第三章 火のそばで眠る
船の入口から差し込んでいた西日が、床の手前まで退いていた。
和真は通路を空けながら、レイナが引き出すバッグを受け取った。見た目より軽く、中で衣類がかすかに片寄った。
「それ、ボクの着替えです。横のポケットに充電器も入ってます」
壁際から乃亜が教えてくれた。
「このまま持っていっていい?」
「はい。あと……」
乃亜の目が、棚の下に収まったカメラバッグへ動く。和真がそちらへ手を伸ばしかけると、乃亜は首を振った。
「それは置いていきます。濡れないように、もう少し奥へ入れてもらえますか」
言われた場所へ収め、留め具を確かめた。手を離す前に乃亜を見ると、今度は頷いた。
水の入った袋を提げた詩乃が、通路の向こうから戻ってくる。もう片方の手には着替えをまとめたバッグがあり、濃紺のノートをその隙間へ差し込んだ。
「残りの機材は置いていきます。今夜使う物は、これで大丈夫だと思います」
「じゃあ、水は詩乃さんにお願いします。レイナさん、このバッグと俺のを頼める? 俺は乃亜さんを背負います」
乃亜が顔を上げた。
「背負って、ですか?」
「足をつかない方がいいと思う。揺れて痛むようなら、途中でやり方を考えよう」
「……お願いします」
乃亜は伸ばした右足へ目を落としてから答えた。
肩を貸せば歩けるかもしれない。だが、ここへ来た時の道には根や石が多かった。暗くなる中、片足で踏ん張らせながら進むよりは、自分が運んだ方がいい。
「分かった。和真の荷物はこれ?」
レイナが足元のバッグを指した。和真が頷くと、肩紐を引いて重さを確かめ、そのまま背負った。さっき森で渡した水は減っていたし、救急用品を除けば重い物は少ない。
「途中で休む時は、レイナさんもちゃんと休んでね」
「分かった。今度は休む」
今度は、という言葉に少し笑いそうになったが、本人も小さく口を曲げていたので、和真はそれ以上言わなかった。
乃亜を船から下ろす間は、詩乃にも手を貸してもらった。足が船縁へ当たらないよう位置を変え、砂地でいったん止まる。
背中へ体重が移る時、乃亜の腕が遠慮がちに肩へ回った。
「もう少し掴まっていいよ。後ろへ離れられると、かえって持ちにくいから」
「あ、はい」
腕が掛け直されるのを待ち、和真はゆっくり立ち上がった。腿に重さがかかる。思っていたより平気だったが、森の中では同じようにはいかないだろう。
「足、何か当たってない?」
「大丈夫です」
肩越しに届いた声を確かめてから歩き出す。詩乃は発煙に使っていた火の始末を終え、荷物を持って追いついてきた。
入り江を離れる前に、一度だけ船を振り返った。
傾いた船体のそばで、波が白く崩れている。あそこへ来た時は、誰かに道を教えてもらえるかもしれないと思っていた。今はその船にいた三人を、自分のテントへ連れていこうとしている。
「和真、こっちで合ってる?」
森の入口でレイナが待っていた。
「うん。そこから右へ」
和真は足元へ目を戻し、砂の上から踏み固められていない土へ足を乗せた。
*
上りに入ると、会話をする余裕はあまりなかった。
乃亜の重さを支え直すたびに、背中の服が汗で張りつく。来た時には跨げた根も、今は片足を上げる前に反対の足が滑らないか確かめる必要があった。
「この先、真ん中に石。右から回れそう」
少し前を歩くレイナが知らせてくれる。和真の指した方向から大きく離れず、足場の悪い場所で待ってくれるので助かった。
右へ寄ると、背後で乃亜が小さく息を呑んだ。
「痛かった?」
「いえ、枝が近くて。和真さん、もう少し左です」
言われて肩をずらした。顔の高さばかり見ていて、その下から突き出た枝には気づいていなかった。乃亜の足を避けて通り過ぎ、息を吐く。
「ありがとう。危なかった」
「右足の方はボクが見てます」
「お願い」
背負っているせいで見えない場所を、本人が教えてくれる。それだけで足の置き方に集中しやすくなった。
それでも、斜面が緩くなったところで一度休むことにした。脇に腰を下ろせる石を見つけ、詩乃に支えてもらいながら乃亜を下ろす。しゃがんだまま肩を回すと、腕の付け根がじんと重かった。
「すみません、重いですよね」
「上りだったから。ちょっと息を整えたい」
