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狢の事件からしばらく、銀華さんはご機嫌ナナメだった。露骨に態度に表すわけではないのだが、なんとなくそんな感じがするのである。
「銀華さん、まだ怒ってるんですか?確かに俺達で捕まえられなかったのは残念ですけど、手付料ももらって損はしてないわけですし。それにリルさんとのことだって、いつものじゃれ合いみたいなもんじゃないですか」
「べ、別に怒ってなんかいないさ。あんな駄犬のことなんて気にもしてないしね」
やはり図星のようだった。リルさんという単語に反応し、銀華さんはますます機嫌が悪くなる。
「それより、冷蔵庫の牛乳とチーズが無くなってたけど、ちゃんと買っておいてくれたかい?」
「ええ、今朝補充しておきましたよ。でも、銀華さんってそんなに乳製品が好きでしたっけ?」
「な、何を言ってるんだい!僕は昔から牛乳もチーズもヨーグルトも大好きだよ」「はあ、そうでしたか。でも、あんまり脂肪分ばかり取ってると太りますよ?」
「う、うるさいな。別にヒロ君は大きいむ……、す、少しくらいぽっちゃりしてるほうが好きなんだろ!?だったら僕が太ってもいいじゃないか」
「いやいや、そんなことはありませんから……。それに、銀華さんは細身のほうが似合いますよ」
「ふん、そんなお世辞には騙されないよ!」
今は何を言っても悪化の一途を辿りそうな気配を察した俺は、少し時間を置くことにした。
「あ、そういえば、二階の掃除がまだでした。時間もあるし、ちょっと行ってきますね。銀華さんの部屋にも入りますけど、大丈夫ですよね?」
「う……、お願いします……」
年頃の乙女の部屋に入るのもどうかとは思うが、銀華さんが壊滅的に家事が出来ない以上は仕方が無い。
それは本人もじゅうぶん理解しており、そこを攻められると弱気にならざるを得ないようだ。
逃げるように事務所を後にした俺は、キッチンやリビングの共用部分と、自分用に与えられた部屋の掃除を簡単に済ますと、銀華さんの部屋の前に立っていた。
銀華さんの部屋が一番最後である理由は、当然のごとくここが一番手のかかる場所だからだ。何日か前に掃除しているとはいえ、今はどんな惨状になっているのだろうか。
「さて、始めるか」
俺は覚悟を決めてドアを開ける。そしてそこには、予想通り……、いや、予想以上の景色が広がっていた。
それは、全体がピンク色をしたフリルのカーテンやぬいぐるみに囲まれた、少女の甘ったるい香りのする部屋を想像している男の幻想を、一発で打ち砕く光景であった。
まず目に付くのは、壁にデカデカと貼られた某俳優のポスターである。
真っ黒なスーツに山高帽からはみ出たモジャモジャの髪。鋭い眼光を隠すような丸目の黒いサングラスといういでたちでイタリアンスクーターに跨るその人は、銀華さんあこがれの探偵ドラマの主人公だ。
最初は、そんなインパクトのあるポスターに目を奪われてしまい気付かぬが、問題はそこから目線を下に移した時だ。
第一印象はまず『床が見えない』ことである。
数日前に本棚に整頓しておいたはずの漫画は床に散らばり、見終わったDVDや遊び終えたゲームソフトが散乱している。どちらも箱にしまわれているのはまだマシな方だが、開けてみれば外箱と中身がまるで違っている。
服も脱ぎ散らかされて散乱しており、中には明らかに洗濯前の下着も混じっている。
「ハア……」
俺はため息をつくと、まずは床を見えるようにすることから始めた。
取りあえず散らばった漫画を本棚へと整理していく。
作品ごとに整理し、巻数ごとに順番に本棚に並べ、DVDとゲームソフトもパッケージと中身を確かめて入れ替えていく。
次に散乱した服をまとめ、洗濯物とそうでないものを分けて畳んでいく。上着をハンガーにかけてクローゼットにしまい、畳んだものは種類ごとに箪笥に入れていく。
それからお菓子の袋で溢れかえったゴミ箱の中身を移し変え、入りきらずに散らばったゴミもまとめて処分すると、ようやく床の見える状況になった。
そして、朝起きたままの状態でクシャクシャになっていたベッドを直していく。
