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 一匹の狐が、川べりの岩の上で居眠りをしていた。日の光にほどよく暖められた石の上に腹ばいになり、気持ち良さそうに目を閉じている。

 ただし、それは狐といっても、そこらにいる普通のものではない。人の3倍はあろうかという、巨大な姿をしていた。

 全身の毛は雪のように白く、時折り薄く開くまぶたから覗く瞳は、燃えるような赤色をしている。

 その巨体もさることながら、一風変わっているのは、尾が無いのであった。

 寝そべる岩は、真偽のほどは定かではないが、かつて鬼が自らの腰布を洗うのに使ったと言われる、この辺りでは『鬼の洗濯石』と呼び伝えられるほどの、平たく巨大なものである。

 静かな時が流れ、聞こえてくるのは川のせせらぎと鳥のさえずり、時おり小動物の駆けて行く音くらいである。

 狐は岩の上で、大きな欠伸をする。


『ああ、退屈だ……』


 もうどれくらいの時間を、このように過ごしてきたのだろうか。三千年の時を超えてからは、数えることすらなくなってしまった。

 自分が、神仙と呼ばれる存在になってからは……。

 そういえば、この地に辿り着いた時は、まだこの姿ではなかったか……。

 狐は思う。

 長きに渡り、気の遠くなるほどの努力と修行を重ね、誰も己に手を出すことの出来ぬ存在になったのはいいが、それは存外に退屈なものであった。

 もちろん、力がなければこのように自由には生きられぬし、己の生き方に後悔はない。

 しかし、永遠にも近い長き生の中では、一瞬の出来事であったにも関わらず、今でも時々思い出す。

 何の力もない、一匹の狐だった頃を。

 いつ、飢えや外敵に襲われて死ぬかわからない恐怖に怯えながらも、生きることに精一杯で、充実していた日々を。


『フフ、くだらぬ。所詮は無いものねだりか……』


 そして狐は、いつものごとくただ時間を過ぎ行かせるためだけに、再び目を閉じた。

 だが、その時であった。

 ふいに、茂みがガサガサと音を立てたかと思うと、小さな生き物が飛び出して来た。

 むろん、そんなことで驚く狐ではない。この山にはおらぬが、例え熊や大陸で見たことのある虎が出てこようが、自分が一睨みすれば、恐怖のあまり息絶えるだろう。

 さて、野犬か狸かと思い薄目を開けて見てみれば、意外なことにそこに立っていたのは、まだ幼い人間であった。

 狐とて、随分と長い間人間との関わりは絶っているが、それでもわずかばかりに人を見かけることはある。

 その人間は、おそらくここ100年ほどで見なくなったであろう、今時にしては随分と古臭い格好をしていた

 その小袖の着物を着た少年は、狐の姿を見るなり言い放った。


「おまえ、『くーこ』だな?きょうから、おれの式になれ」


『この小童(こわっぱ)は何を言っているのだ?』


 さすがの狐も、すぐには少年の言葉を理解できなかったが、少年の身なりや態度を見て気付く。


『そうか、こ奴は山の中腹辺りに住まう、陰陽師の一族か』


 確か、御門とかいう一族がこの山に住んでいたはずだ。

 確かに、はるか昔には諍いを起こし、争ったこともあったが、このままではいずれも大怪我程度ではすまぬという判断と、狐が神仙と呼ばれるようになり、人の世の営みから遠ざかってからは、接点もなくなっていった。


『それにしても、このような小童が(われ)を式にするだと?』


 幼いとはいえ、あまりの愚かさぶりに、久しぶりに笑いが込み上げてきた。


「フフ、フハハハ!小童、我が三千の時を生き、神仙と称される『空狐(くうこ)』とわかってモノを言っているのか?」

「もちろんだ!おまえ、つよいんだろ?だから、おれの式にするんだ」

「フッ、面白い小童だ。だが、式になるということは、お前が我より強きことを証明せねばならんのだぞ?」

「じゃあ、どうすればいいんだ?」


 少年は、真っ直ぐな瞳で空狐を見つめてくる。


『いい目をしている』


 空狐は思った。このまま真っ直ぐに成長すれば、立派な陰陽師に成長するやもしれぬ。

 それは空狐の立場からは複雑だが、かといって殺すわけにもいかぬ。

 この少年を殺せば、陰陽師の一族との争いは避けられぬであろう。

 そんな思いもあったが、それ以上に空狐の中で、悪戯心と言おうか、情と言うべきか、少しばかり少年に対する興味が湧いてきた。


『少しばかり遊んでやろう』


 退屈な生の中で、随分と久しぶりに少しばかりの感情が芽生えた。


「いいだろう。では、勝負に勝てたらお前の式となってやろう。とはいえ、本気を出せばお前などひと飲みで終わってしまうしな……。そうだな、術比べでお前が勝てば、大人しく言うことを聞いてやろう」