平気だと言おうとしてやめた。実際に息が上がっているのだから、隠しても仕方がない。
乃亜は肩から腕を離し、膝の上で手を重ねた。
「ゆっくりで大丈夫です。ボク、足は痛くなってませんから」
「それならよかった」
横から水を差し出される。詩乃だった。
「ありがとうございます」
受け取った水は温くなっていたが、飲んでいる間は何も考えずに済んだ。
顔を上げると、レイナも荷物を下ろして座っていた。膝に肘をついて水を飲み、和真と目が合うとボトルを少し持ち上げる。
「休んでるよ」
「見れば分かる」
「さっき言われたからさ」
和真は笑って、水をもう一口飲んだ。
その後も無理に歩き続けず、足を止めながら戻った。木々の下は次第に色が見分けにくくなり、和真はレイナにライトを出してもらった。
明かりの輪の中に、自分が通った時に見た木の根が現れる。幹の向こうへ回れば、もう傾斜はほとんどない。
やがて木々が途切れ、薄明かりの下にテントが見えた。
布の色も、入口の向きも、出発前と変わっていない。朝にはそれがかえって気味悪かったのに、今はあの中へ乃亜を下ろせることにほっとした。
「着いた。そこの椅子、広げてもらえる?」
レイナが荷物を置いて、折り畳み椅子を開く。脚が地面についたのを確かめ、和真はその前へ腰を落とした。
背中から重さが離れると、急に身体が軽くなった。立ち上がりかけて膝へ手を置き、少しだけそのままでいる。
「和真さんも、座ってください」
乃亜に言われ、和真は脇の収納ケースへ腰を下ろした。
「そうする」
息が落ち着くまで待ってから、詩乃と一緒に乃亜の足を確かめた。移動前より痛みが強くなった感じはなく、痺れもないという。そう聞いても怪我の程度までは分からなかったが、少なくとも今は休ませられる。
畳んだタオルを足の下へ当て、高さを調整すると、乃亜が長く息を吐いた。
「ここでいいです。ありがとうございます」
その声を聞いて、和真もようやく脚を伸ばした。レイナから自分のバッグを受け取り、火を起こす道具を取り出す。
*
火が細い薪へ移るのを待っていると、膝のすぐ横へ水のボトルが置かれた。
「ここでいいですか?」
詩乃が尋ねた。
「助かります。食料のケースも、そっちから取れます?」
受け取ったケースを開く。夕食に使うつもりでいた食料が、ほとんど手つかずで残っていた。予備も合わせれば今夜の分は足りる。ただ、一人で何食持つかという数え方は、もうできなかった。
「食べられない物、何かある?」
三人に確かめてから、米のパックとレトルトのカレーを取り出した。
「簡単な物になるけど」
「カレー?」
荷物を置きに行っていたレイナが戻ってきた。
「そう」
「よかった。お腹すいて、さっきからそればっか考えてた」
和真も包装を見ていたら急に空腹を感じた。昼に何を食べたか思い返すより、早く湯を沸かしたかった。
「鍋、一つだと順番になりますね」
詩乃が食料とクッカーを見比べている。
「そうなんですよね。先にこっちを温めて――」
「ご飯の方、私がやりましょうか。普段はどうしてます?」
和真は使う道具を指しながら説明し、火のそばを少し空けた。詩乃は調理器具の置き場所を確かめてから手を伸ばす。こちらが次の物を取ろうとする前に仕事が一つ進み、いつもと手順が違うことに少し戸惑った。
「あたしは?」
レイナが手元を覗き込んできた。
休んでいていい、と言いかけて、和真は焚き火台の脇を見た。薪を増やすには、もう少し細い枝が欲しい。
「この辺に落ちてる枝を拾ってもらえる? 明かりが届くところだけで」
「了解。太さ、これくらい?」
「うん。そのくらい」
レイナが拾った枝を受け取り、火へ差し入れた。乾いた皮が縮れ、細い炎が伸びる。
「和真さん、それ落ちそうです」
乃亜の声に手を止めると、取り出したスプーンがケースの縁へ引っかかっていた。
拾い上げて礼を言い、食器をいくつか乃亜の手の届くところへ置いた。
「悪いけど、これ配れるように並べてもらっていい?」
「はい。四人分ですね」
乃亜は食器を見比べ、手元で二度ほど位置を入れ替えた。和真は、皿が足りなければクッカーの蓋も使えると伝えた。
