涙注意報
「面会時間は終わってる」
「……そっか、制限あるんだ」
一生止まらないかと思った涙は、泣きすぎて頭が痛くなって、そのことで意識が逸れて、やがて止まった。
拓己はずっと立ったままで、俺が泣き止んで、カバンから出したティッシュで思い切り鼻をかんでいたら先に歩き始めて。
置いて行かないで、って駆け出して、追い付いて、病院の方へ歩いて行こうとしたら止められた。
体が軽くなっているというオバケの拓己。
それなら拓己本体は少し変化があるのかなと思って、見に行きたかった。
けれど今日はもうだめで、それなら明日、会いに行こうと思って。
でも、そんな時間も無いのかなとも思う。
オバケの拓己の体が、明日にはもっと軽くなっていたら。
徐々にじゃなくて、どんどん、急激に軽くなってしまったら。
どうすればいいのか何一つ分からないのに、早くしないといけないということだけが分かっていって、焦る。
「お医者様は、何か知ってたりしないかな」
「……さあな」
拓己の声は、依然、静かなまま。
俺の願いなんて聞こえていなかったみたいに、いつも通りなまま。
今だってこうして当たり前に隣に居て、当たり前に同じ道を通って帰って。
いつもは裏の通りに帰っていく拓己が、今日も俺の後ろを付いて、俺の家に帰ってくる。
その理由は分からなかったけれど、俺も何も言わずに受け入れた。
ちょっと長めに開けた扉を、ちゃんとくぐって入ってくる拓己。
俺が着替えようと部屋服を漁っていたら、拓己はラグの上で、大の字になっていて。
いつも通りだな、と思う。
大の字になる先が、ベッドかラグかの違いだけで。
その体が透けるか、透けないかの違いだけで。
拓己はいつも通りで、それでいて少しだけ大人しい。
だから歩み寄って、拓己の頭の傍に座る。
ほんの少しだけ俺を見た拓己を、上から覗き込む。
病室でしたみたいに、拓己のおでこに触れようとして、けれど腕で、弾かれて。
でもすり抜けるから、手のひらが拓己のおでこに辿り着くのに、触れずにすり抜ける。
何度見たってそこに存在しているのに、触れられなくてもどかしい。
俺だけに見えるなら、俺だけが触れられたっていいはずなのに。
「俺も、事故に遭えばいいのかな」
「……は」
「俺も事故に遭ったら、拓己と同じになれるのかな」
「……」
また滲む視界に、疲れてしまって、俺もラグの上で横になる。
拓己はこちらを見たままで、俺も拓己を見たままで。
幼い頃は、こうして並んでよく寝ていた。
俺が寝付けなかったら手を握ってくれて、俺が怖い夢を見ても、手を握ってくれた拓己。
いつから一緒に寝なくなったっけ。
いつから手を握らなくなったっけ。
ずっと一緒に居るのに、ずっと一緒に居たのに、気付かなかった変化をこの二日で何度も感じている。
それから、そのたびに、寂しく空っぽの気持ちになっていく。
これまではずっと拓己が傍に居て、これからもずっと拓己が傍に居ると信じて疑わなかったから、気付かなかった。
当たり前がなくなるってこんなにも怖いんだ。
当たり前じゃなくなるって、こんなにも悲しいんだ。
「俺が死んでも、お前は生きろ」
「……なんでそんなこと言うの」
「黙って聞いとけカス」
「……カスでもいい」
「は?」
「カスでもいいから、そんなこと言わないで。離れ離れを受け入れないで。言うこと聞くから、ずっと一緒に居て」
また涙が零れて、床に落ちていく。
横になっているせいで、耳に涙が流れていって、けれどそんなのどうでもいい。
なんでバラバラを受け入れてるの。
なんでそんな寂しいこと言うの。
拓己が死ぬよりも、怖いこと。
拓己ともう二度と会えなくなること。
拓己がもう、俺の傍に居なくなること。
死と同義で、でも俺にとっては少し違っていた。
死そのものは怖くない。
だから俺も死でもいい。
その先で、オバケの拓己と一緒に居られるならそれでいい。
俺もオバケになって、拓己とずっと一緒ならそれでいい。
拓己とお揃いならそれでいい。
拓己と離れるのだけは嫌だった。
産まれた時から傍に居る存在。
お母さんよりも共に過ごした時間が長いかもしれない拓己。
俺の友達で、親友で、家族で、半身の拓己。
拓己が他の人に認知されなくなっただけでもこんなに寂しいのに。
居なくなったら、なんて耐えられない。
どっか行っちゃえ、なんて、本当にどうかしていた。
モテる拓己を見てモヤモヤしていたとしても、傍に居るべきだった。
大切なものは失って初めて気付くという。
俺はまだ失っていない。
失いかけて、気付けた。
ならば、失わないようになんでもする。
「ずっと俺の傍に居て」
これまでと変わらず、傍に居てよ。
伸ばした手はやっぱり透けて届かない。
けれどさっきは見えなかった拓己の顔がよく見えた。
今にも泣き出しそうな顔で、俺を見る拓己の顔が、よく見えた。