「ほんとうだな!?」

「我に二言はない。しかし、延々と勝負を繰り返しても仕方がない。三つ……、いや、四つだ。4回術比べを行い、お前が一つでも勝てば、お前の勝ちにしてやる」「よっつだな?わかった」


 少年は、何やら必死で考えているようだ。おおかた、自分のもっとも得意な術を順番に考えているのだろう。無駄なこととも知らずに。

 しばらく考え込んでいた少年だったが、やがて意を決したように顔を上げた。


『やはり、いい目をしている』


 空狐は、少しばかり気持ちが高ぶっていることに気がついた。結果はわかりきっているとはいえ、どれだけ自分を楽しませてくれるのだろうか……。


「さて、用意はできたか?まあ、情けとして、全てお前に先手をくれてやろう」

「なら、いくぞ!」


 その言葉と共に、少年は懐から呪符を取り出し、空狐に向かい投げつけた。


 呪符は真っ直ぐに飛んできたが、空狐に当たる直前に八つに割れると、洗濯石の周りに円を描くように落ちた。

 すると、空狐の座る岩の周りに一斉に火柱が立ち、逃げ道を遮るように取り囲んだ。

 不思議なことに炎は勢いを弱めることなく、空狐を包むように吹き上がり続けている。


「どうだ!」

「ほほう、年端も行かぬうちから、ここまで炎を操るとは。見事だ。だが……」


 空狐は、尾をひと振りした。

 無論、無いはずの尾が振れるのが見えたわけではない。だが、確かに振ったという感覚が感じられ、無いはずの尾からは竜巻のような突風が繰り出される。同時に周りを取り囲んでいた火柱は、一瞬のうちに消え去った。


「フハハハ、どうした?今のがお前の精一杯の術か?」

「う……、まだだ!」


 さらに少年は新たな呪符を取り出すと、小刀を取り出し、自らの指の先を傷付けた。そして、その血を呪符につける。

 

「来いっ!!」

 

 少年の叫びとともに、身の丈五間はあろうかという、巨大な蝦蟇蛙(がまがえる)が召還されたのだ。


「ほほう、口寄せまで行えるとは……」

「どうだ!おまえじゃ、これいじょうおおきいものに、ばけることなどできないだろう!」

「フフ、これもまた、残念だったな」


 言うが早いか、狐は洗濯石から飛び上がった。空中で一回転して地面に降りた狐の姿は、長さ十間を超える大蛇となっていた。


 とぐろを巻いた大蛇を目の前にした蝦蟇は、まさに蛇に睨まれた蛙のごとくに固まっている。


「さて、まだ二つ目だが……。もう終りか?」

「つ、つぎだ!」


 少年は新たな呪符を取り出すと、今度はそれを蝦蟇の体に貼り付けて、何かの印を結んだ。


「どうだ!」


 すると、巨大な蝦蟇は、少年の手の平に乗るほどの小さな雨蛙となっていた。


「おまえは、おおきなものにはばけてられも、ちいさなものはむりだろう!」


 勝ち誇ったような顔で少年は言う。


「なるほど、大したものだが……。残念だったな」


 大蛇は空中へ飛び上がったと思うと、姿が消えてしまった。


「……?」

「ハハハハ、ここだ!」


 見れば、空中に人の小指の先ほどの生き物が浮かんでいる。真っ白な毛並みに、よく見れば目もあることから、空狐が小さくなったものだろう。


「さて、なかなか楽しませてくれたが、もはや次はないだろう。さあ、おとなしく帰るがいい」

「まだ、さいごのしょうぶがのこっているぞ!」


 少年は、まだ諦めていないようだった。


「無駄だ。なかなかの才能だが、お前では我には……」


 その時、空狐は少年がわずかにだが笑ったように見えた。そして、懐から何かを取り出すのを見て、顔色を変えた。


「まっ、まさかお前……!」


 しかし、その言葉は最後まで続くことなく、空狐は竹筒に飲み込まれていった。




「さあ、よっつめのしょうぶだ。ここからでられたら、おまえのかちだ」

「くっ……。まさか、このような古典的な手に……」


 竹筒の中で、必死にもがく空狐だったが、陰陽師の封印術に捕まってしまったのだ。どうあがいても脱出は不可能だろう。

 ガタガタと竹筒を揺らすだけで、為すすべもない。

 やがて、空狐が諦めかけた時だった。不意に体が軽くなり、周りの景色が明るくなった。

 気付けば、目の前に少年が立っている。

 

「お前……」


 あろうことか、少年は自ら封印術を解いたのだった。


「な、なぜ……?このままいけば、お前の勝ちだっただろう」

「べつに、むりやり式になってほしいわけじゃない」

「何……?」

「おまえが、式になりたくないなら、べつにいい。それに、たたかいにきたんじゃなくて、おねがいにきたんだから」

「何だと……?」


 空狐は少年の言葉を思い返す。いや、あんな尊大な態度で願いなどと、誰がわかるものか!