その間にも湯が沸き、詩乃から声がかかる。鍋を動かして顔を近づけると、湯気の熱で頬が湿った。背中はまだ汗で冷えている。火に当たる側だけが温かく、そのちぐはぐな感じで、ようやく歩くのをやめたのだと分かった。
食事を渡し終えてから、自分も腰を下ろした。
最初の一口を飲み込むまで、思ったより時間がかかった。急いで口に入れたせいで熱い。水に手を伸ばそうとすると、すぐ近くでレイナも息を吹いていた。
「熱かった?」
「うん。分かってたんだけど」
こちらも似たようなものだったので、和真は頷くだけにした。
ほどよく冷めると、食べる手が止まらなくなった。見慣れたカレーだった。いつもなら味を変えるために何か加えるところだが、今日はこのままで十分うまい。
湯を使い終えた詩乃がまだ道具を片づけているのに気づき、和真は声をかけた。
「そっちは後でいいですよ。冷めちゃう」
「これだけ戻したら」
鍋の取っ手を安全な向きへ直してから、詩乃も食器を手に取った。
しばらくは食べる音と、薪の爆ぜる音ばかりだった。和真は空になりかけた皿を見て、さっきまでこれほど空腹だったことにも気づいていなかったのかと思った。
「ねえ、和真」
レイナに呼ばれ、顔を上げた。
「名前しか知らないまま、ご飯まで貰っちゃったけどさ。普段何してる人なの?」
「会社員だよ。二十四歳」
「え、じゃあそんなに変わんないんだ」
「いくつだと思ってたの」
「分かんない。乃亜の足見たり、あたし探しに来たり、そういうとこしか見てないから」
「仕事は、ああいうのとは関係ないよ」
和真はスプーンを皿へ置いた。
「三人は同じ大学なんだよね。詩乃さんが先輩?」
「はい。私は大学院で、この二人は学部生です」
「それで先輩って呼んでるんだ」
乃亜が頷く。
「ボクは、調査では写真や動画を撮ってました。帰ってから記録をまとめる時に使うんです」
「じゃあ、さっきのカメラも大事なやつだったね」
「はい。でも今日は、置いてきてよかったです。あれもあったら、持つの大変でしたよね」
「明るいうちに取りに行こう。今日よりは歩きやすいはずだから」
そう言うと、乃亜は食器を持ったまま軽く頭を下げた。
「レイナさんも撮るの?」
「撮るけど、記録は乃亜。あたしは荷物持ったり、歩き回ったり。身体使う方」
「それはなんとなく分かる」
「今日は助けられたけどね」
「森を出たら歩くの速かったよ。追いつくの大変だった」
レイナは何か言いかけて、向かいの乃亜を見た。
「……早く戻りたかったから」
和真も入り江での再会を思い出した。遠くから名前を呼び合う声に、連れ戻せたのだとようやく実感したことまで蘇る。今、その二人が手の届くところで食事をしていた。
「うん。間に合ってよかった」
自分の皿に残っていた一口を食べると、少し冷めていた。
*
「それで、さっきの話なんだけど」
食べ終えたレイナが、空の容器を膝に置いた。
「和真のキャンプって、結局どこでしてたの?」
和真は予約していたキャンプ場の場所を伝えた。詩乃が眉を寄せ、乃亜もこちらを見た。その反応で、近くではないのだと分かった。
「ここから、だいぶ遠い?」
「少なくとも、歩いて来られる場所ではないです。途中まで車だったんですか?」
「いや。移動した覚えがないんです」
詩乃には入り江でも話した。それでも、自分で言いながらおかしな話だと思うのは変わらなかった。
「二泊三日で、今日帰るつもりだった。朝、片づけようとして周りを見たら、道も案内板もなくなってたんだ。ここから海が見えるのも変だったし」
和真はテントの方を見た。入口近くには、帰り支度の途中でそのままにしていた荷物がある。
「これも、俺が張ったテントだよ。道具の置き方も変わってない。自分で運んだなら、さすがに覚えてると思うんだけど」
「いつ変わったのかも、分からない?」
レイナの問いに頷いた。
「気づいたのは今朝。いつからこうなってたかは、分からない」
目が覚めた時にはすべて変わっていた、と言い切れるほど、周りを確かめてはいなかった。分かっていることまで曖昧にしたくはないが、覚えていないところを埋めることもできない。
「だから、あの煙を見つけた時は、場所を聞けると思ったんだ」
「ボクたち、助けてくださいって煙を出してたのに」
