めた。

 

『もしかして、ペットを対象にした窃盗団の仕業ではないか?』

 

 そんな噂も流れ、当然警察も動くことになったのだった。

 そして捜査の結果、犬の首輪は何か動物の歯で食いちぎられたようになっていたことが判明した。

 それと同時に、犬小屋の周りには、わずかではあるが飛び散った血の跡も見つかったのだ。

 

『窃盗団が、そんな荒っぽい方法で商品を盗むはずがない』

 

 そんな理由もあり、警察が下した見解は、『大型の野犬などがペットを襲った』だった。

 それを受けて、皆こぞってペットを室内に入れだし、子供達は集団での登下校と保護者の付き添いが必須とされた。

 そして、警察犬を引き連れた警官による近隣のパトロールが強化され、放課後に公園で遊ぶ子供の姿もまばらになっていった。


 だが、一ヶ月近くもそんなものが街をうろついていたかもしれないというのに、誰もその姿を見た者はなく、その存在に半信半疑の者も多かった。

 そんな事情もあり、犯人は『動物を虐待して快感を得る異常者』との見方も根強く残っていた。


 そんな状況から、大きく事態が動いたのは数日前のことだった。

 その日、真夜中の交番に息も絶え絶えの男が駆け込んできたことから、事件は大きく動いたのだった。


「タ、タケさんが……、タケさんが、ば、化物に殺されちまった!!」


 駆け込んできたのは、町外れの河川敷の陸橋下に住まう男だった。

 もちろん、そのような場所に本物の住居があるわけはなく、不法占拠をしてベニヤやダンボールで住み家を作っているだけの、いわゆる浮浪者である。

 通報を受けた警官は、ついに野犬が現れたかと大慌てで本署に応援を要請し、数十分後には数台のパトカーが現場へと到着した。だが、その頃にはすでに野犬の姿はどこにも見当たらなかった。

 そのかわり、ベニヤとダンボールで囲まれた粗末な小屋の前には、無残に喉笛を噛み千切られた男の死体が転がっていた……。




「うえぇ……。キモ……」


 ここまでの話を聞き、銀華さんは苦い顔をしてる。


「それで、まだ続きがあるんですよね?」

「ああ」


 リルさんは目の前の冷めたコーヒーを飲み干すと、続きを語り始めた。




 警察は速やかに死体を検死に回すと共に、交番に駆け込んできた浮浪者の男から事情を聞いた。

 話によれば、亡くなった人物は仲間内で『タケさん』と呼ばれており、歳は60過ぎだろうということだ。

 ここでのルールとして、お互いに過去を詮索するようなことはしないことから、知っているのはせいぜいその程度だという。


 その日の夜、男は隣の小屋から聞こえるバタバタという音と、タケさんの叫び声で目を覚ました。

 こういう所に暮らしていると、嫌がらせや腹いせ、歪んだ正義感を建前に、面白半分に自分達に悪さをしていく人間もいる。

 男は護身のためにそばに置いていた鉄棒を掴むと、慌てて小屋を飛び出した。


「なっ……!」


 鉄棒を片手に飛び出した男が薄明かりの中で見た光景は、大型犬のような動物に喉元を噛み付かれ、ズルズルと引きずられて行く人間の姿だった。

 