 空狐は元の姿に戻り、あらためて少年を見つめなおす。

 しかし、見事なものだった。この齢にして術の見事さもさることながら、あの戦術である。

 この少年は、確かに『お願いに来た』と言った。ある程度は争いになるかも知れぬと予想はしていたはずだが、まさかこのような展開になるとは思っていなかったであろう。

 術比べも、四つの勝負というのも、全て空狐が言い出したことだ。

 最後の手は古典的とはいえ、そのような話を少年が知っていたこと、それをあの場で瞬時に思いつき、実践したことは驚くべきことだ。


「一つ聞きたい」

「なんだ?」

「なぜ、強き力を求める?」


 少年はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。


「ともだちだったから……」

「何……?」

「あいつらは、ようかいだけど、ともだちだったんだ。でも、しちゃいけない、わるいことをした。だから、とうさまたちにころされた」

 

 少年は、先ほどまでの強気な態度が嘘のように、苦しそうに話しだした。


「たしかに、あいつらがしたことは、わるいことだった。でも、おれにもっとちからがあれば、『くーこ』みたいにつよい式がいれば、あいつらがわるいことをするまえに、とめられたんだ」


 空狐は少年を見つめる。そして、自らの中に新たな気持ちが芽生える。

 

『この少年がどのように成長していくのか、見てみたい』と。


 それは、長らく眠っていた己の感情を呼び覚ますものだった。


「フフ、フハハハハハ。いいだろう、そもそも我に二言はない!お前の……、いいえ、貴方様の式として、この空狐、命を懸けてお仕えいたしましょう!」

「い、いいのか?」

「はい。この空狐、誠心誠意、貴方様の……」

「『ひーろ』だ。『みかど ひーろ』だ」

「はっ、わが主、ひーろ様」




 高層ビルの隙間から見える西の空が真っ赤になる頃、一人の少女が町を歩いていた。

 いつの間にか、随分と日も落ちている。いくら猫又の帰りが遅くなるとはいえ、そろそろ竹筒の中に戻らねばならぬだろう。

 緋色と出会って以来、クーコの生は充実している。生きることに精一杯だった、あの頃よりも……。

 そして、あの後の言葉で、今でも忘れられないものがある。いや、生涯忘れることはないだろう。


『くーこは、式だけど、ともだちでもあるから』 


 緋色の、あの言葉だけは……。

 さて、『我が家』へと帰るかと振り向いたクーコが見たものは、そこに立つ緋色の姿だった。


「ひっ、緋色様!?いかがされたのですか?」

「いや、何、少しばかり遅いから心配になってな……。まあ、お前を心配するなんて、笑われるかもしれないだろうが……」

「いっ、いえ、そんなことはありません!う、嬉しいです!」

「そうか?それならいいんだが……」


 クーコは、胸の内にじわりと温かい物を感じる。やはり、自分の見る目は間違っていなかった。


「そういえば、これをお返ししないと」


 クーコは懐から、緋色から預かった財布を出す。


「何だ?まったく使ってないじゃないか」

「はあ、これといった使い道もないので……」

「まったく、どこかでお茶でも飲めばよかったのに……」


 ブツブツとつぶやいていた緋色だったが、ふと思いついたように言った。


「そうだ!今日は銀華さんも晩ご飯を食べてくるし、クーコが使わなかったお金も余ってるから、二人で何か食べていくか」

「なっ、そっ、そんなもったいないことを……。私は別に、食事など必要ではありませんし」

「いやいや、そんな高いものは食べられないけど、日ごろのお礼も兼ねてだよ。それに、必要はなくとも、食べ物をおいしいとは思うだろ?」

「そ、それはそうですが……。しかし、お、お礼などと……、そんなことをしていただかなくとも……」

「たまにはいいじゃないか。そうだな……、うどんくらいなら大丈夫だろう。成田警部が言ってたんだが、お前の好きな、きつねうどんがおいしい店があるらしいんだ。なんでも、油揚げが物凄く大きいらしくて……」


 油揚げと聞いて、クーコのお腹がクーッと音を立てて鳴った。


「ははは、お腹の虫は正直だぞ。じゃあ、行くか」

「はっ、はい!」


 そうして二人は、赤く染まる町を寄り添うように歩いていった。


 しばらく後、『緋色が美少女とデートをしていた!』という噂が流れ、一悶着あるのだが、それはまた別のお話である。



~『閑話 空狐』 完 ~

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