乃亜が言い、和真は苦笑した。
「そうだったね」
和真は自分の容器を膝に置いた。
「あたしたち、四人とも遭難してるんじゃん」
「そうなるね。俺も帰り方が分からない」
「……そっか」
レイナは膝の容器を見下ろした。
何か付け加えた方がいいのかと思ったが、島を知らないという答えは変えられなかった。今夜の寝場所があることと、ここから帰れることは別だ。
火へ手を伸ばしかけたところで、詩乃が口を開いた。
「私たちの行き先は、船の管理をしている方に伝えてあります」
和真は手を止めた。
「戻らなかったら、探してもらえるんですか?」
「はい。帰着予定を過ぎても連絡が取れなければ、申告した行き先を確認する手順になっています」
「この島まで?」
「環凪島も伝えています。そこで見つからなければ、海上保安庁へ連絡するところまで確認しました」
聞きながら、和真は今朝、自分が誰へ連絡しようとしていたかを思い返した。通話は繋がらず、居場所も送れなかった。自分を探そうとする人がいても、調べる先は予約したキャンプ場になるはずだった。
だが、三人にはこの海まで辿れる予定が残っている。
「迎えが来る約束、とは違うんだね」
「帰りも自分たちで船を動かす予定でしたから。戻れない時のための手順です」
詩乃は膝の上へノートを出した。
「来る前に、周りの島や航路も調べています。細かい場所は資料を見直さないといけませんが、少なくとも、どの辺りにいるかは説明できます」
「それ、後で見せてもらっていいですか。俺の携帯に入ってる地図だと、何も分からなくて」
「もちろんです」
和真は息をつき、火の近くへ置いた水を飲んだ。帰る場所を言っても誰にも通じなかったらどうしよう、という考えが、話す前には少しあった。分かる人がいる。探すための手順もある。
「じゃあ、向こうでもう電話してるかもしれないんだ」
レイナがポケットから携帯を出した。
「あり得るけど、確認はできないわね」
詩乃の返事を聞き、和真も自分の画面を確かめた。圏外の表示は変わらない。
「ここまで来るのに、どれくらいかかるかは分かります?」
「すみません、そこまでは。こちらの予定だけでは、船を出せる時刻も分からないので」
「そっか。そうですよね」
明日には来る、と聞ければどれほど楽だろう。それでも、確かめられないことを約束されるよりはよかった。
乃亜が食器を持ち直した拍子に、右足を少し動かした。和真はそちらを見たが、顔をしかめたわけではなく、足を乗せたタオルの位置を直しただけだった。
できれば早く見つけてもらいたい。食料の残りだけを考えて待てばいいわけではなかった。
「その手順があるって聞けて、助かりました」
和真が言うと、詩乃はノートに置いていた手を少し緩めた。
「私も、来てくれると思って待っています」
声は静かだった。和真は頷いて、画面を暗くした携帯をしまった。
すぐに立つ気にはならず、しばらく火のそばにいた。
風向きが変わって煙が顔に流れ、和真は目を細めた。座り直そうとすると、近くのレイナも同じ向きに顔を逸らしている。
「こっちへずれる?」
「うん。目に入った」
場所を空けてやり、ようやく食器を重ね始めた。手を動かしている方が、船の来る時刻を考え続けずに済む。
「それ、ボクのところに置いてください。まとめます」
乃亜が手を伸ばしたので、乾いた物を渡した。
「スプーンは別にしてもらえる? 朝、探すことになるから」
「分かりました。和真さんのはどれですか?」
「どれでも大丈夫」
答えてから、自分が普段使っている物を三人の食器と一緒に渡したことに気づいた。もう少し場所を決めておかないと、明日は自分でも見つけられなくなりそうだった。
隣では詩乃が使った道具を拭いている。手を伸ばせば受け取れる距離にあり、和真はそのままケースへ戻した。
*
片づけが終わる頃には、火の向こうの木立が見えなくなっていた。
和真は膝へ肘をつき、しばらく座っていた。動いている間は平気だったのに、一度腰を落ち着けると、もう立ち上がるのが億劫だった。
食器の音がなくなると、森のざわめきが近くなる。昼間には気に留めなかった葉擦れまで、暗がりの奥から聞こえてきた。
「今日、長かったな」
レイナの声がした。
