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 高層ビルの隙間から見える西の空が、ほんのりと赤くなって行く頃、一人の少女が町を歩いていた。

 歳の頃なら16~7であろうか。白地に薄い桜模様が入った小紋の着物を着た少女は、ビルに囲まれた町並みや、周りを歩くサラリーマンといった景色の中で、随分と不釣合いな存在であった。

 それも当然であろう。辺りはオフィス街であり、男女の別なく皆スーツに身を包んだ者ばかりだ。その中で少女の姿は、まるでコスプレをしているかのごとくだった。

 だが、何より少女を異質の存在たらしめているのは、彼女のあまりの美しさである。

 場所が場所であれば、(よこしま)な考えを持った男たちから、ひっきりなしに声をかけられていただろう。

 だが、こんな所でおいそれとそんなことをするものはいない。女性、しかも明らかな未成年に声をかけているところを会社の上司や同僚に見られれば、それこそ翌日からの社内の立場が危ういだろう。

 それでも学生気分の抜けぬ若者などは、ちょっと声をかけてみようかと企む者もいたようだ。

 しかし、そんな若者達も結局は彼女の姿に恐れをなして、遠巻きにその姿を眺めるだけだった。

 なぜ、彼らは声をかけられなかったのだろうか?

 

 少女は、間違いなく美しかった。

 

 肌は雪のように白く、一点の染みも無い。眉の上で真っ直ぐに切り揃えられ、腰のあたりまで癖もなく素直に伸びた髪は、彼女の肌の色に輪をかけたように白く美しく、日の光を反射してキラキラと光り輝いている。

 それだけでも、少なくとも自分達と同じ人種ではないことはわかる。

 しかし、それ以上に周りの男達を躊躇させたものは、宝石のように真紅に輝く二つの瞳と、頭上に生えた大きな狐の耳であった。

 

 そう、彼女はどう見てもヒトではなかった。


 異形のモノを見かけることは、それほど珍しくなくなったとはいえ、まだまだ自分達の理解を超えたものに対する恐怖は根強い。

 それに、時おりそういったモノにちょっかいを出した人物が、手ひどいしっぺ返しを受けたというニュースも伝わってくる。

 彼女がどんな力や気性を持つ種族かわからぬ以上、おいそれと声をかけるのはためらわれるのであろう。

 そういった事もあり、比較的治安の良いこのオフィス街では、彼女に声をかける勇気を持つ者は誰一人としていなかったのである。

 これが品のない、ナンパの名所であったのなら話は別だったのだろうが。


『つまらぬ場所だ。なぜ、緋色様はこのような場所を気に入っているのか……』


 彼女、『クーコ』は思う。


 なぜ、彼女がこのような場所を意味もなく歩いているかといえば、緋色達が昼食を終えてしばらくした頃に、あの刑事が訪ねて来たことが、そもそもの始まりだった。




「よう、銀華嬢ちゃん。今日の予定はなんか詰まってんのか?」

「いいや、特にはないけど。何だい?また僕の頭脳が必要になったのかい?」

「あ~、違う違う。凛子が『にゃーにゃ』に会いたいって聞かなくてな。とはいっても、今日はピアノのレッスンがあるから、こっちに連れて来るわけにもいかねえしな。で、良ければ家に遊びに来ないかと思ってな。もちろん、晩飯もご馳走するぜ」

「ホントに!?もちろん行くさ!ああ……、凛子ちゃん。楽しみだなぁ……」


 凛子に会えると聞き、銀華は相好を崩し、涎を垂らさんばかりに喜んでいる。


「緋色、お前も来るだろ?」

「行きたいのはヤマヤマなんですが……」

「なんだ?何か用事でもあんのか?」

「このところ事件続きで、少々家の中が……」

「あー……、なるほどな……」


 成田は乱雑な事務所内を見回し、理解したようだ。

 ここがこの汚れ具合ということは、2階の自宅などはもっと酷いことになっていると察したのだろう。

 銀華は汚す能力は天下一品だが、こと掃除となると全くの無能なのだ。

 おそらく緋色の頭の中には、せめて脱いだ下着くらいは、自分で管理してほしいという思いがよぎっているのだろう。まだほのかに暖かい下着を、洗濯籠に入れるこちらの心情も察して欲しいと……。


「というわけですので、今日は掃除に専念しようと思います。銀華さんだけ連れて行ってください。むしろ、そのほうが片付けがはかどるというか……。それに、凛子ちゃんも俺がいないほうが、のびのびと遊べるでしょうし」

「……。はぁ、やっぱお前さんは、いろいろと鈍いんだよなぁ……」

「は?何ですかそれは……?」

「あ~、気にすんな。そろそろお迎えの時間だし、嬢ちゃんの支度が出来たら出発だ。帰りは飯を食ってから送ってくるからな」




「緋色様、何かお手伝いできることは……」

「ああ、大丈夫だ。お前にはいつも苦労をさせているからな」


 二人が出かけてからしばらく、緋色は一心不乱に掃除をしていたが、クーコの言葉にふと思い立ったように言った。


「そうだ、お前もずっと竹筒の中にいても窮屈だろうし、息抜きに散歩でもしてきたらどうだ?銀華さんも夜まで戻ってこないはずだし、人の姿で出歩いても大丈夫だろう。今日くらいゆっくりしてくるといい。まったく、それにしてもどうやったらこんなに汚せるんだ?片付ける身にもなってほしいよ」


