寝転び注意報
お風呂入りなさーい!ってお母さんの声がして、互いに互いを見たままだった俺と拓己は、目が覚めたように起き上がって。
お風呂行ってくる、って言うと、拓己は黙ったまま、また壁を抜けてどこかへ出かけてしまった。
仕方なく俺はお風呂に入って、ご飯を食べて、自室に戻る。
お母さんも拓己が事故に遭ったことを聞いたみたいで、心配だろうけどきっと大丈夫だからね、と励ましてくれた。
俺は頷いて見せたけれど、何も確証のない『大丈夫』って言葉にモヤモヤもしていた。
励ましの言葉だって、ちゃんと分かっている。
お母さんにだってどうしようもないことだって分かっている。
分かっているけれど、俺は何もせずただ拓己の回復を待っているのではなくて、何とかしたくて動き回っているから、何も知らないお母さんに少しモヤモヤしてしまった。
お門違いだし、八つ当たりだって分かっているけれど、モヤモヤした。
そんな言葉よりも拓己を助けてほしかった。
多分誰にもできないことだからこそ、時間に迫られているからこそ、誰かに今すぐ助けてほしかった。
部屋に戻ると、拓己が帰ってきていた。
今日は戻らないかと思っていたから驚いて、心底ほっとする。
「一人にしてごめん」
「ガキ扱いすんなカス」
「ごめん」
「謝んなボケ」
「……うん」
拓己の暴言すら希少に思えて、全部受け止める。
いつもなら、なんでそんな言い方するの!ってモヤモヤするのに、今は全部聞きたかった。
拓己はそんな俺を虫でも見るみたいな顔をして見ていて、それでもいいからそこに居て、と思う。
俺は拓己から目を逸らすと、ベッドの上から布団を下す。
それからラグの横に布団を並べると、拓己がもっと嫌そうな顔をした。
「一緒に寝る」
「キモ」
「キモくていい」
「……」
いつもと違う俺に、拓己は明らかに嫌悪感を表していて、ちょっとだけ困る。
拓己にはいつも通りの暴言を吐いていてほしい。
とか言ったら、変態かよって言われそうだけれど。
マゾ的なそれではなくて、ただ拓己の全部を受け止めたいと思っただけで。
けれど俺が受け入れることで拓己の調子が狂うなら考え物だなと思って、そのまま布団に潜り込む。
「これなら生首のイタズラできないね」
昨日ベッドの下から顔を出してきた拓己を思い出して、少しだけ笑う。
あれは本当に驚いた。
多分これからも時々、夢に出てくるんじゃないかな。
多分、悪夢として。
でも悪夢でもいいや。
拓己と会えるなら、いいや。
「おやすみ」
腕を伸ばして、リモコンを手探りで押して電気を消す。
そうすると拓己の姿は見えなくなる。
だから、拓己が居た方に腕を伸ばした。
幼い頃、一緒に寝ていた時を思い出しながら。
いつも伸ばせばそこにあった温もりを探しながら。
「拓己、いる?」
「……うるせぇ」
「……うん」
温もりは無かったけれど、声が聞こえた。
少しだけ眠そうなその声に、ほっと安心して眠りに落ちた。
「ねえ、録音してみない?」
「は?」
「機械は拓己の声を認識するのかなと思って」
「……好きにしろハゲ」
「ハゲてないけどね」
「……」
昼休みになって、体育倉庫の横にきて必死でお弁当を食べながら、授業中に思いついたことを提案する。
拓己はどうでもいいって顔をしながらも隣に座っていた。
今朝、拓己は俺のことを大声で起こさなかった。
それどころか、俺が起きても眠ったままだった。
疲れが溜まっているのかなと思って、起きた拓己に今日は家でゆっくりしておく?って聞くと、うぜぇって顔をしながら、さっさと行けカス、って言われた。
驚くほどにいつも通りな拓己だと思う。
それから、拓己の暴言には少しだけ応戦する方針に変えてみた。
俺が暴言を全て受け止めるたびに変な顔をするから、その顔を見るのもいいけれど、あまりストレスを掛けて拓己が消えるまでの時間が短くなっても困るなと思って。
要は折衷案、ってやつだ。
この三日で俺も大人になってきているなと少しだけ誇らしい気持ちになった。
拓己は依然、不機嫌そうなままで俺を睨んでいたけれど。
「今日は駅前の方の図書館に行ってみようと思う」
「あっそ」
「拓己も来てね」
「うぜぇ」
「そうかも」
こんな風に頼んだり、わがまま言うなんて拓己にとっちゃ『うぜぇ』だと思う。
でも来てくれるって知っている。
だからあんまりモヤモヤしなかった。
にこって笑った顔を拓己に見せると、それはそれで嫌そうな顔をしていて面白い。
程々に応戦しつつ、受け入れつつ。
俺と拓己、両方のストレスがバランスよくなる場所を探す。
俺は多分、もう拓己の暴言にイライラしないかもと思った。
居なくなったら聞けなくなってしまうものだから。
居なくなることは考えたくないけれど、聞けるうちは存分に聞いておきたい。
お弁当は結局、お昼休みの時間いっぱいいっぱいを使って食べ切った。
お弁当の量を減らしてもらうようにお母さんに言おうか迷ったけれど、やっぱりこのままにしておこうと思う。
拓己には絶対帰ってきてもらって、またお弁当を一緒に食べたいから。
拓己が居ないことを受け入れたくなかった。
拓己が居ないことを当たり前にしたくなかった。
だからこのまま、いつものまま。
教室に戻ると、拓己は後ろの方で床に座る。
授業内容の遅れを気にしてか、拓己はちゃんと出席するようになった。
俺の前に座らないのは、俺が笑ってしまうことに配慮してくれたのだと思う。
皆には見えないからって、次第に寝転びながら授業を受け始めたのはちょっとずるいなと思うけれど、ふらっとどこかへ行くのではなく、同じ教室内に居てくれるのはありがたかった。
休み時間とか、プリントを後ろに回す時に、拓己の存在を確認する。
顔は見えなかったけれど、足が見えていたからそれだけで満足だった。
空っぽな前の席が、本当は空っぽじゃないことを俺だけが知っているのは、ほんの少しだけ心地よかった。