「まだ今日なんだもんな」
「うん」
和真にも、朝ここで携帯を握っていた時間がずいぶん前のことに感じられた。あの時はまだ、船のことも三人の名前も知らなかった。
「森にいた時、暗くなるまで戻れなかったらどうしようって思ってた」
レイナが続けた。
和真は顔を上げた。火に照らされた頬に、乾いた泥が少し残っている。
「ほんと、見つけてもらってよかった」
普段の調子で軽く返す気にはなれなかった。声が聞こえた場所を通り過ぎていたら、あるいはもう少し遅かったら。考えても仕方のないことだったが、夜の森を前にすると、簡単には追い払えない。
「呼び返してくれて助かったよ。声が聞こえて、あっちにいるって分かったから」
「めちゃくちゃ叫んだ」
「聞こえた」
レイナが小さく笑う。その向こうから、乃亜の声が届いた。
「戻ってきてくれて、よかったです」
「……うん」
和真は火ばさみで崩れかけた薪を寄せた。さっきまで近くに感じた葉擦れが、また少し遠のいた。
火へ新しい薪を足すのはやめた。
「そろそろ寝る準備をしようか。三人はテントを使って」
「和真さんは?」
詩乃がすぐに尋ねた。
「この横で寝ます。寝袋は出しておくので」
入口を開け、ライトで中を照らした。荷物を外へ移せば三人は横になれる。だが四人で入って、乃亜の足に誰も触れずに寝るのは難しそうだった。
「ちょっと狭いけど、荷物はこっちへ寄せれば……」
「私たちが使ってしまって、本当に大丈夫ですか?」
和真は荷物を引き出す手を止めた。
「雨が降らないかは気になるけど、今は大丈夫そうです。寒かったり何かあったりしたら、起こします」
言いながら上を見た。枝の切れ間に星が見える。地面は乾いているし、風も強くない。外で眠るのが快適とは言えないが、このすぐ横なら声も届く。
「じゃあ、入口側は空けておきます」
詩乃は中を覗き、荷物の位置を確かめた。
「何かあったら、遠慮しないでください」
「分かりました」
寝袋とマットを外へ出してから、乃亜が横になれる場所を作った。三人が船から持ってきた着替えやタオルも使い、足の下が落ち着くまで調整する。
「この辺、当たらない?」
「大丈夫です。あ、タオルはもう少しこっちだと嬉しいです」
「ここ?」
「はい。ちょうどいいです」
乃亜が身体を預けたのを確かめ、和真は入口から退いた。
中を整えるのを三人に任せ、外へ残した自分の荷物をまとめる。足元へ置いたバッグを踏みかけ、慌てて脇へ避けた。疲れると、片づけたつもりの物まで邪魔になる。
火の始末をしていると、テントから布の擦れる音と話し声がした。
「レイナ、そこ乃亜の荷物」
「ごめん。どっちに置く?」
「ボクの頭の方へお願いします」
入口越しに届く声を聞きながら、熾火へ少しずつ水をかける。白い蒸気が立ち、煙とは違う湿った匂いが上がった。
燃え残りを崩して奥まで濡らしたところで、名前を呼ばれた。
「和真」
「何?」
「まだそこにいる?」
「いるよ。火を消してる」
「ああ。分かった」
返事のあと、中でまた布の音がした。
和真は消火を終え、熱が残っていないことを確かめてから道具を置いた。暗さが一段深くなったように感じたが、テントにはまだ明かりがある。寝床を作った場所は、腕を伸ばせば外側の布に届くほど近かった。
「俺も寝るね」
声をかけてマットに腰を下ろすと、中から乃亜が答えた。
「和真さん、背中、大丈夫ですか?」
「大丈夫。明日は少し筋肉痛かもしれない」
「……ありがとうございました。運んでもらって」
「うん。足、ゆっくり休めてね」
「はい。おやすみなさい」
詩乃とレイナにも挨拶を返し、寝袋へ入った。
見上げると、テントの縁と木々の間に細く夜空が見えた。
明日の朝になれば、元のキャンプ場に戻っているかもしれない。
中の明かりが消えた。
しばらくして、すぐ向こうで誰かが寝返りを打った。布が擦れ、小さな声で何かを言い合っている。聞き取れなかったが、呼ばれたのではないと分かり、和真は目を閉じた。
朝から一人で耳を澄ませていた森の音に、今はその気配が混じっていた。
乃亜を背負った背中の重さが、ようやくマットへ移っていった。
テント越しの物音を聞きながら、和真は眠りに落ちた。