 ブツブツと文句を言いながらも、緋色の表情は活き活きとしている。本人は認めないだろうが、おそらく緋色の履歴書の趣味・特技の欄には、間違いなく『家事・掃除』と書かれるだろう。

 嬉しそうに掃除をする緋色の邪魔をするわけにもいかない。仕方なしにクーコは表へ出ようとした。

 

「ああ、そうだ。単に散歩っていってもすることもないだろうし、これをもっていくといい」

 

 そうして、なけなしの蓄えの中から、いくらかのお金を渡してくれたのだった。 




「ハァ……」


 せっかくの自由時間を与えられたというのに、なぜかクーコは不機嫌であった。


『まったく、緋色様は何もわかっておられない!』


 クーコが欲しかったのは、一人で自由に過ごせる時間などではなかった。彼女が欲しかったのは、緋色が家を出てからなくなってしまった時間……。そう、せっかくあの猫又がいないのだから、緋色の掃除の手伝いをしたりして、二人で過ごしたかったのだ。


 それに、家事の手伝いならば、堂々と化けることができる。そう、緋色が『綺麗だ』と言った、この姿(・・・)に……。


 とはいえ、自分に息抜きを勧めてれたのも、心からの厚意で言ってくれたことはわかっているから、余計に断り辛かった。


『しかし……』


 町を歩きながら、あらためて思う。


『なぜ、緋色様はこんな町を……』


 ここには、緋色の育ったあの場所のように、森も、木も、花も、土も、ましてや水の匂いすらしない。

 木々に住む鳥達や、それを迎え入れる精霊達もいない。

 日の光に照り返され、コンクリートの油が溶けるような、むせ返るような臭いがするだけだ。


『なぜ、こんな場所を……』


 もしやとは思うが、あの猫又の小娘がいるからか?まさか、アレに特別な想いを抱いているのでは……。

 確かに、緋色は銀華を悪く言うと機嫌が悪くなる。

 不安がよぎるが、冷静に考えてみれば、緋色は恩義を感じているだけだろう。そもそも、猫又ごときと緋色が釣り合うはずがない。

 おそらくは、出来の悪い妹を心配するようなものだろう。人間の家族とは、そうした感情を抱くものだということは知っている。

 もっとも、あの猫又は先日のドサクサに紛れて、逢引きの約束などをしていたようだが……。

 緋色は気付いていなかったようだが、油断のならぬ泥棒猫かもしれぬ。

 それに、油断ならぬと言えば、もっと危険な者がいる。

 あの、蛭に憑かれた小娘だ。

 普段は、衆道や女同士の色恋に興味のあるような振りをしているが、先日の帰り道、緋色に良からぬことを告げようとしていた。

 自分が一喝しなれば、何を緋色に言っていたか、知れたものではない。

 そういえば、あの向かいのビルの狼と犬……。奴らも怪しい。特にあの、犬っころの小娘は……。


『しかし、油断ならぬと言えば……』


 クーコは、もう一人の危険人物を思い出す。

 小さな、それは元の姿に戻ったクーコならば、ひと踏みで潰してしまいかねないほど、小さな生き物。

 あの刑事の、娘である。

 猫又と違い、一定の距離を置かれているため、緋色も別段自分が好かれているとは思っていない、むしろ嫌われているかもしれないと思っているようだが、そうは思わない。

 むしろ、緋色を見る目つきは怪しい。

 幼さゆえに、自分の感情がどのようなものなのか、はっきりとは理解していないだろうが、おおかた今日猫又に会いたいと言ったのも、おまけで緋色がついてくることを期待したのだろう。

 あの刑事は、さすが父親というべきなのか、そんな娘の感情に気付いているようだ。

 先ほど、緋色が招待を断ったときも、おそらくは娘の残念がる顔は見たくない気持ちと、娘のお気に入りの男が近寄らない安堵感との葛藤で揺れていたのだろう。


『まったく……、まったくけしからん!奴らごときでは、緋色様に釣り合わぬというのに!』 


 では、どのような女であれば緋色と釣り合うのか?

 しかしながら、そんな明確な答えは待っていないのだった。

 ただ単に、緋色に近寄る女達のことを考えると、何やら胸の内がモヤモヤとするだけだ。


『当然だ。我は緋色様を守る式。緋色様に害成すモノや、緋色様に相応しくない者は、排除せねばならぬ』


 だが、己の胸に宿る感情が何なのかを一番理解していないのは、クーコ自身なのかもしれなかった。


『しかし、緋色様も成長なされたものだ。そうか、初めて会った時は、あの刑事の娘とやらと、そうは変わらぬ歳であったな……』


 目を閉じれば、いつでも思い出せる。

 それはクーコの長き生からすれば、瞬きするほどの一瞬の出来事であったであろう。にも関わらず、今も鮮明に覚えている、緋色と出会ったあの時のことを。

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