 その人間、おそらく格好からタケさんに間違いないだろうと思われる人間は、すでに事切れているのか、ピクリとも動く気配はない。


「ひ、ひいぃぃぃっ!!」


 悲鳴に気が付いたのか、その生き物は男の方を見た。男を見据えるその二つの瞳は、金色に爛々と輝いていたという。


「う、うわぁぁぁぁぁぁ!!」


 恐怖心から男は大声で叫びながら、無我夢中で鉄棒を振り回した。

 すると大声に驚いたのか、その生き物は咥えていた人間を離すと、逃げるように走り去って行ったのだった。

 その頃には騒ぎに気付いた他の浮浪者も集まり出しており、逃げて行く生き物の後ろ姿を見た者もいたようだった。

 だが、薄い月明かりのうえに、一瞬の出来事である。やれ犬だ、いや狐だった、違う、あれは小型の熊だったなどと意見が分かれて、結局は検死結果を待つこととなった。

 もちろん、警察としては、浮浪者仲間内での犯行の可能性も視野に入れていたようだが。


 しかし、結果として動物の犯行で間違いないことが確認された。

 被害者の喉下の傷と、残されていた唾液の成分。そして辺りの足跡と落ちていた体毛を調べた結果、『げっ歯類』の仕業で間違いないということだった。

 だが、その結果は捜査を余計に混乱させてた。

 熊や大型犬の犯行なら理解はできただろう。しかし、現場に残された足跡や、犯行を目撃した浮浪者達の証言から見るに、この生き物の大きさはゆうに1メートルを超えている。

 そこまで大きなげっ歯類といえば『カピバラ』位しか考えられぬが、そもそも彼らは草食性だし、このような行動を取るなど考えられない。

 しかし、現実に人間が襲われ死者が出たのだ。

 しかも、動物学者の見解では、今までの行動は食料確保のためではないかというものだった。

 今回人間が襲われたのも、手軽に手に入れられた食料、つまり野良猫や住宅で飼われていたペットが、ほとんど表に姿を見せなくなったからではと見られた。

 それはまるで、山で食料を得られなくなった野生の熊が、飢えて人里に降りてくるように……。

 これが何を意味するかといえば、その生き物が今後じゅうぶんな食料を得られなかった場合、引き続き人間が襲われる可能性があるということだ。

 ここへ来て急にきな臭くなってきた話に、急きょ『警視庁 特犯課』へと話が持ち込まれたのだった。

 とはいえ、事件の数に対して特犯課の人数は少ない。求められるレベルの高さゆえに、おいそれと人数を増やすわけにもいかないのだ。

 そんな事情もあり、黒狼探偵社へとお鉢が回ってきたのである。




「何だい、成田っちめ。何で僕のとこに依頼に来ないのさ」

「まあまあ、銀華さん。警察も公務員である以上、特定の所とばかりつるむわけにもいきませんから」


 こればかりは仕方の無いことだと思う。そもそも依頼に税金が使われる以上、本来なら公正に入札などの面倒な手間をかけなければならないのだろう。

 しかし、彼らの扱う事件は一分一秒を争う場合もあるのだ。そんな悠長なことをしている時間は無い。

 それに、この仕事は金額が安ければ請け負えるというものでもない。なまじ金額だけを見て中途半端な業者に任せれば、かえって被害が拡大する恐れもある。

 そのため、依頼先にはじゅうぶんな信頼と実績が必要となる。

 結果として、いくつかの探偵社へ順番に仕事を回していくという方法が取られるのだ。今回は、黒狼探偵社の番だったということだろう。 

 しかし、リルさんはどうしたのだろうか。いつもなら、『ハッ!アタシの所に依頼が来たのは、アンタとの実力の差だよ!』くらいのことを言って銀華さんを煽るのに、今日はその気配も無い。


「リルさん?それでどうなったんですか」

「ん?あ、ああ……」




 依頼を受けた数時間後、黒狼探偵社の二人は殺人現場に立っていた。


「どうだい狗巫女?何かわかったかい」

「はっ、はい。かなり薄くなってますけど、血の臭いに混じって、生臭い……、多分、鼠の臭いで間違いないと思います」

「だろうね。アタシの鼻もそう言ってるよ」


 さすがに犬の(あやかし)だけあり、二人の嗅覚は優れている。


「フン。体長1メートルを超える上に、肉食の鼠か……。カピバラが突然グルメに目覚めたんじゃなきゃ、考えられるのは『アイツ』くらいだね」

「はっ、はい。アイツ……、『旧鼠(きゅうそ)』ですね」

「ハハ、正解さ。まあ、今回も楽な仕事だよ。デカイったって、所詮は鼠。この間の狢に毛が生えたようなもんだしね」

「で、でも、油断はしないほうが……」

「心配ないよ。そもそも人間に見つかったくらいで、エサを置いて逃げて行ったのが何よりの証拠さ。鼠としちゃあ凶暴とはいえ、犬神や人狼じゃ相手にもならないよ。もっとも、どこかの馬鹿猫は鼠にすら負けるかもしれないけどね」


 フェンリルはそう言って高笑いをすると、


「狗巫女も、そうやって自分を過小評価して遠慮ばかりしてると、あの馬鹿に緋色を取られちまうよ」

「はわっ!?なな、私は別に……、そんな……」

「またそうやって……。グズグズしてるなら、アタシが先に取っちまうよ!」

「はっ、はわわわわわ……」

「アハハ、冗談だよ。それより、ヤツの寝ぐらを探してとっとと終わらせるよ。準備はいいかい?」

「はっ、はい!」


 狗巫女は、道路脇に止めてあった車に乗り込む。そして次に降りてきた時の彼女は、大きな犬の姿になっていた。


「さて、すまないけどしばらくその姿でいてもらうよ。何たって人の姿の時の、数倍の嗅覚が発揮できるんだからね。旧鼠ごとき見つけ出すのは朝飯前さ」


「ウォン!」


 狗巫女は一吼えすると、かすかに残る生臭い臭いを追って歩き出した。

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