ベッドはまだほのかに温かく、ふわりと甘い香りも漂ってきて何だか妙な気分になるが、俺は雑念を捨てベッドメイクに専念する。
「さてと……」
最後に俺は、掃除機をかけ始めた。そして順調に掃除も終わりかけ、ベッドの下に掃除機のノズルを突っ込んだ時だった。
コツンという音と共に、何かが掃除機に触れた。
「ん?」
俺はベッドの下を覗き込む。するとそこには、一冊の雑誌が置かれていた。
「何でこんな所に?まさか……」
ベッドの下に雑誌とは……。まさかとは思うが、銀華さんが青年向けの雑誌を隠していたのだろうか。
いや、銀華さんも年頃の女の子だし、そういったことに興味を持ってもおかしくはない。
俺はしばらくの間悩んでいたが、普通の雑誌が何かの拍子にベッドの下に入り込んだだけかもしれない。
それに、もし本当にエッチな本であったのならば、18歳未満の銀華さんが所持するのは道義上よろしくない。
ここは年上として、やんわりと注意すべきだろう。
俺は意を決してベッドの下に手を突っ込み、雑誌を引っ張り出す。
「ファッション誌……?」
そこにあったのは、若い女の子向けのファッション雑誌であった。
「なんだ、やっぱり何かの拍子にベッドの下に入り込んだだけか」
俺は胸を撫で下ろし、それを本棚にしまおうとした。
しかし、銀華さんがファッション誌を見るなど珍しいなと思い、何気なく雑誌を眺めてみた。
『特集 バストアップ大作戦! オンナノコのお悩み大解決。ワンランク上のバストを手に入れて、彼の視線も釘付けに!!」
表紙には、派手派手しいフォントでそう書かれていた。
俺は雑誌を、そっとベッドの下に戻した。まあ、ここのところ銀華さんの機嫌が悪かった理由もわかったし、やたらに乳製品を摂取しているのも理解した。
おそらくは、リルさんに対抗意識を燃やしているのだろう。
とりあえずは飽きるまで、そっとしておくことにした。ただし、全ての乳製品は低脂肪タイプに変えることにしたのだが……。
掃除を終えた俺が事務所へと戻ると、銀華さんはチーズをもっちゃもっちゃと頬張っていた。
「銀華さん。終わりましたよ」
「ああ、あひはほう」
口いっぱいにチーズを頬張っているため、ありがとうと言えていない。
「食べながらしゃべるのはよくないですよ。それに何度もお願いしてますけど、脱いだ下着はちゃんと洗濯籠に入れてくださいよ」
銀華さんはチーズをごくりと飲み込むと、拗ねたように言った。
「わ、わかってるよ。でも別に僕みたいなちっちゃい胸用の下着なんて、ヒロ君は興味ないから平気だろ?」
「リルさんの冗談を真に受けないでくださいよ。それに、こういうのは大きい小さいじゃなくて、どっちだって恥ずかしいんですから」
「ふ~ん。じゃあヒロ君はちっちゃい胸が好きなのかい?」
「い、いや……。どっちが好きとかそういうんじゃなくて、かわいい女の子の下着が無造作に置かれてるんだから、見る方も恥ずかしいでしょ?」
「かっ、かわ……!?へっ、へぇ~。そうなんだ。ふ~ん……」
急に銀華さんはにやにやしだし、先ほどまで拗ねていたのが嘘のごとく上機嫌になった。
なぜ突然上機嫌になったのかはわからないが、乙女心とは難しいものだ。
だが、この直後に再び銀華さんの機嫌が急転直下するのを、俺はまだ知らなかった。
不意にノックの音が響き渡り、こちらが返事をする間もなくドアが開いた。
「げっ……」
「リルさん?ここに来るなんて珍しいですね」
そこに立っていたのは、つい先日貉事件の手柄を奪われた、黒狼探偵社社長にして人狼であるフェンリルさんだった。
「ああ、すまないね。邪魔するよ」
「邪魔するなら帰ってよ」
リルさんはなぜだかいつもと違い、元気が無いように見える。
俺は関西芸人のようなツッコミをする銀華さんを無視して、リルさんに問いかける。
「しかし、こんな所に来るなんていったいどうしたんですか?それに、狗巫女ちゃんが一緒じゃないなんて珍しいですね」
「ああ、それなんだけどね……」
リルさんはしばらく言いよどんでいたが、やがて決心したのか口を開いた。
「銀華、アンタんとこに仕事の依頼に来たのさ」




